風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

法隆寺は聖徳神社

2010年08月05日 10時26分17秒 | 随想
世界最古の木造寺院法隆寺に遊んだ。一人旅だから十分な時間がある。若い女性の無料ガイドに案内して頂く。

廃仏の物部守屋と崇仏の蘇我馬子の神仏戦争、用明天皇の後継者を巡る争いで物部氏が滅亡し聖徳太子は馬子側で参戦、仏教が国教になった。

欽明天皇と蘇我稲目の妹娘が母親で姉娘の子・用明天皇を父に持つ聖徳太子。用明天皇の姉が推古天皇、欽明天皇の第三の側室の子が敏達天皇で推古天皇の旦那。聖徳太子の妃が稲目の息子・馬子の娘。息子が山背大兄王の上宮王家。蘇我家の血の一極集中。

別の后の敏達の孫が舒明天皇で、后の皇極天皇との子の天智と天武天皇には蘇我氏の血が混じっていない。古代は血縁が重要のようである。

藤原鎌足や不比等なる廃仏派の人物が影で暗躍し、聖徳太子の血筋の25名皆殺しにした。

捨身飼虎図と施身聞偈図の玉虫厨子、怨を以て怨に報ぜば、怨止まず、徳を以て報ぜば、怨即ち尽く。聖徳太子は悪党を許している。

神道では怨霊の祟りを恐れる。時代は飢饉や疫病で大混乱。天皇家に嫁いだ藤原家の関係者は悲劇的結末の聖徳太子を法隆寺に祀り崇め、怨霊を鎮める。己の悪事を懺悔出来ればその身は仏である。

大国主神が天津神に国譲りの代償の出雲大社。神と言えども激しい殺戮があったのだろう。大国主神の怨霊を神社に封じ込めた。

人が出入りする門の中央に柱が一本存在する。為に怨霊は外に出られない。大社造と同様に法隆寺の中門の柱の謎を梅原猛が解明した。

本尊の釈迦三尊像は聖徳太子、一つの光背に収まっている。難波の堀で本田善光が拾った一光三尊阿弥陀仏と同じである。信州信濃の善光寺の絶対秘仏。見た人は皆無、有ると思えば有ると納得するのが信心。和を以て貴しとなすの精神の象徴の一光。

唯識など奈良仏教の学問寺として発足した法隆寺、聖徳太子を神とする神社に変質したが、神が仏だから寺院であり、神仏が習合している。東堂の後ろに妻堂があり、女性が住んでいたのだろう。大学教授が妻帯しても何ら不思議はない。

桓武天皇の御世になると、最澄や空海の哲学を実践する真の仏教が平安京に成立する。

朝の八時に鐘が八つ鳴る。開門の時間が来た。偶数時間に鐘は鳴る。昔の一時は二時間、しかし六つ鳴ることは無い。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

正岡子規は西円堂の音声を幾つ聞いたのだろうか。援農先の元善光寺の飯田にも市田柿がある。本田善光が運んだ奈良時代の味だろう。

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