よたよたオヤジのポタ雑記

’19.12⇒「70オヤジのご近所ポタ日記」と変更
ボ-ドウォ-ク(ダホン)で神奈川県西部を徘徊?
B級グルメもネ!

星空を見上げるのも気分転換に良きかな?と思える今日この頃!

2024年11月02日 08時53分55秒 | 呟き

妻が亡くなり一人ぼっちになっちまった今夏、一人で過ごす夜は長いおまけに眠れなく不眠症気味になっちまった

この長い夜の時間を過ごすのは至難の業、面白くもない&興味の無きTV番組が多く、苦痛or拷問に近い時間ですよ。

眠れない夜中10時~午前2時ぐらいは、外に出て夜空を見る機会が増えた。そしたら南東方向に一段と輝く星が・・

いままでは星座とか天体にさほど興味がなかった自分、ま満月とかの時は見上げたけど、その程度の興味と知識でした。

で、あの輝く星は何?ぐらいは興味が湧き、さっそくに音声でスマホに問いかけました、答えは木星(ジュピター)でした。

その解説には木星の成分は水素とヘリウム=太陽と同じ、ただし太陽のように内部で核融合反応が起きないので光らない。

自分で光を出さずに太陽の光を反射して光っている、つまり自ら光を出す恒星ではなく、惑星である事を知りました。

妻が亡くなった夏にはよく見上げました、そしたら木星に大いに親しみが湧きました。この星を妻に見立てて眺めることに。

いまの初冬の季節は、夏空の「南東」方向から「東」の夜空に位置が変わりました。惑星の軌道って凄いんですねビックリ

亡き妻の代わりに木星が生まれ変わりだと思う事に木星には迷惑な話ですが、自分の気分がスッキリするので許してね

すっかりスマホの答えを信じきっているので、もし間違えていたら遠慮なくご指摘下さいませ

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妻が間違いなく「幸せor嬉しい」と思った事・・その4番目!

2024年10月28日 09時25分00秒 | 呟き

コロナ騒動がやや収まりかけてきた一昨年(’22年)の10月初旬、仙台の孫娘に会う為に夫婦で3泊4日の旅行に行きました。

もう仙台に赴任して4年目に突入、孫娘もピカピカの小学一年生になりました。入学して半年後の様子など見る為にね。

行きたくてもコロナの影響で機会がなかったんです、夫婦2人での1泊以上の旅行は、結婚後は初めての機会でした。

もちろん妻は孫娘と長女の日常生活に触れられること、そして住んでいる仙台の街を訪れるのを楽しみにしていました。

観光ではなく孫娘の小学生ぶりと、生活している仙台の街中の雰囲気などに興味があった様です、それと久々の新幹線もね。

2日(日)の昼過ぎに到着、早速のサプライズが・・木下大サーカスの観覧を長女の旦那さんが用意していてくれました。

数10年ぶりに観るサーカスにハラハラ&ドキドキでした。妻もやや興奮気味でしたが、楽しそうに笑顔が一杯でした。

低所得者層なので宿泊は駅近くのビジネスホテルのツイン、食事所は周りに一杯あるから気にしませんでした。

ややバスルームが狭いかな?程度の小さな不満が1つだけ、寝ることに何の支障もなく我々夫婦には十分でした。

翌日の朝は孫娘の登校風景を見るために、長女宅の前に。その後は小学校まで一緒に、我々のホテルから徒歩3分と近い所。

その後は2人で仙台の街中を探索?散歩する日々、知らない街を歩くのは楽しいです、全てが初めての光景&経験ですから。

そして帰る前日の夕食は、長女と孫娘と4人で駅ビルの飲食店へ。旦那さんはあいにくの出張で参加できませんでした。

その旅行中の思い出の写真が二枚とも妻も自分も気に入っている写真です、妻が嬉しそうに笑顔になる写真。

上は英会話教室に一緒に登校、わがホテルに帰る途中の場所なので、午後4時前だったかな?まだマスクをしていた時期。

これは帰る前日に一緒に食事をした帰り道、ジジ&ババと孫娘の3人で手を繋いで帰る楽しいor幸せな一コマと感じさせる。

確か「東北福祉大学」のキャンパス付近だったかな?仙台の街中は夜も明るかったな、わが夫婦の気持もね。

帰りの新幹線の中でも笑顔が見れたし、途中下車しての東京駅見物もでき、長女と孫娘にもドップリ会えたしのでした。

妻が「幸せ」と思ったのは間違いない筈です、ただ俺がそうしたのではなく、長女と孫娘がその大きな要因でしたがね。

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他にも小さな事では思いつくんですが、特に載せるほどの事でもない気が・・この4回が間違いなくです。

教会での結婚式&妻の実家近くに引越し移住&家族で喜多方へのラーメン一泊旅行&今回の仙台への3泊4日旅行。

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昨日は妻の月命日・・2ヶ月経ってしまった!

2024年10月19日 15時03分00秒 | 呟き

もう2ヶ月なのか?まだ2ヶ月なのか?何とも言いがたい感情が湧き上がってくる、まだまだ実感が100%湧かない。

心のどこかで受け入れるのを拒否している?受け入れる=妻が逝き、その存在が無くなった事を認め事になるからね。

憂さ晴らしや気分転換のためのテニスも、雨が降れば中止だしこのところの天候不順で週一回ペースになっちゃってるし。

片付けの合間の運動として散歩を小一時間程してるが、夫婦二人での光景と違い、日中に男一人の光景は良くは映らない

ま気にする事でもないが、用心される事は間違いなし。堂々と胸を張って行えば良いのだが、夫婦の時の様にはならんね。

やはり相棒?相方?の存在が無くなると、今迄は気にもしなかったのに、その存在の大きさが身に染みるよな

一緒にいるのが当然で、とくに意識もしない存在だったが、お互いの会話が成立していた事が重要な要素だったんだよな。

この虚脱感?は時間が解決してくれるのを待つだけ?その時間の期間も分からないしそれまで耐えれるのかよ俺

遺影を見ても笑顔だし、飾ってある写真などは満面の笑み。ただ全てが我が家の外での写真なのがね・・・

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う~ん・・やはり大波小波状態の繰り返しだ!

2024年10月16日 10時21分30秒 | 呟き

話し相手が居ない辛さが深刻だ、写真に話しかけても返事がある訳じゃないし。淋しさが増すばかりだ。

趣味のテニスと言っても週2回、それも2時間づつ程度の時間だし。同じ経験者は片方の曜日の人達だし。

やはり話し合う相手が居ないと人間生きては行けないね、面白おかしくだけじゃない。口喧嘩も必要な要素です。

面と向かって話をする相手は必要不可欠な存在、次男も長男も週末にチョイと小一時間弱ぐらいしか寄らないし。

簡単な炊事と掃除と洗濯は、慣れて出来る様になったが、会話の無い生活は苦痛でしかない、こりや拷問に近いな。

買い物に出ても、まさか店員さんと世間話も出来ないし。精神状態が落ちつかない、大きく揺れ動く最近です。

そろそろ妻が逝って2ヶ月近くになるのに、又々淋しさが大きくなってきた。特に夜の時間が長く苦痛です。

これから寒さも厳しい冬が来ると言うのに、俺はそれに耐えられるのか?水仕事も今よりもっと辛くなるのに。

仙台の長女と孫娘とのビデオ通話が、この苦痛から少し救ってくれる。でも毎日はね、迷惑掛けるしな。

少しずつ睡眠につく時間が遅くなってきた、1時、2時の時も増えてきた、睡眠時間は4~5時間で同じですが。

飾ってある写真を見るたびに、あの時、この時と悔いる事ばかり。何故?そっちだけの感情になるのだろう?

楽しく嬉しく過ごした時間の方が、圧倒的に多い筈なのに?人は負の感情の方が心に強く刻まれるから?

それとも自分の心?精神力?が弱いだけなのかな?現実を受け入れる事が出来ないだけ?そうかもな。

なんだか後悔の気持だけが大きく広がる、弱いよな本当に。これが自分の真実の姿なんだろうね。

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妻が間違いなく「幸せor嬉しい」と思った事・・その3番目!

2024年10月13日 11時09分00秒 | 呟き

それは平成元年(19889年)の秋の初めに、唐突に「喜多方にラーメン」を食べに行こうと思いつき行った事。

長男が小学4年で長女が小学2年、次男が3歳。自分が41歳で妻が32歳、この頃は家の用事でよく小学校を休ませた。

学校からの連絡簿に、家の用事で子供を休ませる事が多いです、学校を休ませる事は控えて下さいと書かかれたな

当時は横浜スタジアムでデーゲームがあると、学校を休ませて野球観戦&中華街での食べ歩きをよくやっていたからね

でもね、まだ小学生だし勉強よりも社会勉強の方が優先これはわが夫婦の共通の考え、勉強は中学生からで良しす。

喜多方は好きな裏磐梯への通路みたいだった、当時は「蔵の町」として有名だったが、いつの間にかラーメンが有名に

20代の頃は水芭蕉を求めて、喜多方から「雄国沼」へよく行きました。尾瀬沼では有名すぎてツマラナイから。

「いもり池」や「戸隠」にも行きました、一泊で家族5人で行くには喜多方は絶好、郡山で降りて「猪苗代湖」や「五色沼」へ。

ボート遊びもできて磐梯山へもね、4時ごろに予約しておいたビジネスホテルへ。磐越西線の喜多方駅前なのに・・

平日だったので自分達だけでガラガラ大広間みたいな20畳以上ある部屋で5人、子供達は枕投げで遊んでいました。

夕方にタクシーで坂内食堂へ、ただ当日は臨時休業で運転手さんが案内したのが「勝=まさる」というお店。

懐かしい味の醤油のチャーシューメンを頂きました、普通に美味しかったです。でホテルでまたまた枕投げ遊びなど。

妻も終始笑顔が絶えなかったし「たまには思いつき家族旅行も良いいよね」と言っていました。楽しそうな笑顔が一杯。

翌朝は駅前のラーメン屋さんで朝食、テレビ取材された店?とかの幟がありましたが・・味は5人全員がです。

帰りの高速道路を走行中も、子供たちとはしゃいでいたし、間違いなく「幸せor嬉しい」と思った2日間だった筈。

その時の写真でも、猪苗代湖のボート上ではご機嫌な笑顔で写っていましたから。いかん・・涙が出てきたよ

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妻が間違いなく「幸せor嬉しい」と思った事・・その2番目!

2024年10月09日 12時33分00秒 | 呟き

一番目は先のアップ内容を読めば「結婚式」の時ですよね、妻の希望どおりに教会で結婚式を挙げた時でしょう。

自分で編んで用意したウエディングドレスを着て、お姫様抱っこされて白い馬車に乗り、観客?にでしたから。

この2番目も間違いない筈、妻の実家の近くに家を新築して引っ越した時。土地は実家から分筆して頂いたんですが。

大磯の借家より広いし、妻の両親も姉も妹も直ぐ傍だったし安心感が大きかった筈。長男の保育園の入園もあったし。

これが昭和60年(1985年)の3月末の事、保育園の入園も何とか間に合った自分が37歳で妻が28歳の時でした。

長男が5歳になる年、長女は3歳になる年です。妻が育った地元の街ですからね、両親も姉妹も大歓迎でしたよ。

妻が、これ以上ない安心感に包まれたのは間違い無しです、此処に住んで39年と5ヶ月を過ごせた事は満足だった筈です。

この様に妻も間違いなく嬉しかった&楽しかった事など振り返り、想い出を巡りながら前に進もう、全部で4回ぐらいかな?

自分がハッキリと確信を持って言える回数です、少々の事なら数え切れないくらいあると思いたいですが・・!

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これからは妻との想い出とともに生きて行こう・・それしか出来ないし!

2024年10月06日 10時35分00秒 | 呟き

昨日は妻の四十九日でした、とは言え我が家は無宗教、結婚式はクリスチャンでもないのに教会での挙式だったし。

墓も無く宗派も無き我が家、骨壷は自宅安置です。さすがに位牌は何時までも白木では、可哀想なので作りました。

よって法要も無く、祭壇に妻の好きな和菓子を供え、長男と次男の3人で「お母さんに感謝、そして有難う」の言葉で献杯。

亡くなる2ヶ月前に妻に念のために確認した事項、延命処置は不要、遺影の写真を確認、葬儀は近親者だけで良いと。

仏壇と仏具は不要、戒名も不要、ただし初七日だけはして欲しい、当分の間は自宅に安置しておいて欲しいと。

ある期間が過ぎたら、樹木葬とか散骨とか、家族の意見で決めて欲しいと。これは残された家族への負担を考えてだろう。

この時点では妻は普通に思考でき、言葉もしっかりと言える状態。やや体力が衰えているぐらいの状態でした。

子供達と孫達の成長を見る事が楽しみで、それが支えで一年二ヶ月も病気と闘ってきたのに、残念無念ですよ

妻自身も心残りが大きかったと思う、何事も簡素に最低限で済ませては、たぶん残される俺の負担を考えての事

最後まで家族の事を思いながら逝ってしまった妻、子供達と孫達もだが、俺の事も心配してくれてたんだろうな?

そう振り返ると、俺も生きれる限りは生きなきゃね。妻との想い出を辿りながら生きて行くのも良いのかもね。

家の中に飾ってある写真を見ると、これはどこ行った時の写真って分かるからね、これを巡るのも良き事かも。

蛇足:位牌の表の名前は、今日は「本名」で入れる方も多く、裏の年齢も「満〇〇歳」と入れる方も多いとか。

ちょうど良き節目と考えればよいのかな?

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そろそろ何とか前を向かないと・・と頭では理解してるんですが!

2024年10月03日 11時26分30秒 | 呟き

これがなかなかむ難かしいんですあの時、この時にと・・悔やむ事ばかりが頭を離れないんです。

楽しい事や嬉しい事も沢山あった筈なのに、多分?人生で少なくとも悲しい事の方が少なかった筈なのに?

悲しい事の方が心に強く刻まれるから、いつまでも心の中に残っちゃうんでしょう?それが人生なのかもな?

ここ4,5日は以前より連続して眠る時間が長くなった、以前は2時間弱で目が覚める繰り返しだったが、ちょっと良くなった?

今迄の睡眠不足を補うように身体が求めた結果?連続して4時間弱~6時間弱眠れるって楽です、眠った気がします。

考えれば5日(土)がちょうど四十九日、そろそろ現状を受け入れ、もう少し強く生きて行かなきゃと思うんだが

これも妻と自分の宿命だったのでしょうか?妻は天国で笑顔で過ごしているのでしょうか?笑顔だったら良き事ですが。

俺には生きる時間が与えられたと思えば良いのか?もっと生きろと言う啓示なのか?それとも与えられた試練なのか?

少なくとも子供達3人も、母親が亡くなった事にショックを受けている事は間違いないが、自分達の家庭もあるからね。

いつまでも情けない父親などに割く時間もないだろうし、己自信で立ち直るしか道はない事も十分承知しているんだが。

想い出の中で生きてみるか?妻が間違いなく「幸せ」と思った事を振り返りながら、結婚式は絶対に「幸せ」だった筈

他にも数件思いつくんだが、後々に想い出巡りで書いてみよう、そうすれば少しは心が楽になるかも??

こんな男と44年と11ヶ月も一緒に過ごしてくれた妻に、今は「感謝、感謝」の言葉と「ゴメンネ」しかありません。

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にしても「ボッチ」の生活は辛過ぎるの週2回の時ぐらいしか気楽に話ができる環境に無く、堪えるね精神的に。

一日中誰とも話す機会が無い日は最悪です、耐えきれない時は、仙台の長女とビデオ通話で何とか凌ぎます。

毎日では長女も大変ですから、週に3回ぐらいかな?昼間なら都合がつく時間帯が多いから助かります。

長男と次男は平日は仕事ですし、そもそも細かな気遣いが出来るタイプでは無い自分の家族だけで手一杯もあるか?

 

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もう一つの絶対の約束事・・結婚式の事です!

2024年09月29日 09時30分30秒 | 呟き

妻が家を飛び出してくる2ヶ月前ぐらいの事、お互いに結婚しようと決めた時に、妻から絶対に約束しての条件が出ました。

45年前頃に女性週刊誌などで盛んに取り上げられていた、軽井沢の教会で式を挙げ、白い馬車に乗り庭園を一周

妻も当時は22歳だからロマンチックな夢を見ていたのでしょう?今ほどメジャーじゃなかった星野リゾートの仕掛け。

で妻は自分の花嫁ドレスをレースで編み上げて用意すると・・編み物教室に通っていて腕に自信はあったみたいです。

自分はちょうど車の買い替えを検討中だったので、2ヶ月前なら新車に慣れる期間もグッドなので早速に注文。

2人の共通認識の結婚記念日の翌日の9月15日(当時は敬老の日で祭日)に、イザ軽井沢に向かい挙式です。

この中での約束事がもう一つ、これが男なら大いにテレくさい事100%の「お姫様抱っこ」して馬車に乗せる事。

でも絶対の約束事ですから果さないと、教会のドアを出ると見物人?観光客?らしき人々が10数人ですもん

いやいやマジで顔が真っ赤でしたよ、でも妻との結婚の絶対条件でしたからね。その写真が・・。

まだアルバムを開けれないので、テレビの前に数十年置いてある写真。多分ですが妻が飾っていたものでしょう?

長いあいだに一部切れた跡がありますが、気にしないで下さい。俺が31歳で妻が22歳の時の写真です。

少し甘ピンでちょうど良き加減ですね、やはり昔の事と言っても恥ずかしさは変わりなく

これが妻からの結婚する二つの絶対の約束事の一つでした、もう一つの男の子と女の子で子供3人欲しいも

この約束事を俺は果たしたのに、妻が俺との約束を破って先に逝ってしまった。こんな事になるなんて

思ってみない事が現実になっちまった、これじゃ「妻に先立たれた哀れな高齢者」そのもの、これ程に辛い事は無い。

なんか涙が出てきちゃったよ、想い出が多すぎて・・ダメだこりゃ。俺はこの冬を生きて行けるのか自信が無い。

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妻が一番可愛く映った時の洋服・・多分だけどね!

2024年09月26日 08時01分00秒 | 呟き

確か長男が小学校4年生で長女が2年の時かな?授業参観日があったのですが、各学年ともに同一日だったのです。

たしか4月下旬か?5月中旬だったかな、夫婦で別々に長男と長女のクラスを巡り、変わりばんこに入れ替わり。

確かその時に着ていたスーツ?がこの服、いつも控えめで落ち着いた色合いの洋服の妻だったが、この日は少しお洒落?

実際には写真より明るめのブルーの生地に、チューリップの花模様と、葉の部分が光を反射する織り方になっています。

         

考えればこの時はまだ32歳だもん、お洒落心もありましたよね。その後3人目の次男が生まれてより控えめに?

この洋服を着たのを見たのは2,3度くらい?たぶん妻の余所行きの一着だったのだろう?そう思うと処分できない

地元で代々続く農家の本家の次女として生まれた妻、苦労知らずに育ったのに、俺が苦労の連続の生活を味あわせてしまった。

親と親戚の反対を押し切って、家を飛び出してまで結婚してくれた妻に・・申し訳ない気持で今は一杯です。

45年前はまだまだ田舎で、考え方も古く本家の格式?面子?体裁などがあり、許して貰えなかった時代でした。

苦労はさせてしまったが、亡き妻も認めてくれる2つの絶対の約束事、その一つの子供が3人欲しいは果たせたよ~

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