KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

牧野博士がこよなく愛したバイカオウレン!

2025年02月26日 | 四国の山

昨年は2月8日に佐川町の牧野公園加茂バイカオウレンを見に奥さんと出かけてきた。今年も楽しみにして

いる奥さんの期待に応えるべく、開花の情報をチェックしていたのだけれど、なかなかいい便りが聞こえてこな

かった。すると20日にアカリプタさんと一緒に香川の山友3人が出かけていた写真を見ると、そこそこ咲いて

いる写真が写っていた。アカリプタさんによると5~6分咲きとの事だったが、写真を見るが限りでは奥さんを

連れ立っても、恐らく満足してもらえるだろうと思って、二人が休みを取れる今日出かけてきた。

但し前日まで高知自動車道の川之江JCから大豊までは雪のため通行止めの情報。ずっと気を揉んでいたけれど

午後にはなんとか解除になり、そのまま今日もタイヤ装着の情報にもなっていなかったのでGO!

途中の立川PA辺りではまだ周りには雪が残っていたけれど、路面の状態は乾いていて問題なかった。

 

 

佐川町に着くと松山街道沿いに5・60台は駐車できそうな無料の駐車に停めて歩き始める。駐車場のすぐ横に

ある四国銀行の佐川支店には数年前に高松でお世話になった支店長が転勤で在籍していたので、中に入って軽く

挨拶をする。突然の訪問にえらく喜んでくれ『春の桜の季節もそれはそれは見事なのでぜひ来てみてください』

と仰った。支店長と分かれた後牧野公園へと土佐鶴の酒蔵が並ぶ風情のある道を歩いて行く。

酒蔵の漆喰の壁には高知県の独特な『水切り瓦』が取り付けられている。高知の激しい風雨から漆喰の壁を守る

役目で、2段3段と付けられているのを他でも見かけることがある。

 

 

酒蔵の横を緩やかな坂道を登って行くと正面に青源寺の石段。その横を過ぎると道沿いに今度は保育園がある。

園内の運動場では園児たちが元気に遊んでいた。保育園の運動場を回り込むようにして続く道。その保育園の

運動場の南端が牧野公園の入り口となる。

 

 

公園の入り口からは坂道が少し急になってくる。するとすぐにベンチの上に牧野博士の愛用の帽子と採取用のカ

バンのオブジェが置いてある。ベンチを過ぎると会議や宴会のできる座敷棟がある。その建物の反対側の花壇に

はいろいろ貴重な山野草が植えられていた。

直ぐに目に飛び込んできたのがセツブンソウ。春の訪れとともに咲く小さな可愛らしい花だが、私たちの前に大

きなカメラで熱心に写真を撮る男性の姿があった。白く和紙のように見えるのは実は花びらではなく萼片だそう

だ。その萼片に守られるように中にある黄色い部分が花びらで、さらに中の青紫色の葯が雄しべで薄紫色の突き

出た部分が雌しべだそうだ。やっぱり花って難しい!

 

 

 

 

座敷棟からくねくねとした坂道を登って行くと、道の脇には植えられた植物の名前が書かれたネームがあちこち

に挿されているが、いまはほぼどの植物も枯れて花も咲いてはいない。すると道の少し下に白い球状の実のよう

なものが見えた。近づいて見るとミツマタだった。

 

 

他にも公園の道沿いにはいろいろな種類の桜が植えられていて、花が咲いた時は見ごたえがありそうだ。今日は

ウォーキングも兼ねての花散策。公園の頂上まで一応歩いて登り、頂上から下って行くと、今度はこれも春を告

げる花、福寿草が咲いていた。ただ寒さのせいか日当たりのせいか、まだ花は開いてはいなかった。

 

 

福寿草の咲く場所から少し下るとバイカオウレンが咲いている。ヒノキの林床に小さな小さな花が一面咲いてい

た。でも花が小さすぎてきれいにピントが合わない。先週加茂のバイカオウレンを見に来ていたアカリプタさん

カマタマさんの写真を見ると、羨ましいドンピシャちゃんとピントが合っている。今度ご一緒した時に教えを

乞うことにする。

 

 

 

 

バイカオウレンの写真を奥さんも熱心に採っている。最近のスマホはほんときれいに撮れるので、びっくりする。

最近まで古いスマホを使っていた奥さんも、新しいスマホに買い替えてからは、きれいに撮れるので満足げだ。

バイカオウレンの咲く森からすぐ横の牧野博士のお墓に手を合わせ、また座敷棟まで降りてその横のトイレで用

を済ますと、トイレの横でカメラを構えた男性がいた。

近くによって見てみるとユキワリイチゲの花が咲いていた。早春の風が吹くと花が咲くと云われる風の花。この

花も他の花と同じでスプリング・エフェメラル(春の妖精)だ。

 

 

 

公園を出て保育所の横まで来ると、行きには全く気付かなかったが道の反対側にもユキワリイチゲが咲いていた。

 

 

牧野公園で春の妖精たちを見た後は、いよいよ加茂バイカオウレンへ。その途中でお昼ご飯。昨年立ち寄った

おばあちゃんと息子さんが営んでいた『まる美食堂』に今年もと思っていたが、朝その前を通った時に定休日の

看板が上がっていた。仕方がないのでまきのさんの道の駅にある西村商店へ!

以前に西の奥様たちと高知市内の本店に寄ったことがあるが、このお店はとにかく定食のメニューが豊富で、いつ

も大勢の人で賑わっている。

 

 

 

ご飯とお味噌汁のおかわり自由ですと店員さんに言われて、魚の出汁が効いた味噌汁が美味しくておかわり。つ

いでにご飯もと欲張ったらお腹がパンパン!そんな膨れたお腹を抱えていざ加茂のバイカオウレンの里へ!

昨年同様集落活動センター加茂の里に車を停める。週末の混雑を避けて平日にしたのだけれど、予想通りすんな

りと車を停められた。受付で入園料を払うとボランティアのおじさんおばさんが『初めてですか?』と聞いてき

た。『昨年も来ました』と言うと、『それじゃ道順は分かるわね』『去年よりは随分咲くのが遅くて、花も小さ

いような感じがする』と教えてくれた。センターの前の道路を渡り踏切を渡って民家の間を山の中へと入って行

く。脇の畑に季節外れの稲わら立て。藁で囲って霜などから野菜を守っているのだろうか?

 

 

山の中のコンクリート道を歩いて行く、奥さんにとっては結構な急坂だ。後ろから息を切らせて歩いてきている。

すると道の脇に切株をチェーンソーで作ったチェーンソーアートが置かれていた。

『去年、こんなのあったかな?』と奥さん。色褪せ具合から今年の作品ではないようだ。

 

 

 

急坂が終わり緩やかな下り坂になると横断幕がかかったバイカオウレンの森の入り口が見える。

横断幕の手前から一方通行になった道へと入って行く。

 

 

ヒノキの林床に白玉のようなバイカオウレンが散りばめられている。やはり気持ち昨年よりはまだ咲いている数

が少ないように見えた。近づいて見ると数センチの短い茎に白い花をつけている。この花もセツブンソと同じ

く、白い花びらに見えるのは萼片で、花びらは黄色い小さな部分だそうだ。

 

 

 

この場所は林床が平らではなく、大海原の波のようにうねり変化があり、その中で緑の苔とバイカオウレンの白、

そしてこもれびを受けた木々の陰影が何とも言えない雰囲気のある気持ちのいい空間だ。

それにしても昨年よりはうまく写真を撮ろうと思ってきたけれど、腕が悪くて思ったような写真が全く撮れない。

写真の難しさをほとほと感じる。

 

 

 

バイカオウレンを堪能した後はその先にある苔庭に。ここにはチェーンソーアートの森の住人と小さな小物が苔

が敷き詰められた林の中に置かれていた。こういったものは女性はお好きなようで奥さんも嬉しそうに写真を撮

っていた。

 

 

 

 

 

加茂のバイカオウレン鑑賞の後は帰り道にある芋屋金次郎でジャージー牛乳とムラサキ芋のミックスソフトを頂

く。その後市内に入って最近知った山中賞で有名になったTUTAYA中万々店に訪問。山中賞といえば毎年二

回、四国最大級の書店、TUTAYA中万々店のカリスマ書店員、山中由貴さんが、半年に一番おもしろかった、

どうしても読んでもらいたい本を選んだ賞でその知名度と注目度は全国クラス。興味を持ったのはその山中賞に

最近読んだ芥川賞の受賞作品の『バリ山行』が選ばれていたからだ。バリとはバリエーションルートの略で、普

通の登山道から外れて歩く社内の先輩に主人公が惹かれていく話で、時々藪コキして歩く人間にとっては身をも

って理解できる状況や心情を、楽しく読めた作品だった。

店内は広々としていて、その中で色々工夫したPOPやコーナーがあって賑やかで楽し気な空間だった。特に『

この店で一冊も売れていない作品を買ってください!』というコーナーは思わず噴き出した。

 

 

受賞作品には手書きでフリーペーパーを作って店内で配っていた。バリ山行は手元にあるので違う受賞作品を買

って店を出た。

最後ははるのの湯でほっこり。今年の春も花めぐりで私の株価をどんどん上げていく予定なのだ!

 

 

 


幸せになりたくて、幸山・福山へ!

2025年02月22日 | 四国外の山

 

前日急に用事が入ってスケジュールを入れ替え、さてさてどこに出かけようかと考えていたら、YAMAPに

『さゆさゆさん』が、岡山の総社市の南にある幸山・福山を歩いた活動日記をアップしていた。そこには大きな

大きな岩の上に立つ写真が載っていた。その巨岩は幸山福山の間にあるらしい。そして色々調べてみると、こ

の二つの山を一度に登ると幸福となると誰かが書いていた。さらに調べてみると近くにある他の三座を含めて、

周回している人がいた。『よ~しこれだ!二つの山を歩いて幸せになるぞ!』そう思って出かけてきた。

 

スタート地点は『清音ふるさとふれあい広場』の駐車場。車を停めた駐車場の横のテニスコートでは、朝早くか

ら結構年配の方が賑やかにテニスをしていた。ただし車のメーターに映された外気温は零度ちょうどだった!

公園の中、グランドゴルフ場や広場の横を通って山際まで歩いて行くと『福山を歩こう』と書かれた地図と案内

板が建っていた。その横の池には氷が張っていた。

 

 

 

遊歩道の入り口から階段をひと登りするとまた大きな案内板。そこには『幸山から福山へ、幸福の小路』と書か

れていた。そうこんな時は案内板をしっかりと確認するべきなのだが、最初の一座目は福山の西側にある軽部山

と決めていたので、キャッチフレーズも見ずに適当に案内板を眺めて、そこから一旦南に向かって下って行く。

急な坂道を下り山の中から集落の中を適当に県道に向かって歩いて行く。

 

 

県道469号線に出ると倉敷方面、浅原峠に向かって坂道を歩道の上を歩いて行く。途中歩道の横の広場のよう

な場所に何台もの車が停まっていた。なかには車からザックを下ろして担ぐ人の姿があった。YAMAPには

の横道南コース登山口となっている。その駐車場からしばらく登って峠の手前で歩道の脇にチェーンがかかった

進入路がある。その進入路を山に向かって登って行くと舗装が途切れるので、その場所の右側が軽部山への取り

付きになる。

 

 

 

取り付きからは落ち葉かたっぷり積もった道を、木の幹に巻かれた赤テープを目印にしながら登って行くと15

分ほどで軽部山に着いた。周りは木々に囲まれて見晴らしはないが、二等三角点 黒田 244.05mが足元に

あった。先ほどの登山口駐車場に停まっていた車の台数はかなりの数だったが、地元の人はこちらに来る人はあ

まりいないように感じた。

 

 

山頂から折り返して県道まで戻る。この県道は総社市から倉敷市に抜ける道なのか、けっこう車が走って行く。

峠から歩道の反対側に渡って山へと入って行く。すると右側には広々とした霊園。GoogleMapには浅原霊園とな

っている。Mapではポイントを押さえると概要が横に出てくるが、その中には24時間営業と掲載されていた。

確かに年中無休・24時間営業なのだが・・・・。(笑)

 

 

墓地の上をその奥の市街地を眺めながら登って行くと登山道になる。道の脇には先ほど見たのと同じような案内

板やベンチが置いてある。YAMAPの地図もこの案内板でもいろいろなコースがあって、特にYAMAPの地

図には福山を中心に縦横無尽にルートが設定されている。香川の里山でもこれだけルートがある山はなかなか無

い。(無理やりルートを造っている里山はあるが、正式な登山道として)それだけに地元の人に愛されている山

なのだろう。

 

 

歩く人が多いせいか軽部山と違って、道の落ち葉も踏み分けられていてちゃんと地面が現れている。ただ先ほど

軽部山でも見かけた小さな杭が道の真ん中に続いていて、軽部山では落ち葉に隠れて何度もつまずきそうにな

った。町境でもなさそうなのに何の杭なのか?

 

 

 

逆に『文部省』と彫られた大きな杭は倒れてしまって、道の脇の木に括りつけられていた。福山山頂からすると

南側になるのだが、何故か『西16』と書かれたプレートが木に打ち付けられている。この先でも何カ所か同じ

ようなプレートをこの先も見かける。(オリエンテーリング?)

 

 

地形図に福山城跡と書かれた場所で、登山道から少し脇に入って行くと展望所になっていた。ここまで来るとさ

すがに上着を脱がないと汗を掻いて暑い。遠くには水島のコンビナートの煙が見える。

ベンチに腰掛け上着を脱いで、水分補給をしていると女性が一人やってきた。地元の方らしいので、この後の

から和霊山・由加山までの様子を聞いてみた。道は福山から下って行く感じで、残りの二つの山は眺望がない

との事。

 

 

 

福山城跡の展望所から山頂は直ぐだった。色々と石碑が建つ中を歩いて行くと、段々になった山城跡らしい山頂

ではベンチが置かれて、何組かの人たちが腰掛け休んでいた。南に開けた場所のベンチでは老夫婦が景色を眺め

ながらのんびりと何か話をしていた。

南には倉敷の市街地。少し視線を東に振ると岡山の市内が見渡せた。

 

 

 

 

広々とした広場になった山頂にも大きな石碑が点在している。神社の跡だろうか1対の狛犬が向かい合って並ん

でいた。その先はまた展望が開けていて、今度は総社市の市街地を見渡すことができた。

 

 

 

 

展望所の横の東屋には時計が掛けられ、テーブルを囲んでベンチが並んでいる。地元の人たちがこの場所でお茶

やお菓子を広げて寛いでいる姿が目に浮かんでくる。これだけの眺望だと山城のロケーションとしてはバツグン

だろう。自撮りで写真を撮った後、次の和霊山へと歩いて行く。

 

 

 

 

広場の先に『野口 健』さんの名前を書いた杭。そこには総社市観光大使と書かれていた。野口さんと総社市の

関りは分からないが、平成21年から市内の小学校で毎年『環境学校』を開催して、環境についての講演や清掃

活動、そして実際に里山登山を行っているらしい。

山頂広場を過ぎると先ほどの展望所で話した女性に教えてもらった通り下りになって行く。

 

坂道を下りきると参道のような場所に出た。石柱の奥には屋根瓦が見えた。

愛媛の宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとされる神社だが、拝殿の横には絵馬殿を兼ねた城壁のような神門。そ

の下には参道の石段が続いていた。

 

 

 

神門をくぐると拝殿までの廻廊がある。山中に合って、こじんまりとはしているが格式を感じられる神社だ。

 

 

 

和霊山は拝殿の東奥が取り付きになっていた。ピンクのテープがなかったら分かりにくい場所だった。その取り

つきから少し歩くと和霊山。周りは木々に囲まれてピークらしくなく、山名札がなければ通り過ぎてしまいそう

な場所だった。

 

 

和霊山からもしばらくは下り坂が続く。陽だまりの気持ちのいい竹林を過ぎ、さらに歩いて行くと可愛らしく飾

られた山名札のかかった由加山に着いた。山の中にある木の枝や石をオブジェにして飾っている。そう言えば同

じような感じのものが三頭山にも飾ってあったな。

 

 

 

その横には手作りの木箱の中には、女の子が大切にしまっているような小物?が置かれていた。ここまで途中の

道はあまり歩かれていない様子だったが、この場所を大切に思っている人がいるのだろう。

 

 

 

時間はもう少しで12時。そろそろお腹が空いてきたが、ここや和霊山よりはせっかくなら眺望のいい福山まで

戻ってお昼にしたい。写真を撮った後すぐに折り返す。

福山和霊神社との間の鞍部まで戻ると、道は西に向かって二手に分かれていた。その一方の道標に猿田彦神社

と書かれていたので、その左側の道に歩いて行く。

すると青年が前から歩いてきた。下から登ってきたが福山への道が分からないと言うので、YAMAPの地図を

見ながら、『猿田彦神社から道がつづいているようですよ』と教えてあげる。

森の中にひっそりと佇む拝殿と奥社。その左奥に福山山頂への石段が続いていた。

 

 

 

ここにも石にペイントした可愛らしいオブジェが置いてあった。

 

 

石段を登り山頂に着くと先ほどいた老夫婦の姿はなく、同じベンチに腰掛けカップ麺にお湯を注いでお昼にする。

カップ麺を食べた後ずっと気になっていた場所を探しに歩いていると、またさっきの青年が前から歩いてきた。

『すみません、1234段の階段はどこにあるか知ってますか?』と今度は私が質問すると、丁寧にその場所ま

で案内してくれた。その1234段の階段は山頂北側の総社市が見える展望所の横にあった。

地形図には西に向かって続いていたので、こちら側(北側)にあるとは思わず探し回っていた。

1234段といえば金毘羅さんの本宮までの石段より多く、奥社までの石段1368段より少し少ないくらいの

段数だ。青年によるとやはり段数が多くてこちらから登ってくる人は少ないそうだ。

 

 

青年にお礼を言って別れた後、今日のメインディシュの巨岩のある幸山へと向かう。山頂広場から和霊山への道

を少し歩くと妙見展望台と書かれた道標が建っていた。その道標のある分岐から北に向かって下って行くと東屋

のある妙見展望台。東屋の下では年配の男性と女性が休憩していた。挨拶をしたあと、今日のここまでのルート

を話をして最後にこれから幸山に行くつもりだと話をすると、『ほんとうは幸山から福山へと歩くと幸福になる

んだよ!』と。ガ~~~ン!そう言えばたしかスタート地点にあった案内板にも『幸山から福山へ・幸福の径』

と書いてあった。(T_T)/~~~

 

 

 

 

そうか『幸福ではなくて福幸になってしまったのか』と思いながら眺望を眺めていると、男性が東屋の前で見下

ろし指さしながら幸山の場所を教えてくれた。今度は女性の方が『この下に大きな八畳岩があるわよ!』と教え

てくれるので、『ハイ、それを目当てに今日は来ました』と返事をする。

妙見展望台から年配の二人と分かれてさらに下って行くと、岩の上にまた小さなオブジェ。カエルを模した竹で

作られたオブジェはまるで『無事に帰りなさいね!』と言っているようだ。

無事カエルからシダの道を降りて行くと目の前に写真で見た巨岩が現れた。

 

 

 

その巨岩の上には三重の石塔が載っている。この大きな岩の上まで梯子でもかけて持ち上げたのだろうか?また

ここまで運んでくるのも大変だっただろうに。三重の石塔の岩の下が八畳岩になっていた。この岩と同じように

平らになった岩を八畳岩と呼んでいるのがあちらこちらにある。どこの岩も八畳岩と呼ばれて、けっして六畳岩

と名付けられている岩はない。広さ的にも六畳よりも八畳の方が広く感じるし、八という数字が縁起がいいから

だろうか?ただ先月登った小豆島の千畳岩はちょっと誇大過ぎた。

 

 

 

 

その八畳岩に腰掛けて麓に見える景色を眺めていると、田園風景の奥に備中国分寺の五重塔が見えた。たしか

WOC登山部が昨日訪れていた場所だ。この八畳岩とその上の大岩との間が挟み岩と呼ばれる岩があった。

どこからか転げてきたように見える岩が、巨岩と巨岩の間に挟まってここで留まっているように見える。

 

 

さらにその下にも八畳岩より少しだけ小ぶりな岩があった。どうやら八畳岩は三段になっている?

その岩の端はダイダイコケが付いてオレンジ色になっている。ただ小ぶりと思ったこの岩も回り込んで下まで降

りてみるととんでもなく大きな岩だった。

 

 

 

岩には毘沙門天磨崖仏が刻まれていた。そしてその足元には石仏が並んでいた。今日のルート福山山頂や和霊神

、そしてこの場所もきれいに掃き整っていて、日ごろから熱心に清掃をする人たちがいるのだろう。

 

 

 

八畳岩からさらに下って行くと幸山に着いた。この山も三方が絶壁で守りやすく攻めにくい天然の要塞となって

いて条件のいい山城となっていた。

 

 

 

城跡は山頂札のさらに下にあった。山頂と共に広場となった場所には幸山城跡と彫られた石柱が建っている。そ

の足もとにはまた今度は石の猫。

 

 

 

この城跡も山城らしく眺望が開けていて、正面には鬼ノ城、そして先ほども見えた国分寺の五重塔も見える。

500年近く前にこの城の城主も同じ景色を眺めていたのだろうか?

 

 

展望ヶ所から少し左に移動すると車を停めたふれあい広場が見えた。城跡から幸山へ、さらに先まで戻って下っ

て行く。登山道はよく整備されていて、分岐分岐には道標が建っている。平日にも関わらずそして薄氷が張るほ

ど寒い中でも、結構な人が歩いている総社を代表する里山。一番高い福山でも僅か300mほどの標高だったが

所々で眺望が開けていて、道々も変化があって楽しい楽しい里山歩きができた。

 

 


西行法師の歩いた鎌ノ刃越から前山へ!

2025年02月13日 | 香川の里山

崇徳上皇と歌を通して親交があった西行は、保元の乱に敗れ、讃岐の地に配流された上皇のことを気にかけてい

ましたが、生前に訪れることはできず、崇徳上皇が崩御されて3年後、坂出市の王越に上陸し鎌ノ刃峠を越え、そ

の南にある経ノ田尾峠を越えて白峯御陵を詣でたとされている。

その白峰御陵で世を恨んで怨霊と化した崇徳上皇に西行法師は『よしや君 昔の玉の 床とても かからん後は

何にかはせん』と詠んでその怒りを鎮めたそうだ。

今日は丁度一年前に歩いたその鎌ノ刃峠から西の稜線上にある前山を、WOC登山部のメンバーと再訪した。

 

スタートはその鎌ノ刃峠の麓にある厳島神社。桜の古木の並ぶ参道の鳥居を潜って坂道を登って行くと神社の駐

車場。先週とほぼ同じメンバーとひなちゃんで、まずは朱色の柱や梁と銅板の緑青の屋根が立派な社殿の厳島神

に参拝する。

 

その後境内から石段を降り、城壁を思わすような背の高い石垣の横を通ってコンクリート道を登って行く。昨年

来た時にはまだ工事中だった松ケ浦池の工事は完了して、きれいな堤体ができていた。道の脇には水仙が咲き、

ミニ霊場の石仏が並んでいた。

 

 

 

コンクリート道が九十九折れになってくると次第に傾斜が急になってい来る。すると里山あるあるの、ワイヤー

メッシュを立てて並べた猪避けの柵が道を塞いでいた。どこの柵もゲート部分が紐で括って開かないようにして

いるのだが、ここのゲートはその鉄筋を加工して引掛けているだけで開けやすくなっていた。

 

大屋冨揚水場の施設の横を通りさらに登って行くと、安山岩の露岩が道の横にも表れ、正面には大屋冨のロック

クライミン場として使われている大岩壁が近づいてくる。その岩壁をよくよく見ると先般小豆島の吉田の岩場で

も見かけたダイダイゴケの一種で、岩壁の所々がオレンジ色に見える。

 

 

 

何度か九十九に折れて標高を上げていくと、何度目かの曲がりぱなに右に続く道がある。前回興味本位でその道

を進んで行くとロッククライミング場の岩壁の足元に着いた。その話をしていたので当然西の奥様は躊躇なくそ

の道の奥へと歩いて行く。

すると目の前に練習場のコテージ風の小屋が現れる。小屋の壁には『しわく山の会 オレンジヒュッテ』と書い

た表札?がかかっていた。

 

岩壁にはルートごとに名前が付けられていて、何通りもルートがあるようでボルトが打ち込まれている。小豆島

の岩壁と比べると凹凸があって登りやすそうだったが、もちろん素人には手に負えない。

ただ西の奥様がそれで黙って指をくわえているだけで済むわけはなく、一応登った風で奥様がポーズを決め込む。

 

 

 

石鎚の東陵でお会いした紙ふうせんさんもここで練習していたのをYAMAPにアップしていたが、日曜日とか

だと練習をしている人の姿もありそうなので、一度は実際に登っている様子を見てみたいものだ。

写真を撮ったあとひなちゃんとやっさんの待つヘアピンカーブまで戻る。そのカーブの道の下には目を疑うよう

な大量の不法投棄。その先には何十年も前の古い車も捨てられていた。

 

 

コンクリート道が稜線に出ると西に向かって道は続いていたが、反対に山道に入って行くと北側に大きなお地蔵

さんが祭られていた。実際の峠はここからさらに東に行った場所なのだが、ここでコンクリート道へと引き返す。

道標に書かれた壇の峯が前山で笹原の峯が五色台の休暇村の辺りにあるようだ。

 

 

コンクリート道を西に進んで、テープを目印に尾根へと取り付く。海岸沿いの山では表土が少なくても乾燥に強

いウバメガシが多いが、そのウバメガシの林の尾根を登って行くと次第に露岩が現れ、その先では平らなテーブ

ル尾根になった。

先週歩いた城山も同様のメサ地形で、山頂付近は讃岐岩質安山岩の崖で覆われ麓に近いほど傾斜が緩やかになり、

ミカンの栽培地として利用されている。

 

 

 

山頂付近は広く平らになっていて、山名標がなければ山頂だとはまず分からない。337mの標高は同じメサ地

形の屋島より少し高い。気温は先週と比べてさほど変わらないが、とにかく風がほとんどないので体感温度が随

分と違う。

 

 

記念撮影のあとは踏み跡の薄い広い尾根の樹林帯の中を、テープを目印に木々間を右に左にと避けながら西に向

かって行く。

 

 

 

すると尾根の右側に一つ目のパラグライダー場に出た。麓には西行法師が船で着いた王越の乃生の湾。その横に

おむずび山ぽい王越山が見える。その王越山の肩に小槌島、その沖には大槌島が見える。なんとWOC登山部では

その大槌島にチャーターの船で上陸して三角点を踏んでいる。ただそれも誰が言い出しっぺかは想像がつく。沿

岸部の里山はこんな景色が眺められるのがいい。全員でそんな景色に感心しているとやっさんが『飛んでみて』

と声をかけると、あっちゃん2号が手を広げたが、残念ただのラジオ体操に見える。

 

 

 

 

パラグライダー場の後ろには先週と同じように木にロープをぶら下げてブランコ?を造っていた。そのブランコ

にぶら下がろうとするあっちゃん1号を『ダメダメ枝が折れると!』全員が制止する。油断も隙もあったもんじ

ゃない。

 

一つ目のパラグライダー場からは次のパラグライダー場との間に、荷物の運搬用のモノレールが造られている。

その途中にはクレオパトラの横顔岩。(スフィンクスの横顔?)

 

 

この辺りから雪がちらつき始めた。天気予報では昼から崩れそうだったので、集合時間を1時間早くしたのだが、

気の早い雪雲がいたようだ。二つ目のパラグライダー場は先ほどと反対の尾根の西側に開けていた。

昨年はここから中讃方面の里山が見えたが、生憎の空模様で遠くの山は望めない。

 

 

 

 

ここでもやっさんが『飛んでみて!』と言うと、今度はあっちゃん1号が手を広げて走り始めたが、チョコプラ

のTT兄弟にしか見えない。

 

 

ここで雪が本降りになってきたので、ザックカバーを付けて歩き始める。尾根の地道はこの先の227m標高点

のピークの手前まで続いている。今日の山道は鎌ノ刃峠から一つ目のハンググライダー場辺りまでで、あとはほ

ぼ下道歩き。前を歩く奥様たちは途中にあるお地蔵さまに気づく様子もなくお話に夢中で歩いている。

 

 

 

標高点の手前では東西に降りる道と北に向かう道の交差点になっていた。ここでひなちゃんが『以前に来た時に

ここから北に向かって歩いて藪の中になって前山にたどり着けなかった』と言っている。さっきの前山は樹林帯

の中だったが決して藪ではなかった。それをしきりに藪だったはずと言っている訳が分った。全く逆の方向に歩

いていたようだ。交差点の横では家畜を飼っていたのだろうか、柵で囲まれた廃屋が一軒残っていた。

 

尾根の交差点からはコンクリート道になる。ここでも車で登って来られるので、違法投棄が目立った。何なら大

きな冷蔵庫まで捨ててある。

 

 

コンクリート道が尾根まで続いているという事は、以前はミカン畑もあったのだろう。その面影に石垣が尾根近

くにも残っている。そして使われていな錆びたモノレールも・・・・。

 

 

 

コンクリート道を下るにつれて空が明るくなってきた。前回パラグライダー場から見えた景色と同じくらい遠く

の里山も見え始めた。先週歩いた城山から続く郷師山・金山・常山。その横に背の低い笠山角山・聖通寺山

そしてその真ん中に一番背の高い飯野山。坂出の里山がほぼ見渡せる。

 

 

 

道の傍らにモノレールの荷車。随分前からずっとミカン畑や山間部の急斜面に造られたモノレールに乗ってみた

いとあこがれていた。つるぎ町の一宇の十家の集落には道路はなく、このモノレールが唯一の交通手段だった。

国道横のモノレール駅の横を通るたびに、急斜面をトコトコと登って行く姿を想像してほのぼのしたものを感じ

ていた。

 

 

こちら側のコンクリート道にも猪避けの柵があった。こちらは登りの時と違っていつもの紐でゲートが括られて

いた。その先の猪捕獲の檻になぜかタヌキの死体が横たわっていた。檻の扉は開いているのになぜ中で死んでい

るのか。毒でももられていたかな?二週続けてキツネとタヌキ。ひょっとして化かされているのかも。

 

 

空はますます明るくなってきて、瀬戸大橋もくっきり見え始めた。集合時間を1時間早めたのが返って仇になっ

たかな。朝の弱い西の奥様には恨まれそうだ。

ミカン畑を抜け県道に降りる手前に相模防大権現。白峰時の鎮守とする日本八天狗の一狗である相模坊がこの場

所にも祭られている。

 

 

 

 

相模坊大権現から県道に降り、車を停めた厳島神社へと歩いて行く。途中には広大な畑に作付けをしているビニ

ールハウスがあった。かつて瀬戸内の沿岸部では塩田が広がっていた一方で、瀬戸内式気候で年間の降水量が全

国平均の2/3程度で度々水不足に悩まされてきた。そんな香川県坂出市の沿岸部に転機が訪れたのは昭和40年代

後半の頃。塩作りの方法がイオン交換膜を用いる方法に切り替わり、塩田の一部は製塩工場などの工場用地に生ま

れ変わったほか、時を同じくして香川用水が通水し、塩田への客土によってその一部は農地に劇的な転換を果たす。

その農地の遊休農地を含む何百という圃場を近隣の農家さんから借りて「大」小作人になることで、何十haもの面

積を耕作することが可能となったそうだ。同じように規模拡大を進める近隣の農園と力を合わせ、販売、栽培、そ

の他色々なことに工夫して一年を通して田畑を耕してのが大屋冨町の木下農園グループだ。

 

 

背の低いビニールハウスの中には大根が植えられていた。『ビニールハウスで大根を作っているのを初めて見た

わ』と奥様たち。そんなビニールハウスを見ながら集落の中を歩いて行くと厳島神社に着いた。

今日は時間的に早いのと天気がイマイチなので、お弁当ではなくお店でランチにしましょうと案内していたので、

駐車場からWOC登山部の山さん行きつけのお店に移動。

ほとんど下道歩きで楽々だった今日のランチにしては完全にカロリーオーバー。分かっているけど美味しそうな

メニューを前に注文してしまって、お腹の浮き輪は減らない自業自得の半日だった。

 

 


最強寒波だ、不動の滝の氷瀑だ!

2025年02月06日 | 香川の里山

テレビの天気予報のコーナーでは気象予報士がしきりに『今週は日本列島が今シーズン最強寒波に覆われます!

』と天気図を指さしながら説明していた。

それならと、坂出の城山不動の滝がひょっとして凍ってないかと思って、予定していた別の里山を変更してW

OC登山部のFBに案内してみた。ルートはYAMAPのからちゃんさんの周回ルートを参考にして西庄の別宮神

を起点としてみた。集合場所の国道11号線の西庄高架下には男性3名、女性3名の6名が今回集まった。

高架下の日陰ではさすがに寒すぎるので、挨拶もそこそこに直ぐにスタートする。

 

 

国道の側道から歩道へと進み、高松カントリーの大きな看板から不動の滝登山口の矢印に沿って山の中へと入っ

て行く。その入り口の歩道にはなぜかバナナの皮が散らばっていた。日が経って古いのもあれば真新しいのもあ

る。『おサルさんがここで一服してるんやろか?』と冗談を言ったが、誰かがここで散歩途中で毎回捨てている

のだろうか、それともバナナの皮で滑って転ぶ人がいないかと、愉快犯の仕業か!

 

 

 

国道から地道に入ると『里山整備中』の看板。最近どこの山でも地元の人が色々と里山に手を入れているのを見

かける事が多い。特に三豊市辺りの里山は山頂付近は眺望確保のために木々が伐採され、所によっては山頂から

の眺望を写真に写して、その写真に山名を書き込んでパネルにしている山もあって、まるで観光地の様相だ。

果たしてそれがいいのかどうか?疑問に思うが、この道はどうなっているのだろう、なんて思いながら歩いて行

くと車が一台停まっていた。車は2~3台なんとか停められるスペースがある。ここからが登山道になる。

 

登山道は場所によっては土嚢袋を置いて階段状にして歩きやすくしているが、手すり用に張られたロープが道を

横断していて、何度も跨いで行かなければならない。その内に目の前に巨大な砂防ダムが現れる。

 

 

ダムの突堤の横まで登ると沢沿いの道になる。その沢からは水の流れる音が聞こえている。するとあっちゃん

『あれ~けっこう水が流れているわね!』と一言。たしかに聞こえてくる水の音からして結構な水量だ。果たし

不動の滝は凍っているのか?気になり始めた。

取りあえず『案内に書いたように、凍っていなくても免責で!』と言い訳をする。

 

 

 

 

ベンチが二つ置かれた場所からはさらに道の傾斜が急になってきた。そして例のロープも続いていて、それを跨

いだり潜ったり。先ほどのあっちゃんの言葉がどんどん重くのしかかってくる。『ひょっとしたらツララが1本

くらいはあるかもしれません』と再度言い訳してみる。

するとツルツル凍った足元の岩が目に飛び込んできた。『ヌ・ヌ・ヌ~これは期待できるかも』と少し目の前が

明るくなってきた。

 

 

 

 

 

そうなると足取りも軽くなりどんどん登って行くと、城壁を思わすような皇寺奥の院の摩尼珠院の石積みが見え

ると先頭を歩くルリちゃんが、『白く見えるのは水の流れでなくて凍っているのよね!』と言っている。

『多分凍っているんだと思いますよ!』と答えながら期待感がどんどん膨らんでいく。

 

 

弘法大師修行の際、岩壁に不動の像を刻んだことから不動の滝と名付けられたと謂れている。その謂れと弘法大

師が摩尼珠院を創設したという事で、弘法大師像とその後昭和八年にこの不動の滝を開いたという塩田芳一師

像が滝の横に祭られていた。

 

 

不動の滝は完全氷結とはいかないが、段々になった岩壁から溢れた水が凍り、何十・何百本のツララとなり凍っ

た姿を我々に見せてくれた。滝の横では駐車場に停まっていた車の持ち主だろうか、大きなカメラを抱えて熱心

に凍った不動の滝を写していた。

 

 

 

 

滝の脇には緑の目をした不動明王が鎮座していて、訪れる人を見下ろしている。

 

 

 

ひとしきり不動の滝を眺めた後は山頂へと登って行く。滝の前に架かる赤い橋を渡り、水口・城門と書かれた案

内板に沿って登って行くと、メサ地形の特徴の頂部付近の露出した安山岩の岩壁は、屋島の冠ケ嶽でも見られる

巨大な岩壁。その下をトラバースしながら高度を上げていく。

 

 

巨岩の前で折り返してさらに登って行くと滝へと流れ込む沢沿いの道になる。途中で綾北展望台の案内板が木の

枝に掛けられていて、前回WOC登山部で来た時はその案内板に沿って左に沢へと降りて行ったが、今日はそのま

ま沢沿いを直進する初めて歩く道。

すると前の方から何やら声がした。近づいて行くとWOC登山部のメンバーのさおりんとゆかりんだった。

話を聞いてみると今日は垂水町の寅食堂でランチの予約をしていて、それまでに歩ける場所という事で山の上に

車を停めて不動の滝へ降りて行く途中だそうだ。

 

 

 

二人と分かれて沢沿いの道を歩いて行く。道の脇には登山口の看板に書いていた城山里山の会の人たちが置いた

のかベンチが並んでいる。坂出市内にあってこの沢沿いの素敵な景色はなかなか無い。この時期は別にして、ベ

ンチに腰掛けコーヒーでも飲みながら流れる水を眺めるのもいいかもしれない。

 

沢沿いの道は何度か右に左に渡渉する。すでに周りは高松カントリーのゴルフ場の中なのか、ゴルフ場のコース

の間に架かる橋が頭上に見える。

 

 

 

 

沢沿いの道を抜けるとスズタケが刈られた道になる。道の脇にはため池。道にはゴルフ場から飛んできたゴルフ

ボールが目立ち始める。

 

 

 

スズタケ原を抜けると一旦舗装路に出た。白いゲートの脇を抜けると民家や施設の建物がある小さな集落になる。

ここで少し寄道。からちゃんさんが活動日記に書いていた西庄小学校の分校跡を見てみたいと思い、二股になっ

た道の左奥へ歩いて行く。すると突き当りはただの民家で人の住む気配はなかった。

諦め戻って行く途中に山側にある廃屋の横にブランコがあるのをルリちゃんが見つけた。鉄製のブランコは運動

場によくあるブランコ。するとその横の廃屋が分校という事になるが、もうすでに木々に囲まれ埋もれてしまっ

ていた。

 

 

分校跡から二股まで戻り左に舗装路を進んで行く。ポツポツと建つ民家や鶏舎のような建物の横を通り、ゴルフ

場のコースを横目に見ながらさらに進んでい行くと県道に出た。

 

 

 

県道の脇にはどでかいアメ車のカマロが捨てられている。その横に『頂上へ登り口』と書かれた道標が木の枝に

掛けられていた。舗装路から道標に従ってまた登山道へと入って行く。

 

 

先ほど見えたゴルフ場のコースを左に見ながら登って行くと、1メートルほどの高さの石塁が目の前に現れた。

城山は名前のとおり古代の山城のあった場所で、山上の平坦部から急斜面に変換する地点にこの石塁と土塁が二

重に巡らされているらしい。

この石塁は上側の車道で分担されているが、車道から斜め上にも続いていた。

車道からからちゃんさんのルート通りに山側に入って行くと、途中から少し藪っぽくなったがここは素直に車道

を歩いた方が良かった。スズタケをかき分け再び車道に出て、あとは道なりに歩いて行くと山頂広場に着いた。

 

 

いつ来てもこの山頂からの眺望は素晴らしい!強風のお陰で空気が澄んで、北側の瀬戸大橋がいつになくくっき

りと見える。南には高松市内、綾川・綾歌の里山が一望できる。南側は雪雲のせいで霞んではいるが、特に目の

前の十瓶山、少し東の六ツ目山・伽藍山・挟箱山のおむすびさん兄弟。そして西に見える堤山・高鉢山岐七

富士など香川の里山らしい特徴的なきれいなおむすび山が一度に眺められる。

 

 

 

 

それにしても風が強い。強風と言うより爆風と言った感じで油断すると足元がグラつく。展望台の中の階段に避

難してお昼ご飯にする。強風のお陰でさっきまで陽が当たっていたと思ったら、入れ替わり立ち代わり直ぐに雪

雲が流れて来て、度々雪が降り始める。

 

 

 

手袋を脱ぐと手が凍えて痛い。今日はこのところ過食ので体重が増えてしまったので、お昼ご飯は食べずに行動

食だけで済ましたが、この寒さのお陰で食欲も全く沸かなかった。県内には7つある一等三角点 城山 462.26m

の石柱はやっぱりデカイ!

ヤモッチさんに写真を撮ってもらった後はすぐさま吹きっさらしの山頂を後にする。

 

 

 

山頂からトイレのある駐車場へと降りると北側にゴルフ場のカントリークラブ越に坂出番ノ洲の瀬居島、その奥

には瀬戸大橋が続いていた。

下りは素直に車道歩きと思ったが、途中の色々書かれた案内板に誘われて、また車道の脇へと入って行く。

 

 

途中テープを見失って木々の間を掴まりながら降りると県道に出た。そのまま県道を下ってカマロが捨てられて

いるヘアピンコーナーを左に折れて、直ぐにガードレールの脇から『古代山城 車道』と書かれた案内板の横を

通って一旦下って行く。車道とはその昔、山頂に立派な家を構えていた長者が、足の悪い娘を車に乗せて一緒に

散歩したという民話が残っている道だ。

 

 

 

 

県道から下るとまた登りの時とは違う小さな沢に出る。その沢に沿ってしばらく下り、一旦沢を渡渉すると今度

はしばらくの間登坂になる。

 

 

 

 

国指定史跡の文化財として指定されている城山。その印なのか『文化財保護委員会』と彫られた石柱が結構な間

隔であったが、そのほとんどが傾くか倒れているかしていた。

ゴルフ場の外周部を廻るようにして続く車道は、外周部までは割と急坂だったが、あとはほぼ平坦な道。外周部

から外れてくると今度は下り坂になり、道は次第に不明瞭になってくる。

 

 

 

ただテープがしっかり付いているので、テープを目印に下って行くと往路で歩いた沢沿いの道に出た。

しかし先に降りて行った二人の姿が見当たらない。『ルリちゃん~!』とあっちゃんが叫ぶと、向こうの方で返

事が聞こえてきた。しばらく待ったがそれでもやってくる気配がない。今度はひろちゃんが『お~い〇〇〇』と

奥様の名前を呼ぶとさっきは返事が返ってきたのに声がしない。『二人の愛は途切れたんですね』と冗談を言っ

ていると、その内に二人がやってきた。どうやら得意の朝ドラの話をしていて道を外れてしまったようだ。

ここでふと気づいた事がある。そうだ今回はあっちゃんが二人になっていた。これからどう書こうか思案の為所

だ。登山道から朝見た『綾北展望所』の案内板に従って沢へと降りて行くと、左手が不動の滝の落ち口になって

いる。段差になった川床を流れる水が飛沫となり、岩の所々を凍らせていた。落ち口に近づいて見ると真下に朝

渡った赤い橋が見えた。

 

 

 

 

この沢の川床は四角い岩が積み重なっていて、まるで人工的に作られた庭園のように見える。川床もそうだが周

りの露岩も四角い形をしたのが多い、火山の噴火でマグマが冷えていく過程でできる柱状節理が横になったよう

にも見える。不動の滝の落ち口を見た後は沢の上流へと歩いて行く。

すると対岸に案内板が見えた。沢を渡ると案内板には『綾北展望所』と書かれていた。

 

 

 

 

綾北展望所の手前に『遠見番所』と書かれたもう一つの展望所があった。緩やかに下っている山裾の奥に綾川と

横津川に挟まれた坂出江尻町辺りが見える。遠見番所となるこの場所、この眺望から遠見は分かるが、番所とな

っている意味が分からない。この場所が昔人の行き来のある交通の要所だったようには思えない。

 

 

 

遠見番所からは北にしばらく歩くと『綾北展望所』。山上から派生する支尾根の端部にあって、かなりの広さで

平場になっている。国道の金山トンネルを高松方面に抜けると支尾根が見え、笹原のように見えるこの綾北展望

が目に付き、いつも気になっていた。展望所には江戸時代に造られた『庚申様』の跡も残っている。

平場の端からは金山トンネルに続く国道を挟んで、左に常山、右に金山を見下ろせた。その二つの山の間の奥に

天霧山が遠く山影を見せていた。

 

 

 

この綾北展望所からあとは別宮八幡宮へ向かって下るだけ。枝に架けられた木の案内板には消えかかった文字で

『別宮八幡宮へ35分』と書かれている。地形図にも八幡宮に向かって破線が続いているが、今回はからちゃん

さんのトラックに沿って下って行ってみる。

 

 

道は次第に荒れて来て踏み跡も薄くなってきたが、やはりテープが所々に巻かれている。

するとからちゃんさんの活動日記に書かれていた巨大なブランコが現れた。背の高い桜の木の幹の両側から、長

いロープでブランコがぶら下がっていたが、こんな場所で子供たちが・・・・・?たしかに目の前の景色を見下

ろしながらブランコを漕いだら、アルプスの少女ハイジの気分になれるかもしれない。

 

 

ブランコから下がって行くと堀割のようになった道が続いていた。『ここを下りますか?』とあっちゃんが聞い

てきたが、掘割の道は大抵荒れていて石がゴロゴロしているので、そのまま土手を降りると声をかけた。

地形図の破線からは外れていたが、先ほどの案内板とは違って新しそうな立派な案内版が木の幹に掛かっていた。

但し道は不明瞭で落ち葉に埋もれて踏み跡もほとんどない。

 

 

暫くすると堀割の道も浅くなってきたのでその中を歩いて行く。次第に道に積もった落ち葉の高さが深くなって

いく。掘割を抜け出ると脇にキツネの遺体が横たわっていた。県内の里山でキツネを見たのはこれで2度目。こ

城山にも生息していたんだ。

 

 

 

その場所からはまもなく別宮八幡宮の裏に飛び出した。別宮八幡宮手水はなかったが立派な龍の手水の水元に、

境内もきれいに掃除が行き届いていた。

 

 

 

今まであまり経験したことのない強風と寒さの中、歩行中はさほどでもなかったが、山頂では手袋を脱ぐと凍傷

になってしまうのではと思うくらい気温も低く、風速1メートルで体感温度が1度下がるというのを実感。

最強寒波は噂?通りの最強!里山でも決して侮れない。