斑鳩の里は三度訪問した。少年・青年・老人の時。
法隆寺は同じであるけれども、印象は違っている。修学旅行の時は、友人と旅館で枕投げをして遊んだこと、夫婦で訪ねた時期は柿の葉寿司や胡麻豆腐の味、今回は夢違観音、百済観音、釈迦三尊や伽藍配置・景観に心が向かうのである。
誕生時にお宮参り、西洋科学主義で現世利益を謳歌し、年老いて法隆寺を訪問する。仏教は死と向き合う宗教の様である。
過去・現在・未来の時の流れ。東の来光、日中、西に落日。東にお薬師さんの浄瑠璃浄土が在ると言う。西には阿弥陀さんの極楽浄土。現世利益の空海さんは大日如来を推奨する。
王侯貴族の快楽に囲まれた時期、肉体を痛めつける苦行の時、心安らかなお釈迦様。
過去の仏様がお釈迦様、現世仏が薬師如来、56億7千万年の後には弥勒菩薩が如来様になる。
聖書やコーランの言葉に関心が向かう唯物的な単信教。不可思議なモノでないコロコロ変わる心を見る仏教が多神教になるのは必然である。千人には千差万別の仏様のイメージがあり、個人には過去・現在・未来の時の流れで、多種多様な仏のイメージが生じる。
モノでない心を、仏像というモノで現すことは不可能で、無限の仏像を創るか、秘仏とするか、二者択一になる。3度目の法隆寺が美しいと思える正直な心は、成仏したのかもしれない。
法隆寺は同じであるけれども、印象は違っている。修学旅行の時は、友人と旅館で枕投げをして遊んだこと、夫婦で訪ねた時期は柿の葉寿司や胡麻豆腐の味、今回は夢違観音、百済観音、釈迦三尊や伽藍配置・景観に心が向かうのである。
誕生時にお宮参り、西洋科学主義で現世利益を謳歌し、年老いて法隆寺を訪問する。仏教は死と向き合う宗教の様である。
過去・現在・未来の時の流れ。東の来光、日中、西に落日。東にお薬師さんの浄瑠璃浄土が在ると言う。西には阿弥陀さんの極楽浄土。現世利益の空海さんは大日如来を推奨する。
王侯貴族の快楽に囲まれた時期、肉体を痛めつける苦行の時、心安らかなお釈迦様。
過去の仏様がお釈迦様、現世仏が薬師如来、56億7千万年の後には弥勒菩薩が如来様になる。
聖書やコーランの言葉に関心が向かう唯物的な単信教。不可思議なモノでないコロコロ変わる心を見る仏教が多神教になるのは必然である。千人には千差万別の仏様のイメージがあり、個人には過去・現在・未来の時の流れで、多種多様な仏のイメージが生じる。
モノでない心を、仏像というモノで現すことは不可能で、無限の仏像を創るか、秘仏とするか、二者択一になる。3度目の法隆寺が美しいと思える正直な心は、成仏したのかもしれない。