アダムとイブが「善悪の知識の木」の実を食べ、唯一神に逆らって自分勝手に生きる道を選び、自分の罪の責任を他人や悪魔や神のせいにするのが原罪である。仏教は善悪の二元的な思いが人間を苦しめるという。
人間の本性は善悪で判断して行動する様に生まれ着いている。絶対的な善悪は娑婆世界には存在せず、比較による相対論できまる。
同じに見える行為も、人の命を救う医師の外科手術によるメスによる人体の刃傷は善で、殺人目的のナイフによる殺傷は犯罪である。安楽死は善なの、悪なの、どちらなの?
言葉による指導は教育であるが、中傷・誹謗・悪口は名誉毀損の言葉の暴力による悪質な犯罪である。小川宏文部教官の発想辞典の悪口相対性理論によると、悪口も状況により相対的に善悪が決まる様で、教育と名誉毀損の分れ目は紙一重である。尊敬と侮辱の天国と地獄は相対性理論で規定されるが時の経過と共に変化する諸行無常の世界である。
肉体的暴力は目に見えるから、同程度の報復は正当防衛として認められる。しかし言葉の暴力は、言葉で他者に対して心理的に苦痛を与える力で、目に見えない心の領域はお互いに他人には解らないから、ダメージの程度がわからない。過剰防衛になると犯罪になる可能性がある。言葉は心の有様の発露であるが、他人を思いやる心の鍛錬が座禅である。他人を利する発言は悪口にならない。教育現場の荒廃が叫ばれているが、理由が聖職の教育者の物欲に偏った心ならば矯正が必要である。甲子園で優勝できないから悪でなく、優勝を目指して精進努力した心の鍛錬の過程が善であると賞賛する心を聖職者は持たないといけない。
集団的精神暴力の極みは江戸時代の村八分で、村社会の秩序を乱した者とその家族に対し、それ以外の村落全員が申し合わせて、成人式、結婚式、出産、看病、建築、水害、年忌法要、旅行は絶交し、葬式(死ぬと罪が許される)と火災(延焼による被害防止)のみの付き合いとするリンチ(私刑)である。入会地などの共同所有地が使えなくなり事実上生活が出来なくなった。村落の中で掟や秩序は合法的でなくその地域の有力者の利益に沿うものも少なく無く、公平な秩序維持活動とは言えない。異端を包み込む寛大さがあるのが成熟社会である。
ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」は「やられたらやりかえせ」の意味で使い、復讐を認める野蛮な規定にとれるが、「過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」優れた思想である。
戦後の教育制度は個人主義の欧米型であるから、日本古来の悪法を撲滅したが、日本人の繊細で微妙な幽玄で幻想的な情緒の心情も徹底的に破壊した。心の善悪は複雑怪奇で諸法無我の相対判断で決められるが、判断基準は公共の利害で、これまた相対的な価値判断である。個人的には自己責任で自信を持って決断行動すると、阿弥陀様は好意的な飴と鞭で絶対善を教えてくれる。
人間の本性は善悪で判断して行動する様に生まれ着いている。絶対的な善悪は娑婆世界には存在せず、比較による相対論できまる。
同じに見える行為も、人の命を救う医師の外科手術によるメスによる人体の刃傷は善で、殺人目的のナイフによる殺傷は犯罪である。安楽死は善なの、悪なの、どちらなの?
言葉による指導は教育であるが、中傷・誹謗・悪口は名誉毀損の言葉の暴力による悪質な犯罪である。小川宏文部教官の発想辞典の悪口相対性理論によると、悪口も状況により相対的に善悪が決まる様で、教育と名誉毀損の分れ目は紙一重である。尊敬と侮辱の天国と地獄は相対性理論で規定されるが時の経過と共に変化する諸行無常の世界である。
肉体的暴力は目に見えるから、同程度の報復は正当防衛として認められる。しかし言葉の暴力は、言葉で他者に対して心理的に苦痛を与える力で、目に見えない心の領域はお互いに他人には解らないから、ダメージの程度がわからない。過剰防衛になると犯罪になる可能性がある。言葉は心の有様の発露であるが、他人を思いやる心の鍛錬が座禅である。他人を利する発言は悪口にならない。教育現場の荒廃が叫ばれているが、理由が聖職の教育者の物欲に偏った心ならば矯正が必要である。甲子園で優勝できないから悪でなく、優勝を目指して精進努力した心の鍛錬の過程が善であると賞賛する心を聖職者は持たないといけない。
集団的精神暴力の極みは江戸時代の村八分で、村社会の秩序を乱した者とその家族に対し、それ以外の村落全員が申し合わせて、成人式、結婚式、出産、看病、建築、水害、年忌法要、旅行は絶交し、葬式(死ぬと罪が許される)と火災(延焼による被害防止)のみの付き合いとするリンチ(私刑)である。入会地などの共同所有地が使えなくなり事実上生活が出来なくなった。村落の中で掟や秩序は合法的でなくその地域の有力者の利益に沿うものも少なく無く、公平な秩序維持活動とは言えない。異端を包み込む寛大さがあるのが成熟社会である。
ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」は「やられたらやりかえせ」の意味で使い、復讐を認める野蛮な規定にとれるが、「過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」優れた思想である。
戦後の教育制度は個人主義の欧米型であるから、日本古来の悪法を撲滅したが、日本人の繊細で微妙な幽玄で幻想的な情緒の心情も徹底的に破壊した。心の善悪は複雑怪奇で諸法無我の相対判断で決められるが、判断基準は公共の利害で、これまた相対的な価値判断である。個人的には自己責任で自信を持って決断行動すると、阿弥陀様は好意的な飴と鞭で絶対善を教えてくれる。