小皿に2貫の握り寿司が、チェーンコンベアで循環している。好みのネタを選択し、客は貪り食う。皿の枚数で勘定して早々に立ち去るサラリーマン。大阪の立ち喰い「元禄寿司」経営者のアイデアの回転寿司である。
部品倉庫の中にコンベアを設置して、自動車を製造する分業作業のフォード生産方式が人類に未曾有の繁栄をもたらした。神聖な食事をセルフのガソリンスタンド並みに扱う是非論は存在する。
欲望の坩堝の現代、有限資金で生活する大衆の哲学は「安価が美徳」である。回転寿司は全国に開店し増殖を続ける。あきんどスシロー・かっぱ寿司・元気寿司は回転寿司のマックバーガーで合計700を超える店が全国にある。
「安価が美徳」の大衆哲学の実践の経営哲学は、「職人のこだわりの放棄」の哀愁哲学である。
新鮮・旬・手間・工夫・ネタの由来説明・客の好みを探る会話・寛ぎの時間そして何よりも店主の気風。古き良き日本の寿司店の原風景であるが、大都会の片隅に僅かに存在する高級店である。
全世界から大量にネタの魚介類を調達、現地処理し、急速冷凍で保存、通年変わらぬ品揃えが可能である。そして儲けが多く、従業員は高級寿司店で旬のネタの寿司を堪能する。
最近、恒例の平湯温泉の湯治の一泊二日旅の帰路、寿司の原点探訪の為に、富山港目指してドライブした。港、それは漁港である。新鮮な魚介類の宝庫。夢を胸に秘め、懸命に貴重なガソリンを燃やす。
到着した港、外国籍大型船が停泊している殺伐とした風景。近代的なコンクリートの建造物、紅白に塗り分けた大型クレーン、展望台が聳えている。現代の港は物流拠点である。
富山市街に戻り、寿司店を探すが、目に飛び込むのは回転寿司店のみである。あのコンベア100%はお隣・石川県で製造されている。多いのは当然である。
期待を放棄し、空腹に耐えられず、「氷見漁港直送」の言葉に誘われ、回転寿司レストラン「祭ばやし中島店」の駐車場に車を止める。
店内で、烏賊・蛸・鯖・帆立貝・海老・鮪赤身・河童巻・納豆巻などが小皿に二貫、ぐるぐる回っている。目が回る。一皿110円である。こんなモノは岡崎でも食べられる。
歌舞伎文字のお品書きの看板が壁に張ってある。180円・240円・340円・480円・640円。ネタの違いが価格の違いは自然である。
遠路、日本海の富山湾を訪れたのである。店員に冬の季節、日本海の旬の魚を訊ね、注文する。蛍烏賊の沖漬けは別の色の小皿に乗っている。生鯖・鮪のあぶり・カマス・カワハギ・蟹味噌・アオリ烏賊・魚の神様喉黒、そして締めは干瓢巻。すべてコンベアにのらない手渡しである。昔の寿司屋が出現して懐かしいのである。
鰤大根は日本海の冬の名物料理である。鰤の頭部のアラと大根を10時間煮込んだ一品で、骨まで柔らかくなっていて、丼に残るのは目玉だけである。これこそ漁港の漁師料理で、観光一見客の夢のご馳走である。
客が勘定と言い、店長がお愛想の会話は正しい。積み重ねられた色違いの11枚の皿に電子機器を接触すると瞬時に支払い金額が表示される。其々の小皿には電子チップが装着されている。
雪と厳寒を求めて、太平洋ベルト地帯の都会人は裏日本を目指す。そして地球温暖化の影響で、暖かく雪の少ない風景に不満を述べる。逆に田舎人は、その風景を自然の贈り物として有難く感謝する。
新鮮で、旬の魚介類を食べ続ける人間は、季節はずれの魚介類が物珍しく興味を示すようで、結構繁盛している。地の物は地元に無く、都会にある。青森県の大間鮪は全て東京の築地市場に送られる。
古き良き日本は、生産して消費する地産地消が原則だった。旅をして旅館の物珍しい食事に感動する。人が物に向かって移動した人流が基本だった。
ハワイ土産のマカデミアン・チョコレート。原料をハワイから取り寄せ、日本の巨大工場で大量生産しハワイに送り、観光客が大量購入して日本に持ち帰り喜んでいる。経済人は物を移動して巨額の富を獲得する物流社会。同じ物が包装を変えて、百貨店で販売されている。
物を全国津々浦々まで浸透させる物のエントロピー増大則は均一社会の格差社会を造ってしまう。地域格差のある社会に戻すエネルギーは膨大であるが、それが平等社会を構築する。
差別なき平等、平等なき差別は仏法の問題提起である。それぞれ違うのが善いのである。