人が万物の霊長と言われるのは、道具を作ることができるからである。道具のルーツは食料を調達する為の物である。狩猟採集時代は動物を捕獲する武器であり、農耕時代は畑を耕す鋤・鍬の類の石器である。そして火を制御することを学んだ人類は土器を発明して、摂取可能な食料の範囲を広げた。そして自給自足していた。道具は食料を調達する手段で、食事で生命を持続するのが目的である。そして幸福を感じた純朴な人間だった。
時が流れ、豊富な言葉で意思を伝達できる人間は、食料を物々交換することを覚え、より多様な食料を簡単に手に入れ、精力的に活動できるようになったのである。
時代が進み分業作業を習得すると、単品大量生産をする職業としての農業・漁業が成立して、農業道具を製造する職人が育ち、言葉を駆使して中継ぎをする商人が誕生した。そして村が出来、物々交換の煩雑を解消する手段として貨幣が出来たのである。
貨幣が出来て商取引が複雑になると、強欲な人間同士は争うことになり、勝利したい欲が武士という遊び人を創ったのである。ここに士農工商の制度が明確になった。弥生時代のことなのだろう。人類の歴史は食料調達の道具という手段の創造の歴史であった。
数千年の後の現代社会は、食料生産の道具から派生した道具で満ち溢れている。道具の大部分は食糧生産に関係の無い「無用の長物」である。ガラクタのゴミなのである。そしてガラクタがガラクタを創造する連鎖で、ガラクタに埋まった人間が苦しんでいる。
人間の根源的幸福は、万人が飢餓に苦しむことがなく、各人各様で天寿を全うすることであるが、その手段として道具がある。
食料生産の手段である道具から派生したガラクタ道具の収集を「豊かさ」や「幸福」と誤認した現代人は、安全な食料を確保できない不安に苦しんでいる。本末転倒した現象である。
田舎を旅すると、高規格道路があり、立派な国道・県道・市道・町道・村道が縦横無尽に存在し、農道はアスファルト舗装されているが、走る車は少ないのである。道路に挟まれた僅かな段々畑や棚田は荒れ果て、休耕田が其処彼処で発見できる。
道路際の立派な「道の駅の産直市場」は道路族の経営で、品揃えの農産物の大部分は、整備された道路網を駆使して全国から掻き集めた様である。其処には都会の観光客で満ち溢れている。
道路という道具は、農産物を都会に送り出す為に在り、空港や港から農産物を送り込み、若者を都会に送る為に有るのではない。物流の方向が違う。そして必要だから造るのであり、不要なら作る必要が無い。当然の事を自然に行えば正解である。正解を誤解しているのが政界である。盛会なのはパーティーの金集めだけでは貧しい政治家である。
道路財源の施策は不要な道路を撤去し、畑にすることである。そして国土交通省の職員を農林水産省に移籍して農業振興することである。貿易立国で道具を輸出して食料を調達して満足している現代日本であるが、不自然な気がして不安なのである。食料を自給自足することが人間の仕事の根幹であること決して忘れてはならないと思うのである。
時が流れ、豊富な言葉で意思を伝達できる人間は、食料を物々交換することを覚え、より多様な食料を簡単に手に入れ、精力的に活動できるようになったのである。
時代が進み分業作業を習得すると、単品大量生産をする職業としての農業・漁業が成立して、農業道具を製造する職人が育ち、言葉を駆使して中継ぎをする商人が誕生した。そして村が出来、物々交換の煩雑を解消する手段として貨幣が出来たのである。
貨幣が出来て商取引が複雑になると、強欲な人間同士は争うことになり、勝利したい欲が武士という遊び人を創ったのである。ここに士農工商の制度が明確になった。弥生時代のことなのだろう。人類の歴史は食料調達の道具という手段の創造の歴史であった。
数千年の後の現代社会は、食料生産の道具から派生した道具で満ち溢れている。道具の大部分は食糧生産に関係の無い「無用の長物」である。ガラクタのゴミなのである。そしてガラクタがガラクタを創造する連鎖で、ガラクタに埋まった人間が苦しんでいる。
人間の根源的幸福は、万人が飢餓に苦しむことがなく、各人各様で天寿を全うすることであるが、その手段として道具がある。
食料生産の手段である道具から派生したガラクタ道具の収集を「豊かさ」や「幸福」と誤認した現代人は、安全な食料を確保できない不安に苦しんでいる。本末転倒した現象である。
田舎を旅すると、高規格道路があり、立派な国道・県道・市道・町道・村道が縦横無尽に存在し、農道はアスファルト舗装されているが、走る車は少ないのである。道路に挟まれた僅かな段々畑や棚田は荒れ果て、休耕田が其処彼処で発見できる。
道路際の立派な「道の駅の産直市場」は道路族の経営で、品揃えの農産物の大部分は、整備された道路網を駆使して全国から掻き集めた様である。其処には都会の観光客で満ち溢れている。
道路という道具は、農産物を都会に送り出す為に在り、空港や港から農産物を送り込み、若者を都会に送る為に有るのではない。物流の方向が違う。そして必要だから造るのであり、不要なら作る必要が無い。当然の事を自然に行えば正解である。正解を誤解しているのが政界である。盛会なのはパーティーの金集めだけでは貧しい政治家である。
道路財源の施策は不要な道路を撤去し、畑にすることである。そして国土交通省の職員を農林水産省に移籍して農業振興することである。貿易立国で道具を輸出して食料を調達して満足している現代日本であるが、不自然な気がして不安なのである。食料を自給自足することが人間の仕事の根幹であること決して忘れてはならないと思うのである。