風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

無駄が多いと楽しい遊び 169号

2007年09月27日 09時08分43秒 | 随想
高等動物には、生存の為に必要不可欠な食料を調達する為の仕事と、無駄と思われる遊びが有る。成熟前に遊びが見られ、生物が生きていく上で必要な体力、知識、経験などを自然に得るために備わった性質だと考えられる。動物は遊びの中で狩りやコミュニケーションの方法を学んでゆく。大人になると遊びを止めてしまうのが通例であるが、唯一例外は人間であり、人生80年の間継続して、多様化、複雑化した遊びを楽しんでいる。個人の日常化した遊びを特に趣味と呼び、趣味が多いと尊敬されたりする。

食料調達の手段が金である現代では、より多くの金儲けの為に無駄が徹底的に排除され、無駄が罪悪視される。金儲けの企業集団の指導者は、人間から無駄な行動を徹底的に排除して、個性のない機械人間を理想像として賞賛する。

反動で余暇時間を無駄に浪費する、無駄の多い遊びが続々開発され、人間の本性の欲求不満を解消して平常心を保っている。健全な社会には無駄な遊びが必要悪である。豊かさは無駄の多いことである。

企業に要請される有用価値論を教育する学校は、金儲けに繋がらない無駄を排除したロボット人間こそ優秀であるとして、他の模範とする。キャラが立つ人間は政界と同様に排除する間違った風潮があり、私は怒っている。

優秀な女子生徒に、米を手に入れる方法を尋ねたら、財布を持ってスーパーに買いに行くと答えたという笑い話がある。百姓が半年間の自然のサイクルに合わせて時間を無駄に使い、泥まみれになって無駄な雑草を取り除き、老人が通ると仕事の手を休め、無駄話をして老人を慰める、諸々の無駄が価値ある事を教えない教育は無駄なのである。学校では世間常識の無駄といわれる遊びを教えることが存在理由である。無駄な遊びを教える努力は決して税金の無駄遣いではない。営利企業では無駄な遊びを教えることは時間の無駄で、余裕がない。

遊びを教えてもらわなかった優秀な卒業生は、自宅に引きこもり、無駄に時間を浪費する遊び人になってしまう。悪循環である。

フランスの思想家ロジェ・カイヨワは遊びを、競争(運動会)・偶然(ギャンブル)・模倣(演劇)・目眩(ジェットコースター) の4つに分類している。

この分類に挑戦する遊びを開発する夢がある。競争は他人との争いであるが、自分との競争の遊びや、偶然性のない堅実な遊びである農業や、自分にしか出来ない独創的な気儘な一人旅の遊びや、高所恐怖症であるから、大地を歩く目眩のしない遊びを考えて、老後の時間を無駄に消費する遊びをしたいと思っている。風来坊で適者生存してきたから、自然にこのまま継続すれば良い気楽な人生である。一切皆苦の生涯も考え方で楽しいのである。


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