「人間は何を食べるべきか ?」を問わなければならない、その根本的理由。その二重性。
これまで「人間は何を食べるべきか?」を問わねばならないとして、何度か軽く説いてきている、また、これから説いていこうとしている。
アバウトな構想としては、1、地球を丸ごと食べることの必要性(単細胞生命体の食)2、植物性雑食 + 動物性雑食性の必要性(四足哺乳類からサルへ、サルからヒトへの食)3、日本の伝統食を食べることの必要性(人間の食)と考えている。
それらを知らねばならない理由として、人間は動物と違って、本能が大きく失われてしまっていて、本能ではなく認識に従って行動する存在であるから、食べたいものを食べる、では、人間の食べるべき「食」から大きく外れていってしまう可能性があるから、そしてそのことが不健康から病へとなって行ってしまう大きな原因の一つであるから、と考えていた。
しかしながら、である。それらのことを説いていくために(ブログ記事として書いていくために)、<生命の歴史>を、生命体の誕生から......クラゲ体から魚類へ......哺乳類からサルへ......サルからヒトへ......ヒトから人間へと、辿り返していく中で、あることに気づかされた。
それは何か、といえば、生命体はその発展段階に見合った食を取ることで、進化してきたのだ、ということである。
別言するならば、生命体の進化と食の発展は直接的同一性なのだ、 ということである。
より具体的(構造的?)に言えば、生命体はこれまでと違った新たな食を摂ることで進化していき、進化することで新たな対象を食とすることが可能となり、という相互浸透的発展があっての、現在の我々なのではないのか ? ということである。
つまり、我々のカラダの実存は、食そのものということでもある。日常語でいえば、「身体は食べたもので出来ている。」だと。
それだけに、我々は(生命体は)、本来食べるべきものを食べなければ、まともには生きていけない。不健康から病へとなって行って、結果としてその実存すらが危うくなっていくのだ、と。
以上が、「人間は何を食べるべきか ?」 を問うべき、根本的理由である。と自身には思える。