比叡山の山中を夜中に起きて、歩き回る天台宗の荒行が千日回峰行である。7年間千日の歩行距離は4万キロに達する。偶然にも、この距離は地球一周分の距離と同じである。
千日回峰行を満行した先達の修行に「運心回峰」がある。
運心回峰は部屋に体は座ったまま、過去に歩いた回峰道を心に思い描きながら、同じ時間を使って心だけが歩く。「可能な限り丁寧に、過去を思い出して記憶で歩くこと」がこの行の基本だという。自分の歩んできた道を再び学び直し、過去を新たな視点から再編集することで、新しい発見をする。心のドライクリーニング、命の洗濯の修行形態である。
大行満大先達の阿闍梨が、弟子の僧を確実に指導できるのも、自ら体験し現場を心にイメージでき、弟子の心を読めるからである。大工の棟梁が、弟子を統率して家を造営する職人世界と同じである。長時間の現場体験から獲得した能力が、弟子から尊敬される。
役人世界のキャリア組とノンキャリア組。経験の無いキャリアが何故現場を管理監督できるのか?
文字や言葉で読み聞きして、物事の原理原則を見抜く眼力を磨いたのが学者である。陰ながら血の滲む精進努力の結果獲得した能力である。
理論理屈の洞察力の権化のキャリアが、現場叩き上げの経験論のノンキャリアと同じ心になるから、組織が機能する。学者と職人は方法が違うが、同じ結論になる。
政治家には、親の七光りで国会議員になった人がいる。長年の地域密着の政治活動で国会議員になった人がいる。国会議員のキャリアとノンキャリア。
国会議員のキャリアは親の地盤・看板・金庫番か特定集団の利権守護役であるから、仲良しクラブの親睦会の幹事役程度である。国民の生活環境に運心する能力が欠落している。
国会議員のノンキャリアは、平和ボケで自身の金儲けを優先する我利我利亡者に特化してしまった。国民の生活環境に運心する能力が欠落している。
国会議員のキャリアとノンキャリアは国民に奉仕する忘己利他の精神を座標軸にしないと国民はもう懲りたと不満を言い、ノン国会議員である。国会議員は国民の視点で運心できる人間性が必須条件である。ワンスアポンナタイム、絹のハンカチが雑巾に、最後の井戸塀なる私財を政治に注ぎ込んだ藤山愛一郎を懐かしく思い出している。
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