鍼灸の本治、標治ということの歴史を見ると驚いたことに、それは昭和のはじめごろに始まる。経絡治療を誕生させた人々によって、である。
確かに『霊枢』にその記述はあるものの、経絡治療以前の鍼灸師の施術は、風邪にはこのツボ、脚気にはこのツボ、不眠にはこのツボ......
であって、それが治療の全てであった。それゆえに、標治も本治も無くである。
それゆえに、知らない病に対しては、お手上げとなってしまい、当てずっぽうに?施術していって、当たれば運が良かった。というレベル。
それでは都合が悪いということで、あれこれ考えて......結果として「病を五蔵の変動の結果としての経絡の虚実として捉えて」の施術を行うことで、未知の病にも対応して行けるように、と。
その治療を、それまでの症状に応じて決まったツボに施術する施術の仕方と区別する意味で、本治法。それまでの施術の仕方を標治法と。