コロナ禍の健康維持は散歩である。まだ気温が高く熱中症の心配があるし、息苦しいのでマスクは着用しないが、数十年前は第二種住居地域の新興住宅街だったが、商店は近くのイオンに吸収され、住宅は空き家が多く老人ばかりの人影は疎らであるから、大きな問題にはならない。
希にすれ違う老人は進路を変更して離れるのである。
この老人の心理状況は、コロナウイルスに自分が感染するから避ける、老良(オイラ)に感染させるから離れるの両極端に大別されるが、何方だろう。
老良の解釈は相手は私を感染させる未必の故意の犯罪者になる不安をお持ちなのだろうと推察し感謝するのである。
しかし西洋思想の戦後教育の優等生は非を咎め非難するのだろうが、他の大部分の輩は黙して語らず避難する。
仏教徒は己を忘れ他を利する事に徹し、和を以って貴しと為すから笑顔で離れる、古風な日本人の印象であるが、現代の日本人の定義はどんな感じなのだろう。
日本人とは、暇な時に念頭に浮かぶが、明快な答えが見つからないのである。