風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

当行満と大行満阿闍梨様 311号

2008年06月29日 07時52分47秒 | 随想
最近、准教授の出番の多いNHKテレビを見て知った。2007年春の「学校教育法の一部を改正する法律」により「助教授」の職階が廃止され、「准教授」に変更になった。

教授は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であって、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。

准教授は、優れた知識、能力及び実績を有する者であって、学生を教授し、その研究を指導し、または研究に従事する。

助教授の職務は研究への従事ではなく教授の補佐役であった。教授の下に2名の助教授が派閥を形成し、熾烈な次期教授を巡る人間模様が描かれる。敗れた助教授一族は、職を求め大学を去ることになる。小説「白い巨塔」に記述されている。

昔は大学が有って、教授・助教授が存在したが、今は教授・准教授の人間が大学を構成している。昔のサラリーマンは終身雇用の事業体に籍を置く就社が主流だった。現代は報酬の多い仕事を優先して職業を選択する就職であるから、より善き職を求めて会社を渡り歩く。辛抱することが美徳は死語と化した。

結婚もより善き伴侶を求めて離婚・再婚を繰り返す。子育てよりも個人の生活が優先し、俺は100まで、お前99まで、ともに白髪が生えるまでとは成らないようである。

比叡の山中を7年間掛けて、地球一周の距離を歩く修行・伝教大師最澄の千日回峰行は、満行した先達が、後輩を指導して育てるのである。700日を終わると、不動堂に9日間籠もる堂入りの難行苦行で不動明王と合体し、「当行満阿闍梨」となる。そして赤山苦行、京都大廻りを経て975日を満行すると「大行満阿闍梨」となり、生徒である悩める大衆を教授する資格で、残りの25日分の修行を一生継続する。教授と助教授の関係に似ているのである。

弘法大師空海の四国遍路旅は、誰でも修行可能で、1200kmを50日程度で歩き通し、満願し体験談を人に話すと尊敬される。何回も達成すると教授的であり、一回なら准教授なのだろう。

法律改正は、伝統の権威主義から、多様性の個人主義の世相変化に迎合したものだろう。一抹の寂しさは、大相撲や歌舞伎・茶道・着物ファッションなど伝統文化が消滅し、心の開発が疎かに成る事である。伝統と前衛の中道を歩く道もあると思うのである。

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