はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

勝負師

2021-08-07 13:52:09 | はがき随筆
 脳の活性化のためにマージャン教室に通い始めた。
 約50年ぶりで驚いたことは、全自動マージャン卓があり、全部自動で牌を並べてくれることである。文明の利器に感心するばかりだ。
 実戦形式で約5時間したが、役作りや他の相手の言動にも注意して、自分がいかに対処するかを瞬時に判断しなければならない。
 頭の回転を速めるには、健康マージャンは自分にとっても有意義なものだと思う。
 そして勝負師になって永劫に続けられることを願うばかりである。
 鹿児島市 下内幸一(72) 2021/8/7 毎日新聞鹿児島版掲載

自然災害

2021-08-07 11:50:44 | はがき随筆
 山肌を削りながら土石流が、家や気をなぎ倒していく。車は流され消防士が危機一髪で難を逃れる様子を当日テレビで見た熱海の土石流災害。行方不明者を早く救出してほしいとテレビの前でつぶやいてはむなしさを覚えた。
 ここ数年で似たような映像を目にするようになった。甚大な被害をもたらすのは、温暖化による異常気象らしい。
 少しでも二酸化炭素が減ればと、エコバッグを利用している自分。一方、ガンガンと、クーラーを使っている自分。はたして地球温暖化防止に協力していることになるのだろうか?
 宮崎市 津曲久美(63) 2021.8.7 毎日新聞鹿児島版掲載

今そしてこれから

2021-08-07 11:43:45 | はがき随筆
 「元気ですか。近ごろはがき随筆で見かけませんが」と20年前知り合ったAさんからの電話。Aさんの実家が私の家の近くで、今年初めお母さんを亡くされていた。実家の座敷に案内されると床の間に徳川家家訓の掛け軸が。渋沢栄一氏の本の中で出合った家訓である。Aさんのお母様はこの家訓で厳しく育てられたとのこと。栄一氏のようにこの家訓で育った人は日本にいっぱいいるのだと実感した一日だった。Aさんとの再会に感謝し、「論語と算盤」「いい生き方いい死に方」を読みながら71歳の自分と93歳の母と向き合う日々である。
 熊本県八代市 今福和歌子(71) 2021.8.7 毎日新聞鹿児島版掲載

人生の一日の重さ

2021-08-07 11:35:57 | はがき随筆
 一日がその後の人生を支える。そんな一日が人生にはある。1986年7月20日、鳥取県の皆生トライアスロン。あの日が後年、自殺衝動に駆られるたびに私を立ち止まらせ、現在まで生き抜く力になった。他者から見ると泳ぎ、こぎ、走る距離の長いレースを完走しただけの日に人生を変える、支えるだけの力と重さが確かにあった。田舎者が都会に出て自分を見失い、自信を失い、その自分を取り戻すために完走することで……。あの日から35年がたつ今でも、鮮やかな色彩をもって老いに生きる私に熱く語りかけてくる。
 鹿児島県湧水町 近藤安則(67) 2021/8/7 毎日新聞鹿児島版掲載

ウグイスの訪問

2021-08-07 11:29:06 | はがき随筆
 ツキョケッキョ。声は近い。笑ってしまうくらい拙い初音。5月半ばから毎日庭に来る。
 ひと月後、ホーホケキョの朗々たる声は「私の美声きいてよ!」と言わんばかり。夫と耳を澄ませ「うまくなったねぇ」とうなずきあった。
 そして7月、2日間声を聞かない。山に帰ったのかなあと一抹の寂しさを覚えた夕刻、長々とくり返し鳴いた。梅雨空に名残を惜しむように。
 40年ここに住むが、連日の訪問は初めてだった。コロナ禍で高齢者が多い住宅街の人通りはまばら。透き通る声は隣人たちにも届いたかなあ。
 宮崎県日南市 矢野博子(71) 2021.8.7 毎日新聞鹿児島版掲載

S先生

2021-08-07 11:22:31 | はがき随筆
 プールに行ったらS先生に会った。私が2年前まで英語の授業のお手伝いに行っていた小学校の先生だった。私が人気の少ない職員室にいると、コーヒーを出してくださったり、時にはお菓子もくださった。金栗四三さんの話も面白く聞かせてもらった。こうしたことをさりげなくされる人である。
 この出会った日は、夏休みの子どもたちに水泳指導をされていた。今は退職してご両親の介護をされているとか。育ててもらった分、今度は自分が面倒を見るのだとおっしゃっていた。
 先生は、今までに出会った素敵な人たちの一人である。
 玉名市 立石史子(67) 2021/8/7 毎日新聞鹿児島版掲載
 

2021-08-07 11:06:10 | はがき随筆
 月例のゴルフコンペで一緒にラウンドする先輩は、原爆投下を見た人である。国民学校5年生の夏休み。海で遊んでいたそうだ。島原半島の小浜に住んでいて、砂浜が友達との遊び場になっていた。その日も数人の友達と泳いでいる時、今まで見たことのない閃光と、一瞬置いて衝撃波を感じて、泣きながら家に向かって走ったという。橘湾を挟んで、対岸の長崎市に落とされた原子爆弾である。76年も前のことだが、その話を聞いた僕は、地球上の人間が、二度と再び、その光を見ないで済む世界であってほしいと、ただただ思った。
 鹿児島県志布志市 若宮庸成(81) 2021/8/7 毎日新聞鹿児島版掲載