東洋医学・鍼灸の世界では、医学と医術の区別と連関ということが理解されていない。(これは、科学的な理論=対象の構造を対象に則して究明していくことを拒絶した罰であると思えるが......)
しかしながら、そもそも医学とは何か、医術とは何かが、そして両者はどう違うのかどう同じなのかが、より一般的には科学と技術の区別と連関が分かっていなければ、東洋医学とは何かも分かりようも無いし、東洋医学と錯覚して東洋 . . . 本文を読む
「六部定位脈診」の問題を考えるには、その原点に立ち返っての生成発展として視ること、弁証法性で視ることが必要である。
「六部定位脈診」というものも誰かが創り出したものであるから、それには始まりがある。
ただ、これにも二重性がある。古代中国において最初に「六部定位脈診」が誕生させられた時と昭和の始めに経絡治療の診断方法として再び誕生させられた時との二重性である。
古代中国においては、当初は患部の . . . 本文を読む
『素問』(小曽戸丈夫訳 たにぐち書店)を読み返している。
最初の数篇では、健康に生きていくためにの養生=生活過程を整えることの大事性、そしてそれはまず天地の気(四季の変化)に合わせてのでなければならないと、そのことの大事性が説かれる。
一般論としてはこれは全く正しい、先人の知恵の素晴らしさに、二千年以上も前によくぞ!と感心させられる。
これは、病気になればそのまま死んでいくということが珍しく . . . 本文を読む