岡山の宝伝の港を出た船は、十分足らずでもう犬島の港に。
船の中から、島の何処よりも高い煙突が何本か、見えていました。
岡山市東区犬島(いぬじま)。周囲4kほどの小さな島。
(島のことは既に前回紹介しましたね。今回は別の視点で)
その島に明治42年、岡山の起業家が銅の精練所を開設。
従業員などで、全盛期は350戸、人口3000人と言われました。
その後、会社の経営は財閥系に移り操業を続け、銅価の暴落などにより、
大正8年に閉鎖。その工場の跡が島の東端を占めているのです。
精練所の企業が去って暫く、島はその昔の静かな生活を保ってきましたが、
平成に入り急激な衰退に・・
今は、岡山の有名企業が、島全体でアート・プロジェクトを展開しています。
工場跡もその中に取り込まれています。芸術の名を冠した観光事業です。
入場料を払って、芸術作品を拝見し、ついでに工場跡も見るという按排です。
犬島精練所跡。それは、自然の破壊を代償として、日本の国の発展に寄与
してきた工場が、今や斃れ、自然の中に還ってゆく。
青い海原を背にした草生す瓦礫、その美しいとも見える姿のなかに、我々は
何を見ればいいのでしょうか。心惑うばかりです。












船の中から、島の何処よりも高い煙突が何本か、見えていました。
岡山市東区犬島(いぬじま)。周囲4kほどの小さな島。
(島のことは既に前回紹介しましたね。今回は別の視点で)
その島に明治42年、岡山の起業家が銅の精練所を開設。
従業員などで、全盛期は350戸、人口3000人と言われました。
その後、会社の経営は財閥系に移り操業を続け、銅価の暴落などにより、
大正8年に閉鎖。その工場の跡が島の東端を占めているのです。
精練所の企業が去って暫く、島はその昔の静かな生活を保ってきましたが、
平成に入り急激な衰退に・・
今は、岡山の有名企業が、島全体でアート・プロジェクトを展開しています。
工場跡もその中に取り込まれています。芸術の名を冠した観光事業です。
入場料を払って、芸術作品を拝見し、ついでに工場跡も見るという按排です。
犬島精練所跡。それは、自然の破壊を代償として、日本の国の発展に寄与
してきた工場が、今や斃れ、自然の中に還ってゆく。
青い海原を背にした草生す瓦礫、その美しいとも見える姿のなかに、我々は
何を見ればいいのでしょうか。心惑うばかりです。












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