
飛鳥時代に神変大菩薩・役小角が創始した修験道、平安時代の伝教大師最澄の天台密教や弘法大師空海の東寺密教と神仏習合し、それぞれ本山派、当山派になった。
大峯奥駈道は、大峯山系の山上ヶ岳(金峯山)の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂などがある奈良吉野山と和歌山熊野三山(本宮・新宮・那智)を結ぶ、もとは修験道の修行場として開かれた熊野古道。
相応和尚が滋賀県比良山系の葛川に分け入り厳しい修行の末、三ノ滝で不動明王にまみえ創始した天台顕教の法華経・常不軽菩薩品を実践するのが比叡山の千日回峰行、彦根在住の八年間に熱中し、比叡山で光永澄道・酒井雄哉・叡南俊照・伊崎寺で上原行照北嶺大行満大阿闍梨にまみえた。
奈良県大峯山において金峯山修験本宗で行われる千日回峰行を満行した仙台市秋保慈眼寺住職塩沼亮潤大阿闍梨は別の道を歩んだ。
源義経は家来武蔵坊弁慶らと逃避行を続ける。北陸道安宅の関で彼らを待っていたのは、関守富樫左衛門、歌舞伎の演目「勧進帳」の弁慶の装束は修験道聖護院本山派の梵天結袈裟、当山派は意匠が違う。
吉野千本桜を季節外れの平成17年5月24日に訪れた時、金峯山修験本宗総本山金峯山寺蔵王堂の修験道大集結「祈りの大護摩供」で東京八王子市の高尾山薬王院の山伏にも偶然遭遇し、その時に知ったのだった。
旅をして異郷の地を訪ねると未知との遭遇、醍醐味なのだろう。