広島は、あれから71年目の8月6日をむかえました。
私個人にとっては、叔母の名が新たに加えられ慰霊碑に納められたということもあって、
いつも(例年)とは少し違った気持ちで慰霊式に臨みました。
今年は、オバマ大統領がヒロシマを訪れメッセージを残したことが、最も大きな話題で、
広島市長の平和宣言のなかでもそのことに触れられていました。
メッセージについては、ヒロシマの人々の間でも賛否が分かれるものでありましたが、
私は、被爆者の代表・・あの尊敬してやまない坪井直さん・・と会い言葉を交わした
そのときの動作と表情から、大統領としてではなく、一人の人としての人間性の高さに
安らかな思いを感じさせられた・・という記憶が蘇ります。
その人と同行して、只管自らの政治的パーフォーマンスの達成を演じた人については、
触れたくもない、というのが実感です。
でも、願わくば・・
核兵器全廃を願うヒロシマの人のさらに心の奥にある、国と国との争いを軍事力によって
解決しようとする政治へのレジスタンス、今だコントロールの手法が見つかっていない
核をエネルギー源としての利用することへのレジスタンス・・
そのことを決して忘れて欲しくないのです。
私が広島に戻って初めての8月6日、2007年のとうろう流しです。
私個人にとっては、叔母の名が新たに加えられ慰霊碑に納められたということもあって、
いつも(例年)とは少し違った気持ちで慰霊式に臨みました。
今年は、オバマ大統領がヒロシマを訪れメッセージを残したことが、最も大きな話題で、
広島市長の平和宣言のなかでもそのことに触れられていました。
メッセージについては、ヒロシマの人々の間でも賛否が分かれるものでありましたが、
私は、被爆者の代表・・あの尊敬してやまない坪井直さん・・と会い言葉を交わした
そのときの動作と表情から、大統領としてではなく、一人の人としての人間性の高さに
安らかな思いを感じさせられた・・という記憶が蘇ります。
その人と同行して、只管自らの政治的パーフォーマンスの達成を演じた人については、
触れたくもない、というのが実感です。
でも、願わくば・・
核兵器全廃を願うヒロシマの人のさらに心の奥にある、国と国との争いを軍事力によって
解決しようとする政治へのレジスタンス、今だコントロールの手法が見つかっていない
核をエネルギー源としての利用することへのレジスタンス・・
そのことを決して忘れて欲しくないのです。
私が広島に戻って初めての8月6日、2007年のとうろう流しです。
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