5日の日に詩人で元信州大学教授の加島祥造さんが老衰のために亡くなられました。
8年ほど前にたまたま本屋で見つけた本 タオ 老子
もう一度読んでみました。
当時はあまりぴんとこなかったような感じだったが、今はかなりよくわかるようになった。
タオ=道 道は道徳の道でもなく 生きていく道でもない、混沌としたところから生まれていく大きな心でもなく自然でもなく
大きな流れ、うまくは表現できないが宇宙ということだろう・・
老子をわかりやすく現代語で詩にして書いた作品。
抜粋
たかが知れた社会なんだ
ぼくらはひとに褒められたり貶されたりして
びくびくしながら生きている。
自分がひとにどうみられるとか、いつも気にしている。しかしね
そういう自分というのは本当の自分じゃなくて社会に関わってる自分なのだ。
天と地の向こうの道に
つながるもうひとつの自分がある。
その自分にもどれば人に嘲られたり褒められたって、ふふんという顔ができる。
・・・・
たかが知れた自分だけれども、社会だって、たかが知れた社会なんだ。
もっと大きなタオの命につながってる自分こそ大切なんだ。
その方の自分を愛するようになれば、世間からちょいとパンチをくらったって平気になるのさ。
真の自分は社会の自分とは違う自分・・・・
大きな流れの中で競争というのはいかに無駄なものかというのを感じます・・
冷静に考えて競争してる自分は自分ではなくなってるなと今までのことを思い出しながら考えます、いったいなんで競争するのか??
という疑問まで行き着いてしまう、極論から言えば社会が人間を支配するためのシステムとしての競争ともいえるのか・・
自分を向上させるのだけでいいのではないか、そこに競争はなぜ必要なのかと考えてしまう、競争があるから進歩する?
果たしてそうなんだろうか?昨今のいろいろな事件すべて根底に競争というものがよこたわっているように思えます。
東芝 旭化成 マイナンバー アレコレノ殺人事件 ブラック企業 うつ自殺 不正会計 脱税 究極は国家による戦争
すべての元は競争にある?ほどのよさ・・ほどほどに 小欲 必要以上は持たない 人をねたまない ・・
いろいろ考えると人間本来は競争という概念はなかったのではないか・・原始時代はなかった
これは人類の進歩なのか後退なのか?
いろいろ考えてるとわからなくなる、ただただ仕事では競争してるふりをするだけで競争なんてしていませんというところだろう
考課査定?査定する人はそれほど人間ができているのか?人が人を評価するそんなに人間は傲慢な生き物でもないけどね。
競争は美徳だ、この考えは遠い昔に捨ててきた、捨ててくるとすごく楽なものだ。
株価がまたまた下落、年明け大以降、中国上海市場は7%ダウンのストップ発動が二回 日経平均も17000円台に
そろそろ世界の大バブルがはじけるのかカウントダウンしてきたのではないか・・たぶんリーマンショック以上の大不況の到来でしょう。
とくに日本は異次元の金融緩和 GPIFの株価下支えでの官制相場の中 引けて来たら足が速い 日本のバブルもはじけるのも今年末には
起こるのではないか
話がそれた・・・老子 タオノ の道からしたらなんと現代はあぶない時代なのだということです。