風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

縄文杉 25号

2007年02月08日 07時56分13秒 | 随想
九州鹿児島の遥か沖の太平洋に屋久島がある。島の中央部にそびえる宮之浦岳(みやのうらだけ)は、標高1936m。九州地方の最高峰である。山中には杉の巨木が自生し、最大級の屋久杉が縄文杉(じょうもんすぎ)である。

名前の由来は、縄文時代から生きていることから来たという説と、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がある。

屋久杉はかつて神として崇められていたため、島民により伐採されることはなかった。しかし江戸時代に入り、屋久島出身で薩摩藩に仕えていた儒学者の泊如竹が屋久島住民の貧困を目にして屋久杉の伐採を島民に勧めたのをきっかけに、1640年ごろから本格的な伐採が始まった。

島民は薩摩藩に年貢代わりに平木と呼ばれる幅10cm程度の屋久杉の木材を納めた。瓦の出来る以前の屋根材である。

縄文杉は山奥にあり、奇形であったので伐採を免れた。正確な樹齢は判らないのが真相であるが、ある学者が屋久(八九)だから、8x9=72。そこから7200年としたという話がある。 妙に説得力がある。

外国為替が固定相場の時、大蔵大臣田中角栄が1ドル=360円にしたのに似ている。円は360度から来ている。

55歳の時、一人旅で島を訪ねた。小説家林芙美子が小説浮雲を執筆した写真の屋久島ロイヤルホテル(現在はホテル屋久島山荘)に宿泊した。

縄文杉には逢えなかったが、レンタルの原付オートバイで島を走破し、紀元杉や屋久杉自然館など名所に行った。

強烈な思い出は、千尋の滝の近くにある流木アートギャラリーもっちょむ庭園であった。「作者及び作品は、全て流れ者である」と言う主人の作品は芸術である。有名なジャズミュジシャンであったが、人生に不安を感じ屋久島に移り住んだようである。自分も転機の時期で、勇気を戴いた思い出を懐かしんでいる。

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