
両親や弟の葬儀は江戸時代の檀家制度の遺産で釈迦仏が案内する阿弥陀如来の極楽浄土に往生する親鸞さんが絶賛する浄土真宗もとずく儀式だった。皆で唱える正信偈に「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所」なる文言がある。阿弥陀仏が法蔵菩薩の時に世自在王仏の所に在ったと読むのだろうか。
彦根市に転勤で居住した時の夏に七年間参禅した時に読誦した般若心経に「観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時」なる文章がある。観自在菩薩が般若波羅蜜多を深く行じた時と解釈するのだろうか。
凡夫だから経典の内容は知らないが、漢字の共通点に着目する。世自在と観自在が同じように感じる。
世自在王仏の弟子が法蔵菩薩で後の阿弥陀如来、阿弥陀如来の脇侍が観自在菩薩、観自在菩薩が将来に阿弥陀如来を襲名するのだろうかと世俗的に想像したりする。
観自在菩薩は現世の抜苦与楽が役割で、阿弥陀如来は来世の安楽が担当、世自在王仏は過去を懐かしむ懐古仏だろうか。