その昔、信州小諸に住む老婆が 晒しておいた白布を、近所の牛が角に引っかけたまま逃げていった。老婆は悪戦苦闘して白布を取り戻そうと後を追いかけていくと、牛は長野の善光寺の境内に入ってしまった。おかげで疲労困憊の老婆は思わずお詣りしてしまった。物欲が動機で始めたことが、結果として心の存在に気が付き、変身した話である。
長野と小諸は43km弱でマラソンの42.195km近いから、マラソンは日本で始まったのかもしれない。だから日本女性はマラソンに強いのである。
四国遍路旅の際の青春18きっぷの残りがあり、有効期限が迫っているから、旅の疲れ、仕事の疲労があるが、快晴の日曜日に徒歩でJR岡崎駅に行った。きっぷを使わないと損をするという物欲が、40分の徒歩を可能にしたのである。目的地は決まっていない。物欲が無いと人間は動かないようである。
駅に着いて、直ぐの電車が名古屋方面の下りの快速電車である。無意識に乗ってしまった。時刻表と記憶を紐解き訪ねたい願望のある名所旧跡を懸命に思い出す。紅葉で有名な定光寺と清洲城が何故か思い付いた。上りが早く発車したら鳳来寺を訪ねただろう。
金山駅で中央線に乗り換え、定光寺駅に到着した。飯田線の田本駅に似た山肌にへばり付いた河岸の駅である。駅から直ぐに東海自然歩道が川岸に「こもれびの小道」を造っている。15分程度歩くと定光寺公園の池の周りの里山に山桜が満開である。「青春18きっぷに引かれて桜狩」である。そして紅葉の定光寺に桜もある。
多治見に行き、太多線で美濃太田経由岐阜に着き、東海道線に乗り換えると、清洲駅は近い。15分ほど歩くと清洲城に到着する。川岸の桜が満開で桜祭りが開催されている。桜狩のアンコールである。
清洲城は、織田信長が桶狭間で今川義元に勝利して、天下統一を成し遂げた始発駅で、決死の覚悟で「敦盛」を舞った舞台である。そして信長の終着駅は本能寺である。
仕事及び遊びの過労で気持ちが消極的な日々であったが、「青春きっぷの残り」という牛が、「美しい日本の春」である善光寺を教えてくれた。「牛に引かれて善光寺参り」は永遠の真理であると思っている。物欲の無い人間は、人でなし仏様である。
長野と小諸は43km弱でマラソンの42.195km近いから、マラソンは日本で始まったのかもしれない。だから日本女性はマラソンに強いのである。
四国遍路旅の際の青春18きっぷの残りがあり、有効期限が迫っているから、旅の疲れ、仕事の疲労があるが、快晴の日曜日に徒歩でJR岡崎駅に行った。きっぷを使わないと損をするという物欲が、40分の徒歩を可能にしたのである。目的地は決まっていない。物欲が無いと人間は動かないようである。
駅に着いて、直ぐの電車が名古屋方面の下りの快速電車である。無意識に乗ってしまった。時刻表と記憶を紐解き訪ねたい願望のある名所旧跡を懸命に思い出す。紅葉で有名な定光寺と清洲城が何故か思い付いた。上りが早く発車したら鳳来寺を訪ねただろう。
金山駅で中央線に乗り換え、定光寺駅に到着した。飯田線の田本駅に似た山肌にへばり付いた河岸の駅である。駅から直ぐに東海自然歩道が川岸に「こもれびの小道」を造っている。15分程度歩くと定光寺公園の池の周りの里山に山桜が満開である。「青春18きっぷに引かれて桜狩」である。そして紅葉の定光寺に桜もある。
多治見に行き、太多線で美濃太田経由岐阜に着き、東海道線に乗り換えると、清洲駅は近い。15分ほど歩くと清洲城に到着する。川岸の桜が満開で桜祭りが開催されている。桜狩のアンコールである。
清洲城は、織田信長が桶狭間で今川義元に勝利して、天下統一を成し遂げた始発駅で、決死の覚悟で「敦盛」を舞った舞台である。そして信長の終着駅は本能寺である。
仕事及び遊びの過労で気持ちが消極的な日々であったが、「青春きっぷの残り」という牛が、「美しい日本の春」である善光寺を教えてくれた。「牛に引かれて善光寺参り」は永遠の真理であると思っている。物欲の無い人間は、人でなし仏様である。