アルルと言えばビゼー作曲、アルルの女。どんな女性だったんだろ?
アルルは晩年のゴッホが滞在したことで有名ですが、ギリシャの植民都市になって開かれ、のちにローマ人が街を造り、その遺跡が今も残っています。
歴史地区入口にゴッホのレリーフが。片耳がありません。墓標のようにも見えます。
円形闘技場と日産の車。オーナーはたぶんフランス人。
よく保存されています。中世に一階が商店、二階が住居として利用されたため、他の遺跡のように石切り場とならずに済んだとか。
中で日本人ガイドさんの案内を聴きます。
観覧席の後ろの見晴らしのいいところまで上がると、町とローヌ川が見えます。街の角はカフェになっていることが多いです。
あの向こうにゴッホの住んでいた「黄色い家」があったそうですが、今はもうないとのこと。
「夜のカフェテラス」に描かれたカフェ・ヴァン・ゴッホ。店の前にはモニュメントが。
市庁舎の中を通って行きます。
きょうは土曜日で市長さん立ち合いのもと、結婚式があるとか。花嫁さん出てこないかな。
アルル市庁舎前の広場
元は病院だったエスパス・ヴァン・ゴッホ。
中庭がゴッホ入院当時に復元されています。
ゴッホはここにいた短い間にたくさんの絵を残し、パリにうつった後、亡くなります。絵は、病院長の息子の代になってから、「狂人の描いた絵」としてほとんどが捨てられたそう。残念ですね。
上手に描いてやろうなんて邪心は露ほどもない、真っ正直なゴッホの絵。芸術の神様に選ばれし者は、生前、誰の評価も受けることなく、弟にだけ見守られて亡くなったそうです。合掌。
今ではそのゴッホが観光資源となっているアルル。
周りは土産物屋たくさん。カラフルな郷土菓子カリソン。
失礼して写真撮ります。
バスで20分ぐらいの郊外へ
跳ね橋です。
跳ね橋と言えばゴッホ、ゴッホと言えば跳ね橋。
「洗濯する女性がいない」と以前文句付けた人がいたそうですが、当時は川で洗濯していたのでしょう。
川の水運が利用されなくなり、跳ね橋は観光用に新たに作られたそうです。
近くにあった斑入りのアザミの葉。
アルルはゴッホで町おこしをしている小さな街。旧市街はこじんまりとして、歩くのに楽しそうです。
今日の宿はアビニヨンのイビススタイルシュッド。街中ではなく、郊外の幹線道路沿いにあります。
イビススタイルは全世界にチェーンを持つフランス系のホテル資本。ちょっとおしゃれなビジネスホテルのランクらしい。ヨーロッパらしい雰囲気はありませんが、使いやすいホテルです。木の下で眠るような壁紙と、アクセントカラーがおしゃれ。ここでは二泊。ゆっくり過ごせました。
ちなみに二人部屋をずっと一人で使っていました。
大きなレストラン併設のホテル。地元の人が週末、家族連れで食事を頼んでいました。
まずはウサギのテリーヌ。軟骨なども入ってそう。臭いと言う人もいましたが、私は出されたものはたいていのものなら黙っていただきます。
「食べものの文句を言わない、残さない」と厳しく躾けられた世代です。おいしくない、口に合わない、今は欲しくないと言えない性格です。よく冷えていたので、冷たさが初めに来て、味はそうわかりませんでしたね。
続いてメインが。フランスではplaプラと言うらしい。鶏肉だったかな。付け合せの白はアスパラガスではなく、白いいんげんでした。初見です。
洋ナシかリンゴのタルトだった。詳細失念。カスタードクリームでいただきます。素材の味をうまく引き出す正攻法。日本のケーキのような細工はありませんが、とてもおいしかったです。さすがフランス。
私たちが出るころは地元の人たちがたくさん食事に来ていました。8時くらいからが忙しそう。
朝は過不足なく。干しイチジクが珍しかった。トレイがオレンジ、ナプキンとマグカップは黄緑。日本人なら使わないポップな色。
でも不思議と目に優しく落ち着きます。そして元気が出るんだから不思議。
二階建てのホテル。私の部屋は一階。窓の外には中国原産、ヒイラギナンテンが。我が家の庭のより花は小さめ。
棘のある花や木は、人を近づけたくない場所によく植えられます。それはフランスも同じことのようです。
明日はゴルドとアビニヨンへ行きます。