奈良斑鳩の叔父が92歳で他界したがコロナ禍で葬儀に参列が叶わず、善光寺御開帳・諏訪大社御柱祭りの同時開催の年の1周忌に叔母にお悔やみを申し述べた。
その際、西国観音霊場の掛軸に朱印を頂戴することを思い立ち、大和国四カ寺、河内国一カ寺、和泉国一カ寺を巡拝したのだった。
二か月後に紀伊国三カ寺、一番・二番・三番を参拝し、おまけで山城国二カ寺、十番・十一番でご朱印を授かった。
高速道路を亀山まで、国道25号を法定速度70キロを大幅に超える速度で走行し、西名阪郡山ICから奈良交通の新宮特急が走る国道168号で新宮を経由し青岸渡寺を目指した。
今回は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山の参拝が次なる願望だった。大和国の聖徳太子の仏教の浄土が熊野で歴代の天皇が熊野詣をしたのだった。
生老病死の四苦は釈迦牟尼仏が指摘する真理で凡人には避けられない苦しみ、仏にすがるのが仏教徒の生き様なのだろう。
それぞれを担当する仏が存在し、病は薬師如来、死は阿弥陀如来は既定の事実であるが、老は観音菩薩、如何に生きるかは釈迦如来の担当だろうと想像する。
お薬師様は東方浄瑠璃浄土、阿弥陀様は西方極楽浄土、観音菩薩は南方補陀落浄土にお住まいである。
西方に位置する本宮、東の速玉、南の那智大社の神々はそれぞれの仏様が神に姿に変えて現われているから、熊野権現と称するのである。
如何に生きるか、その救済は北方の大和国斑鳩法隆寺の釈迦如来、すなわち聖徳太子に教えを乞うのが良いだろう。
一億総中流、古き良き美しい国・日本が崩壊したのは一万円札から聖徳太子が消えた時が源流だろう。福沢諭吉を渋沢栄一に変えても日本は変わらない。日本再生の切り札は聖徳太子の肖像が日本銀行券に戻る時と思うのは老人の妄想だろう。