よたよたオヤジのポタ雑記

’19.12⇒「70オヤジのご近所ポタ日記」と変更
ボ-ドウォ-ク(ダホン)で神奈川県西部を徘徊?
B級グルメもネ!

神社の狛犬の配置・・・その12/仙台市の榴岡(つつじがおか)天満宮!

2022年11月27日 11時05分30秒 | 神社仏閣
10月初旬に孫娘に会いに行った時、市内の散歩途中に見つけお詣りした天満宮。学問の神様「菅原道真公」が祭神。

この地に遷座されて411年経つ様です、創建は平安時代(974年)に京都に、創建後1048年も経つのですね

地元では「杜の都の天神さま」と崇められている様です、これが正面から見た写真。両側の大きな立派な狛犬像がお出迎え?

右の狛犬像の後ろに建っている古い石柱には「躑躅岡天満宮」と彫ってありました

此処は先日アップした孫娘が七五三の参拝に訪れた天満宮、子供が草履で階段を登るのに難儀したと思えますが・・?

形相は唐獅子風?左は口を開けた阿形、口の中が赤く塗られてない。右が口を閉じた吽形。首都圏に多い配置と逆です。
 
不確かな記憶によると寄贈が平成16年だったかな、わりと新しい狛犬像です。

これは立派な鳥居に掲げられていた「扁額?」、中央に「躑躅岡天満宮」、左に文部大臣「愛知揆一謹書」と記してあります。

ここ仙台選出の国会議員で、池田内閣で昭和39年に文部大臣を務めていた方の様です。

階段を上り参道を少し行くと左手に小さな社があり、正面の右上に「躑躅岡八幡神社」とかかれた扁額が掛かっていました。

中に入ると小さな神棚?があり、その右側にやや風化した古~い石像?が建っていました。

これが中に建っていた石像?、中央は阿弥陀様?か、〇△観音?◇☆如来像?抱えているものは目を両手で覆った猿。
          
足元の左側は口を押さえた猿、その右側に耳を覆った猿が彫られています。あの有名な三猿と同じポーズですよ

参道を進み社殿のある本境内?の入り口にある、鮮やかな朱の門。この両側に狛犬風?の小さな像が置かれていました。


左側の角?の生えた狛犬?は口を閉ざし、右は同じく角?の生えた狛犬?は口を開けて。口元からヒゲが生えている
          
これも風化が進んでいる古い像ですね、狛犬なのでしょうか・・全くの謎です

そして立派な社殿が正面に。その両側に左は子牛と母牛で立て札には「優の丑」、右は角を向け威嚇するポーズの「勇の丑」。

どういう意味なのか詳細は不明です、この境内には他にも「撫で牛」の像が置かれているんですが

ここは学問の神様が祭神の為か、受験生の親御さん年齢の方が多く参拝していましたね、平日にもかかわらず

わが子の受験合格を願う親心は、いつの世も変わらぬものです

蛇足:仙台市内には「榴岡」と「榴ヶ岡」の二つの町名が存在します長女いわく・・紛らわしいと

恥ずかしながら「榴=つつじ」というよむ読み方は、長女が仙台に住むまでは知らなかったですオイラは

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神社の狛犬の配置・・其の11/南足柄市の御嶽神社!

2022年05月18日 07時55分00秒 | 神社仏閣
今回はGW中に訪れた南足柄市の「御嶽神社=みたけじんじゃ」、三竹地区の森の中(山の中?)にあり、創立は平安時代とか

正式には「御嶽権現神社」と言うとか?祭神は日本武尊他、本殿内に18体の仏神像。神使いは「狼」の狼信仰の社だったと

ご覧のように山中?森の中?に鎮座する古社です、訪れる人は地元の地区の方と散歩&古社巡りの方が殆どでしょう多分
        
この急傾斜の本階段は80%ぐらいが苔生して、登り下りはヤヤ危険両脇の小階段なら滑らなくて良いかも

自分達は左側の簡易舗装の参道から上りました、これが拝殿で後ろには本殿があり。折角なのでご挨拶参拝などをね


階段を少し下った所から正面に見える狛犬像と拝殿です。

大小(新旧)2対の狛犬像と、1対の石灯籠が配置されています。

まずは左側、古い小さな狛犬像が手前に配置。口を開いた阿形ですね、恐ろしい唐獅子風の狛犬です。年代は不明?

後ろは吽形の子取りです、一般的な狛犬の形相で、比較的新しく平成24年の寄贈品。前と後ろの狛犬像が違いますね。

右側の手前の古い狛犬像は吽形の玉取りです、唐獅子風の形相はやはり獣を連想させます。

後ろは阿形の玉取りです、前後対の狛犬の配置が逆ですこれは時代時代での変化と、稀に設置時に配置を間違える事もあるとか??

どちらが正しいとか言えないようです、時代と共に変化?歪曲された文化もあるようです。これはこれで歴史資料ですよ。

「陰陽道」では西(左)が雌(陰)で東(右)が雄(陽)との考えもあり自分が調べた狛犬の配置ではを参照ね。

左が吽形、右が阿形の配置が80%です、吽形の子取り&玉取りもあるし、阿形の子取り&玉取りもありました。

よって今となっては正解は無いと考えて良いのかな人の気持も変わるからね、その時代の文化を反映している証拠

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神社の狛犬の配置・・其の10/諏訪の原の諏訪神社!

2021年11月25日 07時55分00秒 | 神社仏閣
先週の20日(土)に散歩で小田原の県立諏訪の原公園へ、長女親子と一緒に来たのが最後ですから、2年半振りでした。

公園内の多目的広場の北側?に石製の鳥居があり、その奥30m前後ほど先に社殿が鎮座。日当たりは良好の場所ですね。

この鳥居前の旧参道はやや広く、戦前前までは競馬が行われていた様。神事としての流鏑馬などと同じでしょうか?

やや小ざっぱりとした拝殿の前には、一対の灯篭と狛犬が配置されています。灯篭はそれなりの年月を感じさせます。

年代を確認するのを失念しましたよ・・歳だな~

左(西)は口を閉じた吽形の子取り雌(陰)、右(東)は口を開けた阿行の玉取り雄(陽)。口の中が赤く塗られていない。
 
この狛犬の配置が今は多いですね、ただ子取り&玉取りではない像もあり。

この狛犬像自体は古さを感じない、この茶色に染まった台座には、昭和15年寄贈と彫られていた?その年月は経ていないね。

拝殿の右横に、この様な「参拝の作法」が親切に書かれていました自分もいつも迷うので有り難いです


拝殿の西側に大きな銀杏の木がありますが、この20日(土)現在では写真のような青葉状態でした
        
追記:
ご祭神は「建御名方神(タケミナカタノカミ)」と「八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)」興味のある方はご自分で調べてね

起源は不詳?ただ武田家滅亡の後、仕えていた先人がこの地に移住、里武士になり造営と言われている?

推定1573(天正)~1595(文禄)の間の造営らしい?江戸時代までは長野の諏訪大社と同じく上、下の2社だったよう?

大正の関東大震災で倒壊後、大正15年に再建されたようです。武田家と繋がりがあるか諏訪だから当たり前か?

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神社の狛犬の配置・・・其の9/大友の八幡神社&高田の八幡神社!

2021年09月23日 10時55分30秒 | 神社仏閣
先日の上府中公園北側の水田の散歩帰りに気がついた神社、球場北通りに面し、公園からは西側に100mぐらい寄った箇所。

通りに面した箇所には大きな鳥居があり、50mほど細い参道?を行くと「八幡神社」があります。歴史&創建は不明です。

この鳥居の両側に設置されている石製の「常夜燈」には「震災復興??」と彫ってありました。昭和二年と記されていました。

と言う事は「関東大震災」後に設置された常夜燈ですね、多分・・少なくとも明治時代には確実に此処に存在していた神社ですね。

拝殿の両横に狛犬像が配置されている簡素な境内、大きな太い木々は伐採されていて、太い切り株が8本ほど残されていました。

この一対の狛犬像は、昭和56年寄贈と刻まれていました、40年前とやや新しい物です。

左側(西)は口を閉じた吽形の子取り、雌(陰)ですね。


右(東)が口を開けた阿形の玉取り、口の中がく塗られています。雄(陽)ですね。

殆どの狛犬の配置は「陰陽道」と同じで、西が雌で東が雄になっています。でも東西が入れ代わっている神社もありました。

長~い歴史の中で色々と変わっちゃうんでしょうね?狛犬の形相も角獣や獅子、現在主流の狛犬と変わってきたしね。

ただ信仰心は何時の時代も変わらないかな?鳥居が神様と俗世界との境界線、内側(参道から境内まで)は神域とされています。

神社は先に目にする拝殿(社殿)から続いて奥に本殿(神殿)があり、ご神体(祭神)が祀られています浅い知識ですが

次は5年前に訪れていましたが、アップする機会が無くて遅れていました他にも数社ありますが折を見てアップします

小田原市高田にあります「八幡神社」です、境内の中に教育委員会による「若宮八幡宮の周辺の遺跡」と記した案内があります。

鳥居の右側には大きく高~い銀杏の木があります、高さは3階立て以上でしょうか?黄葉の時期は見事に黄金色に染まります

拝殿の手前に一対の狛犬像が置かれています、昭和15年寄贈ですから今から81年前、大震災から18年後ですね。

スッキリとしたと言うか?境内は綺麗に手入れされていますが、拝殿の前には狛犬像だけというシンプルさ。

左は口を閉じた吽形ですが子取りではないですね。  右は口を開けた阿形ですが玉取りではないです。
 
                           この阿形は口の中が赤く塗られていない。

まだアップしていない神社も入れて、今までに33社を調べたが「左が吽形、右が阿形」の配置が31社、逆配置は2社だけでした。

その逆配置の2社は「吽形の玉取り、阿形の子取り」と狛犬像の形も逆でした。年代と共に変わってしまうのは仕方ない事ですかね

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神社の狛犬の配置・・其の8/開成町の酒田神社!

2020年10月08日 14時40分00秒 | 神社仏閣
開成町を散歩していて気がついた神社、そこは「酒田神社」。開成小学校の西に隣接しています。今まで気がつかなかったな

周りは住宅です、明治の初期に村の統合があり、それに伴い合祀令により各鎮守が一箇所に集められて創られた神社??

その為か?ご祭神が「天照大神」、「日本武尊」、「菅原道真」などの9祭神という多さ。

狛犬は左側に口を閉じた吽形の子取り、右が口を開けた阿形の玉取りです、口の中はく塗られていません。
 
すこし急いで撮ったので・・倍率が違った~、スミマセン「陰陽道」通りの西が雌(陰)、東が雄(陽)の配置になっています

この狛犬像はまだ新しい様だったので裏を確認、寄贈は平成12年と刻まれていました。まだまだ20年しか経っていません。

その後ろの左右に配置されていた石の「常夜燈」、これが見るからに年月を経た重みを感じました。裏には「文久・・」と刻まれていた。
     
刻印が薄くなっていて、確認できたのは最初の「文久」だけですこれが本当ならば、この常夜燈の一番古い部分は最低でも156年以上経っている

凄いね石の建造物は、長い年月の風雨にも耐えて形を残すんだね。考えれば城の城郭、特に石垣などは残っている物が多いから納得かな

この神社の「狛犬の配置」も長い間更新が途絶えていました調べてある資料はあるのですが、細かい記憶が思いだせない

よって正確性が著しく劣るので・・その内に思い出しながら&補足再観察などを行い更新当てにならない「つもり」です

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ウォーキングついでに「新型コロナウィルスの撲滅&撃破」を祈願しています!

2020年04月11日 14時58分30秒 | 神社仏閣
今月に入ってウォーキングしながら、その地域に根ざした氏神or鎮守に「新型コロナウィルスの撲滅or撃破」を願ってお詣りしております

祈願が目的ではなく、あくまでもウィーキングのついでです。名のある大きな神社ではなく小さな社か地蔵尊に、参拝者が少ないと落ち着いて祈願できます

殆どの神社などは、最低限のご利益に「厄払い&無病息災&家内安全」などは含まれている筈だからたとえ少々違っても心を込めて祈れば通じる筈

最初は4月2日(木)に歩いた我が町の沼田方面で4年前に初めて,その存在を知った「八乙女神社」に参拝、ここは賽銭箱があり小銭でお願いス。

カメラを持って行かなかったので写真無し八乙女神社についてはこの記事中に載っております参照してね

※以下願い事の内容:まずは我が家族と一族を「猛威をふるう新型コロナウィルス」から守って下さいとの願いです。

-1)自分達夫婦2人と同居する次男&長男家族5人(嫁と孫娘3人)&仙台の長女家族3人(夫と孫娘)。そして自分の兄弟家族と甥や姪達(平塚&福岡居住)。

ー2)次に、この新型コロナウィルスの早期の感染拡大の終息。そして日本全国の方達と世界の国々の人々の健康もお願いしました。

この願い事の発端はウォーキングの帰路に、八乙女神社の鳥居前を通った時に突然思いついた事です。何もしないよりは、何かした方が良いと思い


2度目は4日(土)に小田原アリーナ近辺の桜を見に行った時、酒匂川CRの起点横にある「中曽根地蔵尊」でお願いしました、やはり小銭でのお賽銭です。

ここの「中曽根地蔵尊」の写真も無しなんせ歳なので失念した次第スよって
この11年前の記事中の写真を参照下さいヨロシク。


3度目は翌5日(日)に「小田原テニスガーデン」の西側の蛍田&蓮正寺方面をウォーキング、適当にブラブラ歩いていると住宅街の奥にが見えました。

なんと神社ですよ住宅と住宅の間の大人4人分くらい幅のの参道を入ります、拝殿には「正一位 足柄稲荷?大明神」の扁額が掛かっていました。
      
ここも参拝の人達が少なそうな神社?この少し侘しいような趣が自分は好きですね丁度小さな男の子と母親が、散る花びらを追って遊んでいました。

そしたら偶然にも、前日にアリーナ前の芝の広場でお会いした母子でした。母親の方から「昨日もお会いしましたね」と声をかけられてビックリですよ

こんな事もあるんですね、何かのご縁でしょうか?男の子は一歳と3ヶ月だそうです、母親は30歳前後かな?憂いを含んだ控えめな可愛いお母さんでした。

こちらもお賽銭箱がありましたので、2人ともに小銭でのお願いです金額の大小を問題にしないのが「神様」と理解しておりますので


4度目は昨日である10日(金)に「怒田運動公園」の小高い丘から適当にあぜ道を下り、下にあるお寺の墓地の敷地を横切り失礼しました

前の道を「洞川」沿いに西へ向かい、適当に左(南?)の方角の小高い丘方向にたぶん「アサヒビール神奈川工場」方面に行く筈と思ってです

予想は一番高い農道付近から一つ隣の丘の上に工場全景がみえた。途中から叉々畑を横切って舗装農道に到着、アサヒビールの裏手の敷地でした。

その舗装農道の一角に小さな社?祠がありました、その社は「山の神 神社」と記されていました。賽銭箱は無かったが、折角なのでお願いだけして来ました。

下の写真の「大山祗=おおやまづみ」って神社が愛媛県の今治にあるんですね。元々は山の神で、海の神でもあるとか?武運の神様でもあるらしい?

この神社の詳細は土台の横に刻まれていた、この銘盤を参照下さい。賽銭箱が無かったのでお祈りだけですが、大丈夫ですよね。


5度目は本日11日(土)に「小田原アリーナ」から「千代」方面にウォーキングしました。偶然って恐ろしいですね、叉々発見ですよ

帰路の「千代」?「桑原」?地名はハッキリしませんが、畑の中に小さなお堂が見えました石碑には「石原地蔵尊」と記されていました。写真は無し

お堂の中に3体の立像の地蔵尊が安置されていました。ご利益は「延命と子育」と書かれていました。お堂内には賽銭箱が備えてありました。

なので小銭でですが、上記の「願い事の内容」で祈願みな神様と地蔵尊ですから、小銭のお賽銭でも御利益がある筈、度量も大きい筈だし

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珍しい狛犬像と道了尊(大雄山最乗寺)の奥の院までの正確な階段数!

2017年12月23日 11時50分00秒 | 神社仏閣
いやいやブログの更新が少々滞ってしまいました細々とした用事もあり&18日(月)からの孫娘の2泊3日の預かりもありで暇がなかった

年末は保育園が28日(木)で休園、長女は29日(金)まで仕事、なので叉々2泊3日の預かりが予定されています。ま、可愛いから良いんですけどね

さてアップ内容は先週の冷え込んだ12日(火)の午前、大雄山最乗寺に久々に訪れてみました、紅葉の季節も訪れる機会が無かった

広い広い境内で、最乗寺関連以外にも種々雑多な社や祠が多数祀ってあります。素人のオイラには分からん事が多い、石碑も多数あり数え切れない

取りあえずは大雄山最乗寺の全景図など参照して下さい。お絵かきソフトが起動しないので言葉での説明になります

一番左上の小さなお堂が「奥の院」、その真下が「三面大黒殿」。その右上の大きな殿が「御真殿」です、天狗の大きな赤い高下駄が置いてあります。

まずは珍しい狛犬の紹介から。ここは全景図では「三面大黒殿」と書いてありますが、お堂の上の額には「三面殿」と書かれています

珍しい狛犬は右側の方です、よくご覧下さいな

では分り易くアップ写真など母犬のお腹の中に子犬が居ます、授乳させている狛犬像でしょうね。自分も初めて見ましたねこんな狛犬。
       
説明用の石碑には「全国でも珍しい狛犬像・・」と書いてあります。石碑の名前は「有難い狛犬」、数百年前に祭られた狛犬らしいです。

更に更にアップですどうでしょうか?本当に珍しい狛犬像ですね。まだ見た事が無い人は、参拝に訪れる機会がありましたら是非見てくださいまし。



御真殿の天狗の高下駄から西へ進むと「奥の院」への階段が待っていますすぐ横の説明碑には「三百五十余段・・」と書いてありました

この境内の高さからスタートです。

途中に3箇所ぐらいの踊り場風の平らな箇所があり、そして「奥の院」への真っ直ぐに続く階段の入口?両側には守護神?の天狗が睨みつけ威嚇しての出迎え?

ここまで愚妻と確認しながら登った段数は「132段」でした。

はい一気に続く最後の階段ですよ、けっこうキツそうな段数ですな流石に歳なので途中で息を整える為に2度ほど10秒弱立ち止まりましたよ。

で2人で確認した段数が「216段」、俗に言う煩悩の数の丁度2倍です。考えるに一段一段の高さを登り易くするために高さを半分づつにした結果か

で辿り着いた「奥の院」境内、ここまでが「348段」、数が足りないよと思ったら、本堂の境内に入る3段の階段があります足すと「351段」になります

で確認できてメデタシ、メデタシですバス停の茶屋から先の最乗寺の境内でも、細かに見学すると半日はかかりそうです、広い広い中に数多の神仏です。

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久々の大雄山最乗寺・・・そして「奥の院」への階段地獄へ挑戦!

2017年01月22日 08時18分00秒 | 神社仏閣
20日(金)は午後からは曇り空の肌寒い天気、時々小雨が降ったりと安定しない天気だった。処によりの予報も出て寒い

しかし健康管理の為にウォーキングをね行き先は数年ぶりに大雄山最乗寺(道了尊)に、無理せずに駐車場まではでね

20年ぐらい前に「奥の院」の階段を登った事を思い出したので・・たまには短時間だがキツイ運動も必要かと午後3時頃に歩き始め。

これが広い広い大雄山最乗寺の全景の案内図です。奥の院は一番左側の上に小さく書き込まれています、地図で見ても階段が多そうですよね


ユックリと歩きながら見物、ここは「結界門」の入り口、左右に天狗の像が建っています。お寺によっては「この先女人禁制」となっているらしいです。

大雄山最乗寺には右横に由来の碑が建っています。要約すると「・・御真殿の浄域である これより不浄のもの入るを ゆるさずという」と刻んであります。

左の天狗像は、子供のころに漫画で見た「鴉(烏)天狗」の様な顔?右は同じく漫画で見た人間っぽい「天狗」に似た顔をしていますよ
 

そしてここが華やかな色彩に包まれた「御真殿」です、正月の飾りつけのままの様です?普段はこの様な色彩の飾りはありません。

ここの下駄や天狗の面が飾ってある左側に行くと「奥の院」に通じる階段があるのです。

この両側に狛犬が設置されている門?から、その手前の11段下から階段の数を数えます。お寺なのに狛犬が居る?珍しいな~


次の左右に「天狗像」がある処までは132段登って来ましたここから奥の院本堂までは何段なの疲れていますよ


ここの天狗は鴉と人間の中間の様な表情ですね。左は剣の様なもので威嚇している形ですね、右は団扇を持って睨みつけて威嚇している形でしょうか?
 
ここから奥の院までは216段(愚妻)、オイラは215段?大した違いではありませんね。下の狛犬の11段下からだと合計348段かな?

全ての階段を数えたら500段ぐらいになるのか?そうそうここで大失態!肝心の奥の院を撮るのを忘れた・・

ハアハア息が切れ、膝がガクガクしていてそちらに気をとられ大失念しました!情けなや「高齢者」ですな

院内(堂内?)には十一面観音が祀ってあるらしいですよ、お賽銭を入れてチャントお願いをして来ましたよ帰りは建物の右横から山側に出ます。

稜線に沿って簡易舗装の道が下の駐車場まで続いています奥の院から上への道は「明神ヶ岳」への登山ルートになってる様です??

締まらない結末の「奥の院・・階段地獄」編でしたお粗末としか言い様がないね次に登る気力があった時に再挑戦しますよ多分・・無理

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そうそう、駐車場に着く手前からチラチラと雪が舞ってきたのですよ、寒かった寒かったでも仁王門の処では降っていなかった。



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神社の狛犬の配置・・・其の7/居神神社&矢作の浅間神社&曽比の稲荷神社!

2016年04月08日 16時33分00秒 | 神社仏閣
溜まっていた狛犬の調査結果を消化しないと・・・記憶が薄れてアップする気も失せるような

まずは小田原の城山?でR1沿い板橋の手前にある「居神(いがみ)神社」、昨年の11月末に老欅荘の紅葉を見に行った時に立ち寄りました。


長い階段を上って社殿の建つ境内に入ります、社殿の左右に狛犬が配置されています。何故か写真が傾いている様な?平衡感覚が可笑しいか


風格のある狛犬が鎮座しています、左は口を閉ざした吽形ですね、右は口を開けて威嚇している阿形です。
 
子取り&球取りではありませんね。

年月を感じる狛犬像と思っていたら「昭和3年」寄贈なんですね、この時点で87年経過していますよ。


次は今年の2月初めに行った小田原「矢作の浅間神社」、ここは参道両脇の桜が綺麗だったのですが、数年前に木が小さく切られてしまい桜も


ここは社殿のだいぶ手前(社殿境内の入口?)に左右に狛犬が配置されています。先ほどの居神神社と同じく灯篭は鳥居の脇に配置されていました。


やや小振りではありますが、左が口を閉ざした吽形の子取りで、右が口を開けた阿行の球取りです。
 
昭和6年と刻まれていました。左が雌で西、右が雄で東の配置は陰陽道に当てはまりますね

次も2月の初めに行った小田原「曽比の稲荷神社」、開成駅前を通る県720沿いにあります、栢山から開成駅に向かって500m手前ぐらいの左。


「曽比稲荷神社の縁起」です、ご参照くださいませ。稲荷神社と言っても此処は狐とは然程深い関係ではないのか?守護獣も狐じゃないしね


社殿の左右に狛犬と灯篭が配置されています、なかなかキッチリとした神社の格式を保っている様な社ですね。


左が口を閉ざした吽形の子取りで、右が口を開けている阿行の球取りです。ここも左右の配置は陰陽道と同じですね。
 
少し風化が見られる狛犬?獣を思わせる様な形相ですね、古い像に多いんですけどね獣然とした形は。昭和3年と刻まれていました。

この社殿前の屋根が少々突き出た箇所の支え?門?の立派な事素晴らしい彫りで飾ってありますよ

この境内は雑然としている?少し侘しいような気もしましたが・・・立派な社殿ですね、それなりの歴史の重みもあるんでしょうね。



地元の南足柄市の足柄神社か、鎌倉の腰越の小動神社を連想させる造りですよ。
 

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神社の狛犬の配置・・・其の6/井細田八幡神社&熊野神社&千代の三島神社他!

2016年02月06日 08時48分38秒 | 神社仏閣
最近の神社の狛犬の盗難事件のニュースを見て思い出した、昨年11月以降の狛犬の調査結果をアップしていない俺歳のせいかな

で急遽記事をアップ、11月始めに井細田から鴨宮近辺を歩いて調べた内容、最初は大雄山線井細田駅に隣接する「井細田八幡神社」。


社殿(拝殿)の前に灯篭と狛犬が配置されていますね、なにやら悪戯防止の為?か金網のカバーで囲ってありますよ


左が口を閉ざした吽形で右が口を開けて威嚇している阿形ですね。子取り&球取りはなし。
 
狛犬の台座には「大正5年」と刻まれているのですが、多分ですが狛犬自体はもっと新しい年代の物に替えてあると思われます?

この後は山王川沿いに下って中町の「熊野神社」に、歩いてみないと分らんですね、高い木が数本見えると神社かお寺です、良い目印になりますよ


やや小じんまりとした境内&それなりの大きさの社殿、其の前には小さめの灯篭と狛犬が配置されています。


左が口を閉ざした吽形で右が口を開いた阿形ですが、口の中は赤く塗られていない?塗料が剥げた?状態。
 
狛犬の台座には昭和17年と刻まれていました、多分?風雨に晒された劣化状態からその年代~昭和中期ぐらいの物?

以下、熊野神社熊の説明。境内には書いてある通りに、他に二つの小さな社が祀られています。


次は11月下旬にブサイク号でポタった時に調べた千代の「三島神社」です。大きな銀杏の木があり黄葉は上の方だけでした。


社殿の前に一対の狛犬が配置されていました、大きさは普通ですね。灯篭は配置されていませんでした。


左が口を閉ざした吽形で右が口を開いた阿行の玉取りです、吽形は子犬を抱いている筈なんだけどな
 
台座には昭和59年と刻まれていました、見るからに新しいからね。「陰陽道」では西側が子を抱いている雌、東側が球を持っている雄の筈

ここは吽形と阿形の狛犬像が正確には一対になっていない??子犬を抱いていない吽形に対して、阿形が球を持っているのは解せぬな

でも、もしかしたらオイラの見落とし?その可能性もあるので近い内に再確認します。その結果間違っていたら内容を訂正します。

ここは大井町の「神明社」、ふれあい館の横に祀ってあります。小さな社殿とやや小ぶりの狛犬が配置されています。


左が口を閉ざした吽形で右が口を開けた阿形ですね。年代は未確認ですが劣化状態から昭和の中期ぐらいの狛犬像でしょう?
 
こんな小さな社でも狛犬像が配置されている事に少々意外な感じも、もっと大きな神社でも配置されていない処があるのにね。

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