広島県呉市の最北部、もう広島市にも近い焼山北に本庄ダムがあります。
大正7年(1918)旧帝国海軍の軍用水道の水源地(貯水池)として築造されました。
現在も呉市の取水施設として稼働しています。平成11年、現役の水道施設として
は初めて国重文に指定。
堤頂部の長さ97m、堤頂部幅3.64m、高さ25mの重力式コンクリートダム。
堰堤の表面は現場採掘された花崗岩を用いた切石処理がなされています。
その見事な石の表情がこの堰堤に限りない風格を与えているように思えます。
現在の管理は呉市。制服の管理職員から「昔の海軍さんはよー頑張ったもんじゃ・・」
と声が聞かれます。
堰堤の周囲は皇居周辺と同じ「ねじれ松」が数十本植えられています。
貯水池の中央には水神を祀る神社。これらは旧海軍の軍用施設であったことの
名残りでしょうか。
池の周囲の林は薄い紅色、青葉の萌えたつのも間近と思えます。











大正7年(1918)旧帝国海軍の軍用水道の水源地(貯水池)として築造されました。
現在も呉市の取水施設として稼働しています。平成11年、現役の水道施設として
は初めて国重文に指定。
堤頂部の長さ97m、堤頂部幅3.64m、高さ25mの重力式コンクリートダム。
堰堤の表面は現場採掘された花崗岩を用いた切石処理がなされています。
その見事な石の表情がこの堰堤に限りない風格を与えているように思えます。
現在の管理は呉市。制服の管理職員から「昔の海軍さんはよー頑張ったもんじゃ・・」
と声が聞かれます。
堰堤の周囲は皇居周辺と同じ「ねじれ松」が数十本植えられています。
貯水池の中央には水神を祀る神社。これらは旧海軍の軍用施設であったことの
名残りでしょうか。
池の周囲の林は薄い紅色、青葉の萌えたつのも間近と思えます。











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