風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

心の機械化はもう懲りた 

2009年03月25日 06時48分46秒 | 随想

昔の寿司職人は、感情のある人間だから勘定は不正確で、高くなったり安かったり、ネタは相場だから不定の時価と表示してある食事。

現代の回転寿司屋は人影がなく、皿がコンベアの上をくるくる回っている。好きなものをとって食べる。定価の勘定は電子機器が小皿に組み込まれたICチップで正確に瞬時に計算する餌。

昔の図書館には司書(ライブラリアン)がいて、良書を紹介してくれ、読書の世界の道案内をしてくださる温かさ。現代の図書館は本人カードと本を機械にセットすると、貼り付けたICチップで事務手続きが瞬時に済み、借用可能の冷たさ。

昔の有料道路の料金所では、人が親切に道案内をしてくれる人間味。現代の高速道路は、ETCのICチップでノンストップで通過可能のレジスター。

昔は人の為に、人が奉仕したが、現代は機械の為に人が使われている。人間の奴隷である機械が、人間を奴隷にしている本末転倒。ロボットが機械を作り、工場でも人間が不要である。

機械は呼吸しないから、空気が汚染しても支障がない。機械は食事をしないから、田畑は不要で、必要なのはその置き場所の倉庫である。自動車は、土地の風光明媚な多様性を理解する情緒が無いから、トンネルや橋梁の、画一的な単純さを要求する。

将来の人間は、機械で教育され、機械に評価され、ICチップを埋め込まれ、機械に管理される工業化社会になり、唯一人間的な行為は、酒を呑んで愚痴ることである。そんな社会は許されない。国民総背番号が布石なら阻止すべきである。

背番号51が素晴らしい野球選手でなく、イチローが凄いプレーヤーで、本人専用の多様な流儀を開発したのだろう。

平成大不況は、何か偉大なものの計らいである。人間本位の利己的行動が心の機械化で、己を忘れ、他を利する(もうこりた)ことが、心の人間化なのだろう。

心の機械をぶち壊し、機械から逃れることが、人間回帰の始発駅で、真の心の時代の到来である。


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