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飯田市座光寺の果樹農家に援農奉仕の14年間、農作業が終了すると車で5分程の隣町・下伊那郡高森町の「御大の館」の温浴施設の入浴が楽しみ、通算で50回は越えただろう。その看板が玄関前にある。
御大とは明治大学野球部の島岡吉郎監督でその記念館が「御大の館」で功績を讃える品々が展示されている。
熱血漢のドラゴンズ監督・星野仙一の恩師である。星野監督に招かれて落合博満がドラゴンズに入団、後に監督になり常勝球団にしたのだった。落合監督の信子夫人は飯田市が故郷で、その縁でドラゴンズの納会が行われたのが、上皇陛下御夫妻が満蒙開拓平和記念館を訪問された際の宿泊先の隣町の下伊那郡阿智村の昼神温泉伊那華だった。
善光寺の門前町で小学校に通う昭和19年生まれの老人が昭和29年の10才の時、甲子園の選抜高校野球で元善光寺のある飯田長姫高の身長157センチの小さな大投手・光沢毅で優勝し、明治大学に進学した。
優れた一人の人間で田舎は活性化するようであるが、平凡な人間が田舎に貢献しようとするなら貨幣の力に頼らざるを得ないのだろう。