風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

桃太郎さん・桃太郎さん・御腰に付けた黍団子 238号

2008年03月04日 19時15分46秒 | 随想
爺さんは山に芝刈りに、婆さんは川に洗濯に行くのが古き日本の日常生活である。ある日、川の上流から桃が流れてくる。婆さんが拾って持ち帰り、爺さんと食べようと切ると、中に男の子がいる。桃太郎と名付け大切に育て、大人になると、黍団子をもって鬼が島に行き、途中黍団子を与えて犬、猿、雉を仲間にして鬼退治して、宝を持ち帰る有名な、忠孝勇武、勧善懲悪の昔話「桃太郎」である。黍団子は現代の魚沼産のササニシキの握り飯に匹敵する高級品であった。

鬼は牛の角と虎模様の腰巻をしているが、風水では丑と寅の北東である「鬼門」からやって来ると考えられている事から、桃太郎はそれに対抗して、裏鬼門付近の動物の申(猿)、酉(雉)、戌(犬)を仲間にしたという解釈がある。儒教的解釈では、猿は智策、雉は勇気、犬は仁義を表す様である。相反する人生哲学に犬猿の仲という譬えがあるが、理屈と人情は両極端で相容れない。按排するのが桃太郎の役割である。現代社会なら猿は官僚、犬は民間人、雉は軍人だろうか。そして桃太郎は政治家である。

物質文明で繁栄を極める平和な日本には、忠孝勇武、勧善懲悪の精神世界は消滅しているのである。生存にかかわる飢餓の恐怖は当面考えられず、平和で身の危険が実感されない極楽世界であるという錯覚に陥っている。日本国民が全員金銭欲の鬼になっているから、鬼が島が日本国である。だから誰も桃太郎の話を聞こうとしない。

外国の桃太郎一行が征伐に来るだろう。斥候は既に到着している。中国からの農薬入りの冷凍食品、原油価格の高騰、物文明の権化・アメリカ経済の破綻なのだろう。

日本の桃太郎が早く生まれないと間に合わなくなる。福田総理の爺さんと小澤党首の婆さんが桃太郎を探して頂きたい。忠孝を尽くす対象は田舎の自然で、武器は農機具・持ち帰る宝は、古き善き日本の田舎の原風景と質素倹約して他人に尽くす日本人の心である。

爺さんは山に芝刈りに、婆さんは川に洗濯に。川の上流から薩摩芋が流れてくる。婆さんは家に帰り、昼御飯に一人で焼き芋にして食べてしまう。そして満腹して大きく放屁してしまう。婆さん曰く「爺さん今頃、芝を刈らずに臭かっただろう」

落語の世界が現実の豊かな日本の真実の姿のように感じる。善悪の判断が曖昧な天下泰平の元禄時代が日本国である。永遠に存続するなら問題は無いのだが・・・。

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