
今川義元の人質だった松平元康(徳川家康)は桶狭間の戦いで総大将義元討死の報を聞き、追手を逃れて手勢18名と共に大樹寺に逃げ込んだ。寺を囲んだ敵の前に絶望した元康は先祖の松平八代墓前で自害を大樹寺住職に告げたが、問答の末「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説いて諭し、生き延びて天下を平定し、平和な世を築く決意を固めたという。
家康生誕の城下町のJR東海の駅前には東方の江戸を向いて松平元康の石像があり、名鉄電車の東岡崎の駅前には西方を向いた騎乗姿の徳川家康の銅像がある。
元康は今川義元に配慮して東を向くが、家康は西方極楽浄土の阿弥陀様に目が向くのだろう。
現世を極楽にする家康の施策は「厭離穢土 欣求浄土」の旗の本に集う大名の参勤交代と思うのである。富裕層が宿場の貧困層の為に自発的に散財する、大和魂に叶う任侠道なのだろう。
世襲の政治家が選挙区の地盤・看板・鞄を粗末にし、江戸(東京)のお友達と親睦を深める事に徹するならば、現世は穢土になるだろう。