20代の頃、勤務先の慰安旅行で尾張犬山の明治村を見学した。
50代の頃、美濃加茂正眼寺の山川老師の法話を拝聴した時、近くの昭和村を訪れた。
70代の今、毎年恒例の南信州座光寺の果樹農家に親類縁者に贈る幸水梨を受け取りに行った帰路、名古屋の息子に届けるべく、カーナビの指示に従って走行し、美濃恵那の大正村に遭遇し見学した。明治・大正・昭和の村を踏破した事になる。
平成村をネット検索すると、日本のへそ・人口重心の美濃関に存在する様だ。
日本の中部地方の狭い地域に時代の村が集中する不思議、東京一極集中で腐敗した政治村を名古屋に遷都する事を神仏が奨励しているのだろうか。