風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

オイラは新米の百姓 540号

2009年05月12日 05時06分27秒 | 随想
田植えをしてきた。25坪の水田の地主になったからである。秋には30kgのお米を収穫できる。7月には案山子を製作する農作業があり、9月は稲刈りで結構多忙である。

スーパー銭湯の「葵の湯」に付属する産直市場「旬菜市場・農の匠」のイベントである。若夫婦の家族など15家族が参加した。麦藁帽子に長靴の孤独な老人は我一人である。

稲作一筋の三井老人が無農薬・有機肥料の水田を提供下さり、実りの秋までの面倒を奉仕頂ける。瞬時に終了する8条田植え機の作業を見学し、いよいよ5坪程度を手植えする。

長靴で田に入り、田植えを始める。手植えに1分、移動に5分。長靴が泥に埋まり、なかなか抜けないのである。一坪に30分掛かる。昼までには終わらない。

突然、長靴が水田に残り、素足が泥水に漬かる。裸足は水田を移動し易い。大発見である。大幅な遅れを取り戻し、たった一人の老人は、大家族の作業に遅れることなく、無事終了できたのである。

泥水が足に付着するから履く長靴は無用の長物だった。泥は川水で洗えば消えてなくなる。泥水は汚いという先入観が履かせる長靴、必要ない無駄なモノだった。

実りの秋のお米をお裾分けすると、魚釣りが趣味の鈴木さんから鯛が頂ける。陶芸が趣味のサトちゃんは茶碗を下さる。果樹園の小林君はぶどうを持ってきてくれるだろう。坊さんの中村氏はいい話を聞かせてくれる。

お米を貨幣と交換する事務的な商取引は確かに便利である。回り道する手間隙掛けた複雑な物々交換は物に心が乗り移り、ほのぼのとした温もりが有り、古き良き日本の人間関係だった。

モノの無い時代、親父の法蔵院釈信楽が知人から頂いた雉の肉は美味で、今でも覚えている。

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