法蔵菩薩の四十八願の十八番が王本願。
私が死んで成仏した時、南無阿弥陀仏と私に助けを求めるなら善人なら当然、悪人なら事の他丁重に極楽浄土に居場所を準備してあげる。
十字架に架けられ死なれて、一足先に天国に逝き悩める子羊達の居場所を確保するキリスト様。
人生の終着駅・死。
親父とお袋は浄土真宗の作法で極楽へ、兄貴はカトリックの作法で天国へ。
仏教は僧侶がサンスクリット語で、キリスト教は神父がヘブライ語で口上を述べる。
理解不能であるが、宜しくお頼み申しますという事だろう。
極楽・天国と言葉は違っても、花咲き小鳥がさえずり香り豊かなのどかな田舎の情景が瞼に浮かぶ同じ場所。
今頃、親父・法蔵院釈信楽、お袋・安養院釈尼妙寿そして兄貴・パウロは座敷の座布団に座り、時には椅子に座り、囲炉裏を囲み、時には暖炉の前で団欒。
アーメンそして南無阿弥陀仏。
車庫で休んだ電車は終着駅を始発駅に新たな旅を始める。
輪廻転生そして復活、極楽・天国は魂の車庫なのだろうか。