よたよたオヤジのポタ雑記

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守られていたのは本当は俺だったんだね・・亡き妻の存在感!

2024年12月19日 08時02分00秒 | 呟き

45年前に家族の反対を押し切って、家を飛び出して俺と一緒になってくれた妻。その時に守ってやらなきゃと強く思った。

妻と子供たちを守る=経済的に惨めな思いや、引け目を感じぬ生活を普通に送れる環境、そう思い懸命に働いてきたが。

育児と家事と家計のやりくり等で、家族を俺を守ってきたのは妻だったんだよね。振り返るとそう強く強く感じます。

子供たちが3人とも小学校に上がると、パートに出て経済的にも支えてくれた。3人とも高校と大学に通う頃になると。

毎朝5時に起きて子供たち3人分の弁当を作り、家事を済ませてパートに出て、毎日が忙しい日々を送り続けていた。

子供たち3人が大学に進学できたのも妻のお陰、その妻がやっと少し楽になったのが8年前にパートを辞めた時だった。

「もう疲れたから仕事辞めてもいい?」と切り出した時が限界だったのだろう?丁度60歳になる誕生日の半年前だった。

考えればその後は出かける時には必ず妻が居た、車での遠出ドライブの時もハイキングの時も、洋服等の買い物の時もね。

一人だと多少不安があるが、隣に妻がいると安心感があるんです。何かの時は一人じゃないと言う思いが大きいんです。

自分はファミレスなどに一人で入るのが苦手、そんな時は同伴者が必要になる。散歩の時も夫婦だと安心して歩けるんです。

要はもともと気が弱い?性格、初めてのETC使用時も大丈夫かいな?と不安感があったが、一人じゃないから何とかなる。

そう思える安心感が湧きます、そんな存在感を無意識に妻に求めていた?妻は多少は負担を感じていたと思えるんですが。

子供たちと喜多方へラーメン一泊旅行に行った時も、大人である妻が一緒だったから出来た遠出だったのは間違いないです。

何かあれば多少でも頼りになる人が傍に居る、そう言う安心感を持てる存在だったんですね。大きな大きな存在でしたね。

妻が亡くなって4ヶ月が過ぎました、より一層妻の存在感の有難さが身に染みます。毎晩妻には感謝と謝る事ばかりです。

この45年間弱の結婚生活で、俺が妻を守っていたのではなく、妻が俺を守っていてくれた事に気付かされました。

気付くのが遅すぎました今は、ただただ「感謝、感謝」を遺影に語りかけます、そして謝る事の繰り返しの日々です。

妻に対して悔いる事が多すぎた自分の行い、反省点ばかりの人生?こんな俺がまだ生きる意味があるのか?大きな疑問です。

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