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パリの街を一人で歩く

2014-04-20 | フランス旅行

午後からはまずオペラ座裏の豪華デパート、ギャラリーラファイエットへ。

パリで一番大きなデパートらしい。

地階の、日本人向け免税手続きコーナーでツアーは解散。いさざとなったら日本人スタッフがいるので安心。

天井のドームから光が降り注ぎ、豪華なデパート店内。

見下ろす。キラキラと宝石をちりばめたみたいな店内。うわあ~豪華。

三人で本売場まで行くが、私は欲しい本がなく、同行者もお孫さんのお土産の探していたものがない。私はさらに本を探したい。同行者は歩かずにこの付近で時間をつぶすというので、私は午前中に見かけた日本の書店「ジュンク堂」へ行くことにし、のちの再会を約束して別れる。

外へ出ます。オペラ座の正面へまわります。ロータリーになってます。

ちなみに息子のお嫁さんは一人でパリへ行ったことがあったそうな。昨日息子の家へ行ってその話になり、「パリではお寺さんの近くのホテルだったんです」と言うので、ん?お寺???パリにお寺・・・と不思議に思い「マドレーヌ寺院のこと?」と聞き返すと、「いえ、オペラ座です」とのこと。

お寺さんとオペラ座、ちょっと似てるが全然違う。私も老人特有の症状が現れ始めたと言うべきか。ずっと先で、いえいえ近い将来、「そう言えばあの頃から少しずつおかしかった」と言われるかも。

オペラ大通りを南下します。

ずんずん歩いて行きます。

フランス旅行前、パリには浮浪者みたいな人が多く、昼間から集団で取り囲まれて強盗に遭うなんて話を聞いていたので、見るからに旅行者らしい女一人、歩いて大丈夫かなと恐々だったけど、だーーーれも私に関心払わない。わき目もふらず、一人一人黙って、さっさと歩いています。

それなら話は簡単。この私だって歩くのは60年以上のキャリアあり。一人で黙って、さっさと歩いて行きます。

10分くらい歩いて、ピラミッド通りを右へ。最初の角にジュンク堂はあります。

「フランスの簡単な植物図鑑を探してるんですけど」と日本人スタッフに聞くが、扱っているのは日本の書籍、雑誌のみ。ガックリ。ここでサン・ラザール駅近くのFnacへ行けばあるかもと教えてもらう。場所は・・・今来た道を逆に行く。やれやれ。

右隣がmy bus社。日本語ガイド付き各種ツアー専門会社。JCBプラザパリも同居していて、とりあえず地下のお手洗いをお借りする。

歩いているとものすごく暑いです。フランスは暖かいです。日本で見た天気予報、最高気温が9度だったけど。

オペラ座通りのパン、マカロンなどの店。

どんどん歩いていく。本日は半袖Tシャツ一枚に薄手のコート。それでも暑い。寝るときも暑くて着るものがないので、この後、オペラ座近くのパリユニクロで9.99€で半袖Tシャツ買う。

 

ラファイエットまで戻り、隣のプランタンの前を通り・・・初めからこっちへ行くべきでしたね。約40分のロス。

フランスの国鉄、サン・ラザール駅前まで来ました。ここからはフランス北西部への列車が出るらしい(未確認)。

パリでは他のヨーロッパの都市と同じく、市中心部に鉄道は乗り入れせず、行先によって周辺の駅を使い分けます。

駅はこの他に時計回りに、北駅、東駅、リヨン駅(一時間バスを待った駅。フランスの南方面からの乗り入れ駅)、モンパルナス駅がある。鉄道をパリで乗り継ぐ場合には地下鉄などで移動するのだろうか。

日本の国鉄は早い時期に都市を貫く形に変えたので、東京でも大阪でもJRの乗り継ぎは同駅内で済む。ありがたいことである。

Fnacは駅前の複合ビルの中にありました。やれやれ、レジでフランス語と英語を交えて悪戦苦闘した結果、この本を買いました。

一冊9.99€です。ユニクロのTシャツと同じ値段。

 

複合ビルの広場で一休み。ガラス屋根から光が入る。ガラスの照明器具?がユニーク。

本を買ってさとて、今から美術館行くのも時間が中途半端。とりあえずセーヌ川岸まで行きますか。 

途中のインテリアショップ。 

セール中。日本家屋、エッフェル塔などの柄もあり。

マドレーヌ寺院の裏まで来ました。 

 

FOSHON本店前。カフェもあります。 

その前を通って 

こちらインテリアの店。ガラスか合成樹脂か分からないけれど、置物各種。 

 食器

シックな森の柄。

 

トラファルガー広場まで来ました。向こうにエッフェル塔が見えています。

 

広場に面してチュイルリー公園。この中にオランジェリー美術館もあるようです。この時にはオペラ座周辺にいるはずの同行者が行っていたとはつゆ知らず。

門横に飲み物など売る小さな店あり。有料トイレ併設。

セーヌ川、渡ります。

 

セーヌ川横の縦列列駐車。川には縦列係留

向こうはブルボン宮(国民議会)

再び広場に戻り、周辺は緑がいっぱい。

 

 

マロニエらしい。もう咲いてる。日本のトチノキの仲間。花はフリルが多い。

パリの四月、一人でマロニエの下を歩く幸せ

シャンゼリゼ通り。向こうの凱旋門は修復中。

街路樹はプラタナスとマロニエ。これ全部が歩道、両側の歩道はとても広い。

 

 

マドレーヌ寺院の前を通ってTonchet通りへ出ます。Maxim前。 

確か、高級レストランのはず。

昭和40年代、日本に出店したころは雑誌で特集が組まれるほどの話題になった記憶が。

食器の店や・・・

こちらは何でしょう。金と白のドアの取っ手周りがお洒落。

もう三時間くらいずっと歩いています。さすがに疲れました。

この後、オペラ座へ向かうカプシーヌ通りのコンビニ、モノップでチョコチップ入りパンとジュースを買って腹ごしらえ。

オペラ座至近、Inter-continental Le Ground Hôtel Paris。とっても高級そう。私のようなものが前を通っていいのかしら。

いえいえ、ホテル前は公道なので誰が通ってもいいはず。誰か有名人が出てこないかと思いつつ、誰も見かけませんでした。見かけても分からないけど。

ショップのガラスに映るパリの街。頑張れ、ニッポン人。フランスともそろそろお別れ。

やれやれ、戻ってきました。あちらは紳士、食品館。

午後五時、ギャラリーラファイエットの集合場所には、添乗員さんと一緒にホテルへ帰る希望者の五人が集まっていました。

今から地下鉄で帰ります。

ホテルは三号線終点のこちらの駅から至近。この後三人で食事に出かけ、楽しかったフランス旅行をあれこれ話し、大いに盛り上がったのでした。

その様子はこちら

http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/7e64ffb319bf565c05993d2714b76b96

半日、一人でパリを歩き、とても疲れたけど、とても楽しい経験でした。京都のように見どころが公共交通機関で行けるところにコンパクトにまとまっているので、女一人ででも楽しく街歩きができそうです。

いつの日か、また行けたらいいなあ。汲めども尽きぬ魅力がいっぱい詰まった都会の中の都会、それがフランスのパリでした。

フランス人は冷たい、英語で聞くと知らんふりするとよく言われますが、私の出会ったパリの人たちはみなさんフレンドリーで、こちらの言いたいことを根気よく聞いてくれました。

危ない町と事前に旅行会社からさんざん言われたのは、修学旅行前の注意とおんなじで、最悪の場合を想定してのことと思われます。

パスポートとお金、カードには気を付けて、パリの人の動きに馴染んでいたら、そう危ない目には遇わないと思います。

クレジットカードは持たない主義と言う人もいましたが、海外旅行にはカード必須。JCBは小さな店では扱わないので、VISAとかも必要です。カードは紛失して使われても、60日前にさかのぼって保障があるけど、現金はそれっきり。大金、持ち歩かないように。それに高額紙幣だと偽札かと警戒されます。

 いつかまた私はパリへ戻りたい。

Someday, I want to go back to Paris I also.

いえいえそうではなくて

Un jour, je veux revenir à Paris moi aussi.

フランス旅行記もあとは帰国だけになりました。終わるのが寂しいけど、最後までいろいろあって大変でした。それはいずれまた。

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ルーブル美術館エンドレス

2014-04-19 | フランス旅行

ルーブル美術館の弾丸見学、続きでございます。

天井だってとっても立派。何しろ元宮殿ですから。

その下を歩く世界中からの見学者。

サモトラケのニケは修復中。残念。

ナポレオンの戴冠を描いたダビッドの妻子。

この付近ではゆっくり鑑賞できます。

ダヴィッド、自画像。

ナポレオンの戴冠。大きな絵です。

天井まで絵がびっしり。

「カナの婚宴」の前で、社会見学中の子供たち。たぶんパリの子供達。

絵はルーブル最大の大きさで、キリストが水をワインに変える場面だとか。

「メデューズ号の筏」と子供達。

「民衆を率いる自由の女神」と子供達。この絵も世界史の教科書などでおなじみ。

ガイドさんに連れられて、あらあらいつの間にかまたまた彫刻の部屋に。

ミケランジェロの作品。未完。奴隷というタイトルが付けられている。

 

こちらも奴隷。初めはローマ法王の墓所の装飾として製作されたとか。静かに深い嘆きの姿。ピエタとも通底するミケランジェロの表現。

個人的好みを言いますと、私はダヴィンチよりミケランジェロが好き。芸術の構えが違う。ダヴィンチの絵は静謐、ミケランジェロは静から動まで守備範囲が広く、愛や悲しみや癒しや、いろいろな感情を呼び起こすものがすべて詰まっている。

当時の権力者がミケランジェロを取りあいしたのも分かる気がする。絵なんか描いたことないミケランジェロにシスティナ礼拝堂の天井画と壁画を描かせたのも、ライバルたちの画策だったとどこかで読んだ。(違ってるかもしれませんが)

場を与えられたら「できません」と引き下がらないのが、芸術家としての偉いところ。もっとも、当時は絵を描いたり彫刻するのは、職人の扱い。職人ならなおさら「出来ない」とは言わないもの。

最後、未完に終わったロンダニーニのピエタ。あれには泣けますね。泣くなんて、私の柄でもないけど。

人の一生は短く、残された芸術は永遠。

ミケランジェロとこんなところで出会うとは。何でもそろっているルーブル美術館。永遠の時間が詰まっているのがこちらの美術館。

フェルメールもあったけど、大芸術の数々を見るうち、少々のことでは驚かなくなる胆力でもできたのか、ああ、あるなあという印象。

一昨年でしたか、フェルメールが日本に来て、ちょっとしたブームになりました。神戸で見たけど、フェルメールは、確かドイツのドレスデンにもありましたね。あちこちウロウロしている私。

中庭。美術館内は写真撮り放題。フラッシュはどうだったかな。特に咎められなかった気がする。

出てきました。さて、この写真の中に人は何人いるでしょう?と言いたいくらいの大勢の人。

この後ミュージアムショップで公式ガイドブック日本語版と、マリーアントワネットの気分になれるゴブラン織りポーチ購入。


 お昼ご飯はエスカルゴその他でした。硬くてタニシのような味がしました。オリーブオイルたっぷり。まあ話のタネに。

エスカルゴは初めての人がほとんどなので、「前はもっとおいしかった」と思っても言わないように。(小さい声なら許す)

さて食事のあとはパリを一人で歩きまくりました。それはまた次回に回します。


名古屋で友人二人と遊び、息子の家にも行って昨夜帰宅。名古屋で一日目はホテルに。二日目は友人宅に泊めてもらう。

もう一人の友人は超早起きで、ホテルは別の部屋にしたものの、友人宅では同じ部屋。

朝の四時前に起きて活動始めるので私も目が覚めたが、また気合入れて寝た。今度また物音で目が覚めた時には、一時間も散歩してきたんだとか。いゃあーーー世の中には早起きの人もいるもんだあ。

昔、私の下宿で明け方まで話してたのにいつの間にそんなに早起きになったんだあ~。私は宵っぱりのままなのに。

いゃあ、この人とは絶対に同じ部屋に泊まって海外旅行には行けないなあと思った。

あちらはあちらで何もできなくて、外へ行くしかなくてとても窮屈だったと思う。生活時間帯の合わないのはいかんともしがたし。お互い歳とったなあと思う今日この頃。

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パリ二日目はルーブルへ

2014-04-16 | フランス旅行

いよいよフランス観光の最終日となりました。

午前中はバスで主なところを見てルーブル見学が一時間。食事した後、オペラ座裏のデパート、ギャラリーラファイエットの日本人向け免税手続きコーナーで解散です。

きょうは曇、雨は大丈夫そうです。

朝、8時過ぎ。ホテル前のロータリーはピザ屋さんの席が屋外にいっぱい。雨の少ないフランスは各地にこういう席があります。外がよく見える席の方がいい場所で、値段も高い店もあるそうです。

色の組み合わせが軽快。フランス的。

右、モノプリ。スーパーで開店は8:30から。昨夜水を買いました。500cc一本が1€でした。今日はまだ開いてません。

隣は軽食が食べられるスタンド。サンドイッチやパンに飲み物がありました。こちらはもう開いてるようです。

モノプリは結局、滞在中三回行った。フランスの珍しい食品、おいしいパンなど、スーツケースの重さを気にしながらいろいろ買った。

孫息子が帰国した日に遊びに来て、パリで買ったフランスパンを握って離さない。まだ歯がなくて噛みきれないのでイライラして低い声で「うーーー!!うーーー!!」と怒りまくる。横から小さくちぎったパンを口に入れてやると、バクバクとたくさん食べた。

男の子なので基本大食いです。次に来た時はでかい和菓子を全部食べた。バアちゃんびっくり。


 

えーー話がそれましたが元へ戻しますと。

同系色で花の色をそろえている。

ホテルと雪柳。


 さていよいよ市内を走り、ルーブルへと向かいます。

シャンゼリゼ通りは緑の幡の飾りが。右、ランセル。左の上は中国南西航空が入っていた。

ヴィトンの本社だそうで。

残念、ビル正面のLとVを組み合わせたロゴが写っていない。カメラをいつももう少し上に向けて構えないと。

ロータリーを廻ったり・・・

広場を通ったり・・・

セーヌ川の向こうは昔、駅舎。今は何かの博物館らしい。詳細失念。

ルーブル美術館に近づいてきました。

地下の駐車場でバスを降り、入館口へ。地下に光が届くよう、ガラス張りの窓が。逆さのピラミッドの形です。

まずは彫刻の部屋。窓が大きくて自然光で見学します。石は光で劣化しないので管理は楽なようです。

両性具有のギリシヤ神話の・・・とガイドさんの説明。13人ずつに分かれ、ガイドさんの案内で見どころだけを約一時間で見て回るという弾丸見学です。

女神と天使

途中はすっ飛ばして、何はともあれミロのビーナスの部屋に。こちらも自然光。

ビーナスは入口に顔を向けています。

ボーーーーと見上げてスリに遇わないように。各国語で注意書きが。

こちらからだと若い女性のようです。足は大きい。

何を見ている?

発見されたのはギリシヤのミロという小島。みんなが指で押さえるので、塗料が取れている。

1820年、ミロ島の小作農が発見、隠して持ってたのを当時ギリシアを治めていたトルコの役人に取り上げられる。

後にフランスの軍人がそれをトルコから買い取り、ルイ18世に献上、ルイ18世がルーブルに寄贈したそうです。

1960年代に一度だけルーブルを出て東京でで展示されたそうです。そう言えば、モナリザも一度来ましたよね。大変な騒ぎだったと記憶しています。

中国の若い人がたくさん。今は春休み。それにしても日本の若者を全然見ない。

国の勢いが違うのかも。残念。

横から。あり得ないくらい頭が小さい。でもバランス取れてるから不思議。

女神礼賛。

 

背中側から

肩がえぐれているのが痛々しい。

骨盤しっかり。

襞はだいぶすり減っている。

ミロのビーナスって、誰がいつの時代に見てもきっと、美しいものとして認識されるのでは。両腕が欠けていることで、限りなく想像力を刺激されるし、無駄のない造形は見る人の心にまっすぐ届く力があると思う。

その力は自分の中のいろいろな思いを呼び起こす。初めて社会科の教科書で見た時のことや、それからの何十年かのいろいろなことを。

硬質な美しさは永遠に問いかけ続ける。お前は何者か、何をしてきて、これから何をしようとするのか。

すみません、東洋の名もない(名前はあるけど、名前が残るほどのことをして来なかった)女です。もう二度とここへ来ることはないと思うけど、永遠に残るものは何か、本当に大切なものは何か、少しだけ分かった気がします。

信念を持って歩いていく・・・というごく当たり前のことかな。うんうん、そうだ。後悔のない人生を歩いていく。それしかないんだと。

おやまあ、愚にもつかないことをグタグたと。


 

続いてモナリザ、ナポレオンの戴冠などへ行きますが、それは次のお楽しみに。

先日、近所の友人にお土産渡し、フランス旅行のことをちょっと話した。彼女はご夫婦で某阪●交●社で行ったとか。

「ルーブルなんて40分しか見なくて、革製品の店も40分もいたの。でもまあ、行ったことにはなるから」と言っていた。

値段を取るか、観光を取るか。人それぞれ。まあどちらがいい悪いではないと思います。彼女は近々ドイツへ行くそうですが、広島→大連→北京→ドイツ(多分フランクフルト)というコースらしい。値段聞いたらものすごく安かった。で、実にいろいろなところへご夫婦で行かれてるそうなので、それもまあ一つのやり方。

ちなみ今回参加したツアーはお店への拉致は一カ所だけ。ベルサイユ入場の時間調節でした。そのぶん朝の出発もゆっくりの日が多かったですね。

ツアーで行く土産物店は高いことが多い。街のスーパーや市場で買い物するのが、私の場合はずっと楽しい。スーパーはニースで一度。パリで三度。コンビニはパリで一度行きました。パリではユニクロも行く。暑すぎて着るものなくて、半袖Tシャツ買った。やれやれ。

 

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いよいよパリへ

2014-04-15 | フランス旅行

ベルサイユからパリへは21キロ、45分の距離です。わが地元で言うなら宮島口~市中心部くらいの距離。

川のほとりへ出ました。セーヌ川らしい。夕方5時、まだ明るいです。

郊外の高層ビルの向こうにエッフェル塔が。

どんどん近づきます。

いよいよ近くへ。大きいですねぇ~

対岸の絶景ポイントへ。観光客がいっぱい。

クリックで拡大

Tシャツに絵葉書など、土産物の屋台。

こちらは袋物など。後ろのビルが立派。

写真撮ってあげるとしつこく言われるのでまず後姿を。

はい、これがエッフェル塔でございます。きょうもウィンドウブレーカーを。セーターは暑くて着られない。

来年の年賀状写真はこれで決まりかな。何か芸をしないと、気恥ずかしくて。

バスに乗って今夜の宿へと向かいます。賑やかなパリの街です。

どんどん街外れへ。ホテルは地下鉄三号線の北の終点すぐ。台湾資本の大きな宿。

近くにスポーツセンターがあるのかな??

テレビ番組?

パリの人

人は左、車は右。自転車も車道に降りて。

広い部屋です。

窓の外はホテルの裏で、大型バスなどの駐車場に。

部屋は暑くてたまらない。窓はワイヤーで固定して開かない。火災のときだけ開けることと英語とフランス語で書いてたけど、あまりの暑さに二日目には持参のハサミでワイヤーを切って外気を入れた。

誰だあ~フランスが寒いって言ったのはーーーーー!!!

お茶セットもあるけど暑いので、冷ましてから飲む。

洗面所も広い。

夕食はホテル一階レストランで。女性はドレスアップしている人も。私もちょっとだけ着替えて、足元パンプス風の靴で。

海外旅行には皺にならない薄手のワンピースやチュニックブラウス、本物でなくていいからちょっと派手目のアクセサリーなどがあったらメリハリ聞いて楽しいかも。

どこも暖房しているので屋内で寒いということはまずないでしょう。薄着で大丈夫。

スーツケースの整理をする気になってつい夜更かししてしまった。スーツケースは最終日まで決して整理しない。次からは絶対にそうしよう。

スーツケースいじってたらおやまあ、23時に。日本は4月3日朝6時。リアルタイムでニュースやっている。

日本の放送は契約して視聴できるとのこと。パリでは16チャンネル。

翌朝、日本では見たことない朝の連続テレビ小説まで見てしまった。こちらはパリの8時からやっていた。

あすはいよいよパリの最終日。明日のために今日も寝る。おやすみなさいZZZZZZZ

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ベルサイユで豪華さに酔う

2014-04-15 | フランス旅行

旅行も7日目、早寝早起き、あれこれ考えずあなた任せもだいぶ慣れてきました。

きょうはモンサンミッシェルから348キロ、約5時間かけてパリ近郊のベルサイユまで行きます。途中渋滞もなく、正午にはベルサイユに着きました。

お昼は中華です。普通の中華でした。

落ち着いたきれいな街です。

入場時刻が決められているので、このあと時間調整に日本人経営の総合土産物店に行きます。宝石やブランドバッグなどがありましたが、欲しいものがないので、あっても買えないので、淋しく皆さんの買い物を待ちます。

1860年製の蓋。日本だと江戸末期。明治維新の7年前。

こちら電話線。

バスを降りて歩いて宮殿に向かいます。

宮殿のウェブページ。日本語版 http://jp.chateauversailles.fr/jp/the-palace-

庭を見ます。広大です。ずっと向こうまで庭です。

正面の池のほとりにはブロンズ像が。

1682年製のようです。

ほらほら、池に落ちるからこっちにおいで。

今から見学です。

豪華な部屋が続きます

聖書の一場面でしょうか。説明聞いたはずなのに完璧忘れています。

ルイ14世?だったかな(違うかも。自信ありません)。古代風の衣装を身に着けています。

大理石の模様がまたすごい。

豪華。フランスの宮殿に余白の美というものはない。

シャンデリア

鏡の間は、先ほどの庭がよく見える宮殿正面。広すぎて長い廊下のよう。

第一次大戦後の講和会議が開かれ、ベルサイユ条約が締結されたのもこの宮殿ですよね。

豪華さを笠に着て、ドイツに巨額の賠償金をおっかぶせ、ドイツはものすごいハイパーインフレに。そこからナチスが出てきて再び対戦が起きた歴史の教訓にかんがみ、第二次世界大戦では敗戦国は賠償金は課せられなかったのではないでしょうか。

人間は言葉で過去を記録し、過去の過ちから学べるはず。過去から学ぶことはいつの時代にも大切。最近の日本人、学びを忘れていませんか。

戦後の日本の諸改革は、どこの国にもできなかった理想の民主主義を実現するための実験みたいなものだったと私は思う。

例えば今、他業種から農業に参入するのは地域の農地委員会の許可が必要。これは寄生地主制に再び戻らないために施策でありましょう。と、ベルサイユ宮殿から連想は広がります。駄文深謝。

鏡は築城当時、とても高価なものだったと思う。燭台も当然純金でしょう。どれだけお金かけたら気が済むのかと、おばさんは呆れる。

王の寝室。金ピカ。

中国人観光客がとても多い。しかも若い人が。今、国の勢いがあるんでしょう。

我が国も若い人が小さくまとまらず、外国へ出て見聞を広めてほしい。

ここで毎夜舞踏会。贅沢。

豪華、と言うしかなくて他に言葉を知らない。

マリーアントワネットの寝室。布は劣化するので何度か修復されたことでしょう。

左の金ピカ箪笥は、宝石箪笥だそうで。あれにいっぱい宝石持ってたんでしょうか。凄い~そりゃフランス革命も起きるはず。

天蓋。豪華さてんこ盛り。人間が考えうる最高の豪華さとでも言いましょうか。

ベッドヘッド部分。王妃はバラが好きだったそうです。

上はバラにクジャクの羽にライラックに・・・と花尽くし。

頭の後ろにはMとAのイニシャルが。

参考画像。

ルーブルのショップで自分用にポーチ買いました。写真見てようやく、デザインをパクッたのだと気が付きました。枕元に置いて寝たら私も王妃様???

出ました。いゃあ、豪華絢爛だった。イギリスのウィンザー宮殿も豪華だったけど、ベルサイユはとっても繊細なデザインを積み重ねて、全体として豪華さを出している印象。装飾すべて、考えられる限りの豪華さを追求している。

情報の多い時代の私達でもびっくりするのに、明治時代、初めてヨーロッパへ行った人はどんなにか驚いたことか。負けないように近代国家をつくらなければと、固く誓ったはず。

日本には石の建物はないので、何百年と持つ堅牢なものは出来ませんね。煉瓦の西洋建築もほとんどなくなっているし。と彼我の文明の違いをひしひしと考えさせられた。

ベルサイユ宮殿、二度も見る必要はないけど、一度は見てた方がいいのかもしれない。

このあとパリへ行ってエッフェル塔を観ますが、それは次回に。See you again!!

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モンサンミッシェルのたそがれ

2014-04-15 | フランス旅行

この日の見学はモンサンミッシェルだけ、対岸の島から二番目に近いホテルに泊まります。

小さなホテルです。エレベーターはありませんが、荷物はドアの前まで運んでくれます。パック旅行のありがたいところ。

アルルでしたか、60代の日本人ご夫婦、私たちのツアーのガイドさんにホテルの場所聞いていました。お二人とも荷物引いてバス停か駅から歩いて来たようです。困難のあとには達成感があるとしても、疲れる旅はもうできないなと思う今日この頃。

これは翌朝7時50分頃、北の方なのでまだ薄暗いです。

前日夕方、川の土手からホテルを見たところ。裏側シンプル。真ん中が出入りできるドアで、土手に上がると、この写真では左方向にモンサンミシェルが見えます。

どの部屋からも見やすいようにベランダ付き、しかも右へ行くにしたがってベランダが張り出しているという心憎い設計。

私の泊まった部屋は、下の階のドアの右へ三つ目の部屋。静かでいい部屋でした。

フランス、たそがれ、ホテルの小部屋。

掃出し窓はヨーロッパでは珍しいのでは。ベランダに出られます。カーテンの代わりのブラインドは電動式で、枕元に操作盤があります。

部屋は狭いながらも使いやすくお洒落。いえいえ、狭いと文句言ってはいけません。きょうも一人で使います。

夕方になるとこんな感じです。夜はライトアップするので、いいカメラを持つ人は写しに行きましたが、夜道は怖いのでパス。

モンサンミッシェルの環境問題についてはこちら。

http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/cb88ebdbc2a67f15236213219d7006be

長い目で見ると自然環境をよくすることでしか、観光地としての将来はないと思う。えらそげですみません。

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世界遺産モンサンミッシェルへの道

2014-04-14 | フランス旅行

トゥールはロワール渓谷の中心都市で、お城巡りの起点でもあるようですが、ここは泊まっただけで観光しません。駅に近い小さなホテルでした。

観光5日目、きょうはノルマンディーのモンサンミッシェルへ行きます。ツールからは266キロ、四時間半かけて行きます。

途中のSAで一度休憩、イチジクジャム入りお菓子、2.85€を三個買います。ユーロも高くなっているので、頭の中で150倍にします。

フランス語が喋りたくて、レジでこれ下さいと言ってみる。Ça, s'il vous plaît・・・サ、シルヴプレ・・・わあ、言ったあ~

がしかし、その言い方でよかったんだろうか。あとはbaggage pleaseと英語で。何でもpleaseで済ます。

今年はノルマンディー上陸作戦から70年、近くに記念館があるらしい。SAにパンフが置いてあり、簡単なパネル展示もあった。第二次世界大戦の趨勢を決めた作戦、欧州の歴史の節目として、今も人々の記憶に残り続けているのだろう。

見えてきました。牧草地のかなた、特徴ある島の形。

ん?羊かな?

こちらは牛。のどかな牧草地の横をツアーバスは走ります。

近づいてきました。島全体が要塞のようです。

朝、ツールを出てもう昼前です。とりあえず、名物のオムレツ料理の昼御飯です。

泡のようなのは卵の白身を泡立てたもの。その上から薄焼き卵風のが掛かっています。

向かいに座った人が、「ここのほんとのオムレツはこんなんじゃない」とおっしゃるので、なんか食べにくく、残してしまいました。

確かに生の白身は石鹸の泡食べてるみたいでした。本当は全卵をよく泡立てて半熟くらいに火を通すらしいですが、一度に大勢のツアー客、なんちゃってオムレツかも。卵アレルギーの方はご用心。

menuはフランス語でセットメニューのこと。各種あります。

隣はスーパー。牛の産地らしく、看板牛がお出迎え。

店はお土産中心。夕食前、孫息子の涎掛けとイワシの缶詰(ひまわり油、トマト味)を買いました。

可愛い目

寝そべってます。

草原になってる。

いいお天気です。あの先がモンサンミッシェル。車は乗り入れ禁止で、手前の駐車場からホテル街を経由して無料のシャトルバスが出ています。

着いておりました。左はシャトルバス。歩いても10分くらいかな。

正面から見たところ

 

オムレツの有名店。昔、巡礼者に料理を出す店だったとかで、今はモンサンミシェルにいろいろな店やホテルを持つらしい。

門を入り、狭い通路の両側は土産物店がぎっしり。我が実家地方のこんぴらさんを思い出した。石段登るのも同じ。

この店は16世紀頃のものらしい。木組に風格がある。

軽食各種。こんぴらさんで言うと、参道のうどん屋みたいなものかな。ユーロが安いときならよかったんだけど、今はそう安くないかも。

だいぶ上がってきました。振り向くと海。

この上の広場で添乗員さんが入場のチケットを配り、一人いないことが発覚。一人参加のあの人だと大騒ぎになり、血相変えて階段を駆け下りる添乗員さん。しばらくして「いない」とまた駆け上がってきた。男性一人も一緒に探しに行ったのか、あとから帰ってきた。

いなくなった一人参加の男性が、先に建物の中に入っていたのを誰かが発見。「あーーーあそこ!!」と見上げて呼び戻した。

やれやれ、男性が下りてくるまでに、添乗員さんは「みなさん責めないでください」と気を遣っていた。待ったのは10分くらい。大したことにならなくてよかった。一人なのでうっかりはぐれたのだろう。

と、そこまではいい。そのあとその人はまたツアーから離れて愚図愚図している。

「私はそこはもう見たからいい」ですって。最後尾にいた私は「皆さんが心配するから一緒に行きましょう」と声を掛けて連れて行った。なかなかにユニークな方だった。

いやあ、団体ツアーは窮屈だけど、それだから短い期間でフランスの各所を廻れるというもの、飛行機だって普通に買ったら、片道がツアー代金全額くらいする。全員で気持ちよく旅行しないとね。

私も木や花を見るとつい遅くなるので、気を付けなければと思います。人のふり見てわがふり直せでございます。

元々は干潮時だけ歩いて渡れる島だったらしい。道路を付けたことで潮の流れが替わり、現在周辺は2mも砂が溜まっているとか。

高架式のトリムを造り、道路を廃止する工事が延々行われています。完成は何時のことでしょう。

何よりもがっかりしたのは海の水がとても汚いこと。下水みたいな匂いがします。世界遺産になって、環境の為にはよくなかったのではないかと思います。

中は回廊があったり

地形を建物に組み入れてあったり、

民家も少しあるようですが

道は狭く人は多く

モンサンミッシェルにやや食傷気味な私

自由に楽しめないのがとっても窮屈。やや閉所恐怖症の私。

クッキーはけっこう安い。7.5ユーロとかそんな感じ。

キャッシングもできます。日本で両替しなくても現地通貨を現地でキャッシングすれば為替手数料は要らないそうですが、フランス語の分からない私は難易度高い。もちろん英語表記も自信ありません。

ああ、あの日の不勉強が今になってこんなところで祟るとは。

振り返ると要塞みたい。新教と旧教の宗教戦争の時代には、旧教側の拠点になったらしい。フランス革命のあとは牢獄として使われたこともあったとか。今も少数の修道士たちが修業しています。

寺院は修復工事中。

浅瀬に高架の軌道を作る。いつできるのだろう。

フランス式だから、ガツガツしないのかも。

夕方、ホテルから川の土手へ出てみました。潮が満ちています。

もうすぐ日暮れ。

ここまでアップしたら疲れたので残りはまた明日。see you again


 

本日の教訓。

パックツアーは必ず団体行動で。旅行をよくするも悪くするのも一人一人のちょっとした心がけ。

出された料理が期待外れでも、前来た時の方がよかったとしても、それを食べるしかないんだからあまり文句言わないように。(小声でちょっと言うのは許す)。旅行をよくするのも悪くするのも一人一人のちょっとした心がけ。

我が身のこことしてもって瞑すべし。 

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ロワールからツールへ

2014-04-13 | フランス旅行

えー、さらに旅は続きます。

旅行から帰ってもう8日が過ぎましたが、ブログの更新に追われ、あちこちにお土産を配り、その間に孫も二回遊びに来て、忙しいです。

昨日やってきた孫娘は「おばあちゃんと食べようと思って」と、きのこのチョコの小袋を持ってきました。

「ありがとう、おばあちゃんはいいわ」「食べて。おいしいよ」

ウルウル、子供の言葉って宝物みたい。ありがたく一個頂く。

「もっと食べて」「もういいよ」「いいから食べて。おばあちゃんと一緒に食べようと思って持ってきたの」・・・さらにウルウルする私。

「このチョコどうしたの」「お母さんが買ってくれたの」

きょうはお母さんは来ません。息子が二人を連れてきました。息子ものんびりしています。お嫁さんも家でのんびりしていることでしょう。まあこんな日もあっていいでしょう。

昨日は上の孫にニースで買ったプロバンス柄のワンピースを、下の孫にはモンサンミッシェルの刺しゅう入り涎掛けをやりました。

「**ちゃん、この服大好き。お母さんが見たら嬉しい」と最大限に喜びを顕す孫娘。ワンピース一枚でこんなに喜ぶなんて、祖母の方が感激した。

成人式まで生きていて、振袖作ってやろうかしら。この間の古い着物であんなに喜んだんだから、どんなに喜ぶことか。いえいえ、その頃はもう祖母の出る幕はありますまい。

すみません、愛情ダダ漏れ、人様には面白くもなんともない話で失礼しました。歳取ると自制心もなくなるようで、心の括約筋も鍛えようと思います。


パリから南西へ約176キロ、バスで二時間半走り、シャンポール城へ着きました。

フランソワ一世が狩りをするために造り、ルイ14世の時に完成。敷地は広大で、東京23区内だったか、山手線内側だったか、そのくらいの広さ。今も野生のシカなどがいるとか。

バスを降りて城へ向かいます。

 クリックで拡大。端正な城です。

敷地は広大。あのずっと向こうまでこの城の庭です。

内装は最近作られたらしい。

ベッドなどもそれらしく。

同行者が写真撮ってあげると言うので断りきれず、パンフで顔隠す。

名所旧跡をバックの写真撮る趣味は、なぜかない私。

毎日暑くて着る服がない。この日は素肌に、メッシュの夏用登山服と薄いウインドブレーカー。それでも暑い。

後ろの塔だったと思うけど、ダヴィンチ設計の二本のらせん階段が絡み合うように塔屋まで。お互い決して交わることのない不思議な階段。

日本でも、どこか東北の方に栄螺堂と言うのがありましたよね。

城は大きいだけで、人のいた気配がないので、ちょっと退屈だった。中を見学するより、遠くから見た方がいいのがフランスの城なのかもしれない。


 

ほらね。きれいですね。

お城の周りの風景がまたいい。こちら敷地内の運河。向こうは堰になっていて水量を調節している。左側には小さなホテルがある。

水ぬるむフランスの春。

おや、何してるんでしょう。

ボートを引き上げているらしい。観光シーズンも間近です。

橋を渡って・・・

遠くまで行ってみたいけど、パックツアー中の身には願っても詮無いこと。せめて胸いっぱいに春の空気を吸い込んでみる。

体が元気で、こんなに遠いところまで来られた。そのことをまず感謝しよう。快く出してくれた夫にまず感謝。自営業で家を空けられない身、それでもいつかはヨーロッパに二人で来たいもの。

サイクリング

橋と城

春の水辺

ホテルと桜

真ん中が私たちのツアーバス。日向に停めていたバスはすでに暑くなっていた上に、走るうちにさらに暑くなる。

ドライバーさんはこのバスに乗るのが初めてだそうで、エアコンの入れ方が分からない。暑がりの私は耐えきれずに夏用登山服一枚に。だれだあ~フランスが寒いと言ったのは~暑くてたまらない。

そのうち路肩に停めてあっちゃこっちゃいじっていてけど、ツールに着くまで結局エアコンがきかずに、車内は炎熱地獄。25度はあったと思う。皆さん大人なので、言っても無駄なことは言わない。言っても不愉快になるだけだから。

私は一人で「お金とって人を乗せてるんだからね。プロの仕事と言えんでしょう」とブツブツ言っていた。すみません、周りの皆さん。気分悪かったでしょう。なにとぞお許しを。


 

1時間ほど走ってツールの街へ着きました。世界史的には「ツールポアチェの戦い」ですよね。あれ、何でしたっけ。

端正な街並み

ロワール川に陽が沈む。印象派の絵みたい。

街中の小さなホテル。壁紙がおしゃれ。ここには一泊だけでした。いよいよ明日はモンサンミッシェルへ行きます。

そのあとはベルサイユとパリ、旅もいよいよ終盤です。

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フランスの新幹線TGVでパリへ

2014-04-13 | フランス旅行

フランスへ来てはや四日、ずっと地中海沿岸を観光していましたが、31日日曜日、TGVに乗り、一気にパリまで北上します。

ツアパンフーの謳い文句は「パリまで約700キロ、バスなら約10時間かかるところを列車で約3時間のラクラク移動。車窓からの風景もお楽しみください」で、9時ホテル発、列車内でお弁当を食べるはずが、実際は7時出発、午前中にパリに着きレストランで食事となってました。

まあその方がいいんですけど、このあとアクシデントの連続で、添乗員さんは大変だったと思います。ありがとうございました。

ホテル発7時、アビニョン駅には15分ほどで到着。ピンクのおしゃれなバスはこの時だけでした。

きょうから夏時間、昨日までの6時過ぎ。まだ夜は明けきらず、肌寒いです。でもツアーの皆さんは元気いっぱい。

アビニョンは小さな駅です。

8時14分発のパリ行き直行便に乗ります。パリへは11時前に到着。パンフと違ってパリのレストランで昼食です。いよいよ華の都パリへ。ワクワク。

スーツケースはポーターさんがTGVの荷物専用車両に積み込んでくれるので、自分で押して歩く必要はありません。楽ちんです。発車までまだだいぶ時間があります。

ちなみにここでは乗るのをサポートする日本人ガイドさんが来てくれました。近くに住んでいて、請け負って仕事をされるのでしょう。これも安心です。

チケット貰っていったん解散。

ここのキヨスクで私は息子のためにフランスの地図、

フランスの自動車雑誌を買い、ついでに駅備え付け、無料のルートマップ、時刻表などを頂く。

雑誌と地図、どちらかが6€、レシートもう1枚紛失。2つは同じくらいの値段。と記憶しているんだけど。。。。

駅舎は丸みのある三角屋根。お洒落。柱は見当たりません。力をうまく両端へ分散するのは教会建築も同じ。やっぱりヨーロッパだなと思う瞬間。

ホームへ上がります。階段ではなくて緩やかなスロープ。これならベビーバギー、車いす、足腰の弱い人にも優しい。目からうろこ。日本では出来ないのかしら。

振り返ったところ。改札口は特になかったような気がする。人について行くと、ことほど左様に人任せ。それはツアーのよくないところ。

ホームも駅舎と一体化。列車が来たらホームへ出ます。

来ました、来ました。朝靄をついて顕れたTGV列車の雄姿。ホームの先端でカメラを構えて待ちます。人の撮影の邪魔になったらいけないのでしゃがんで。

蛇足ながら、ツアーでは写真撮る場所をお互い譲り合いたいもの。以前、中国のツアーに行ったとき、旅行写真を撮るのが趣味のご夫婦、撮影ポイントにつくと、持参の三脚立てて自動シャッターでご夫婦二人で写真撮っていた。どの観光地でもきわめてまめに、真っ先に。その間ずっと他の人はそのご夫婦の終わるのを待っていた。…というようなこともありました。

もちろん誰も文句は言いません。お互い嫌な思いしたくないですもんね。嫌なことは心に納めて、当たり障りない話をして旅を続けます。

今回のツアーは旅慣れた人が多く、写真撮りまくったり、お土産買いまくったりと言う人は少数派でした。日本人の海外旅行マナーも成熟してきたようで。 

乗ります。

列車はフランスの田園地帯を北へ向けてひた走ります。日本と違って窓ガラスは掃除不充分、窓越しの眺めは靄がかかったようです。

備え付けの雑誌にフランス国内の路線図が。

定刻に着きました。

途中の駅で連結したのかも。

ヨーロッパの駅は大きな屋根がついているのが何となくかっこいい。旅情いっぱい。パリは寒いと覚悟してたけど、暖かい。

と、ここまでは極めて順調。

・・・・・しかし・・・・駅の外の大型バス発着場へ行くと、後半の観光用のバスが来ていない。焦る添乗員さん。人任せの私たちは立ったまま、無駄話をして過ごすこと約一時間。やっとバスが現れ、乗車。

「チェコ人のドライバーさんで道に迷ったそうです」との説明が。プロの運転手が駅の場所が分からないなんて、あるんだろうか。ひょっとしたら、まだ冬時間のつもりだったのでは。と私は思ったのですが。

誰かが迷い子になって待つのならツアーも険悪になってたけど、まずはよかった。やれやれ、早速レストランへ行きます。

ビジネス街にあり、出るころは仕事が出来そうなフランス人がどんどんやって来ました。きれいな店です。

前菜は生ハムなど。全員の飲み物は、待たしたお詫びにとJTBさんの驕り。初めてロゼ飲みましたが、私はやっぱり赤が好きかも。

メインはフィットチーネに鶏肉。クリーミィなソースがまたよかった。

私は今パリにいるんだあと、それだけでeast endのおばさん感激。

Pに停まっているあのバスで午後からはロワール地方の古城へ。


 

ロワール川は大西洋からの暖かい風が吹き込み、パリに近いこともあって昔からたくさんのお城が築かれたそうです。その中の一つを見学に行きます。

途中は「フランスの庭」と呼ばれる、田園風景が延々と続きます。

一面の菜の花

牧草?

また菜の花

遠くに集落

白い花は何高速道路からでは確認できず。

サービスエリアで。グリコからライセンスを取り、フランスのLUという菓子メーカーが作るチョコポッキーはその名もMIKADO(帝)。イチゴポッキーは(ZEN)禅と言うらしい。フランス人のエキゾチズムが奈辺にあるか、その一端が伺えて面白い。

帝と言えばその昔、猪瀬直樹氏の労作「ミカドの肖像」と言うのを買って読みましたね。長くて長くて、で、結論は何なの、中心部はemptyというのは、帝だけではなくこの本も???と思ったのを思い出した。

著者も若く、私も若かった。今は長い本は根気が続かない。猪瀬氏の立件は難しいのだろうか。お金に色はついてないから、よほど証拠がないと公判を維持できないのかも。

すみません、横にそれました。

羊がいます。この付近はもうブドウは作ってないようです。ロワールの古城はいずれまた。see you again!!

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アビニョン

2014-04-12 | フランス旅行

ポン・ティ・ガール見学の後、アビニョンへ行きます。

アビニョンはフランス民謡「アビニョンの橋の上で」・・・踊る、踊る、輪になって踊るよ・・・で、また、高校世界史には必ず出てくる「教皇のアビニョン虜囚」で、耳に残っている街です。

ローヌ川に架かるサン・ベネゼ橋と、右は教皇庁宮殿。

川岸のごみ箱

12世紀に架橋、現在は途中までしか残っていません。また橋の下で踊る歌詞が、日本語に訳されるとき橋の上にとなったそうです。

教皇庁前の広場

ローマ教皇がここにいたのは1309年から1377年まで。当時はフランク王国の力が強く、教会が屈服するという背景があったとか。(大昔に習ったけど、もう忘れていた)。

建物は質素な旧宮殿と豪華な新宮殿がありますが、内部の装飾、壁画などはフランス革命の時に破壊されたそうで、内部は基本的にはがらんどう、何もありません。

広場の反対側

広場で大きな風船を作っています。

風船に喜ぶ子供たち。フランスの春、アビニョンの春。日本にいる孫たちのことをふと思い出します。いい子してるかな。

人が住んでいた気配はとうになくなっています。建物は窓が少なくて、暗くて息苦しく、冬はとても寒かったと思う。

暖かいローマからここへ来た教皇、何を思っていたのだろう。

塔の近くまで登れます。

アビニョン、旧市街。

バチカンには比ぶべくもないけれど、一時は繁栄した町。

金の天使像

先ほどの広場を見下ろす

写真は嫌いだけど、同行者が撮ってくれた。

広場

郷土人形、サントン人形を売っている。

こちら帽子屋。

ジャム

マンホール蓋。シンプル。

プラタナスの綿毛。空中を浮遊していて、ややアレルギー気味。

日本ではプラタナスは秋に強く刈り込むためか、花を見ることはない。フランスのプラタナスは高く伸び、春に花ガラが落ちるのだろうか。


 

ポークだったかな。レモン味のさわやかな味だったかな。ソースはどれもバランスがよくて食べやすかった。

シンプルなチョコレートムースはやっぱりソースが。お皿がおしゃれ。

これで観光の四日目まで見ていただきました。あと三日分あります。気長にお付き合いくださいませ。

 

 

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パリで食事

2014-04-12 | フランス旅行

旅行の記録、日を追ってあげているけれど、なかなかパリまで辿り着けません。ちょっと飽きてきたので、ここらでちょいと一休み。

最終日の夜は食事がついていません。

「日本から持ってきたオカキを食べる」とか「カード使わない主義なのでお金が心配」という意見もありましたが、レストランへ行くことにしました。

ホテル近くのカジュアルレストランです。夏時間の夕方6時はまだ明るいです。

看板。これならわかりやすいですね。

メインplatプラと飲み物で12.90€、前菜entreeアントレとメインplatまたはメインとデザートdessertデセールで17.90€、三品で21.90€です。

前菜とメインが各4種、デザートは6種類、その中から選びます。

店の入り口に店員が立っていました。

「We have no reserve,O.K?」と聞いたら「I don't understand wha't you say」ですと。もうおーーガックリ。

でも店に入って何となく席に座ったらメニュー持って来てくれました。フランスではcarteカルトと言うらしい。

で、看板の料理が写真入りで載っています。分かりやすいです。ホテル前なので、外国人客を想定したメニュー表なんでしょう。

こちらフランス語はほとんどできない。片言の英語と身振り手振りで料理を決める。ついでに三人ともグラスワインの赤ね。

vin rouge ヴァンルージュと言ったら通じた。ばんざーい!!

さらにパンかライスか聞いてきた。びっくり。当然パンです。

まずは前菜。野菜サラダ。大きな深い器にあふれんばかり。横のマヨネーズ風ドレッシングに付けて食べる。

食べても食べても減らない。ものすごいボリューム。恐れ入りました。

続いてメインは肉がいろいろあったけど、魚にした。魚はなんでしょう。白身魚をソテーしたものに、さっきと同じ器に隠元がどっさり。日本のスーバテー買う三袋分くらいが一人前。恐れ入りました。

魚は鯛でもないようだし、でもあっさりして美味しかったです。

アイスは単品で頼めば4種類の盛り合わせ、でもセットメニューでは2種類を選びます。ピーチとアーモンドにしました。

これもかなりの量です。その他にパンは例によって食べ放題。ワインはどこへ行ってもおいしかったけど、パリ最後の夕食のワイン、グラスにナミナミと。

三人で「よかったーー注文できたーーー、安くて量も多くておいしいねぇ」と喜びまくって食事しました。食べ終わる頃は店はざっといっぱいになりました。右隣は年配のご夫婦、左は私たちと同世代くらいの男性です。

レストランにレジはありません。テーブルのところで清算します。

L'addition, s'il vous plaît. ラディション、シルヴプレと言うと計算書持って来てくれます。

一人ずつ払いますはChacun paie sa part, s’il vous plaît.シャカン、ペィ、サ、パール、シルヴプレです。

私たちがフランス語が聞き取れないので、奥へ行って一人分の金額を書いたものを持って来てくれました。一人当たり27,50€の食事でした。夜の値段としては安くあげられたのではと思います。

何よりもお店の人もお客さんも私たちにとても暖かく、私たちは外国からのお客さんにこんなに親密な態度が取れるかなと反省しました。

旅の恥はかき捨てと言いますが、もう二度と行くことはないとしても、外国では次に来る同朋のために、いい印象を残しておくことが大切と思いました。私たちが親切にしてもらえたのは、今までこの店へ来た日本人が無作法でなかったからでしょう。

どの国とでもいろいろと国同士は問題を抱えてしまったりしますが、一人一人の友好の気持ちは忘れてはいけないなと思ったのでした。

こうしてフランスの最後の夜は暮れようとしています。

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フランス南部の木と花

2014-04-11 | フランス旅行

???

???

Laurier sauce ローリェかも。自信ないけど。もちろん野生。

日本のハマナスのようでもあり。

ツゲの仲間?

草丈10センチくらいのスイセン。原種かも。ギリシヤ神話のnarcissusナーシサス、うつむいている花姿ならあり得ると納得。

株になっているところも 

ローズマリー

Orchis pourpre 直訳すると紫蘭 日本ではランプレアという名前がつくらしい。

山中に黄色い花が。草丈は短いけど、これはヨーロッパ原産のIris des marais(キショウブ)に違いない。水のないところでも頑張っている。野生ですね。感動。

Euphorbe reveil-matin トウダイグサ 

カシはいろいろ 

ヒイラギのような葉。これもカシ。珍しい。

Taubouret des champs ? グンバイナズナ?

Fumeterre officinale カラクサケマン 日本でもよく見るムラサキケマンに近い。

白花も。

???

サトイモ科のなにか。花を見たいものです。

多肉植物も。

オリーヴの古木

葉は大きいけど

木肌は日本のウバメガシによく似ている。この付近は暖かくて乾燥したところのようです。

全体

と、とても楽しく山道を歩いたのでした。木と山野草の大好きな私は嬉しくてたまりません。

地中海式気候に少し湿潤な気候をアレンジしたような、とても豊かな土地のように思いました。

旅の最終日、パリ市内、サンザラール駅近くの大型書店Fnacで、でこんな本を買いました。一冊9.99€でした。

あまりたくさんは載ってないけど、ヨーロッパ固有の植物にはやはり惹かれます。

世界は広く、全てを見て廻るには人生はあまりに短く、お金も有限。でもここで珍しい植物に出会えたことを私の人生の宝物としよう。 

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ポン・デュ・ガールで植物観察をする

2014-04-10 | フランス旅行

ゴルドを出てさらに山の方へ向かいます。

着いたのは川のほとりの建物。ポン・デュ・ガールの入場券売り場です。添乗員さんがチケットを買います。

向こうに橋の威容が見えてきました。

フムフム。

けっこう流れの早い川です。

その前に橋の見えるレストランで昼食。野菜たっぷりのサラダ。クリームチーズのカナッペも。美味。

サフランで色付けした米、野菜の肉詰め。野菜はパプリカとズッキーニ。ボリューム、味ともにけっこうでした。ちなみにどのレストランもパンは籠盛りで出てきてお代わり自由。お皿の横の方に置き、ソース(お皿の汚れ)をふき取りつつ食べる。

デザートはラズベリーのケーキ。ソースが美味。むむむ、太るなあ~。フランスツアーは食事がいいなあ~


食後に橋を見学します。

紀元前19年のローマ統治時代、ユゼス山地の水源からニームという町に水を引くため、約50kmに渡り、導水路を建設。高低差は50㎞の間に僅かに17m、水が滞りなく流れるよう、平均して1kmあたり24センチの勾配を付けているそうな。

当時、水は川の水面上の49mのところを流れていた。コンピューターのない時代に構造計算をし、重機のない時代に長さ275mの三層の橋を掛ける。。。。当時の技術水準の高さにただ驚くばかり。

最下層は元の橋と同じ高さに見学用の橋がついています。歩くのはそちらです。

改めて巨大さにびっくり。

最上段の水の通っていたところは、事前に申し込むと通れるそうです。入り口を覗いています。


 

希望者は、さらに橋が見下ろせる高台へと山道を登ります。そうでない人はビジターセンターへと向かいます。バスが待っています。

私は高台へ。ここからは楽しい楽しいヨーロッパの植物観察~

名前のわからないものがほとんど。やっと探したのも間違っていると思いますので、当てにしないでください。

ヒナギク   Pâquerette  南欧でよく見る花。落ちているのはブナ科の何かの葉。名前不明。

 

 セイヨウネズ Genévrier commun 日本のネズミサシに比べて葉が長くまばら。

とここまで書いたら夜も更けてとても疲れてきたので、あとは明日以降に。いろいろと珍しい木や花がありました。乞ご期待。

 

 

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美しい村、ゴルド

2014-04-09 | フランス旅行

もう一つのカメラの画像も。

昔は水はどこから?他人事ながら心配。

広場

反対側

看板

見上げる

石畳

地形と建造物の一体化

見上げる

遠景

地層と建物

南側の広場から遠くを見る。風景独り占め。

フランスの春。プロバンスの春。

花も咲いて

ツートンカラーの菜の花。日本では見たことない。

住むには車必須。

カフェ。

ゴルドへ来て、フランスの田舎町をいろいろ巡りたいと思ったのでした。いつか行けたらいいなあ。

 

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中世の残る美しい村、ゴルド

2014-04-09 | フランス旅行

観光も三日目、フランスにもだいぶ慣れてきました。景色も建物もどぎつい色がないので、心が落ち着きます。

ホテルを出てゴルドへ向かいます。バスの中から撮るのでピンボケです。お許しを。

向こうは校庭らしい。校庭に糸杉!!さすが南欧。

プロバンスの田舎を走ります。あんなところをゆっくり歩いてみたいなあ。

ブドウ畑と一軒の農家。

山道を上がって、絶景ポイントですと言われたところで降りる。うわあーーーと声が上がり、各自で写真を撮る。

中世の城塞都市がそのまま残っているゴルド。

頂上近くの広場まで連れて行ってもらってバスを降りていたら、係員が怒った顔ですっ飛んできた。

「ここはバス乗り入れ禁止!!」とか言ってるらしい。「すみません、すぐどきます」とか言ってるらしい。下の駐車場から坂道を上がるのはきつい人も入るはず。分かってて停めたのかも。

狭い村なので各自で見学。「迷ったらとにかく上へ。この広場に着きます」とのこと。なるほど。

狭い路地を降りて行きます。古いヨーロッパのそのまま残った眺め。なぜか幸せ。同行者ともどこかではぐれてしまったけど、お互い探し合わずに自由に歩きます。

少し降りてまた引き返します。石の道に石の擁壁。はるばるとやって来たフランスの片田舎で、幸せをかみしめるおばさん一人。

近くの街からバスは一日二便だけ。鉄道なし。田舎のようです。

花の名前は? Valériane rouge ベニカノコソウと言うらしい。オミナエシの仲間。分布はヨーロッパ南部、イギリス中南部など。

建材は地元調達。色はベージュ一色。

散歩道。

石積み。

細い路地

何の花?

観光客が増えてきました。きょうは土曜日。

行き止まり?それとも奥に何かある?

広場横の土産物屋のご主人は添乗員さんとも顔なじみ。私もいろいろお土産を買いました。

ラベンダーの蜂蜜。蜂蜜好きの夫に。500g入りで重かった。容器は実用的なプラスティック。7€、多分安いと思う。

白いのは密封したガムテープ跡。

小さな石鹸各種。蜂蜜、バラ、オリーブ、ラベンダー入り。

駐車場まで歩いて下ります。もうすぐです。このあと、ローマ時代の水道橋へ行きます。

 

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