風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

故郷の話をしよう 546号

2009年05月22日 06時50分15秒 | 随想
故郷を少年時代に遊んだ地と定義するなら、信州信濃の善光寺界隈である。

敗戦濃厚な昭和19年に名古屋で誕生し、戦闘機設計者の親父は失職、長野市の学校の教師に就職し、家族は引越しをした。

野辺山を水源とし、小諸なる古城の畔を流れる千曲川がある。上高地を源流とする梓川は犀川となり流れ、長野市の落合橋で千曲川に合流し、新潟県に越境すると信濃川と名前を変え、日本一の大河となる。

裾花川と犀川の合流するのが丹波島橋である。丹波島橋と落合橋の間の領域が縄張りで故郷である。戦国時代の対岸は謙信・信玄の川中島の合戦の舞台だった。

近くに飛行場があった。年に数回、布張りの黄色い木製の飛行機が飛んでくると見学に出かけた。ドラム缶を積んだトラックから、手動ポンプで給油を終わると何処かに飛んでいく。田圃の中に、両端が円形で600mのコンクリートの滑走路が1本残る。その道をマラソンして遊んだのである。進駐軍のいる時だった。

最近、中学の同級生に聞いたが、知らないと言う。岡崎に帰宅し、パソコンで国土交通省の地図閲覧サービスの画面で懸命に検索する。松岡か大豆島か川合新田の初耳の犀陵中学校の近くに円形の道路があり、滑走路のイメージであるが、近代的な住宅街に変貌している。そして学校は生徒が広い世間に舞い立つ滑走路なのだろう。

ウサギ追いし彼の山、小鮒釣りし此の川の故郷は、外部には無く、オイラの心にある夢幻なのである。

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