風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

ゴミ収集車のナンバープレート問題 

2008年11月23日 09時16分36秒 | 随想

仕事柄、名古屋市のゴミ収集車をしばしば見るのである。そして同じ型の車両で同じデザインにも拘らず、ナンバープレートが2種類ある。緑地に白字のナンバープレートの営業用車と白地に緑文字の自家用車。営業ナンバーは民間会社の委託車両で、自家用ナンバーは名古屋市清掃局の公用車である。

営業用自動車の定義は、旅客、貨物の輸送をして金儲けする車両のことである。営業用以外はすべて自家用である。

営業車は自動車取得税・消費税・自動車税・重量税が割安で自家用車の30%程度である。しかし民間企業に支払う自賠責保険料は割高である。

同じゴミ収集業務も官庁が行うと奉仕活動で、民間企業が行うと金儲けになり税を取り立てられる。その税から報酬が支払われる。税は民間に渡ると貨幣になり、大切に扱われる。税は所有が不明確な公金だから粗末に扱われる。

奉仕活動は高度な精神活動で、金儲けは欲望充足の野獣の本能に似ている。

ゴミ収集の官庁直轄と民間委託。どちらが良策なのか議論が分かれる。

官庁車両が多ければ、ゴミの増加に対応する為に、車両を増やす事が増税の理由になる。大衆はそれを避ける為に、ゴミの減量に努力するだろうか。

民間車両が多ければ、ゴミの増加を親方日の丸の強者の論理で、弱者の民間企業にコストダウンを要請する。民間企業はより多くのゴミの収集で赤字を補填しようとする。そして官庁に陳情する。

官庁は大量生産・大量消費を奨励し、大衆によるゴミの増量を要請する。上げ潮派の経済政策である。そして破綻した。

古来の日本人は質素倹約し、物を大切に扱って、教育や文化活動の心の活動に金を消費したから、ゴミは多くなかった。新聞紙の包装、買い物籠、近所の店の対面販売。

ゴミ収集車が多く町を走り回ることが、異常事態なのである。ゴミ収集車が無くなれば、ナンバープレート問題も消滅する。


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