風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

円空仏 12号

2006年11月28日 07時49分35秒 | 随想
江戸時代に円空という遊行僧が全国各地で木端の仏様を彫ったという。その数約12万体。40年程彫り続けた。その仏像の写真を見て、魅せられ彫ってみようと思った。造り方が解からないので、パソコンで知った岐阜県の高山にある「円空洞」という民芸店を訪ね、見本の観音様を購入した。百体ほど彫ったが、まだ顔が彫れないでいる。研究中である。

本来はノミを木槌で叩いて彫るようであるが、百円の小刀で削っている。高さ15cm程度の小さなものだ。材料はヒノキ・サワラ・くるみ・杉・姫小松などの一辺4cmの角材を材木屋で購入しているが、安いものである。

鉈で三角に割り、要所に鋸で切れ目を入れ、小刀で形を整えるだけで、約1時間の作業である。その間は妄想や雑念は消え失せ集中でき、心が落ち着くのである。お寺で経験した座禅と同じ心境で、木彫禅と名付けている。

粗末な像で、芸術性は皆無であるが自己満足している。女房はがらくたを量産するよりも、金儲けの算段をしなさいと怒るが、その才覚が欠如している駄目な男である。木っ端を彫って楽しんでいれば、金を使わないで済み、その分は儲けであるとの詭弁を弄して納得している。

死んだら火葬になるが、その時の燃料にすればよいのだ。その準備も兼ねている。負組思想のようであるが、負けるが勝ちの諺もあり、竜安寺のつくばいの「吾唯足知」の哲学の実践であると、心では思い、世間の評価は悪くても、自分には勝っている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。