平安時代に都市の堕落に絶望し山で修行した最澄と空海、伝教大師は比叡山に籠り、弘法大師は四国の自然を歩き回った。
比叡山からは鎌倉仏教が生まれ各地に広まった。四国には遍路旅が成立し、各地に類似の八十八ヶ所巡りが生まれる。
瀬戸内海小豆島、福岡篠栗、三河湾知多が三大新四国霊場巡り。
弘法さんは東国巡錫の途中に知多半島聖崎に上陸し、西浦や 東浦あり 日間賀島 篠島かけて 四国なるらんと語った伝承から知多四国八十八ヶ所霊場会が組織されたのが1809年。
大正十四年(翌年は昭和元年であるが)に本家四国霊場会長の善通寺住職から直伝弘法の証を頂戴して成立したのが四国直伝弘法八十八ヶ所霊場会。
知多半島には二つの巡礼道が存在する。知多は百七十六ヶ所霊場巡りが可能なのである。
インドのお釈迦様の哲学の実践の仏教、中国を経由し日本に上陸、分派するのと同様に、弘法大師空海の四国の旅は各地に分散し増殖するようである。