岡崎から共稼ぎの息子夫婦の孫を保育園に迎える奉仕で地下鉄東山線で藤が丘に行った。駅前に柴田勝家のカラクリ時計が有り、バスを待つ正10時に作動し保育園児が見学する。
星が丘を過ぎ、一社から地上に出て高架を走ると上社。老人の好奇心はイッシャやカミヤシロの由来に向かう。
昔、丘陵地帯の水田は旱魃に悩まされた。弘法大師ではなく武士が農民の苦しみに同情し、白い矢を与え言った。
地面に立て祈りなさい、清水が湧き出すでしょう。
奇跡は起こった。農民はその大地に社を造り、矢白神社と命名し、社村とした。
ヤシロジンジャの上の地だからカミヤシロ。
一社は社村と隣の一色村が合併した時、上の一字を合併してイッシャ。
上社が有るなら下社・シモヤシロがあるだろうか?
岡崎城が徳川家康の誕生城、下社城で柴田勝家が生まれた。
下社城址は明徳寺、矢白神社は貴船神社である。
信長・秀吉・家康・勝家、夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあとの長久手の界隈である。