風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

ゴルフ三昧より農作業 365号

2008年09月18日 09時04分20秒 | 随想
学校の同窓生からゴルフのお誘いが頻繁にあるが、気が進まない。昔は接待ゴルフや、親睦ゴルフで付き合ったが、現在は興味が無く、果樹園の農作業を手伝うことを愉しんでいる。

モグラの穴にボールを入れるイギリス発祥の貴族・紳士のゴルフは二名のゴルファーがホール毎の勝負を競うマッチプレーであった。産業革命の工業化が進み大衆スポーツになると、規定の打数を定めるルールが出来た。

規定打数がパー、マイナスの一がバーディーの小鳥、二がイーグルの鷲、三がアルバトロスのアホウドリ、四がコンドルで、プラスの一はボギーと言う。

アマチュアスポーツだったゴルフはアメリカ資本主義によって近代オリンピックと同様にビジネスに変質した。そして池田勇人の所得倍増論による繁栄や田中角栄の列島改造論の拝金主義の小道具として、全国の里山が破壊されゴルフ場に改造された。

マネーゲームで簡単に金を手に入れる方法を学んだ若者達は、運動を嫌い自宅でパソコンのバーチャルゴルフに熱中し、ゴルフ場に足を運ばない。ゴルフ場は団塊世代が過去を懐かしむ敬老会の会場であるが、やがて人の寄り付かないゴルフ場に閑古鳥が鳴くことになる。

巨額の資本を投入して造成したゴルフ場は畑や牧草地として好都合である。野菜やジャガイモを栽培し、牛や羊を放牧し、鶏を放し飼いにするだけの十分な広さがある。クラブハウスは農産物の倉庫や牛乳をバターやチーズに加工する作業場として使える。そして多くの老若男女が太陽の元で農作業に精を出し、小鳥や鷲が乱舞する環境下で、健康で笑顔が絶えない人々で満ち溢れる。

ゴルフに興じる日本人は西洋教育に汚染された優等生であるが、古き善き日本人は自然と同化し、助け合い、質素倹約の知足満足の農業民だった。

ゴルフ場は孫子の代に農耕民族に回帰する可能性の舞台を提供する。

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