はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ガイド 手紙が励みに

2018-08-16 17:46:20 | 岩国エッセイサロンより
2018年8月15日 (水)
   岩国市   会 員   横山恵子

 原爆の日、ボランティアのため原爆資料館に行くと、以前平和記念公園をがイドした米子市の6年生から手紙が届いていた。どう話したら伝わるか、悩みながらガイドしているが、被爆者の方々と戦争体験者である亡父の思いが心を突き動かしている。
 手紙には「家族や人をもっと大切にしていきたい」 「学んだことを知らない人に伝えていきます」 「しょう来、このことを伝える仕事につきたい」など頼もしいことが書かれてあり、胸が熱くなった。ガイドは一方通行だけど、手紙から頑張ろうというエネルギーをもらった。
 嫁が8歳と6歳の孫を連れ灯龍流しに行くと聞き、私も行った。想像していたよりはるかに多くの親子連れが並び、願いを込めた灯籠が水面に浮かんでいた。平和へのあふれんばかりの思いが伝わってくるようで感動した。
 核兵器が地球上から消えるまで燃え続ける「平和の灯」が一日も早く消えることを祈っている。

     (2018.08.15 中国新聞「広場」掲載)

父とハンミョウ

2018-08-16 17:42:04 | 岩国エッセイサロンより


2018年8月 4日 (土)
岩国市  会 員   角 智之


 ハンミョウとの出合いは小学生の時、父から教わった。道路を歩いていると、どこからともなく飛んできて足元に降り、人の行く方へ先回りしては飛ぶのを繰り返し、不思議な昆虫だ。昭和30年代、田んぼが埋め立てられ、道路が舗装されると全く見なくなった。
 あれから半世紀、先日、1年ぶりの墓参で農道にこの虫がいた。見覚えのある美しい羽。こんな所にもいたのか。父の使いか、それともハンミョウに姿を変えて迎えに来たのか。「智之、お前、長い間、来だったのう」。間もなく父のみたまは精霊トンボに乗って我が家へ向かう。
(2018.08.04 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

歩く姿はユリの花

2018-08-16 17:31:40 | はがき随筆




 雲を通して太陽の存在を感じるというような、はっきりしない空模様のもとで、カサブランカが大輪の花を咲かせていた。そのすっきりとした顔立ちで、庭を引き立てている。今年は栄養が行き届いたせいか、花の大きさが違う。まさに「歩く姿はユリの花」である。
 それにしても今年の花々は例年になくこぞって咲き誇ってくれた。丸く刈り込まれたサザンカは赤紫一色に包まれたし、オガタマも一気に開花、ニオイバンマツリも白と紫で染め上げた。おかげで我が家の庭を楽しみにしてくれる奥さんも増えた。カミさんは喜色満面である。
 鹿児島県西之表市 武田静瞭(81) 2018/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載

かわいい予約

2018-08-16 17:24:00 | はがき随筆
 夏休みを前に、東京の6年生から電話があった。
 帰省の時、読書感想文を見てほしい、というものだった。「ママがね、早く予約をしなさい、って言うから……」の言葉に思わず笑みがこぼれた。
 「予約? オーケーよ」
 そう言えば、昨夏、登山の帰り、長野から中央道を走って寄った東京では、たっぷり残った彼の宿題とご対面だったな。
 それを仕上げて、一緒に見た東京湾の大海原。カモメが低く飛び、渡る風が爽快だった。
 さて、灼熱の今年の夏。ついため息がでそうだが、かわいい予約のお陰でしのげそうだ。
 宮崎県延岡市 柳田慧子(73) 2018/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載

小さなお父さん

2018-08-16 17:15:38 | はがき随筆
 「龍君、お父さんみたい?」。うっすら涙を浮かべながら私を見上げる。5歳の小さな体で、妹のベビーカーに乗りたいとも言わず、一日よく歩いてくれた。お土産店に寄った。「じいじとばあばにも買う」。自分で選び始める。「ママ、龍君お父さんだけんお土産持っとくね」。大きな袋を一生懸命持ってくれた。
 日ごろは一番の甘えん坊のくせに旅先では立派で頼もしかった。子供ながらに気を遣っていたのか、旅の楽しさがそうさせたのか。「優しい龍君、今日はお利口だったね。うれしかったよ」。息子の寝顔に語りかけた。
 熊本市南区 中山佳世子(24) 2018/8/16

赤いスニーカー

2018-08-16 17:02:10 | はがき随筆
 靴売り場の前を通り過ぎようとして、素敵な色合いに吸い寄せられ店内へ。赤といってもイエローピンクの色調は柔らかな感じで優しく足を包んでくれそう。早速はいてみる。外反母趾でも楽に歩けてうれしくなる。
 同じサイズでも変形した足に合う靴はなかなかみつからないものだ。一度は履いてみたかった赤いスニーカーに、やっと出会えワクワクする。
 年を重ねた今こそ明るい靴で歩きたい。さっそうとはいかない足取りだが、若返った気分になる。「いい色だね」亡夫も言ってくれそうだ。
 鹿児島市 竹之内美知子(84)2018/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載

亡き義父への報告

2018-08-16 16:55:47 | はがき随筆
 もうすぐ義父の一年忌がくる。生前「孫の結婚式には出たい」といっていたが、それもかなわず他界した。息子も別れのあいさつで悔やんでいた。
 今年、息子は30歳になる。私も「30になるまでには結婚して」と口癖のように言いだした。息子は嫌な顔をして、「俺の問題やかい。言わんで」とひと事。それ以来口をつぐんだ。
 そうしているうち、ようやく正月に彼女を連れてきて紹介してくれた。しっかりした年上の女性だ。末っ子で姉たちに甘えていたので、わかる気がした。
 一年忌に息子の結婚を報告でき亡き父も喜んでいるだろう。
  宮崎県串間市 林和江(61)2018/8/16  毎日新聞鹿児島版掲載

忍者の住む通り

2018-08-16 16:48:43 | はがき随筆
 二十数年前、年をとったら都心の方が便利と考えて熊本市の中心部の水道町に引っ越した。すると同級生が「今度のあーたが家は黒鍬通りじゃなかと?」と言ったが私は知らなかった。「黒鍬ちゅうたら忍者たいね」とうれしくなって地図を見たらやはりそうだった。「私、くノ一のお隣と名乗ろ」「あーたは運動神経が鈍かけん無理」
 黒鍬通りは土木に携わる人たちの住む所だったのだろう。でも昔忍者が住んでいたと思っている方が今も結構多い。このごろ海外でも忍者ブームだとか、ニュースを聞きながららちもないことを思い出した。
  熊本市中央区 増永陽(68)2018/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載

特攻飛行機の思い出

2018-08-16 16:26:58 | はがき随筆


 第二次大戦末期の特攻飛行隊の存在を知る人はもう少ない。日向市の富高にもあった。
 我が家の貸家に独り暮らしの婦人がおられた。ある日、日の丸の旗を持って訪ねてみえ、一人息子が出撃するからうちの畑から見送りたいと言われた。うちの家族も大旗を持ち、一緒に空を見上げて待った。やがて低空飛行で息子さんが現れ、2回旋回し南へ去っていかれた。
 そして6月29日、米軍の空襲にあい、隣も我が家ともども焼け果ててしまった。それっきりご婦人の姿を見ることはなかった。振った旗の重さだけが記憶に残っている。
  宮崎県延岡市 窪田恵子(82)2018/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載