風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

自分によいしょ 

2008年03月04日 12時10分05秒 | 随想

老人には冬の寒さが厳しい。炬燵で丸くなり焼酎を飲みながら、テレビを見ている。生来の怠け者の本性が自然に出るのである。私の遺伝子には冬眠中の熊や小猫のものが混入しているに相違ない。

私もよくよいしょと言っちゃうんです。でもこの言葉、私嫌いじゃないんです。もう一度、ひと踏ん張りと言う気がして。ポジティブでしょ。

最近はヒアルロン酸が減少し、目が衰え、歯が抜け、関節が痛み、活動の始めによいしょの掛け声が無意識に出て、老化現象の始まりかと寂しく感じる。

よいしょは祭りの神輿を担ぐ時の掛け声である。重い神輿も掛け声と共に持ち上がのと同様に、私の重い尻も持ち上がる。言葉には魂が存在し、よいしょは呪文。

会社勤めの若い時は、上司をよいしょして元気付け、年老いた定年間際にはよいしょされ神輿になって担がれた経験がある。担ぐ時は動かないといけないが、担がれる時は動いては担ぎ手が往生する。

高齢化社会の現役と隠居の境目は65歳である。再就職して再度神輿を担ぐ立場になったのであるが、最近の神輿は軽量で重心が安定していないから、肩が痛くなり疲れ方が尋常でない。担がれる人間はそれ相応の安定感が無いといけない。軽量神輿を担ぐのもあと一年であるから、自分によいしょして頑張ろうと思う。

来る隠居世代に担ぐ神輿が外部には無く孤独になる。だから自分の内面に有る神輿を担ぐことになる。禅僧の言葉によると、私の中には2人の私が居ると言う。仏の私と人間の私である。仏の私が神輿で、人間の私が担ぐのである。自分によいしょして世間のお役に少しでも貢献できれば満足である。

お蔭様っていう言葉が好きです。たくさんのお陰で今の私があるんですもの。そのご恩を忘れずにお返ししなきゃと思っています。お蔭様で・・・もう一度始めましょ。

八千草薫は外見が美しいが、心も美しいのである。


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