風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

越中八尾は冬眠中 449号

2009年01月28日 09時03分02秒 | 紀行文
風の噂に ひとり来て 湯の香恋しい 奥飛騨慕情の奥飛騨温泉郷新平湯「甚九郎」の湯治旅の翌日、日本海の雪景色を見たい女房の夢の実現の為に、富山湾を目指し飛騨市に向かう。

国道471号沿いの神岡鉱山は、亜鉛・鉛・銀鉱山で奈良時代に採掘が始まり、現在は鉱石の採掘を中止している。

鉱山跡の地下1000m、ノーベル物理学賞の小柴東大名誉教授のニュートリノ観測の実験施設のカミオカンデが有る。素粒子物理学における大統一理論の検証。おいらには理解不能の世界である。

間も無く名古屋市から富山市へ至る国道41号に合流、富山市に向かい走行を継続する。

途中の越中八尾町は、「おわら風の盆」の街である。人口2万人余りの町は、9月1日・2日・3日で30万人の観光客が全国から来訪する。おわらの街は坂道である。そして間口に対する納税制度の名残で奥行きの深い民家が密集している。隣家との間隔は無く町全体が長屋である。

「おわら風の盆」の時、名古屋から車中泊のバスツアーで見学して魅せられた。三味線の単調なリズム、絡む胡弓の哀愁の音色、たまに鳴る太鼓、そして高音で唄う越中おわら節。

七・七・七・五の甚句形式で、五文字の前に「オワラ」を入れる。

<歌われよーわしゃ囃す>八尾よいとこ おわらの本場 <キタサノサードッコイサノサ> 二百十日を オワラ 出て踊る

野口雨情、佐藤惣之助、高浜虚子、長谷川伸、等有名人の詩、大衆の心の発露の詩、歌詞は無尽蔵にある。

そして、晩秋の長野市の中学校の同級会の帰路、青春18きっぷで信越線で直江津に、北陸線で富山に、高山線の越中八尾駅で下車、有名な宮田旅館に投宿した経験がある。

突然思い立ち、女房を宮田旅館に案内し、喫茶室でお茶をご馳走しようと思う。残念、店は営業していない。旅館の玄関で声を掛けると、女将がおいらを覚えている。感激、嬉しさの極みである。暫しの雑談の後、辞するが心が温まる。人との交流は、貨幣で買えない。

おわら節の聞こえない町は、静寂が支配し、托鉢僧が門前で読経と鈴の音を響かせる。三度目の訪問を終了し、冬眠中の「おわら風の盆」の坂の街に別れを告げる。

仏の顔も三度までの諺がある。解釈は千差万別であるが、四度目以降は自己責任で行動しなさいと言うことで、仏は放っとくし、神は構ってくれない、過酷な行動になる。

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