風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

Bowlingは十柱戯 151号

2007年08月30日 19時39分55秒 | 随想
ボウリングは、プレイヤーに対して頂点を向けて正三角形に並べられた、10本のピンをめがけてボールを転がし、倒すスポーツで、若い頃にはしばしば楽しんだ思い出がある。相手との競争である多くの球技と違い、競争相手は自分自身であり、ゴルフと同じ特異なスポーツである。相手は数字で300点が目標であるが、ゴルフは通常72である。目標数字に到達する切磋琢磨なら高尚なスポーツであるが、同伴競技者の数字の相対比較の優劣になると、単なる遊びになってしまう。300点は人間にはほとんど不可能で、人間は完全でなくても許されることを学んだ。最近は一投で300点になるゲームが出来た様である。ゲーム代は300円。

古代エジプトの古墳から木のボールとピンが発掘された事から、その時代にボウリングがあった。近代のボウリングは、中世ドイツにおいてマルティン・ルターが悪魔払いの宗教儀式を基に、ピンの数を9本に統一し、ダイヤモンド型にピンを並べるナインピンズ・ボウリングを考案した。その結果、ボウリングは特に聖職者の間で人気のスポーツとして栄えた。そして、17世紀に多数の清教徒たちが移住した事で、アメリカ合衆国でもボウリングが盛んになった。物欲の権化である大衆は、ボウリングを賭博の対象とした為、当時のアメリカ政府は「9本のピンをボールで倒すゲームはしていけない」という法律を成立させた。貪欲な企業家はピンを10本に増やし、法律の盲点を突く悪智恵で、現在のボウリングのルールが成立した。

スラムの様相を呈していた戦後社会は、スクラップ・エンド・ビルトをテーマに定め、壊して造ることを繰り返して、物質的には繁栄を極めて、美しい国・日本になったのである。錯覚に陥り、人の心もぶっ壊し、再生した為、日本人の他人を思う心情は絶滅した。その様な歴史観に気が付いた私は、スクラップ・エンド・ビルトのアメリカ文明の象徴であるボウリングで遊ぶことを拒否し、禅寺に通いだした。

安部内閣が改造され、麻生幹事長は「先の総理にぶっ壊された自民党を再生するのが、私の仕事」と言っている。政治家はボウリングのピンを倒す側から、ピンを並べて他人が楽しんでくれる脇役になることが民意である。私財を増やすことが政治家の価値で無く、藤山愛一郎の「井戸塀」を無くすほど私財を政治につぎ込む情熱が、政治家に求められる。その様な政治家は高額の報酬が有って私財が増えても文句は言わない。

悪魔払いの宗教儀式の、宗教改革者・マルティン・ルターのボウリングの理念を学び、古き日本人に戻りたいと思うのである。悪魔は誰だ。

安部改造内閣の閣僚で注目しているのは、舛添要一厚労相で、年金問題などで、安部総理側近からの「いじめ」があれば、判官びいきで応援する覚悟でいる。
小沢党首の弟子・増田寛也総務相と鳩山由紀夫民主党幹事長の兄弟である鳩山邦夫法相と高村正彦防衛相で、11月に期限切れとなるテロ対策特別措置法問題が解決するだろうが、増田寛也総務相の地方活性化の施策に期待しているのであるが、政界の一寸先は闇なのである。地方の農・山・漁村に活力を注入することを急がないと、国民は飢えてしまう。

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