1月21日記
1月17日は大震災が神戸を襲った日。
兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡あたりが震源となり、マグニチュード7.3 の兵庫県南部地震が発生しました。
その日から数十年経過しているのに、今でも、昨日のことのように記憶が蘇ってきます。
過去のその当日、私は早朝から階下に降りテレビを付けていました。
恐らく私が耳にしたのは、NHKの第一報の地震速報ではなかたかと思います。
すぐに、ただ事ではない雰囲気が伝わってきました。
その報道が、私の緊張と恐怖を次第に増幅し、テレビに釘付けになったものです。
けれど、後日報道され続けたよな惨状までは予想していませんでした。
その後は、毎日テレビを茫然と見つめるだけ。
信じられないような展開になりました。
ホテルオークラの客室から望んだ神戸の夜景
神戸は私の憧れの街。
娘時代からその気持ちに変わりはなく、震災後初めて、憧憬の街を訪れました。
年月が経過したとはいえ、震災の記憶がまだ生々しく私の脳裏に焼き付いたままでしたから、恐る恐る・・・
そんな心境でした。
ところが、神戸の街は見事に再生。
悲惨な震災の跡形は何も感じられないほどに蘇っていました。
私はホッとし、とても嬉しかったのですが・・・
肉親との耐え難かった酷な別離を心に秘めて暮らしておいでの方々が大勢いらっしゃるのでは、と思うと・・・。
複雑な気持ちで今もいます。
お兄ちゃんが泣き叫ぶ声を、お母さんと耳にしながら助けることができなかった。
この記事を最近目にした時、とても耐えられない心持ちに私はなりました。
未だに、復興の喜び以上に、神戸市民の深い悲しみに心が至ることがあります
大丸デパートの回廊
人間はどんなに辛い出来事に遭遇しても、生き抜き再生する逞しさを身に付けている。
その奇跡のような逞しさと力強さを、神様が与えて下さっている。
そう思いたいです。
実際にその様な方々を、私は災害があるたびに目にしてきました。
只々敬意を払い、頭が下がる思いがします。
けれど、私にその様な逞しさがあるとはとても思えなくて・・・
今同様の出来事に見舞われたら、私はどうなってしまうでしょう。
六甲山牧場
牧場の風景が大好きな私は、感激して止まなかった想い出の地です。
三十年以内に、大きな確率で必ず来ると言われている関東大震災。
その前に死んでしまいたい。
世話をしなければならない旦那さまは、もう先に逝ってしまいましたし。
子供たち家族の心配事は何もありません。
今の至上の境遇の中で死ねたら、本当に幸せ。
今以上の境遇はもう望めないと思っていますから。
万が一、私がコロナに罹って、医療崩壊している病院に搬送されたなら、将来のある若い人に命を譲ります。
必ずそうしてほしいです。
異人館のスターバックスのお店から前景を望む
何だかとんでもない文章になってしまいました。
偽りのない本心なのですが、笑って聞き流してくださいね。
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拙いブログをお読み下さいまして、本当にありがとうございました。