KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

今日は県境ドライブ

2023年09月21日 | 香川の里山


久しぶりに夜中に帰宅しせっかくの休みに朝なかなか起きられなかった。カーテンの

隙間から見える窓の外が明るくなっていくのを時々目を開け見ながらも、布団のなかで

いつまでもグズグズとしていた。

そろそろと思って起きて、今日はゆっくりと温泉にでも浸かって過ごそうと出かけて

みると、目当ての施設がお休み。仕方がないので次の施設へ。ところがそこもお休みで

更に次の施設もお休みだった。結局家から随分離れた山の帰りに立ち寄る温泉でゆっく

りとお湯に浸かる。ヌルッとしたお湯とサラッとしたお湯に交互に浸かり、鳥の声を聞

きながら露天風呂で山並みを眺めたりしながら、いつになくのんびりとした。

温泉を出た後あてもなく車を南に走らせた。県内では一番新しくできたトンネルを抜け、

ドライブがてらぐるっと廻って家に帰ろうと、今度は県道を東へ走っていると『竜王山』

と書かれた道路標識が目に入った。その標識に従って国道を北に高度を上げて行き、三

頭トンネルの手前で県境集落への道へと進んで行く。この辺りで雨がパラパラと。

香川と徳島の県境の徳島側に続く山道を車を走らせながら、時々目に入った草花の写真を

撮りながら竜王峠、鷹山公園の辺りで香川県内へと入り、相栗峠を経由して塩江町へ。

そこから国道193号線を経由して家路へと向かった。

温泉でのんびりのはずだったのに、結局160km以上走って、何をしているのやら。

車を降りるとまた腰の張りが出てしまった有意義な?一日だった。

久しぶりに目にした半鐘


シコクママコナ


貞光から南の山側は怪しげな天気


ヤマハギ


ヒメジョオン


キンミズヒキ


アザミ


ゲンノショウコ


キバナアキギリ


アキチョウジ


相栗峠の手前では結構降って来た


今日も天気は不安定。午後から雨の予想!

2023年06月29日 | 香川の里山


今週も梅雨らしい天気予報。お陰で早明浦ダムの貯水量は心配ないけれど、お山の

計画がなかなか難しい。降水確率が高いので雨降りになっても安全に歩ける山を

チョイス。雨降りの時はルートの選択もそうだが、先ずは登山口で濡れずに雨具を

着込める屋根がある事。山頂近くでお昼ご飯になった時も出来たら屋根の下でお弁当を

食べたい。そんな条件でいくつかの山をチョイスして選んだのが雲辺寺

今回は東屋のある粟井ダムから四国のみち、へんろ道を歩いて登ることにした。











雨降りを睨んで東屋のある粟井ダムを選んだのに、空は雨が降る雰囲気はしない。

ただSCWの予想では昼からの天気が怪しい。奥様たちにはそう伝えて、雨具の

確認をしてスタートする。

登山口はダムから少し下がった四国のみちの掲示板のある場所から、階段を登って行く。







いきなりの急登に汗が一気に噴き出す。勾配は次第に緩やかになっていくが

それでも額を流れ落ちる汗は一向に止まらない。

昨日は朝から夜まで一日中、エアコンの効いた部屋で会議だったせいもあるのか、

身体も重く、奥様たちにどんどん離されていく。
















この道はもともとはへんろ道。その後四国のみちににもなっていて、道の随所に

丁石と四国のみちの道標が点在している。







鰻渕の説明板のある場所からは北に観音寺市越しに七宝山が望める。間に木を挟んで

東に黒戸山から天霧山、そして善通寺五岳の火上山まで見えた。

説明板の横には四国のみちの一升水と書かれた道標が立っていたが、こちらは何の

謂れなのかは説明がなかったので分からない。
















鰻渕の説明板からさらに登って行くと次にへんろ道の説明板。相変わらず身体が重たい。

熱中症にでもなったらいけないと思い、水分補給を小まめに取るがそれでも息が荒い。











一丁ごとに立てられた丁石が道の脇でお遍路さんを見守っている。割と緩やかだった

道がまた急になって来た。途中奥様たちが座り込んで写真を撮っている。

何の植物だろうか?













急登が終わると道の左手が杉林になった。道の脇にはドクダミが目につくようになった。










阿讃縦走路との分岐まで来るとほぼ稜線。あとは緩やかな道を歩いて行く。

次にロープウェイ駅からの道との分岐を過ぎると、巨大な電波塔が現れる。

敷地の中にはホタルブクロと黄色い花は何の花?

















車道を雲辺寺へと歩いて行くと、道の脇にアジサイが目につくようになった。そして

一本の木に纏わりついて上に伸びるヤマアジサイの様な花。











五百羅漢の特徴のある顔を眺めながら境内へ。途中からずっとお腹が痛くて

慌ててトイレに飛び込んだ。トイレから出て服装を整えようとしたら、汗で

ズボンがお漏らししてように濡れているのに気がついた。










大師堂でお参りを済ませて山頂公園へと向かう。途中に今日のお目当てのひとつの

アジサイロード。色とりどりのアジサイもきれいだが、この道沿いの青一色の

アジサイもなかなか見ごたえがある。








今日のもうひとつのお目当てはスキー場のスロープに咲くユリの花。YAMAPの

活動日記には色とりどりのユリの写真がアップされていたが、実際に咲いていたのは

スキー場のスロープの下だった。斜面一面に咲いているユリを想像していいただけに

テンションが下がって、一番近くに咲いていた一輪だけの花を写して終了。

それでもルリちゃんがせっかく来たのだからと、わざわざ斜面を降りて写真を

撮ってきてくれた。

















山頂公園からは北の眺望と西の眺望が広がっていた。三豊市の奥には志々島や広島が

モヤのかかった海水面から浮かんでいるように見えた。














ベンチに腰掛けお昼ご飯にするが、汗冷えで寒くなってきた。お弁当を用意して

いなかったあっちゃんは、UNPENJI COFFEEでわらび餅を買って小腹を満たす。

すると雨がポツリポツリと降って来た。汗冷えも収まらないし、写真を撮ったら

直ぐに下山にかかる。














公園からまた雲辺寺の境内へ。四国霊場の内もっとも高い場所にある雲辺寺。

『四国高野』と呼ばれて僧侶たちの修行の地となった雰囲気が今でも感じられる。

涅槃釈迦仏や五百羅漢像を眺めながら来た道へと戻って行く。











お弁当を持って来なかったあっちゃんは、どうやら下山後にうどん屋でお昼ごはんと

考えていた様で。『さあどんどん歩くわよ!』と言いながらスピードを上げている。














途中でギンリョウソウや蛇のうろこの様な木肌の写真を撮っていると直ぐに

置いてけぼりになる。『待ってください奥様たち!』










へんろ道でよく見かける『同行二人』の札に書かれた言葉に励まされながら、

こちらも何とかスピードアップする。すると頭の上でゴロゴロと大きな音が

たち始めた。そして粟井ダムへの舗装路に出る頃にはパラパラとし始めた。










舗装路からは出来るだけ濡れないように木の枝が覆いかぶさる道の脇を歩いて戻る。

結局うどん屋ではなく近くのカフェでもという事になったが、お店が定休日。

仕方がないので今日はこれで解散。










大野原ICから高速道路で帰る途中で、萩の湯で汗を流す。今日はサウナに入っても

もうほとんど汗が出てこなかった。サウナから出て露天のスペースで寝椅子に横に

なっていると、突然どしゃ降りの雨。サウナを出た後の火照った身体には気持ちの

良い雨だったが、これが下山途中で降られていたら・・・・。午後からは天気が崩れるとは

思っていたが、想像以上の雨だった。

来週もまだ梅雨空の一週間となりそうだ。雨降りでもいい山。タキユリでも見に行こうかな?



ちょこっと里山歩き・・・あららもう雨が降って来た!

2023年06月22日 | 香川の里山




奥様たちと予定が合わず今日は自主トレ日。天気もイマイチだし、朝一番に接骨院で

腰のメンテナンス。その後ゆっくり朝食を摂って、天気予報では夕方から雨模様なので、

さっくと歩いて雨に降られないうちに帰って来ようと出かけてきた。

森林公園の研修棟の駐車場に車を停めてスタート。駐車場の南にあるねこバス

大きな目玉が取れて、見る度にくたびれてきた感じがする。







そのねこバスの奥には真新しい東屋が出来ていた。東屋の横から山の中へと入って行く。

今日はのんびりと草花を写しながら歩いて行こう。







道は最初から意外と急登。急な場所には木の丸太で階段状に整備されている。周りの

木々には樹種の札が掛けられている。鬼のこん棒のようなハリギリ。







238mの標高点から派生する尾根まで上がってくると、東側の綾歌町から飯野山に

かけての景色が所々で見える




238mの標高点の辺りで広場になった場所にトイレがあった。その横にはまだ

熟す前の爽やかな色をしたヤマモモの実。







そこからは直ぐにアスファルトの遊歩道に出た。道の脇にはオカノトラノオが風に

なびいて揺れていた。すると頭の上からポツリポツリと雨が。





城山への登城口と書かれた道標の前のベンチに腰掛け、ザックカバーを取り出しつける。







登城口から登って行くとさっそく堀切と井戸跡。更に登ると土塁と曲輪。いずれも

敵に攻め込まれたときに優位に戦うためのもの








山頂は西長尾城の本丸。本丸らしい平らな山頂は当時は360度の眺望が広がって

いたのだろう。いまでも北東から北西にかけては(南側が木々に遮られている)は

丸亀平野から大麻山までが今日の薄曇りの中でも見渡せる。












小さいころに一緒に登った子供たち




山頂からは途中から南東に別の道を下って行く。途中に南側の登尾山から大川山

かけての阿讃山脈と尾瀬山が見えた。







城山を降りると尾根に沿って地道の林道と登山道が平行して続いている。最初は

樹林帯の中の登山道を、途中からは林道を歩いて行くと第三東屋についた。

前回友人と来た時はここでヤマガラと遊んだ記憶があるが、今日は休憩している

人もヤマガラもその姿が見当たらない。



親父のザックを背負って歩く息子



猫山の途中で一ヵ所だけ道の両側から草が茂った場所があったが、後はきれいな

歩きやすい道が続いている。猫山と鷹丸山との分岐の辺りで、また一段と雨が

強くなってきた。おまけにお腹がグルグルとなってきた。先ほどの第三東屋に

あった仮設のトイレが頭に浮かび『どうしようかな~』と迷ったが、こんな中途半端な

ところで引き返してもと思い直して、山頂手前のロープのある急登を登って行く。









こんな場所は子供たちは張り切る




雨脚は相変わらずだったが、急登を登っている内にお腹の調子はマシになった。

木々に囲まれた山頂は薄暗く、その代わり周りの木々の枝が雨粒を遮ってくれている。

三角点の後ろには大きなカゴノキ。あちこちにケルンが積まれていた。







北側が少し伐採されて唯一の景色、麓のレオマが見えた。






猫がいないねと息子




スタート時点では今日は大高見峰まで歩く予定だった。天気予報では夕方以降から

雨が降り始めるとの事だったので、雨雲も傘も持ってきていない。雨脚はまだ

弱まりそうもないので、ここで引き返すことにする。濡れた岩場に足を滑らせないように

注意深く山頂直下を下ると、後は快適な道。第三東屋の手前の分岐で琴ケ滝の道標に

従って右手に下って行く。




この道もほとんど荒れたヶ所もなくよく整備されて歩きやすい。途中で琴ケ滝に

寄り道。まだ雨が降り始めたばかりで滝を流れる水の量も少ない。







一旦アスファルトの遊歩道に出て、語らいの広場を通り駐車場へとたどり着く。

しばらく晴れの日が続いた後の雨に、途中で見かけた小さな草花も生き生きとしていた。



















大高見山まで行かずに引き返したので予定していた時間が早まった。コンビニで買った

おにぎりはそのままにして、西へと車を走らせ三嶋製麺所へ。平日にもかかわらず

県外の車やバイクが停まっていた。来週もなんだか雨の様子。早く梅雨が開けないかな~!


刻々変わる天気予報。晴れ間を狙って早春の花巡り

2023年03月22日 | 香川の里山


先週の天気予報では今週の水曜日は雨。では火曜日に出かけますかと奥様たちに

連絡するも、次第に火曜日の天気も怪しくなってきた。仕方がないので今週は

自主トレにしましょうと連絡して、多少天気が悪くてもいいように近場の里山

(さぬき市里山チャレンジ30座)の残りを独り歩きで消化しようと

考えていたら、今週に入って水曜日の午前中は晴れマークがついた。

自主トレも天気が良ければ春のスプリング・エフェメラルのユキワリイチゲを

見に行きたいと考えていたので、さっそく奥様たちに連絡すると即OKがでた。

春の妖精の春植物のユキワリイチゲは陽が当たらないと花が開かないので、

天気予報の晴れマークを信じて出かけてきた。

家を出て車を走らせると周りは真っ白。ラジオの天気予報では濃霧注意報の

アナウンス。いやいや本当に晴れるのかな?と思いながら走って行くと、

まんのう町にはいると青空が見えてきた。よっしゃー!と独り言ちして

集合場所に着くと、開口一番ご主人に明日は雨やでと言われていたあっちゃん

『本当に晴れたね!』とニコニコ顔。今日は道の駅ことなみの第二駐車からスタート。




国道を三頭トンネルの手前まで歩き久保谷橋を渡ると大師堂がある。この国道438号線は

平成9年に三頭トンネルが開通するまでは行き止まりで、トンネルの開通で初めて徳島側への

車両での通行が可能になった点線(分断)国道だった。

橋の手前には昔は金毘羅堂があり、これから谷あいの足元の悪い峠道を行き来する

人達にとっては格好の休憩所で、接待された茶を飲みながら旅の話に花を咲かせ、

阿讃の情報交換場となっていたようだ。大師堂からの道は四国のみちにもなっている。

 


   


最初はコンクリートの車道から直ぐに山道になる。昨日降った雨がまだ地表を濡らし、

谷あいの朝の空気はまだ少し冷たい。

   


道は沢の右岸、左岸を渡渉しながら続いて行く。最初に目についたのは落ち葉の上に

散った真っ赤な椿の花だった。








        


芽吹き始めた周りの木々に目をやりながも、足元にお目当ての花が咲いていないかと

目を皿のようにして歩いて行く。






コチャルメラソウ?



おっ、み~つけた!ユキワリイチゲ。でもまだ日が当たらず俯いたままの花は

開いていない。気温が上がり日が当たる帰りに期待しよう。







道筋の所々で石を積んだケルンがあるが、これは絶妙なバランスで立っていた。

雨はつい先ほどまで降っていたのか、雫をいっぱいつけた葉がみずみずしい。








段差になった場所では小滝となって大きな音をたてて流れ落ちて行く沢の水。

幅はさほどではないが、グラつく石もあり落ちないように用心深く渡渉する。













地形図で谷筋が派生している場所に道標が二つ。この場所から征木(麓)と

立石峠(尾根)への道があるのだろうか?また機会があれば歩いてみたい。




すると前を歩くルリちゃんから『あったわよ!』の声が上がる。

さすが視力2.0のルリちゃん。ストックで指す場所に二つ目のお目当ての花があった。

落ち葉の中に咲く花と葉が、周りと同系色で目の悪い私では見つけられなかっただろう。

葉も花もうなだれているサラリーマン風から、今まさに飛び立とうと羽を広げたような

葉と花を開け始めた花もある。

アワコバイモ









この谷あいで一番大きな滝?を右手に見ながら更に登って行く。日が当たると

木々や花たちもなお一層いきいきとして見える。






ヨゴレネコノメ



まだ峠まで半分も来ていないが、奥様たちは度々立ち止まっては写真を撮って

なかなか前に進まない。まぁ今日は距離もないし、ユキワリイチゲの花が開く

午後までゆっくりと歩けばいい。
















小さい花があちらこちらに咲いているが、ほとんど名前が分からない。

小さな山野草はGoogle先生でも分からない。









アブラチャン





奥様たちが二人で『ここからいくつ見える?』とアワコバイモの数を数えている。

『KAZASHIさんは?』と聞いてくるが、近づかないと私には全く見えない。










峠の道は三頭神社まで、ミニ西国三十三観音霊場の石仏が丁石を兼ねて街道沿いに

置かれ、その当時から道行く人々を見守っている。













谷あいの道が少し左に振り、杉林の中の道になると峠まであと少し。『KAZASHIさん、

お腹空かん?』とあっちゃんが聞いてきた。と言う事は自身がお腹が空いてきたと言う事。














途中で度々の撮影会でゆっくりしたが1時間40分ほどで三頭峠に着いた。

額束の北側には三頭山大権現と南側は金毘羅大権現と異なる名前が書かれた

珍しい鳥居。そして猿田彦と天細女命の二体の石像。いつ見ても柔和なお顔の

細女命さんと対照的な、無骨なお顔の猿田彦さん。ここを訪れた人が細女命さんの

身体を触る(そのせいで白くなっている?)のを目の前で見せられて、猿田彦さんが

怒っているようにも見える。














そんな風に思いながら二人の間に立ってお顔を眺めた後、ザックを降ろしていると、

あっちゃんはもう既におにぎりを頬張っていた。








私もいちおう行動食を口にしたあと、三頭山へと南に峠道を歩いて行く。

杉林を抜けると車道に出た、ここからは舗装路を歩いて行く。











三頭山の手前まで来ると先週の天気予報がウソように青空が広がっていた。

車道の横で東に開けた場所からは竜王山の電波塔が見える。







東屋を過ぎ道の右手から三頭山のハンググライダー場へと登って行くと、更に眺望が

開けてきた。吉野川側からは雲がかけ登ってきている。














三角点の手前には新しく可愛らしい山名札が掛かっていた。








四等三角点なのに三等(三頭)とはこれ如何にの、四等三角点 三頭 734.03m

にはキティーちゃんの赤いプレート。







三頭山は「剣霊」「山王」「青龍」の三神を祀るため、その名がついたという

古い伝承が残っているが、山名札の後ろのこの石碑はまだ新しい。








それじゃ東屋まで戻ってお昼ご飯にしましょう。丁度峰と峰が重なった辺りが

三頭峠だろうか。まだまだ雲が登ってきている。もっと標高が高ければ雲海を

見下ろす形で見られたのにな~。








東屋で今日もカップラーメン。久しぶりに食べる出前一丁は、ゴマ油がよく効いていて

とても美味しく感じた。お腹を満たしたら気になるのはWBCの様子。スマホで見ると

丁度9回の表で1点差で勝ったとの結果。思わず三人で『やった~~!!』と声を上げる。











優勝の感激からしばらくすると奥様たちは、村上選手最後になって活躍出来て

良かったねとか、大谷選手はどんな人と結婚するのだろう?と話しを始めた。

気温も上がって来たし、空も申し分のない青空、今から下ってもあのユキワリイチゲは

花を開いてくれているだろうから、そろそろ腰を上げましょう。東屋を出て、

途中にあった展望所からは南の景色が開けていたが、雲海の上に稜線が見えるだけ。

雪を残す山は石堂山や矢筈山辺りだろうか?








展望所から車道に降り、舗装路から峠道へと歩いて行く。三頭峠で細女命さんの

おっぱいにタッチ。猿田彦さんに怒られそうだが随分とにやけた顔だ。











ではではお目当てのイチゲさんに会いに行きましょう。下って行く途中の谷あいにも

眩しい日差しが届いていて期待できそうだ。







峠の直下から沢筋になると期待通りあちらこちらで花を咲かせていた。

アカリプタさんによると、ユキワリイチゲはルリイチゲとも呼ばれるそうだ。

その名の通り瑠璃色の花が日差しに向かって開いている。

その瑠璃色も薄く白っぽいのもあれば濃い色もと様々。
















雪割一華と書いて一茎から一輪だけ花を咲かせるその細い茎からは、不釣り合いな

大きな花弁が風に揺れている姿は健気でとても可愛らしい。













途中までは一緒だった奥様たちは、私以上に度々立ち止まって写真を撮るので

次第に間隔が開いてきた。奥様たち、今日は団子よりお花の様だ。











独りで歩いていても谷あいの道は、水の流れる音や鳥のさえずりで割とにぎやかだ。

途中で何人かの人とすれ違う。やはりこの晴れ間を狙って大きなカメラを抱えている。

すると最後に出会った男性に声を掛けられた。以前に二度ほどご一緒したことのある

水沼さんだった。水沼さんはまんのう町の地域おこし協力隊で活動していた時に知り合った。

今は大川山の麓に住まわれ、登山ガイドとしても活動されている。

奥様たちが後ろから来る間に、二人で里山について色々と話し合った。概ね県内の里山の

現状についての意見は一致して、お互いに『そうでしょう~』『そうですよね~』と

言っていたら奥様たちが降りて来た。

その後もしばらくお話をして別れたのだが、四人の居るところの写真を撮り忘れた。













大師堂まで戻って三体の石仏にお参りする。一番大きな石仏は光背に何体もの化仏が

彫られていて珍しい石仏。その横には西国三十三番の一番札所の石仏、そして右端が

関東二十四輩の二十四番の石仏が並んでいる。








久保谷橋をわたり国道を駐車場まで戻って行く。早春の谷あいでは春を告げる花々が

目を楽しませてくれた。明日からはまた雨模様。つかの間の晴天を小さな草花を

愛でながら過ごす事が出来た。今日の晴天で山肌にも淡い色が付き始めたが、

またしばらくは天気と共に停滞しそうだ。ただこの雨が上がれば一気に春色が広がるだろう。

春の山の景色と共に我々の気持ちもまた春色に染まっていく。



『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 雨島峠~笠松山

2023年03月01日 | 香川の里山


今回の里山を線で繋ぐで懸案事項のひとつだった、尾瀬山から琴南間を無事繋ぐ

ことができ、今日の笠松山でいよいよ三豊市から高松市が繋がる事になる。




ただし前回、雨島の集落から雨島峠笠松山を往復しようと琴南側から雨島の

集落へと向かう途中で、ポーンと音がして一瞬でタイヤの空気が抜けていった。

路面に散らばっていた尖った石を踏んだのか、サイドカットで走行不能になった。

その日は修理に出していた代車で、トランクからスペアタイヤを取り出しタイヤ

交換をしようとするが、肝心のジャッキがトランクの中に見当たらない。

取説を見てみると座席の下に収納してあると書いていた。ジャッキアップして

スペアタイヤに交換して事なきを得たが、荒れた路面をこれ以上進むのが躊躇え、

しかもジャッキアップの時に持病の腰を痛めて歩けそうにないので、その日は

笠松山を諦め帰って来たと云う曰くつきの山なのだ。

故に今回は琴南側からのアプローチは止めて、塩江側からアプローチをする事にした。




塩江の道の駅に集合して、内場ダムから貝ノ股の集落へ県道154号線を走り、

途中から林道下切・貝ノ股線を北に向かって登って行く。道に点在する民家には

人気は無く、前回の雨島集落と同様にこの辺りも消滅集落となってしまっている。

また路面の状態は、尖った石が散乱していていい状態ではないので慎重に運転していくが

前回のバーストが頭をよぎる。ゆっくりゆっくりと運転していくと、

峠の手前には電波塔があり、そのフェンスの横に車を停めてスタートする。




車を停めた場所から北に少し歩いて行くとこの林道の峠に着く。峠には林道の

竣工を記念した石碑が建てられているが、そこには総延長距離と、事業費が

彫られていたが、その事業費は2億5千万となっている。この事業費が高いのか

安いのかはピンとこないが、貝ノ股側からは車が走っている痕跡は全くない。





その石碑の手前から左に作業道が続いている。作業道には轍が出来ているので、

北の下切側からは作業車がここまで来ているようだ。その作業道を進んでい行くと

尾根側に鉄塔があり、標示杭の番号が消えていたので、奥様たちが番号を確認しに

鉄塔まで行くと阿波幹線102番鉄塔だった。











鉄塔からさらに進んで行くと土場の様な広場に出た。広場の北隅から尾根への取付きになる。





広場からの取付きには、ほぼ土に埋もれかけた擬木の階段が続いていて、その階段に

沿って登って行くと右に展望所の様な感じで広くなった場所に出た。

木々がなければ北への眺望が広がっているはずだが、木々に遮られて眺望はない。

その広場の真ん中に沢山の文字を刻んだ石碑があった。表にはいろいろな神様の

名前が刻まれていて、何だかとってもご利益がありそうなので、手を合わせてお願いをする。










展望所跡らしき場所からは九十九折れの鉄塔保線路を登って行く。








九十九折れの道が終わると鉄塔広場に出た。前回学習したように手前側に(番号の

若い番号の鉄塔側)に銘板が掛かっている。







すっかり葉を落とした木々の間の尾根道には、明るい気持ちのいい朝の光が届いている。











途中にあった四等三角点 水ケ本 840.92m




竜王山を頂点として派生した支尾根になるこの尾根は登山道ではなく、踏み跡は薄い。

国土地理院の杭や時々ある赤テープに沿って歩いて行く。










何度か小さなピークを登って行くが、ピークでは踏み跡が薄いので道が判りづらく、

方角を間違えないようにちゃんと確認しながら歩いて行かないと、直ぐに間違えそうになる。








竜王山と雨島峠との三差路となる砥石山の手前では少し足元に笹が現れる。

尾根から少し広がった場所に出ると、ほとんど消えかかった山名札が掛かっていた。

地形図では標高点だけで山名など載っていないが、YAMAPでは砥石山となっている。

山名札も消えかかっているが砥石山と書いていあるような・・・・・?














それでも取りあえずはYAMAPの登頂した山の数にはなった。山名札の前から左に

道が続いている。『こちらが阿讃縦走路への道ですね』と三人で確認した後、何気に

別方向に下って行く。がしかし踏み跡はなくけっこうな傾斜の下り坂だ。

気になってGPS を見てみると、雨島峠への破線とは違う方向に下っている。

前を行く二人に声を掛け引き返す。




地形図をもう一度見てみると雨島峠へは砥石山から少し戻って破線が分れていた。

砥石山まで登り返しそのまま少し戻ると、林道からは尾根を歩いてきたがその下に

北に向かって道が続いていた。(右が尾根筋、左が雨島峠への道)




二又になって別れた支尾根は雨島峠へ、そして笠形山へと尾根が続いている。

道は最初はヒノキの林の中では明瞭だったが、自然林のなかになると途中で

少しだけ踏み跡が薄くなった場所もあった。

雨島峠の手前で105番鉄塔への保線路と合流する。










砥石山からは30分ほどで見覚えのある石仏が見守る雨島峠についた。西に笠形山。

東に行くと竜王山。北には戸石の集落、そして南に下ると雨島の集落への道になる。







雨島峠で三界萬霊の石仏に手を合わせ、来た道を戻って行く。尾根の北端に沿って

歩いて行くと、切れ落ちた尾根の下に阿波幹線の鉄塔と送電線が続いている。










道が少し不明瞭になると国土地理院の赤い杭を目印にして歩いて行く。










砥石山の手前では『こんな急坂下ったかな?』なんて言いながら急登を登って行く。







砥石山の手前で北への尾根に乗っかり、林道へと続く尾根道を下って行く。道の脇には

まだ少しだけ雪が残っていた。時折木々の間から大滝山への稜線が見える。














867mの標高点の辺りで11時を過ぎた。そろそろかなと思っていたら案の定、

あっちゃんが『お腹が空いた~~』と言い始めた。つられて私のお腹もグ~となった。

この辺でお昼にしませんか?と聞いてくるあっちゃんに、『いえ、車を停めた場所まで

戻ってお昼にします!』とここではリーダーらしく威厳を持って答える。

砥石山の手前に尾根に乗ってから35分ほどで作業道の土場に出た。ここでも

『日当たりが良いからここでお昼にしましょ』と言って直ぐに『いややっぱり

日当たりが強すぎるのも良くないので』とあっちゃん。『どっちやねん!』と突っ込む。








車を停めた場所まで戻ると、木々の間からそこそこ日差しがさしていた。

道の脇の側溝に足を落として腰掛けてお昼ご飯にする。ここ最近は山を下りて、

うどん屋さんでお昼ご飯にする事が多かったので、考えてみると久しぶりに

山の中でお湯を沸かす。食後はルリちゃんからはチョコレート、あっちゃからは

塩饅頭を頂いてコーヒーを飲みながらまったりと。








お昼ご飯の後、今度は先ほどと反対方向に笠松山へと向かう。林道の脇から東に

山の中へと分け入ると『笠松山・蛸山縦走口』と書かれた札が木の幹に掛けられていた。










その下には『尾根に上がる』と書いてある。保線路のはっきりとした道が右手に続いているが、

一応書いてある通りに尾根に向かって植栽地を登って行くと、これがなかなかの急登だった。










急登を登りきり木漏れ日の尾根をさらに登って行くと貝ノ股への分岐に着いた。

このピークから右手に進むと上貝ノ股の集落へと下りて行けるようだ。

















笠松山に続く稜線は南は緩やかで北側は急峻な尾根になっている。分岐から一旦下り

鞍部から笠松山に向かっては、地形図の等高線の見た目よりは急登が続いていた。














林道の取付きから笠松山は1.2kmほどの距離。40分ほどで山頂に着いた。

二等三角点 笠松山 834.3m ここ最近見かけなかった二等の標石が大きく見える。











記念撮影を済ませたら、さてさて林道まで戻りましょうか。今まで一方向での往復を

したことは何度もあったが、今日は初めてだろうか2方向への往復になった。













今日は満点の眺望はなく、ほとんどが木々の間から見えるだけで、はっきりとは

山座同定は出来ないが、途中で大麻山善通寺五岳らしき峰々が見えた。





山頂から一旦下り緩やかに登って行く途中で、最初の急登の手前の鞍部に着いた。

植林地の中のあの急登を今度は下って行くのに、膝痛の事が頭をよぎった。

すると左手にそのピークを巻くように続く保線路が見えた。

急登の手前の案内札には『尾根を登る』と書いていたが、何のことはないあんな

急登を登らずともこの保線路を辿れば無理せず笠松山への道と合流できる。










復路は30分ほどで車を停めた林道に着いた。ザックを降ろし靴を履き替えようと

したら、あっちゃんが『KAZASHIさん、これパンクしているんと違うん!』と。

指さすタイヤを見てみると確かにタイヤの下端がペッちゃんこだ。

『なんてこった!』

前回の雨島集落でのパンクを踏まえて、反対側の塩江側からアプローチしたのに

またパンクするなんて。ほとほとこの笠松山には嫌われいるのだろうか。とは言いながら

恐らくもう二度と来ることはないだろうから、前回の様に登山口に向かう途中でなく、

山から降りてきて気づいたのがまだマシだった。

前回は修理中の車の代車だったのでスペアタイヤの交換となったが、修理から戻って

きた自身の車にはスペアタイヤは積んでいなくて、パンク修理のキットが載っていた。

初めての体験に車から取説を取り出して三人でその取説を見ながら、あ~でもない、

こ~でもないと言いながら何とか空気を入れることができた。

まずはバブルコアを押してタイヤの空気を抜いた後、修理剤を入れる



車内のソケットから電源をとり、コンプレッサーで空気を入れる。


適正圧になるまで確認する。


10分ほど経っても圧が上がらない場合は、修理は無理との事(穴が大きい等)




修理を終えて奥様たちは、前回のジャッキアップしてのタイヤ交換も経験して、

『これでタイヤのアクシデントは大抵大丈夫ね!』と宣う。

帰りはパンクした道を戻るのが躊躇われ、峠を越えて北に林道を降りて行く。

林道下切・貝ノ股線から林道塩江琴南線を通って内場ダムへの降りて行く。

雨島集落でのパンク。そしてその次は柞野から琴南の途中で上着を落とし無くして

二回目のアクシデント。二度あることは三度あるがなければいいけどな~と思っていたら、

今回のパンクでここ最近の三度目のアクシデント。これでもう何も起こらない事を

祈って家路に着いた。





『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 尾瀬山~塩入

2023年02月23日 | 香川の里山


今週は先週スタート地点だった塩入と、尾瀬神社の駐車場の区間を繋ぐ計画。

ただこの区間は山頂もなくYAMAPのポイントもなく、三角点が一つあるだけ。

石鎚山から剣山を繋げた時に、黒滝山から土佐岩原駅の区間を消化試合と

プチファーマさんが仰っていたが、今回の里山歩きでは今日のこの区間が消化試合。

それでも今日歩くと西の博智山から東の笠形山までが一本の線で結ばれる。




百名山・三角点、季節ごとの花巡りと登山の楽しみ方は十人十色。

その内のひとつの線で繋ぐという歩き方を教えてくれたのはエントツ山さんだった。

そのエントツ山さんは石鎚山から剣山、阿讃縦走路のいずれも一気通貫。テントを

背負ってひとりで歩ききっているが、日帰り登山でも何とかその足跡を辿ることができた。

奥様たちと三人でふたつの線で結ぶを終えた後、線で繋いでいく楽しさを憶えた。

石鎚山から剣山、阿讃縦走路は稜線歩きだったが、県内の里山を線で繋ごうと思うと、

どうしても下道歩きが避けられない。今回もおそらく1/3ほどはそんな下道歩きになった。





先週のスタート地点だった塩入の県道4号線沿いの広い路肩に集合して、一台に

乗り込んで尾瀬神社の駐車場まで移動してスタートする。




駐車場から舗装路をこの駐車場への分岐まで一旦下り、そこから南に緩やかに

林道・辷り尾多治川線を歩いて行く。日陰の道はさすがに寒く、服装は耳まで

覆ったニット帽や厚手の手袋だったが、露出した頬だけは冷たく痛い。日陰から

陽の当たる道になると少しは落ち着いてくる。お日様はほんとありがたい!

木々の間からいまから歩く塩入への稜線が見えた。







しばらく歩くと道は二股になっていた。右に行くと尾瀬山の南側を多治川ダムへと

続いている。そして左は東多治川林道となっている。







その未舗装の東多治川林道を南に歩いて行く。朝一番は少し曇っていたが、これから

向かう尾根と阿讃の稜線には、雲一つない空が広がっていた。




さらに先には林道にチェーンが張られて車が侵入できなくなっていた。このチェーンの

左横から山道へと取り付いて行くと、地形図ではここから多治の三角点に向かって破線が

続いている。しばらくは林道に沿っていた道が次第に高度が上がってくると東に眺望が

広がってきた。




南北に波打つ稜線にちょこんと三角の頭を出しているのは、讃岐七富士の高鉢山

北を見ると城山飯野山の間に、坂出の番の州の工場の煙突から上がった煙が見える。








花崗岩の風化した痩せ尾根を渡ると急登が始まった。まだ凍ったままの地表は足を

踏み込む度にザクザクと音がする。










支尾根に沿って所々にある森林管理局の見出標が目につく。道は直登から次第にヒノキの

林の中の九十九折れの道になる。







九十九折れの道が終わり広尾根の道になると、東に続く尾根への取付きの辺りになる。

すると細い電柱の先にテープと赤い杭。登山の目印ではないけれど、ここから取りあえず

東に適当に尾根を進んでみる事にした。










所々で先ほどのテープと赤い杭が続いているが、これも森林管理局の境界か何かの

目印だろう。踏み跡もなく小枝を掻き分けながら進んで行く。とにかく尾根を

外さないように、尾根の北端を意識して歩いて行く。




















尾根に続く小さなピークも北に巻ながらピークを避けて歩いて行く。









すると突然、保線路の標示杭が現れた。ここから南に派生した尾根を進むと26番

鉄塔となっている。保線路を辿れば道はしっかりしているが、どうしても距離が

延びてしまうので、このまま尾根を東に進んで行く。









すると今度は25番鉄塔の標示杭。この辺りの保線路は尾根近くを東西に続き、

鉄塔へは南に往復する形で道があるのだろうか?





ここでも保線路は無視して進んで行くと四等三角点 七曲丸 714.9m に着いた。

もちろん木々に囲まれて眺望は望めない。ここで行動食を口にする。

時間はまだ10時30分。このペースだと今日もまた下山後にうどん屋さんかな?














七曲丸の三角点からも東に少しづつ高度を下げて行く。道は次第に不明瞭になってくる。

ここからも小枝を掻き分け右に左に木の幹を避けながら歩いて行くが、少し気になって

GPSを覗いて見ると454mの標高点に向かって下っていた。このまま下って行っても

標高点から少し下れば県道に出れないこともない。ただ恐らく広尾根のプチ藪のしかも下り。

意外と時間がかかりそうだし、最後の目標地点にしていた四国中央東幹線の22番鉄塔と

吉野川線の25番鉄塔がクロスする場所には行けなくなる。

前を行く奥様たちを呼び戻し、谷筋を回り込むようにしてプチ藪の中を引き返す。














灌木が生い茂る中を登って行くと南に明るい場所が見えた。その明るみに引き寄せ

られるようにして藪の中から飛び出すと少し下に鉄塔が見えた。

『あの鉄塔まで行けば何とかなる!』。そう思って更に密になる藪の中を掻き分け掻き分け

下って行くと保線路らしき道に出た。ここでも鉄塔は支尾根の先にあり南に往復する

道になっている。あとはこの保線路を22番鉄塔に向かっていくだけだ。










最初は緩やかに下って行くが、中央幹線の基幹線の保線路の割には木々が生い茂り

道は少し荒れていた。正面には23番鉄塔が見え始める。








下り坂から鞍部に差し掛かると青いPE平ロープが道を塞いでいた。

立入禁止の意味だろうが、確か鉄塔一筆書さんの活動日記に松茸の季節は立ち入り

禁止の道だと書いていたような気がする。それなら今はシーズンオフ。先頭のルリちゃんに

『大丈夫ですよ!』と言ってテープを潜って進んで行く。





鞍部から少し登り返すと23番鉄塔の広場に出た。さすがに中央幹線の鉄塔だけあって

首が痛くなるくらい見上げないと頂部が見えない立派な鉄塔だ。














23番鉄塔から南に少し下るといよいよ22番鉄塔への道になる。

日差しの届く明るい道だが、陽の当たらない道の脇には霜柱がまだ残っていた。














道が南から東に向かうと谷筋の道になる。ここでも倒木が多く足元もザレた場所がある。

大きなヌタ場もまだ薄氷が張っていた。

















谷筋を抜けると今度は二つの標示杭。四国中央東幹線吉野川線の標示杭。

その標示杭を右に進むと、北側の眺望が広がっていた。

満濃池の奥には青山連山。その青山連山の城山からの稜線の奥に見える

番の州の工場の煙は、海岸沿いの風は強いのか、ほぼ横に流れている。

そして青ノ山の頭の奥には水島工業地帯の煙が良く見える。




















今日一番の眺望に、454mへ下がらずにこちらに回って来て良かった。展望ヶ所の

先には今日最後の鉄塔、四国中央東幹線の22番鉄塔。送電線は東西に続いている。

その22番鉄塔の手前には少し小ぶりな吉野川線の25番鉄塔と南北に続く送電線。

二つの送電線がクロスするのを初めて見た。どちらの送電線もここから讃岐変電所へと

続いている。前回も鉄塔を見ながら歩いたので、少し興味が湧いて家に帰ってから

調べてみると、鉄塔の番号は変電所からスタートして連番になっているそうだ。

そして四面の鉄柱の足元にその鉄塔の送電線名や番号などが書いた銘板は、

若い番号の鉄塔の方向の鉄柱につけられているそうだ。







そんな話をしているとあっちゃんが引き返して吉野川線の鉄塔を調べに行った。

自慢げに語ったうんちくが間違っていたら身もふたもなかったが、幸い吉野川線の

鉄塔の銘板の取付位置は間違いなかったようだ。

戻って来たあっちゃんがスマホを覗き込んで調べている。どうやら吉野川線は

阿讃の山を越えて井川町へと続いていた。そう言えば、池田町から東に国道を

走ると、井川町の辺りで発電所があったのを思い出した。そうかこの送電線は

その発電所へと続いているんだ。何て考えていると、鉄塔や送電線そして

保線路は、山歩きの中でひとつポイントにもなっていて益々興味が湧いてきた。











ひとしきり鉄塔広場で話をした後、広場から少し東に。その後南に林の中の

道を下って行くと、県道4号線に飛び出した。取付きにはさっきと同じように

規制線の様にしてPE平テープが張られていた。













ここで途中からずっと登山靴の中でチクチクしていた靴下に刺さった棘を抜こうと、

腰を降ろして靴を脱ぎ靴下も脱いで棘を抜いた。

すると歩いている途中で何度も靴紐がほどけていたのを見かねたルリちゃんが、

絶対にほどけない結び方があるのよと教えてくれた。ただあっちゃんが横で

写真に撮ったその様子をみて見ると、お母さんが小さい子供の靴ひもを結んで

いるように見える。







なぜかあっちゃんも『私にも教えて!』と私の脚を使って練習台にしている。





靴紐を整えて、いや整えてもらった後は県道4号線を塩入へと下って行く。

奥様たちはいつものように楽しそうに世間話。私はといえばいつものように後ろから

トボトボと付いて歩いていると、先週登った尾根の21番鉄塔が目に入る。














デポした塩入に到着後、途中で話し合った山内うどんに直行したら、なんと玉切れで

営業終了。仕方がないので相談した後、長田うどんまで車を走らせる。

満腹になったお腹を抱えながら、朝車を置いた尾瀬神社の駐車場までルリちゃんと

ドライブ。そのルリちゃんと駐車場で別れた後の帰り道。何故だか鉄塔ばかりに

目がいっている自分に気が付いた。







それならと帰り道の途中にある讃岐変電所に寄り道してみた。

広大な敷地の中に複雑に建つ鉄骨群。直ぐ近くにあるゴルフ場とさほど変わらない

広さの讃岐変電所。そしてその変電所の周りには取り囲むようにして鉄塔が建っていた。

これは鉄塔ファン?がいたなら、たまらない場所になるだろうな~!

(1番鉄塔で取り囲まれている)イヤイヤ鉄塔ファンでなくてもこれを見ると

気持ちが何だか高ぶってしまう施設だ。今度時間があったなら、その1番鉄塔群と

変電所をゆっくり見てみよう。線で繋ぐ里山歩きも送電線もどちらも線で繋がっている。

そういう意味では親近感を覚え、興味が湧いてしまうのかもしれない。








『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 塩入~琴南

2023年02月16日 | 香川の里山

今回の線で繋ぐのテーマは、東の引田から西の荘内半島の二つの灯台を、里山を歩いて

繋いでみようと考えて始めたが、当然阿讃縦走路のようにほぼ稜線を歩く訳には

いかず、下道の舗装路を歩いたり林道を歩いたりするケースが出てくる。

それでも出来るだけ山の中を歩きたくてルートを色々と考えるのだが、前回歩いた

尾瀬山から琴南までと、東の三木町の高仙山から塩江の八丁山までの間のルートが

なかなか思いつかなかった。特に尾瀬山からは南に阿讃縦走路に向かって破線は

あるが、東に塩入に向かっては道らしき破線は載っていない。また塩入から東に

向かっては、林道琴南財田線がまんのう町中通まで続いているが(途中未工事

部分有)、距離もかなり長くなり、そもそも山道を歩かないのでは意味がない。

あとは地形図に載っている送電線の近くに保線路が在ればそれに頼るしかないかな~と、

そう思って色々と調べてみると、YAMAPの鉄塔一筆書さんや綾川の山さんが

尾瀬山・塩入・琴南周辺をけっこう歩かれていて、やはり保線路を使って歩かれて

いたので、参考にさせて頂いた。

尾瀬山の南の762.5mの多治の三角点から東に派生する尾根の南側には四国中央東幹線の

送電線が塩入の上空を通って柞野へと続いている。その柞野からはひと山越えれば、

平川沿いに歩くと国道438号線へと出ることができる。お二人が歩いたルートに

少しアレンジを加えれば尾瀬山から琴南の公民館までが繋がる。いままで頭の中で

モヤモヤと雲がかかっていたこの区間だったが、一気に雲が流れて晴れ間が出た。


そう思って迎えた今週だったが、水曜日は気温がかなり低い。山間部では最低気温は

マイナスになりそうだったので、車をデポする尾瀬神社の駐車場は標高も高いので、

途中の車道が凍結している可能性がある。それならまだ少しは標高の低い塩入に

車を置いて、琴南までを先に歩くことにした




先ずは琴南の公民館に集合して、そこから塩入まで移動。林道琴南財田線が東西に走る

交差点の更に奥の路肩が広がった場所に車を停めた。南にはこれから向かう鉄塔が

尾根に沿って続いている。




車を降りると思っていたよりは寒くはなかったが、それでも灰色の空からは

雪の華がチラチラと舞い降りていた。ハア~と思いっきり息を吐くと真っ白になる。

車を停めた場所から少し戻って、スレートの倉庫と立派な門構えの民家の南を、

県道から右に折れて少し下って行く。

そこから財田川の源流域の谷あいを歩き、集落の手前の石垣の前で二股になった

道を左に進んで行くと、砂防ダムへの道になった。













砂防ダムの脇に22番と21番の保線路の矢印杭があり、そこから保線路への取付きになる。

取付きからしばらくは九十九折れの道。風が吹いていないので体感温度はそれほどでもないが

息が切れて空気を大きく吸い込むと、喉元が冷えた空気で痛い。










今シーズン初めて見る道の脇のツララが、なお一層寒さを誘う。薄くスライスしたような

小さな雪がひらひらと舞っている。今日のような雪は何て言うのだろう。綿雪・泡雪?。

地面に舞い落ちた雪は直ぐに融けずに、地表を覆い始めた。











保線路から上にある21番鉄塔はパスしてそのまま進んで行くと、20番鉄塔広場に出た。








四国中央東幹線は伊方発電所からまんのう町の讃岐変電所まで、全長185kmにわたる

50万ボルトの基幹送電線。それだけに鉄塔も一回り大きな感じがする。広場からは

東に尾瀬山、西は大川山辺りだろうか、雪雲の中で霞んで見える。










塩入からは林道琴南財田線を歩くしかないかなと思っていたが、思いがけずこの保線路の

存在を知ることになったが、予想以上に快適な道だ。これも綾川の山さんのお陰だ。

19番、18番鉄塔と順調に進んで行く。













18番鉄塔のすぐ下には林道が地形図には載っている。ここから中寺の三角点までは

今までの緩やかな尾根道から打って変って急登が続いて行く。 











足元の地表は凍って足を踏み込むたびにガリガリと音がする。凍った地面に時々

足を滑らせる。こんな道を下るのは怖いな~と思いながら登って行く。













それでも18番鉄塔から15分ほどで三角点に着いた。三等三角点 中寺 753.57m

今日は山頂を踏むことのない区間だが、この三角点だけが唯一YAMAPでの

ポイントになっている。ただ奥様たちは柞野から既に歩いてゲットしているので

さして感動もなく・・・・・。














中寺は平安時代に栄えた山寺。その存在は地元の人々に伝承されれていたが、記された

書物が少なく、永らく幻の山寺となっていたが、調査の結果様々な遺物が出土し、平成

20年に国指定史跡となった場所。山中に点在する史跡は里から遠く離れた場所で、

不思議な空間を創り出している。

そんな中で三角点の先にある中寺展望台は、県内でも随一の展望所。天気が良ければ

讃岐平野のほぼ全域を見渡せる素晴らしい場所だ。

生憎今日の空模様では薄く霞がかかったようになっていて、遠くまでは見渡せない。

それでも影の形で見える里山を、三人で山座同定しながら景色を楽しむ。




正面に綾川の城山とサンライス・ヒルズのゴルフ場



右に城山と猫山



先週歩いた満濃池



大川山山頂付近には雪が積もっている。







前回ここに来た時は夏場だったので、景色を見ながら30分以上休憩をしたが、今日は

やはりじっとしていると寒い。行動食を口に入れ、ルリちゃんからのピスタチオの

チョコレートも頂きながら、あっちゃんからコーヒーをカップに入れてもらって温まる。

コーヒーを飲んだ後早々に展望台をあとにする。ここからは柞野までは下るだけ。











時間的にはまだ10時。柞野まで降り、更に東に尾根を越えて琴南の公民館まで

3時間強と考えると、少しお昼は過ぎるが今日も三嶋製麺所が視野に入って来た。

その話しをすると奥様たちの歩くスピードが急に上がって来た。











柞野の登山口には40分弱で着いた。先ほどまでの薄曇りの空から晴れ間が見え、

日が当たり始めると暑くなってきたので、ルリちゃんとあっちゃんは雨具を。

私はここで上着のソフトシェルを脱いだ。

道の脇にふきのとう。昨日天ぷらにして食べたばかりだというルリちゃんが、

採らずに写真だけ撮っていた。













柞野川が道の脇に沿って流れている辺りから、地形図では東の尾根に向かって

破線が載っている。その破線の位置から少しズレた手前で、保線路の番号矢印杭があった。







ここから先は事前に調べても歩いた人が見当たらなかったが、503mの標高点まで

破線が続き、そこから南の尾根にも破線が載っている。そしてその先には林道琴南財田線。

尾根に乗っかればなんとかなるだろうと予想して歩いて行く。










途中では作業道と保線路が交わり、間違えないようにと手書きの杭。







その杭に書かれた矢印方向に進むと12番鉄塔の広場に出た。ここまで続いていた

四国中央東幹線ともここでお別れ。







四等三角点 桜 から503mの標高点にかけての尾根の北側は、複雑に波うった

等高線になっている。そのひとつの支尾根に12番鉄塔から登って行く。

地形図では破線は続いているが、登山道と言った雰囲気の道ではなく、踏み跡もなく

時々痩せ尾根になった場所がある。







痩せ尾根で不安定な振りをしてみるが、ただの酔っ払いに見える




前を歩く奥様たちが立ち止まり、前方を見上げている、その目線の先に503mが見える。







ここから503mにかけてが今日一番の急登だった。











前を行く二人もさすがに一歩一歩踏み出して登って行っている。ストックを短くして

時々木の枝を掴みながらゆっくりと登って行く。相栗峠や阿讃縦走路の境目から

鵜ノ田尾峠への急登を思い出す。あっちゃんが『四国三大急登の石墨山より、この坂

の方が急登よね!』と言っている。少しだけ湿り気を帯びた地面はぬかるむことなく

比較的足元は滑らずに登って行けたので助かった。











なんとか登りきった場所に503mの標高点。ここから南に破線は続いている。

ただし道が明瞭だったのは最初のごくわずかな距離だった。







広尾根になった場所では道は不明瞭になり、灌木の間を縫うようにして右に左にと

身体を入れ替えながら歩いて行く。503mで尾根に乗れば、後は楽勝だろうと

思っていたのが間違いで、意外と時間がかかってしまった。











やっとのことで切通になると、きれいなアスファルト道にでた。林道琴南財田線だった。

右に行くと柞野の最上部へと林道は続いている。切通から左に下って行く。

下りになると少し肌寒くなってきたので上着を奥様たちが着込んでいる。

私もと思ってザックを降ろすと、フロントのポケットに挟んだ上着が見当たらない。

ガ~ン!さっきの503mからの途中で落としてしまったようだ。

時間は12時過ぎ。ここから公民館まではまだ4kmほどある。引き返して探すには時間がない。

仕方がないので取りあえず公民館まで下って、お昼を済ませて探すことに。

(結局お昼のあと、探しに戻るのは諦めた)








林道からは北に大麻山と琴平の街並み。大麻山の奥に天霧山の削られた山肌が見える。




林道をしばらく下って行くと道の左に別の道が見えた。奥様たちは気づかずに先を行っている。

予定していた平川への道は直進ではなくこの鋭角に折れた左の道のようなので、奥様たちを

呼び戻し、落ち葉の積もった道へと下りて行く。道はガードレールのある立派な道だが

使われていない林道のアスファルトは、土や石で埋まっている。













平川の支流から平川の左岸に渡り、川に沿って下って行くと大きな砂防ダムがあった。

山の中で見かける砂防ダムのほとんどは、上流からの土砂の流入でけっこう埋まっているが

この砂防ダムはそんな様子が全くなく健全だった。











国道までの道は途中、民家の跡の石垣が点在していた。







集落に差し掛かるが上流部の民家はすでに人の気配が全くない。








国道に出る手前に小さな小屋があった。MAPには山神社となっていて注連縄も新しく、

地元の人達はい今も参拝している様子だった。







国道に出ると奥様たちのスピードが益々上がって来た。『今日は3玉食べるわよ!』と

張り切るあっちゃん。それを聞いてあきれるルリちゃん。








下道のアスファルトを出来るだけ歩かずにと思って計画した今日のルート。四国中央東幹線の

保線路は思っていた以上に快適な道だった。またここ最近では一番の急登とプチ藪と、意外と

変化があり、アスファルト道も柞野の辺りと、林道琴南財田線、そして平川林道の最後の

方から公民館の間だけで済んで、アスファルト道では足が痛くなるルリちゃんにとっても

最低限で済んで良かった。次週は気温が上がれば尾瀬山から塩入を予定。この区間も

山頂を踏むことなくただただ線を繋げるための区間。

他の人から見ると何が楽しいかと思われるのだろうが、始めて見ると目標とテーマがあり、

それに沿って色々とルートを考えるのが先ずは楽しい。そして山中だけでなく里の中を

歩いていると、ちょっとした発見がありそれもまた楽しい。今回は周回した区間も殆どなく、

引田鼻灯台から讃岐三崎灯台までが、ほぼきれいな一本の線で繋ぐ事が出来そうだ。

これこそ線で繋ぐの醍醐味?予定ではあと6区間。春までに何とかその線を繋げたいと思う。


ここまでの西のトラック



ここから先の東のトラック



『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 尾瀬山~竜王山

2023年02月03日 | 香川の里山

『1月は行く、2月は逃げる、3月は去る』とはよく言ったもので、少し前に

お正月だと思っていたら早や2月。その正月明けに善通寺から大麻山を縦走して

いこいの郷公園まで歩いたのがつい先日の様だ。今週はそのいこいの郷公園から

南に繋いで行く。スタート地点は尾瀬山。最終地点は竜王山。尾瀬山は私は既登の山。

奥様たちは竜王山が既登の山となる。いつもより少しゆっくり目にいこいの郷公園に

集合して、1台に乗り合せて尾瀬神社まで移動して駐車場に車を置いてスタートする。

このところの里山歩きのパターンで、今日も山行中は行動食で済ませて、下山後に

ランチをとる予定。尾瀬山が1時間30分。そこから竜王山まで歩いていこいの郷

公園着が2時間30分と予定したのだが、これが後々誤算となった。




駐車場からまずは展望台へと向かう。立派な東屋の展望台からは中讃から西讃の里山が

一望できる。琴平山の麓の牛尾口の大倉工業の白い建物が見えるが、今日はほぼあの

辺りまで歩くことになる。






満濃池と青山連峰(大高見山・猫山・城山)


左奥に七宝連峰。中央の右端の三角の頭が竜王山


琴平山の麓の大倉工業の建屋


どこから見ても同定が容易な飯野山



展望台でしばらくの間里山の同定を楽しんだ後、尾瀬神社へと向かう。

尾瀬神社は昔、尾背寺として下寺41ケ寺を擁した一大寺院だったが、長曾我部の兵火に

かかり廃寺となり、その跡に建てられた水分神社が明治時代になって尾瀬神社となったそうだ。




立派な鳥居を潜ると直ぐ脇に神泉。尾背寺建立時に掘られた泉で、一度も枯れた

ことがなく、雨乞いの神事に使われていたそうだ。

本殿でお参りをして一旦鳥居の方へ戻って行く。











参道の脇から尾根筋へと登って行くとアスレチックの遊具が並んでいる。今は訪れる

人のほとんどいないこの山中にも、出来た当時は子供たちの遊ぶにぎやかな声が

聞こえていたのだろう。県外の山でもそうだが、山頂近くに造られたキャンプ場や

アスレチックといった施設は、今は全く使われていない。人々のレジャーも時代に

よって次々と偏移している。







そんなアスレチックの遊具を見ながら歩いて行くと、しばらくして尾瀬山に着いた。

三等三角点 日浦 576.99m  山名標の文字もほぼ消えかかっていた。







尾瀬山山頂からしばらく歩くと鉄塔広場に出た。ここの鉄塔は他の鉄塔には無い

昇降防止の為にワイヤーが張られていた。隙あらば登って見ようとするあっちゃんだが、

これではさすがのあっちゃんも登るのは不可能だ。







鉄塔広場からも西に尾根道がほぼフラットな状態で続いて行く。こうなるといつもの

パターン。奥様たち二人は賑やかに話をしながら前を歩いている。小さなピークを

登り、下り坂になると文字の消えた鉄板の道標が道の脇にあった。相変わらずふたりは

話に夢中で通り過ぎて行っている。立ち止まってその矢印の道標をよ~くみて見ると

大寺の文字が何となく見えた。慌てて二人を呼び止めて、その矢印の方向へと左に

折れて登って行くと大寺山山頂だった。











四等三角点 大寺 573.47m ここから登って来た方向と反対に道は続いていたが、

間違って折り返して下ってしまう。








下って行くとまた鉄塔広場に出たが、ここでは行止りになっていて道が見つからない。

どうやら大寺山山頂から反対に続いていた道が尾根道の様だ。奥様たちに話をして

また大寺山へと引き返す。以前にWOC登山部で歩いた時もこの鉄塔広場まで

下って行ったトラックが残っていた。また同じミスをしたことになる。





大寺山からはほぼ下り。小さなピークでは登らずにトラバースの道が直ぐ下にある。











鞍部になった場所は南北に道があり峠の様な場所になっていた。脇には石柱が建っている。





大寺山から438mの標高点のちょうど中間地点で、今日初めての登りらしい登り。

438mの標高点の手前の鞍部でまた、ピークへの道とトラバース道に分かれていた。

このままピークに登ると、森林センターの登山口に続いている。





前回WOC登山部で歩いた時は森林センターから登って来たのだが、今日は違う

道を237mの柿畑の三角点の方へ下って行ってみる。ピークには登らず南側を

トラバース。最初は少し道は荒れていたが、直ぐに幅の広い快適な道になった。

道は相変わらず電力の保線路になっている。








広い尾根道から少し道が不明瞭になるが、踏み跡を辿って行くと林道に出た。










柿畑の手前には電波塔が二つ建っている。ここの電波塔はあまりメンテナンスが

されていないのか、敷地の中は草ボウボウで荒れている。道は電波塔の辺りから

落ち葉に隠れてはいるがコンクリートの道になる。








そのコンクリート道から舗装路にでると道の脇に四国のみちの道標。ここから竜王山へは

この四国のみちを歩いて行くことになる。ここまで既に予定していた時間をかなり

オーバーしている。奥様たちはそろそろお昼ご飯を気にし始めた。いつもの事だが

ルリちゃんはそうでもないのに、とにかくあっちゃんがうるさい。今日は予定では

財田町のお寺の中のピザ屋さんでランチの予定なのだが、このまま竜王山まで行って

果たしてオーダーストップまで間に合うか?いこいの郷公園まではまだ3時間弱

かかりそうなので、取りあえず行動食を口にする。








道の脇には梅の木に小さな白い花が溢れていた。近寄ると爽やかな香りが漂って来た。





その梅の木から少し歩くと今度は斜面一面にミツマタの群生が広がっていた。

ここまでの群生を見るのは初めて。まだ蕾の状態だが、これが黄色く色づいたら

見応えがあるだろう。そのミツマタの斜面の中に、陶芸の窯があり、その先には

これも見た事のない、太い大きな自然木を柱にした建物があった。











近寄って中を覗かせてもらうと、どうやらここでミツマタを加工して和紙を作って

いるような雰囲気だった。それよりも建物の中央で棟を支えている自然木が凄すぎて、

只々感心するばかりだった。この施設からしてミツマタは群生地というよりは

人工の畑のようだ。














ミツマタ畑のさらに先は香川県森林センターの敷地内になっていた。道の両側には

整然と並んだヒノキや苗畑が続いていた。首が痛くなるくらい見上げないと最上部が

見えない松の木が、真直ぐに伸びて道路の脇に並んでいる。











森林センターの敷地を抜けると北に向かって田畑が広がっていた。木原の集落に

差し掛かると、自治会館の様な建物の横に停めた軽トラックの周りに数人の人が居た。

近づいて見ると移動販売の車だった。その販売車に近所の人が買い物に来ていた。

まだ先の長い私たちも少し行動食を補充する事にした。ルリちゃんは菓子パンを

ひとつ。私はおにぎりをひとつ。あっちゃんはなんと揚げパンを三つも買っていた。










この辺りの民家では塀瓦の端に飾り瓦で飾られている。その内のひとつの布袋さんを

指さして『ルリちゃんのご主人?』と言うと苦笑い。『うちも痩せた痩せたと自分で

言うけれど、全然痩せてもいない』とあっちゃん。




そんな話をしながら歩いて行くと県道202号線に出た。ここから左に折れて

JR黒川駅を見ながら、今度は国道32号線に出た。国道を北に向かって

少し歩いて、今度は西に黒川地区へと入って行く。














道はここからも四国のみちになっている。そして財田川の支流の谷底平野のような

地形の中に春を待つ田畑が続いていく。振り返るとネギ畑の奥に阿讃山脈が見える。











この四国のみちは竹ノ尾越を越えて金毘羅さんへと続いている。








谷底平野も最上流部になってくると、両側から山が迫ってくる。








最終民家の手前では道にネットが張られていた。上から女性が降りてきたので

『すみません、竜王山に行きたいので、通らせてください!』と言うと、その女性が

『私たちもネットを開けさせてもらったの。昨日竜王山に登ってこちらの登山口を

確認しに来たのよ』と話してくれた。

民家の横からは竹林の中の山道になる。空は青色が広がって来た。昨日は曖昧な

天気予報で少し雨が降ったが、それを見越して今日に変更して正解だった。











竹林の中を登って行くと真新しく塗り替えられた朱色の鳥居があった。








その龍神さんからさらに登って行くと竹ノ尾越に着いた。ここからは今日初めての急登。

この竜王山を南から見ると三角の頭の形をしている。したがって山頂が近づくにつれ

どんどん急になってくる。先週と同じだけの距離を既に歩いて、最後にこの急登は堪える。











奥様たちも足を滑らせながら登っている。それでも15分ほどで何とか山頂に着いた。

三等三角点 竜王 421.6m  急坂だった登りは、下りも急坂。少し道を間違え、

木々の間を滑り落ちないように幹や枝を掴みながら下って行く。








竹ノ尾越からは広々とした道。杉林から竹林の中の道になる。竹林も丁寧に人の手が

入っているのか、とても雰囲気が良くきれいな竹林だった。










山裾に出ると北に景色が広がっていた。大麻山の大きな背中の横に。可愛らしく

善通寺五岳が並んでいる。佐分の集落の中を通り国道377号線に近づくと、

さすがにあっちゃんが、もうそこのうどん屋さんでお昼を済ませようと言ってきた。

ピザがうどんになったが、登り下りがあまりなかったとはいえ、ここまで結構な

距離を歩いてきた。温かいうどんの出汁が喉の奥に流れ込む。

そういえば前回セニョさん麺法師さんと尾瀬山に登った時も行動食しか持って来ずに、

下山後下道をぐるっと森林センターまで戻って時間が遅くなり、うどん屋さんを

探して遅めの昼食になったのを思い出した。一度あることは二度ある。














お昼ご飯を終えて、国道をいこいの郷公園へと向かう。沿面距離15.7km。行動時間

5時間30分の里山歩き。といってもほとんどが四国のみち歩きの一日だった。

今日の続きの尾瀬山から琴南町公民館までは直接尾根では繋がっていない。

尾瀬神社の駐車から南に東多治見川林道を通って、そのまま阿讃山脈へと歩いて

東山峠、大川山まで歩いて琴南町の公民館へと下るのが登山道が続いていてまず

間違いはないが、それでは最初に意図した阿讃縦走路とは別のルートで引田から

荘内半島まで繋ぐという計画から外れてしまう。東多治見川林道から阿讃縦走路に

向かう途中にある多治の三角点から東に七曲丸の三角点へと尾根が続いている

のだが、これが果たして道があるのか不明。航空写真を見て見ると尾根の南側に

等高線の様なくねくねと曲がり曲がった作業道の様なのが見える。やはりこの間は

作業道を歩くか保線路を探して歩くかだが、どちらにしても稜線の登山道と比べると

周り廻っていて距離がかなり伸びてしまうので頭のいたいところだ。この区間は

しばらくどう歩くかを考えて、来週は別の区間をまずは歩く事になるだろう。

さてさてあと何回で引田から荘内半島が繋がるかな?







ここ最近のトラック

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 詫間四座

2023年01月27日 | 香川の里山


今週の線で繋ぐは、先週からの続きで詫間町の四座を歩いてきた。

七宝山の北に位置する四座を、地元の奥様たちは四座とも既に歩いているが、

私は二座が未登の山だ。先週車をデポした松崎のコミュニティーセンターから

スタートして詫間町を下道歩き。まずは松峯山に登って次に高尾木山、そして

妙見山・博智山を縦走するコース。時間的には今日も余裕がありそうなので、

山中では行動食で済まして下山後にランチとした。




最強寒波とテレビではオウムの様に繰り返してアナウンスしていたので、少しだけ

マシになる木曜日に一日ずらして集まった。先ずは博智山の登山口に集合して一台の

車でコミュニティーセンターまで移動。マシになるとはいえそれは日中の気温で、

朝一番はやはり寒い。防寒にも役立つマスクをつけたまま歩き始める。

詫間町は海岸沿いのせいかさほどではないが、高速で来る途中に見えたどの家の

屋根も真っ白だった。ただ吹きさらしの橋の上になるとさすがに道の脇は凍っていた。








松峯山に向かう途中にある先日オープンしたWOC登山部仲間のトッシーのお店は

まだ時間が早くて人気はなかった。『山から降りてまた来ましょう!』と話をして

先に進む。汐木山を左手に見て汐木原の集落の中を通って行く。







汐木原から東に今度は大原の集落から松峯山の登山口へと向かう。松峯山の登山口は

大原自治会館の横になる。取付きには例によって木製の大きな案内板。案内板には

色々と名前がついた岩が描かれている。








取付きの道標は何故か松棟山と書かれている。地形図にも山名は載っていないので、

地元でも呼び名が色々あるのかもしれない。








登り始めて直ぐに花崗岩の露岩が現れた。そして羊歯の脇に一応花立はあるが石を

積み上げただけのような山神さん。








わずか115mほどの標高だが樹林帯を抜けると見晴らしが良くなってきた。花崗岩が

風化した尾根は、里山ではお決まりの松の低木とネズミサシが生えている。尾根から少

し下には天空の腰掛岩。せっかくなので一応腰掛けてみたが、なかなかの座り心地!











天空の腰掛岩の上には寝モアイ岩。モアイ岩の横では先ほどより一段標高が上がって

正面にはトンギリ山、そして三豊市ののどかな田園風景が見渡せる。











モアイ岩から花崗土の吊り尾根の先が松峯山山頂になる。











山頂からはこれから向かう高尾木山。そして澄んだ空気のお陰で瀬戸大橋も近眼の

私にもくっきりと見える。










松峯山山頂から折り返して登山口へと降り、高尾木山の取付きとなる加齢峠へと向かう。








北消防署第三分署を横目に、峠の頂部の切通の法面から高尾木山へと入って行く。

錆びた鎖を跨いで直ぐに山側に黄色い小さい高尾木山と書かれたプレートがあり、

そのプレートの横には先日も度々見たまちづくり推進隊みのの説明書きもあった。

落ち葉に隠れたコンクリートの道は谷筋を上へと続いている。













そのコンクリート道が途切れると道が不明瞭になる。左手にピンクのテープが見えたので

テープに従い登って行く。踏み跡は薄く少し藪ぽくなって来たが、直ぐ上に尾根が見えた。










テープは見当たらなかったが、細い木の枝を掻き分けながらしばらく登ると尾根に出た。

奥様たちは暑くなってきたと上着を脱いだ。ここからは尾根筋の道。電波塔の電源施設を

横目に見て、テープを見ながら登って行く。











山頂からは北に詫間町の街並みが見降ろせ、南西には燧灘越しに法皇山系

雪を抱いているのが見える、その手前には今流行りの父母ケ浜に白波がたっている。











山頂は四等三角点 高尾下山 270.31m。山名標の前が不自然な大きな窪みに

なっていたので、ここも山城跡かなと思ったが、帰って調べてみると海軍の

機銃陣地の跡ではないかと言う事だった。




山頂からは北西に詫間越に向かって下って行くが、これがなかなかの急坂。

麓近くまで張られているトラロープを握りながら降りて行く。先週位から下り坂で

痛みだした膝が今日も少し痛む。我慢できないような痛みではないが、これが悪化すると

困るな~と思いながら、負担を掛けないようにゆっくりと降りて行く。














貯水槽の横を通りさらに下って行くと、地形図で詫間峠となっている場所に出た。

道の脇には峠らしくひっそりとお地蔵さんが佇んでいた。山頂と同じ木の道標。










道標に書かれた仁尾方面へとトラバース気味に歩いて行く。切通の間を抜けると鳴子峠

書かれた石碑が場所に出た。その手前にはお地蔵さんが数体祀られたお堂がある。













県道231号線の旧道を歩き県道にでた。奥様たちはここから直ぐに向かいの

ミカン畑から妙見山へと取り付いたとの事だった。その取付きでは搬送用の

モノレールの取替の工事をしていた。工事のトラックが古いレールの積み込みを

していた横を通って登って行くと、トラックの運転手から『その先で工事をして

いるので、何かあったらいけないので入らないでください』と注意された。







仕方がないので引き返して詫間側に下りながら、登って行けそうな場所を探す。

集落の手前から尾根に向かって登って行くと、山神さんの祠までは踏み跡が

あったが、そこから先は道は途切れてしまっていた。











奥様たちが前回あるいたルートが通れないとなれば、あとは詫間越えまで仁尾方面へ

下って、妙見宮から登るルートしかない。そうなればかなりの時間のロスになる。

こうなったら尾根を辿って登って行くしかない。最初はイノシシにそこら中掘り返された

竹林の中。次に急登となるが『まだ藪でないからマシね』と言いながら余裕があった。








ただその余裕は直ぐに羊歯の藪を目の前にしてなくなった。でもこうなったらこの

羊歯の藪に突入するしかない。まずは切り込み隊長の私から藪の中へとダイブ。







暖かい時期の羊歯の海では埃が立って閉口するのだが、今日の羊歯は下の方が枯れていて

その枯れた葉が絡んで絡んで足が前へと進まない。途中で今度はあっちゃんが先を行き、

最後はまた私と交代して、とにかく足を持ち上げ掻き分けながら登って行く。











結局、山神さんの祠から僅か100mほどを作戦苦闘して20分以上かかって最初の

ピークに出た。予想しなかった久しぶりの藪漕ぎにホッとする。





小ピークの先で前回奥様たちが歩いた道に合流した。ここからは尾根に沿っての道。

さっきまでの藪がウソのようだ。尾根には至るところにタヌキのタメ糞。この山域には

かなりの数のタヌキがいるようだ。











尾根道を時折急登を交えながら妙見山へと近づいて行く。途中で12時のサイレンが

聞こえて来た。今日は下山後に詫間町でランチの予定。そのお店が13時30分までで

オーダーストップになるので、奥様たちが騒ぎ始めた。











山頂手前では少し眺望があった。顔面岩の横を抜け山頂には取付きから1.4kmほどの

距離を1時間かかってやっと着いた。











羊歯の海で苦戦して登山靴の中が屑だらけでチクチクしていた。山頂でやっと

落ち着いて、腰を降ろして靴を脱ぎ中のごみを取り除く。ただ腰を降ろした

場所が悪くて、『あ~あいかんのに~!』とあっちゃん








時間は12時10分。ここから博智山を通って車をデポした登山口までは2kmほどの距離。








デポの場所からランチのお店までの移動時間を考えても、あとはほぼ下りなので

オーダーストップまでには充分に間に合う。

充分間に合うというのに奥様たちが『急ぐわよ!』と言いながら、博智山への

急坂をガンガンと下って行く。膝を庇いながらも必死でついて行くヘッポコリーダー。











博智山山頂では石鎚山の天狗岳や瓶ケ森にもある金属の山名のプレートが置いてあった。

その脇では絵馬を掛けた木枠が倒れて、絵馬が散乱していた。管理する人がまだ知らないのか、

それとも管理する人がいなくなったのか、でもこうなるともうゴミでしかない。







山頂標の横からは東の景色が広がっている。ここ最近で歩いてきた大麻山善通寺五座

そして天霧山から黒戸山。空気の澄んだ青い空に、流れる雲の白さが寒さを誘う。











八畳岩からは詫間の街並みを見下ろせる。詫間の港の横の塩生山にもその流れる

雲の影が映っている。







八畳岩の下の掲揚台でルリちゃんが『急だけど時間が短い地獄坂を下ります!』と。

何度か来ているこの山で初めて歩く道。どこの里山でもそうだが、次々と道が出来る。








急な場所にはロープが張られた地獄坂。名前ほどではないかな?と思いながらも

やっぱり膝の具合が気になるが、『ランチ・ランチ!』と言いながら下って行く

奥様たちに付いて降りる。











地獄坂を降りきると車を停めた登山口より少し東にでた。そこから下道を歩いて駐車場へ。














お目当てのランチの時間には充分間に合った。以前は居酒屋だったお店がコロナ下で

カレーの専門店に切り替えたお店だ。海鮮とビーフの二種盛のカレーは、今まで

味わったことのないスパイスが効いていて、奥様たちも大満足。








ランチのあとは朝まだ開いてなかったトッシーの所で食後のコーヒー。もともとお爺さんの

鉄工所だった建物をさらぴんと名付けてオープンしたお店。旧知のトッシーと綺麗な奥様が

迎えてくれた。コクのあるコーヒーを飲みながら、奥様たちは娘の様な若いトッシーの

奥様とアレコレ話をしている。それを見ながら『いつもこんなに賑やかなんですか?』と

トッシー。『そうなんよ、いつも二人はこんな感じで、私は静かに後ろから付いて行ってる』と、

奥様たちには聞こえないように答える。コーヒーとは別に姐さんの薬膳茶も試飲させて

もらいながら、今度はトッシーと話し込む奥様たち。

山を下りた後、美味しいランチと楽しいコーヒータイムで大満足のお二人だった。











少しづつだが繋がって来た。

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 三豊五岳

2023年01月20日 | 香川の里山
先週は干支の山歩きでお休みした線で繋ぐを再開。善通寺五岳から弥谷寺の

駐車場まで歩いたので、そこから弥谷寺そして天霧山から弥谷山への稜線まで

登り黒戸山まで縦走。その後黒戸山の南の久保谷へと下って、貴峰山から龍王山

縦走して詫間駅の向かいの松崎コミュニティーセンターまで歩くというコース。

ただこの区間の山は三人とも全て歩いているので、単純に下道を繋ぐための

序の山歩きとなる。一台をコミュニティーセンターに置かせてもらって、道の駅

ふれあいパークみのまで移動してスタートした。




道の駅の駐車場からはこれから歩く峰に、朝の光が当たり始めていたが

日の当たらない日陰はとにかく寒い。弥谷寺の駐車場から境内へと進んで行くと

早速の石段が始まった。












その途中には大きな岩が石段の脇に座っている。遠目にはツルっとした岩の様に

見えたが、近寄ってよ~くみて見ると火山角礫岩の様な小さな石を含んだ岩だった。








地元の奥様たちは何度か来たことのある弥谷寺だが、私は山には何度も登った事は

あったが、お寺は初めて。仁王門を潜って長い石段を登って行くと、吐く息は白く

指先は冷たいが、身体は直ぐに温まって汗を掻いてきた。







まだ気温が上がらず冷えた空気の境内に、花手水の鮮やかな色彩がなお一層目をひく。

本堂でお参りを済ませると、天霧山の肩から陽が登って来た。石仏が並び摩崖仏が

刻まれた水場の洞窟の横を通って天霧山へと向かう。










取付きから直ぐに黒戸山へと書かれた道標があった。地形図では天霧山と弥谷山との

鞍部まで破線が続いているが、ここから尾根への破線は載っていない。ただYAMAPの

コース図にはここから尾根まで10分となっている。それを知らずに鞍部まで歩いて、

弥谷山を経由して黒戸山へ歩くつもりだったが、YAMAPを見てここから尾根に行ける

道を知っていたルリちゃんが『弥谷山には登るん?』と言ってきた。

今日は下道を繋ぐのが目的なので、『いえ別に登らんでも線が繋がればいいので』と

あっさりと計画変更。道標に従って左に折れて登って行く。







道は弥谷山と326mの標高点との鞍部に向かって続いている。踏み跡は薄いが

トラロープがほぼその鞍部まで張られている。











鞍部に着くと先ほどの黒戸山への道標にもあった説明板が野立て看板のようにして

立っていた。三豊市の里山にはどの山にも同じような説明板があるが、個人なのか

グループなのか、とにかくどこの山にもある。木に案内札をぶら下げる程度なら

まだしも、ここまで大掛かりなものを設置するのだから、当然、地権者には了承を

得ての事なんだろうな~などと思いながら、標高点へと登って行く。










標高点に今度は展望と書かれた案内板。左に折れて尾根の端に行くと案内板に

書かれた通り、朝陽で逆光になった善通寺五岳がシルエットになって見えた。











その展望台の少し先にももう一ヵ所展望所があったが、奥様たちはおしゃべりに

夢中で、その案内板には気づかずにどんどんと歩いて行った。





さらにその先にも三つ目の展望所。第三の展望所からは三豊から観音寺に

かけての平野部が、朝靄と朝陽が織り成す幻想的な風景になっていた。

西にはこれから歩くおむすび山の貴峰山を見下ろせる。













いつ歩いても目につく大ヌタ場は、その広さは何年経っても変わってない。いったい

どれくらいの数の猪がこの辺りにはいるのだろうか?











黒戸山へは何ヵ所か鉄塔広場を通過する。久保谷への分岐にも案内板がかかっていた。

ルート図を見ながら久保谷へは初めて歩くあっちゃんに『道はしっかりしていますが、

急坂だったように思います』と説明をする。











道の駅から弥谷寺や展望所で寄り道しながら、1時間20分ほどで黒戸山に着いた。

四等三角点 黒戸山 299.3m 以前にWOC登山部で来た時に、セニョさんが

CDを裏当てして修理したキティーちゃんのプレートも健在だった。











途中にあった展望所も登りの時に奥様たちは通り過ぎてしまったので、下りで場所を

教えてあげる。ここからは詫間の埋め立てられた湾岸部が見渡せる。








久保谷への下りは記憶通りに九十九折れの急坂が続いて行く。途中谷筋で落ち葉に

埋もれて踏み跡が不明瞭になるが、テープを見つけて進んで行く。














途中に何ヵ所か迷いそうなヶ所や危なそうなヶ所に案内板が掛けられているが、

EやD地点と書いていると、まるでオリエンテーリングの様だ。ただその下の

ルート図に詳しく説明が書いてあるのは親切心からなんだろうけど、オリエンテーリング

でも地形図とコンパスを頼りにポイントを探すのに、これではそれこそ観光地?





鉄塔広場から前回は皿池に向かって下って行ったが、少し籔いていた記憶があるので

今日は時間もある事だし、ルート図に書かれている保線路を辿って下りて行く。











保線路を下ると皿池の下手に降りて来た。ここで里山あるあるの猪避けの柵。前を

歩いていた奥様たちがゲートの針金を解いて開けている。昔はこんな柵は余り

なかったので、里山もどこを歩いても大丈夫だったが、最近は下手をすると柵の

外に出られなくなったりするので困る。といっても畑を荒らされる農家さんにとっては

深刻な問題なのだろう。







ゲートを通り、皿池の土手に向かって歩いて行く。突堤の階段を登ると前回下って来た

土手の端に道が続いている。











皿池から県道221号線を三野町に向かって下道歩き。途中路肩の脇から木に

掛けられた札とテープを奥様たちが見つけたが、その札は罠を設置した旨を

書いた札だった。その脇から道が続いているとあっちゃんが言っている。

ここから直接、貴峰山に登れないかと考えたらしいが、大抵こんな雰囲気の

場所の道は途中で行き止まりになっている。まぁ素直に登山口まで下道を

もうしばらく歩きましょうと声を掛ける。











以前に三人で歩いた時は登山口となる大石池の脇に車を停めて歩いた。その大石池には

カモが気持ちよさそうに泳いでいた。振り返ると先ほど歩いてきた弥谷山からの稜線。








宮脇集落の民家の間を通り貴峰山へと登って行く。ふれあい広場と書かれた木製の看板は

来るたびに痛んで朽ちていっている。ただその上にある宮脇の大磐座といわれる巨石は

時が経っても変わらない。磐座(いわくら)と呼ばれているのなら、何か信仰の対象に

なっていたのだろうが、周りを見ても今は全くその雰囲気はない。








大磐座の横を通り横の畑を眺めながら登って行く。振り返ると緩やかな傾斜のついた畑の

向こうに、葛ノ山・爺神山・山条山の三座が見える。畑の上から山道となる。







山道に入り樹林帯の中をしばらく歩くと發心堂と書かれた建屋があり、中には六体の

お地蔵さまが並んでいた。發心とは悟りを得ようと決心する事らしいが、まだまだ

雑念が多くて、そんな境地にはほど遠い。ここにもガイドブックを思わすような

説明板が立っていた。説明板のQPコードを読み込むと、『まちづくり推進隊みの』の

ホームページへのリンクになっていた。どうやら今まで山中にあった説明板や道標は

このNPO法人の人たちが設置したもののようだ。










發心堂で一息いれてその脇の登山口から山頂へと取り付いて行く。階段状の道から

大岩の横を抜けると、離れた場所から見たこの山の形通り、山頂が近づくにつれ

道の脇にはロープが張られ勾配が急になっていく。














山頂は安山岩だろうか、一枚の大岩になっている。その大岩に四等三角点貴宝山

石柱が埋め込まれている。大岩の上に立つと三豊の平野部が全て見渡せる。

貴峰城だったこの山頂。往時の殿様の気分になる。













埋め込まれた三角点を前に記念撮影。天気は晴れの予想だったのに雲が多くなってきた。

吹く風にじっとしていると肌寒い。それではと次の毘沙古山へと進んで行く。


















毘沙古山との鞍部への下りは、登りの時より急な感じがする。木やロープに

掴まりながら慎重に下りて行くが、どうも膝の調子が悪い。大きな痛みではないけど

ジンジンと痛んでくる。これが続くようだと困ったな~と思いながら下って行く。










鞍部にはミニ88ヶ所の26.27番の石仏が向かい合って立っている。








鞍部から毘沙古山への登りはたっぷりと落ち葉が積もっている。登りになると

膝の痛みは直ぐになくなるが、積もった落ち葉に足が滑って膝に負担がかかる。

毘沙古山山頂は北側に少しだけ木々の間からの景色があるだけの山頂だった。

















次の竜王山へも一旦下りとなるが、先ほどの貴峰山の下りと比べると緩やかだ。








鞍部から竜王山への登りの尾根道になると、今までと少し雰囲気が変わってきた。

木の幹に太いツルがそこらじゅうの木々に巻き付いている。巻き付かれた木は

身体に巨大な蛇が巻き付き締め付けられていて苦しそうに見える。










花崗岩の散らばる小ピークを過ぎ、また一旦下って登り返すと竜王山に着いた。














竜王山から北西に進むと最後の展望のある場所。麓に今は閉まってしまった

詫間カントリーと、その並びに同じくらいの広さで太陽光発電所があるのが見える。

その奥には次週歩く予定の高尾木山妙見山








展望所から少し下ると途中に根元から何本にも分れた幹の木は、一瞬ヤマタノオロチに

見えた。尾根道から脇道に飛び出しそのまま右に折れて進んで行く。計画では弥谷山にも

登る予定だったので、今日は全部で五座を歩くつもりだっただ、スタートして直ぐに

ショートカットして弥谷山には登らなかったので一座足らない分を、この先のハゲ山まで

歩いてて補完するのだ。右に折れてすぐにある鉄塔広場から以前は笹薮だった道が、綺麗に

刈り払われた中を進むと今日最後のハゲ山。











ここではキティーちゃんのプレートは三角点名の松崎となっていて、点名も

四等三角点 松崎 126.7mなっているのに、なぜか地元ではハゲ山と呼ばれて

いるらしい。最近特に頭部が気になっている私としてはあまりいい気はしない。







ハゲ山で三野町五岳とした後、麓の北浦地区へと降りて行く。南に向かって広がる

緩斜面の道は日当たりもよく、気温も上がって気持ちがいい。











県道21号線まで降りてくると車を停めたコミュニティーセンターまではすぐそこ。

道の脇には菜の花が咲いていた。明日が大寒でまだ春には早いが、菜の花を見ると

もうすぐそこに春がきていると感じる。








山行中はお昼ご飯は食べずに行動食で我慢。山を下りてからセニョさんのお店で

ランチにしましょうと奥様たちには話をしておいた。いつもはお腹が空いたと

騒がしいあっちゃんも今日は辛抱して歩いて来た。(とは言ってももうすでに、おにぎり

2個とパン1個は食べている)

さっそく車に乗り込み積のお店に向かう。平日のお昼。やはり店内はほとんどが女性。

そんな中でセニョさんも忙しそうにフライパンを振っていた。いつもはカップ麺のお昼だが

今日は私とあっちゃんはシチリアンライス。ルリちゃんはグラタンのランチ。

暖かい店内でゆっくりとランチを食べ終えるとあっちゃんが、『トースト食べたいから

二人で分けません!』とニコニコ顔で言ってきた。『えっ、まだ食べるん』とルリちゃんも

呆れ顔。最初は渋っていた私も何度も言ってくるあっちゃんに仕方なくトースト半分

付き合う事に。これでは浮き輪の様になってきたお腹周りが痩せることはないだろう。

来週は最強寒波がやってくるらしい。それならと少しでも暖かい海岸近くを歩く事に。

今日の続きの詫間町の里山歩きとなる予定だ。












今日のトラック



これで3区間が繋がった

新春・干支の山と聖地巡礼

2023年01月12日 | 香川の里山


今年の干支は『兎』。毎年の事だが年始にこの干支にちなんだ山を探して登って

いるが、今年の兎の山は国分寺町に99.9mの兎子山(うさんこやま)があった。

この兎子山は確か以前は100mと表記されていた様な気がするが、再測量したのか

99.9mとなっている。どうせならきりのいい100mにしておけば、干支の山とは

別にきりのいい100mの山で少しは注目されたかもしれないが、普段は人知れず

ひっそりと佇んでいる山なのだ。

昨年の暮れには奥様たちに正月休みには兎子山に登りたいと話していたが、

僅か10分ほどで登れる山にわざわざ出かけるのも億劫になり、初登りは地元の

雲附山に登って正月休みは終わってしまった。

ただやはり気にはなっていたらYAMAPでこの兎子山を絡めて、火ノ山、峰ケ原、

鷲ノ山を周回している人がいた。これなら奥様たちと一緒に歩いても歩き甲斐がある。

しかも奥様たちはこのコースは歩いた事がない。さらにはぐるっと周回するとYAMAPの

ポイントが7つゲットできる。これに二人が食いついてこないはずがない。

そして火ノ山の直ぐ東にある挿頭山に登ればもうひとつポイントをゲットできる。

手軽な里山を歩いて8つもポイントをゲットできるなんて、なかなかない事だ。

その挿頭山は私のハンドルネームのKAZASHIの元になった山。麓にあるかざし団地の

人達と一緒に山登りを始め、高松市民登山学校にも通い、その後のOB会の登山にも

参加していた頃にKAZASHI TREKKING CLUBというタイトルでホームページを始めた。

その時からハンドルネームはKAZASHIとしていたのだ。故に挿頭山は私にとっては原点、

いやそれ以上の聖地なのだ。と言う事で今週は線で繋ぐの続きはお休みして、『干支の

山と聖地巡礼』をテーマに歩いてきた。




国分寺町の橘ノ丘総合運動公園に集合。集合場所に向かう途中、道の脇の田畑は

霜で真っ白。自動車の車外温度も0度になっていた。

公園の野球場の横に車を停めて降りるとさすがに寒い。『寒いね~』と二人に挨拶して

身支度を始めたが、手袋を履く前の手がかじかんで冷たい。




支度を終えて橘池に沿って北東に歩いて行く。前回WOC登山部で歩いた時は、この公園の

上部から取り付いたのだが、今回は別の登山口から取り付いてみる。池の淵からは

今日の最終地の鷲ノ山が見える。山火事あとの南斜面は以前に下った時には足元が

全く見えず、段差で何度も尻もちをついたり、イバラで苦労して転げ落ちたのが

思い出される。目線を移すと干支の山の兎子山が見える。







池の淵のを歩いて行くと工場の建物が現れる。その建屋の手前が登山口になっていた。

WOC登山部で歩いた公園からの取付きは、羊歯の中の半分藪の様な道で難儀をしたが

今日のこの道は下草もなく踏み跡もしっかりしているので、とても歩きやすい。











しばらくすると道の脇にゴロゴロとした大きな岩?・石?が現れる。岩を見ながら

登って行くと石舞台と名付けられた平らな岩があった。
















その石舞台からは木々の間から高松自動車道が見降ろせる。石舞台から先はしばらく

羊歯道になるがこちらも刈られていてスムーズに歩いて行ける。










尾根に出ると日差しが届き始めた。前を歩くルリちゃんは、取りつきのスタート時点から

小気味よいペースでどんどんと歩いて行く。

その内に火ノ山の山名標の立つ山頂に着いた。三等三角点 西大谷 246.9m

三角点の横には手作りの地図を収めたボックスが置いてある。そして龍王社の石祠。

















山頂から次は北峰を目指して広尾根を東に進んで行く。所々で先ほどの地図に記載

している登山道の分岐に案内札が木に掛けられている。













北峰では眺望がなかったが少し下に降りると、堂山の奥に六ツ目山、その横に伽藍山

そして鬼無の袋山や勝賀山が並んで見えた。東峰は北峰に行く途中にある小ピーク。







北峰から引き返して南に下って行くと鬼の腰掛と名付けられた巨岩があった。前回は

これをセニョさんが登ったが、当然あっちゃんが黙っていない。腰掛には腰掛けず

その上まで登って東に見える景色を堪能している。










私はその前のひとつ小さい岩に登って同じように東の景色を眺めてみた。







東には直ぐ麓にDOCOMOの電波塔の立つ挿頭山、西部広域クリーンセンターから

登る白い煙の奥にクレーター五座が見える。先ほどの北峰でもそうだったが、奥様たちも

自分たちが登った山は比較的容易く山座同定が出来る。




鬼の腰掛で高松市南部の里山を眺めた後、比較的広い尾根を今度は東に下って行くと、

106mの小ピークがYAMAPでは火ノ山南東峰になっている。今日はここまでで

すでに4つのポイントをゲットしたことになり、二人も喜んでいる。














南東峰からは踏み跡が薄く少し道に迷ったが、すぐ下に建物が見えている。

その建物を目指して降りて行くと、大きな倉庫の前に飛び出した。










ここからはYAMAPで参考にさせてもらった人は兎子山に直接向かっていたが、

何と言っても私の聖地の挿頭山にお参りせずにはいられない。国道32号線を渡り、

かざし団地の横を山に向かって登って行く。団地の西側を貯水タンクに向かって進み、

山の中をへと入って行くと、一旦落ち葉の積もった広場に着き、そこから山頂へと

ロープの掛った急登を登って行く。たっぷりと積もった落ち葉が足を滑らせる。

















山頂には電波塔とその奥に四等三角点 十三塚 134.2mと石仏と石祠がある。

その祠の前で聖地に手を合わせる。








聖地をあとに今度は干支の山に向かって下道を歩いて行く。道の横の日の当たらない

小さな池の水はまだ凍っていたが、陽が昇るにつれ気温が上がりポカポカ陽気になってきた。

最初は堂山を正面に、道が西に向かうと今度は峰ケ原と鷲ノ山が見え始めた。














高速道路の下を潜りお地蔵さんに手を合わすと、その向かいの皿池越しに今登って

きた火ノ山が横たわっていた。







皿池から北に住宅地の中に入って行く。少し歩いて小さなため池に沿って進み、

次に山に向かって登って行くと、緑の防草シートを被せた法面の横の道になる。

するとこの山のランドマークの白と水色の大きなタンクが見える。













そのタンクの手前の階段を登ると山頂への山道になり、タンクを横目に見ながら

山道を登ると電波塔の立つ山頂に着いた。











四国新聞に紹介されて注目を浴びるようになったせいで、今年は登ってくる人が

多いと聞くが、今日も後ろから一組のご夫婦が登って来た。さらに腰を降ろして

お昼ごはんにしようとしていたら、もう一組の年配の男性と女性が登って来た。

今日もお湯を沸かしてカップ麺。私が来来亭監修のこってり味を取り出すと、

『そんなこってりなんて食べるからふとるんやわ!』と二人に責められる。

『もうお腹が出ても二重顎になっても気にせんからいいんや!』と居直る私。




後から来た方もここでお昼ご飯。このお二人どうやらご夫婦ではなく、山登りの

パートナーらしい。毎年干支の山に登っていて、昨年は虎丸山、そして今年は

この兎子山に四国中央市からやって来たそうだ。みんな考えることは同じの様だ。

三角点は 四等三角点 丸山 99.9m。その奥の山名札が、皆さんがネットにアップ

していた山名札とは別にもう一つ増えていた。裏を返すとこんなことを書いていた。

ヒロシさんとキョウコさんが記念にと思っての事だろうが、山名標や札は一つ

あれば十分なのに、明瞭な道に赤テープをあちこちに付けているのと一緒で何だかねえ~!

ここでは年甲斐もなく可愛らしく?ウサギのポーズ。阿波踊りに見えなくもない!







山頂からはNHKの施設のフェンスに沿って登って来た道と反対側に下って行く。

踏み跡は薄いが赤テープが麓へと誘導してくれる。すると朝日通商の大きな建物の

横に出た。ここからも鷲峰寺まで下道歩きとなる。














これから登る鷲ノ山や峰ケ原を眺めながら住宅の間を抜けて歩いて行く。











鷲峰寺は天台宗の寺。そして八十二番札所の根来寺の奥の院だそうだ。ここからは

二度ほどこの山に登り、別に一度北側からも縦走したことがある。










こちらのお寺は鑑真和尚が開いたとされ、お寺の背後の鷲ノ山がインドでお釈迦様が

説教したといわれる聖山『霊鷲山』に似ていることから『鷲峰寺』と名付けられた

そうだ。本堂の前には香川の保存木の大きなモミの木。











登山口は本堂の横の新四国道と彫られた石柱が取りつきとなる。途中まではミニ四国

八十八か所の石仏が並んでいる。











こちらの石仏はどれも可愛らしい顔をしていて、その一つひとつを眺めては

立ち止まって、楽しみながら歩いて行ける。







このミニ八十八カ所はお寺の背後を周回できるようになっているが、その頂部が

峰ケ原と鷲ノ山の鞍部になっていた。








そして右に折れて峰ケ原への道は急登になる。相変わらず奥様たちはグイグイと

登って行っている。一月だというのにこの陽気、拭っても拭っても額から汗が

流れ落ちてくる。途中で南西に府中湖とこちらも電波塔の立つ猫山が見降ろせた。










そこからさらに登って行くと今度は北西に番の州と瀬戸大橋が見えた。今日は

風がほとんどないのか、どこのエントツの煙もほぼ真直ぐに上がっている。








急登が終わり山頂近くになると笹の道になる。その笹道を進んで行くと峰ケ原山頂。

木々に囲まれて眺望はないが三等三角点 峰ケ原 249.91m になっている。















さぁここからは引き返して急坂を下り最後の鷲ノ山へと歩いて行く。落ち葉と乾いた

土の道はかなり注意して下りないと危ない。前を下るあっちゃが土煙をあげながら下っている。

途中で正面に鷲ノ山のデコボコした尾根が見える。











鞍部からは最後の登り。道の脇の木には所々で地元の小学生が樹種を書いた札が掛かっている。








鞍部から直ぐに第一ピーク。その第一ピークから一旦下って次は第二ピークへの登り。

これがまたロープの掛った急登。最後の最後まで楽をさせてはくれない。


















急登を登りきると南から西側の眺望が開けていた。堤山の奥に城山・猫山・大高見峰

西には二週続けて登った、筆山・我拝師山大麻山・象頭山横山・大原越しに見える。








第二ピークを過ぎると今度は東側の景色が広がっていた。火ノ山北峰からは伽藍山に隠れて

見えなかった狭箱山が、伽藍山の横に、恥ずかしそうにして並んでいるのが見える。










しかしここはあくまで第二。『次は第三ピークです!』と奥様たちに言うと『まだ第三が

あるん?』とさすがの二人も少し辟易してきたようだ。








第三ピークの手前に本宮山のクジラ岩を小さくしたような子クジラ岩。その岩を

過ぎると石祠のある第三ピークになる。










第三ピークから少し下って登り返すと、四等三角点 鷲山 322.42mに着いた。

鷲ノ山にちなんで鷲が羽を広げるポーズをしてみるが、どう見てもそうは見えない。





今日のコースの参考にしたYAMAPでは、ここから南に尾根を下っているが、以前に

下った(一本東の尾根)時は山火事痕で、スズタケとイバラで何度も尻もちを付いたり、

トゲで指を痛めたりしたのだが、今回のコースも同じように藪の道のようなので、今回は

安全策で第三ピークに戻って、石船への登山道を下って行くことにした。

第三ピークまで戻ると、東に道が続いている。急坂と書かれていた案内札の通り、

けっこう急な坂が続いて行く。途中からは石の丁場の上の大きな柱状節理が見えた。

今まで見た事もないような白や赤茶けた色が混ざった柱状節理だった。

この鷲ノ山石は良質な角閃安山岩(かくせんあんざんがん)でできていて、関西圏に

おいてもこの鷲ノ山石が使用された古墳が発掘されているそうだ。











急坂を下りきると段々畑にでた。スタート地点の火ノ山が正面に見えた。

登山道から里道、そして県道へと出て橘ノ丘公園へと戻って行く。

沿面距離14.6km、累積標高990mと平野部の里山歩きとしては良く歩いた

一日だった。YAMAPのポイントも8つゲットできた奥様たちもご満足の様子。

私はと言えば念願の干支の山と聖地にも再訪できた、有意義な一日だった。


















『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 大麻山

2023年01月06日 | 香川の里山



今週の線で繋ぐは、先週の善通寺の駐車場から南に大麻山へ登り、象頭山、琴平山を

歩いて牛尾口へと降り、ついでに愛宕山に登るというコース。集合場所は下山

場所になるいこいの郷公園にして、そこから一台で善通寺の駐車場へと向かった。

このコースは既にルリちゃんは歩いているが、あっちゃんと私は大麻山だけで、

善通寺からの線は繋がっていなかった。

するとWOC登山部が金毘羅さんにお参りした後、大麻山に登ると案内があった。

時間が合えば山頂で合流できればと思い、WOC登山部が大麻山に着く時間に合わせて、

いこいの郷公園に8時30分に集合した。


早朝の善通寺の駐車場は先週はガランとしていたが、さすがお正月、結構な台数が

停まっていた。取りあえずお参りを済ませることにして西院の御影堂に。そして

東院の金堂では部活動のジャージ姿の高校生が中に入るのに順番に並んでいた。

すると前に並んでいた女の子三人がひそひそと『二礼二拍一礼よね』と話していたので

いらぬお世話だったが後ろから小さな声で『それ、神社でのお参りの仕方やで』と

言うと、三人が『え~~!』と驚いた後笑い声になった。先に参拝していた女の子が

既に二拍しているのを見て、さらに三人は可笑しくて笑い始めた。その様子を後ろから

見ていたあっちゃんは、おっさんが若い高校生に話しかけてと、怪しんでいたそうだ。







五重塔を左手に見ながら南大門を出て、善通寺をあとに南下して大麻山の麓へと歩いて行く。




そのまま県道24号線を横断して鶴ケ峰を左手に、『大麻山ハイキングコース』の

案内板のある大池の手前を右へと曲がる。道なりにアスファルト道を登って行くと

左手の斜面が一旦途切れる場所がある。今回はそこから支尾根へと取り付いて行くが、

この少し先に取付きとなる石段がある。








この支尾根どうも防火帯のように見えるが、真直ぐに続かず途中で左手に周りこんで

下に見える施設を囲んで続いていた。帰って調べてみるとその施設は自衛隊の火薬庫

だった。なるほどな~と納得。







幅の広い防火帯のが終わるといよいよ登山道になる。所々で岩にスプレーで矢印を

してあるが、大谷さんは大きな落書き。







途中で右手からの道と合流する。石段からの登山口からの道だろうか。

風化した花崗岩の道も、落ち葉の積もった道もどちらも滑って注意が必要だ。







途中で岩とは別に道の脇の木に所々で赤いスプレーをしてあった。目印としてのスプレーなら

これだけはっきりした尾根道なので全く意味をなしていない。途中で振り返ると北に眺望が

開けた場所がある。先週歩いた筆ノ山と我拝師山の間に山肌を半分削られた天霧山が見えた。







道の真ん中には『陸軍用地』と彫られた石柱が続いて行く。陸軍とは時代を感じるな~。





道は突然急登になる。途中からはロープが張られている。階段状になっているヶ所は

少しだけで、あとはかなりの傾斜で道は続いて行く。幸い落ち葉は積もっていないが

乾いた花崗土の道は滑りやすい、木の根に足を置きながら登って行く。











岩が点在し始めると山頂も近い。急登が終わると道が左にトラバースの道になる。

一旦下って行くような道だがその内に右上に向かっての九十九折れの道になる。








その九十九折れの道を登りきると葵の滝に続く工兵道に出た。

工兵道から直ぐに山手の擬木の階段へと取り付く。







道は今までの自然林からヒノキの人工林の中の道になる。そのヒノキの林が終わり

自然林の道になると、また傾斜が増して来た。今度はたっぷりと落ち葉が積もった急登。

途中で上着を脱いでいたがそれでも汗が額を伝って落ちる。いつもはピークの手前では

空が見え始めるのだが、今日はちょうど太陽の光が正面からこちらに向かって射していた。








やっとこさで落ち葉の急登を登りきると、ゲートのある車道の取付きからの道と合流した、

ここからは遊歩道の様な道。息を整えながら歩いて行く。








その先は2階建ての展望台があり東への眺望が広がっている。鉢伏山と如意山の間に

買田池、その奥に飯野山。まだWOC登山部は着いていなかったので、先に三角点まで

歩いて行く。途中の小高い山が大麻山山頂となっている。

そのさらに先の三角点で三人だけでまずは記念撮影。







その後、お昼ご飯を食べる場所をどこにしようかと山頂園地をうろついていると、

南からWOC登山部のメンバーが歩いてきた。メンバーに新年の挨拶をして、

三角点でもう一度記念撮影。その後展望台に戻って一緒にお昼ご飯にする。

久しぶりのメンバーからは一様に『太った?顔がまるまるや!』と言われる

へっぽこリーダー。










この山名札。ローマ字表記が間違っているので手で隠す姐さん。でもそれだと

『おおさ』でなく単に『さ』なんですけれど。




お昼ご飯を食べた後は琴平山への縦走。道はコンクリートの道が続いて行く。この山には

ぼたん桜が咲くころに子供たちと麓の裏参道から歩いてお花見によく来ていた。

そのぼたん桜も老木が多いのか、けっこうな数の木が痛んでいた。














途中からセニョさんがWOC登山部の案内に書いていた、小麻山への三角点に向かって

南に車道を下って行く。途中からは三角点に向かって道から外れて林の中に入って行く。

私は後ろから四人ほどがまだ来ていなかったので、気になって三角点へは行かずに車道

への分岐になった場所まで引き返していく。分岐まで戻ってしばらく待ったがどうやら

四人は先に歩いて行ったようだったので、三角点からこの尾根に向かって飛び出して

きそうな場所に当たりを付けて、少し先まで歩いて一緒に戻って来たアミちゃん

メンバーを待つ事にする。








待つ事20分ほどで尾根道の向こうから賑やかな声が聞こえて来た。どうやら

小麻山の三角点はゲットできたようだ。この大麻山から琴平山にかけての山頂は

防火帯になっている。この山を東から見ると丁度この辺りの山頂から麓にかけて

防火帯になっているのがよく分るが、山頂も火が金毘羅さんまでいかないようにと

防火帯になっている。グループ登山は久しぶり。女性陣はやはりお喋りしながら

賑やかに歩いている。そのおしゃべりに夢中で象頭山の標高点は通り過ぎてしまった。

















象頭山を過ぎると防火帯は終わり、自然林の中の山道になる。途中にある琴平山の

標高点は登山道から外れて尾根筋にある。その場所が判らずうろつくメンバー。

アミちゃんと先輩と姐さんの四人は先に登山道を歩いて行く。




















琴平山を過ぎ金毘羅さんの真上辺りから道は急坂になる。先輩は落ち葉の尻シェード、

姐さんは何故か後ろ向きに滑りながらキャーキャーと下っている。
















ちょっと〇〇めのアミちゃんに『おむすびコロリンにならんように気をつけて!』と

声をかける。ロープを握りながら慎重に下りて行くアミちゃん。ロープ場が終わっても

けっこうな距離で急坂の下りが続いて行く。










何とか急坂をやり過ごし緩やかな下りになると、後ろから来る先輩と姐さんが二人で

『KAZASHIさんのお尻、小さいな』と言っているのが聞こえてきた。『足も細いし』とも。

『なあなあアミちゃんと並んでみ!』と言ってきたので、嫌がるアミちゃんの横に

無理やり並んでみた。











道が竹林の中の道になると、しばらくして牛尾口に飛び出した。旧伊予土佐街道の

この道を通って土佐藩の脱藩者は丸亀から京や上方へ出て行ったという。その中の

一人、坂本龍馬の像が立っている。










寅と寅の一回り違いの二人が同じようにスマホを見てる。



ここで四人のメンバーと別れて、奥様たちと他に四人のメンバーで愛宕山へと

登って行く。牛尾口の舗装路からは直ぐに急登になる。長い急坂を下った後の急登は

堪える。一つ目の低いピークを登ると既に息切れ。木々の向こうにさらにピークが見える。







二つ目のピークもなかなかの登坂。歩くスピードも極端に落ちる。そのピークを

登りきるとさらに奥にもうひとつピークが見える。『え~ここが山頂でないんかい』

とため息をつくセニョさん。







二つ目のピークからはまた急な下り坂。高さ的には愛宕山と同じピークから50mほど

下って鞍部に。そして当然のようにしてそこから急登が始まる。ひいこらひいこらと

息を切らせて今日最後の登坂。










愛宕山山頂からは北西に金毘羅さんが見えた。木の鳥居の奥に愛宕神社の石祠。














ここで四人のメンバーは駐車場へ、我々は反対方向のいこいの郷公園へと下って行く。

地形図には公園近くへと破線が続いているが、それらしい道がなかなか見つからない。

一旦岩場に出るが眼下にクリーンセンターのエントツは見えるが、道はこちらには

ない雰囲気。すると奥様たちが赤テープを見つけたと言って下って行くが、途中で

そのテープも途切れて、YAMAPを見ても道から外れている。スマホを見ながら

羊歯と藪の中を軌道修正しながら下って行く。

















一旦地形図の破線の道に出たが、直ぐにまた見失う。本来なら基本から外れるが

すぐそこに県道が迫っているので、谷筋へと下って見ると砂防ダムに出た。











砂防ダムからは作業道の跡らしき道を辿って行くと県道に飛び出した。

最後の最後に急登と急坂、そして藪漕ぎと、なかなか簡単には終わらせてはくれなかった。

これで弥谷寺の駐車場から善通寺五岳、そしてこの峠までが繋がった。

次週はその弥谷寺の駐車場から繋がっていない弥谷山への分岐までと、

黒戸山の南の大見地区から貴峰山の登山口を繋ぐために、既歩だけれどもそれぞれの

山を縦走して掛けた区間を繋いで行く予定だ。














今日のWOC登山部のメンバーです。






今日のトラック




『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 善通寺五岳

2022年12月30日 | 香川の里山

ここの最近の寒波で南国高知でも過去最高の積雪が見られ、阿讃山脈の山肌も

白一色になった。本来なら前回の続きを歩きたかったのだが、山間部はしばらく

避けて平野部の里山で線を繋いでいく事になった。すると奥様たちから、

あっちゃんが歩いていない善通寺五岳はとの連絡が入った。

ルリちゃんと私は何度か歩いているコースだけれど、善通寺から鳥坂峠へ降りて

そのまま弥谷寺から弥谷山へと登れば、天霧山から黒戸山の区間と繋げることが

できる。そう考えて集合場所を弥谷寺の駐車場にして、二台をデポ。そして一台に

乗り込んで、善通寺の駐車場へと向かった。

まだ時間も早く駐車場には車がほとんど停まっていなくて、これから登る香色山

その奥に筆ノ山が朝陽に輝いていた。







香色山へは登山道というよりは遊歩道のような道が続いている。二週間ぶりの山歩きで、

その間のお互いの話をしながらゆっくりと登っていると、地元の人がけっこうな

スピードで追い抜いて行った。途中からは善通寺の市内と東の景色が、まだ明け

きらない空の下で少し霞んで見えた。







山頂ではさらに西側の筆ノ山我拝師山がオレンジ色に染まっていた。

風がないのか番の州のエントツの煙はほぼ真上にあがり、その横に瀬戸大橋も見える。













香色山からは空海ウォークの標識が所々に掛けられている。筆ノ山との鞍部手前の

香色山大師堂の横を通るとお参りに来ている男性とすれ違う。『おはようございます』

と挨拶をすると、明るく『おはよう!』と声が返ってきた。ミニ88か所の石仏も

その横で『おはよう、気を付けてね』と言ってくれてるようだった。













鞍部から以前はなかった?『立ち入り禁止』の看板の前を、一旦右に折れて筆ノ山の

裾野を回り込む。スズタケのトンネルを抜けると道標に従って左へと登っていく。














コンクリート道を登って行くと石鎚本教善通寺教会がある。社殿への石段には石鎚神社

土小屋遥拝殿と同じように、石鎚山の鎖が掛けられていた。







教会の横を抜け筆ノ山西山登山口へと入っていく。道には五つの山の形をした五岳山の

標識が続いている。途中には子安弘法大師の石仏。もともと弘法大師は四国を回った時、

難産で苦しむ妊婦を助けた伝説が数多く残っていて、子安大師として祀られるようになった。













途中で朝比奈登山口との分岐さらに九十九折れの道を登っていくと石鎚教会奥行場の

道標。この道標の奥行場に進むと、岩壁に鎖がかかりその頂部には石鎚大神の石仏が

祀られている行場があるそうだ。山頂に近づくにつれ道の傾斜は急になっていく。

ちょっとした拍子にストックを道の下に落とし、そのストックを取りに道から下に

降りると、あまりにも急で転げ落ちそうになった。何とか木の枝を掴めて難を逃れる

事が出来たが、これを道もなく直登するとなればかなり大変そうだ。










その間すでに山頂に着いた奥様たちが待っていた。その手前には石積で丸く囲った

井戸のようなものがあり、中に降りられるように石段が組まれていた。その山頂付近には、

安山岩の板状節理が見られ。四等三角点 筆之山 295.73mになっている。

山名標識の横には宝生如来の石仏があった。







北には天霧山・弥谷山・黒戸山、東には善通寺市街から丸亀、そして飯野山・城山から

横山・大原、そして猫山・大高見峰が一望できる素晴らしい眺望だ。







今日はWOC登山部は飯野山で納会登山をしている。その飯野山には中腹辺りに

水平に雲がかかっていた。この二週間の間机に向かって根を詰めていてほぼ一日中

座りぱなっしで、全く歩いてもいなかったので、ここまでですでにお尻の筋肉が

パンパンになっていたので屈伸運動。けっして人前で〇〇〇しているわけではありません。

ましてや立ち〇〇〇しているわけでもありません。










筆ノ山からは南に向かって下っていく。向かいの我拝師山は独特な山容をしている。

そしてこの筆ノ山よりさらに急な角度でそびえ立っていた。








急な場所にはお助けロープが張られている。南に向かっていた道が南西に振ると

道の傾斜は緩やかになり、雑木の中に続いていく。











そのうちに我拝師山との鞍部の大坂峠に降りた。するとあっちゃんがこの場所には

見覚えがあるという。以前にWOC登山部で来たことがあるのかもしれないと。










さぁここからの登りが今日のメインイベント、我拝師山への登りです。相変わらず

奥様たちは余裕でどんどん登って行きます。後ろからひいコラひいコラと息を切らせて

登って行くへっぽこリーダー。







筆ノ山の山頂が上に見えたのが、次第に下に見える標高に。その筆ノ山の後ろに

讃岐らしい可愛いらしいポコポコとおむすび山が浮かんでいるのが見える。










山頂近くになると道は緩やかになり、山頂特有のi小岩が点在する道になる。

何とか奥様たちに遅れはとったが我拝師山山頂に着いた。

山頂は広々していて三等三角点 禅定山 480.94m








山頂から西にほぼ平らな尾根を歩いて行く。あっちゃんに『ここからお楽しみですよ!』と。

まぁあっちゃんには甲斐ないと思うけど岩場と鎖が・・・・・。




広尾根の西端からは捨身ケ嶽のプチ岩場になる。『え~これが岩場なの・・・?』と

文句を言いながら降りていくあっちゃん。














するとその岩場に見晴らしのいい展望所の突端があった。下を見ると出釈迦寺

奥の院が見える。満足しきれないあっちゃんはその端まで歩いて行く。







高いところが苦手なルリちゃんはそのまま降りて、下から見上げて『早よいらん事

考えんと道を降りてきいまい!』と言っている。そう、あっちゃんは道ではなくその岩を

下って行こうと考えていたのを見透かされたのだ。





さらに下っていくと捨身ケ嶽と呼ばれる稚児大師像が祀られている場所がある。

この場所には、空海が7歳の時に7日間修行をしたが、なお仏に出会えず身を岩下に投げた時、

お釈迦様が現れて彼を救ったという伝承が残っている。








その稚児大師像の下が鎖場になっている。太く真新しい鎖が岩に沿って垂れている。

この鎖場くらいなら奥様たちにとってはへでもない。逆に大したことがなかったと

文句を言われそうだ。それにしてもルリちゃんはどこに降りようとしているのだろう?

鎖場でなかなか見ることのできないポーズだ!

















鎖場を降りて根本御堂の下を潜り御堂にお参りをする。本来はここが札所だったのが

大正時代に麓に移されたそうだ。たしかに奥の院にしては境内にある御堂は立派すぎる。

南側には西讃の里山が見渡せる。羅漢像の横を通り山門の前に出るとお正月の飾りを

終え準備万端だった。










中山へは取り付きから少し岩場を登って行く。その岩場を少し上ると後ろに我拝師山を

背にした出釈迦寺奥の院。そして我拝師山の右には大麻山、左には善通寺から多度津に

かけての平野部が広がっていた。捨身ケ嶽では少し拍子抜けしていたあっちゃんも、

『今日ここまで来れてよかった』と、目の前のこの景色に感動している。














山門から15分ほど急登を登ると中山。この山は地形図には山名は載っていない。

立派な山名標から西は比較的平らな山頂になっている。













その山頂から緩やかな坂を下っていくと最後の火上山との鞍部になる。鞍部からの

登りは少し今までの植生と少し変わってきた。道の脇には獅子の横顔の岩。














途中にあった鉄塔には、絶対に登れないように他の鉄塔にある柵ととは別にアンテナの

様な柵を左右につけていた。さすがのあっちゃんもこれでは登れまい。




山頂手前の今日最後の登り。ここまでで腰と背中の張りは半端ない。やはり普段から

少しは運動しないとと思いながらも・・・・・。

火上山山頂も比較的平らな山頂。これで五岳山を完歩。あとは鳥坂峠に下るだけだ。







西にほぼ水平に歩いたあと南西へと下って行くと、道は北に折れて続いている。

その場所の奥に展望所がある。ここからは高瀬から観音寺にかけての絶景が

広がっている。元々こっちに自宅のある奥様たちの豪邸が見えないかと探したが

どうやらここからは見えないらしい。唯一、WOC登山部の他の奥様の自宅が

確認できた。














展望所であ~でもないこ~でもないと地元の話で盛り上がった後、北に続く道を

下って行く。しばらくは等高線に沿ったトラバースのような道だったが、

途中からはロープが張られた急坂になる。
















ロープ場をやり過ごすと一旦支尾根の道になり、その尾根道から次に右に折れて

谷筋へと下る。小さな沢を渡りさらに進んでいくとミカン畑に出た。目の前には

弥谷山。そして鳥坂峠へと下って行く。




















鳥坂峠から国道を横断してため池の堤を歩いて行く。すると池の端で野良犬が吠え出した。

それも一頭ではなく次々と何頭も現れた。少し焦ったが先頭をルリちゃんと交代して

恐る恐る歩いて行くと、吠えながら山の中へ消えていった。(汗)

池の堤から野犬と反対側の山の中へ登って行くと高速の側道に出た。側道を少し

歩いて、高速の上の高架橋を渡って反対側の側道に。その側道をしばらく歩くと

遍路道の石柱が立っていた。
















地形図には讃岐遍路道(曼荼羅寺道)と載っている遍路道を歩いて行く。火上山の

登りで今日最後の登りと思っていたら、この遍路道もなかなかの登坂だ。ワックスの

効いたクヌギの落ち葉が足を滑らせる。













鳥坂峠から約40分で車をデポした弥谷寺の駐車場に着いた。本来ならここから

弥谷寺を参拝して天霧山から弥谷山への尾根まで登ると、また線が繋がる予定だったが、

我拝師山で話し合って、今日はここまでにしてお昼ご飯をまたうどん屋で済ませることに

していた。行動食だけでここまで歩いてきたので遍路道の登りではシャリバテで足が

動かなかった。さっそく車に乗り込んで宮川製麺所に直行。お昼をとうに過ぎていたので

店は混んでいなく、ツルツルとあっという間に2玉を頂いた。前回は三嶋製麺所、そして

今回は宮川製麺所と讃岐ならではの里山と讃岐うどんのコラボ。また次回からも山歩きの

コースとは別にうどん店を探索しなければならなくなった。
















今回のトラック




『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 笠形山

2022年12月16日 | 香川の里山
『線で繋ぐ引地山~石鎚山』を先週は黒森峠から白猪峠までを歩いた。そして

その次の区間となると黒森峠から青滝山を縦走する事になる。その為には

久万高原町の梅ケ市登山口に車をデポしなければならないのだが、天気予報を

見ると早くから雪マーク。ノーマルタイヤでは登山口までのアプローチも

怪しいので、早々に黒森峠から東への残り3区間は来年への持ち越しとなった。

そうなると県内の里山歩きになるのだが、今年の2月に阿讃縦走路を終えて直ぐに

引田から折り返し、荘内半島の讃岐三崎灯台を目指して歩き始めた。

引田鼻灯台を東端として、白鳥アルプス・虎丸山・笠ケ峰を経て日下峠まで繋いだ

ところで、私がスキーで転倒して腰を痛めて中断となっていた。その続きの日下峠

から檀特山・女体山から大窪寺は日中の時間が短いこの時期には、少し時間がかかる。

ならどこを歩きたいですか?と奥様たちに尋ねたら、笠形山と返事が返ってきた。

計画の線で繋ぐの中では丁度中間部になるのだが、この琴南辺りは県内でも意外と

雪が積もる地域なので、本格的な雪のシーズンになる前に歩いておくのも手だと

思って了承して琴南の公民館を集合場所とした。

(尾瀬山から西をどう繋いで行こうか思案中)



琴南の公民館からは美合の郵便局を過ぎ少し走った所で国道438号線から東に

雨島の集落を目指して走って行く。途中の前ノ川の集落まではまだ人が住んでいる

家があったが、途中からは無人の廃墟となっていた。道はかなり狭く、昨日の強風で

杉の枝葉が道路に落ちて散乱して、路面のアスファルトが全く見えないような場所が

何ヵ所かあった。それでも個人的には予定していた雨島の最終民家まで行けない事は

無かったが、山を下りてデポ車を取りに行くのには奥様たちの運転になる。その

奥様たちが自信がないと言うので、途中の黒部渓谷を過ぎたダムの手前に車を停めて

スタートする。直ぐ上のダムの突堤に立っていると雪がちらつき始めた。




スタートして直ぐは杉の枝葉が散乱していたが、しばらく歩くと道の両側に落ち葉が

積もった歩きやすい道になった。雨島の集落まで来るとどの家も無人で屋根だけに

なった家や朽ち始めた家があちこちで見受けられた。

雨島の集落は1950年代には12戸ほどになり、主に製炭で生計を立てていたそうだ。

初めにスタート地点として予定していた最終民家までは結局45分かかった。













その最終民家でアスファルトの舗装は終わり、道は地道になる。道に沿って歩いて行くと

笠形山ハイキングコースと書かれた道標が建っていた。







道標からしばらくは竹林の中の道。その竹林を過ぎると掘割のような掘れた道には

落ち葉が積もって、その落ち葉に隠れて道の段差が判らず躓いたりして歩きづらい。







最終民家から15分ほどで雨島峠に着いた。峠には三界萬霊の石仏が座っていた。

この峠を越えて戸石集落への行き来があった当時から道行く人々を見守ってきた。

今は時々訪れる登山者を昔と同じように静かに見守っている。『さぬき 里山 探訪&

トレッキング』さんによると、以前は花立には花が上げられたていたのを見かけたそうだが、

今は雨島は無住になり戸石の切山集落も高齢化で、ここまで花を上げにくることができなく

なったようだとの事。いずれはその存在も忘れ去られるのかもしれないと書いていた。













峠からは左に折れて稜線歩きが始まる。稜線歩きといってもこのコースは電力の

鉄塔保線路と登山道が入り混じっている。尾根から北側の景色は木々の間から

薄く見える程度だ。







峠から直ぐに鉄塔広場に出た。107番鉄塔の北側に最初の三角点三等三角点 樫原 798.06m










保線路は基本的には尾根の南側に続いている。道は明瞭でとても歩きやすい。逆に

尾根道は折れた木の枝や木々の間の不明瞭な道で歩きづらかったりする。







途中で木の枝にヒラヒラとたなびく黄色いビニールの帯があった。帯には

RACE COURSEと書かれていたが、10月に行われたManno moutain Madness

2022のトレランのレースの残置の様だ。

このレース、ことなみ未来館をスタートして大川山から真鈴峠そして阿讃縦走路を

使って竜王山を経て、この笠形山に至り未来館へと周回する、全長40km、

累積標高2,800mというレースで、更にはそれを2周する80km、累積標高

5,600mというカテゴリーもあるとんでもないレース。同じ人とは思えない、

ただただ呆れるばかりだ。




108番鉄塔の広場では南に向かって続く支尾根を下り間違えそうになる。保線路は

広場の上の北側から尾根と交わり続ていた。





109番鉄塔の広場は108番の広場が傾斜地だったのに対して、比較的平らな

広場になっていた。保線路は木々に遮られ眺望はほとんどなかったが、この広場は

とても見晴らしが良い。南には竜王山に続く稜線と今まで歩いてきた鉄塔が

並んでいるのが見える。











以前にこのコースを歩いた事のあるREIKOさんによると、この縦走路には

三角点と標高点のピークが七つあるそうだ。セブンピークと呼ばれるピークの

二つ目のピークの776mの標高点が直ぐ近くにあったが、特に目印となるような

ものは見つけることが出来なかった。776mの標高点は保線路から少し外れたので、

尾根の南側の保線路へと雑木の中を下っていく。







保線路へと戻ると今までと同じように快適な道が続いていくが、二つ目の

三角点の手前で今日初めての登坂らしい登りになる。














その坂を登りきると四等三角点 前ノ川 700.2mに着いた。ここには比較的キレイな

キティーちゃんのプレートが木の幹に括り付けられていた。

プレートに書いている『まだ先は長い』は笠形山への事なのかそれとも竜王山かな?








この辺りになってくると送電線鉄塔は尾根からかなり離れて南側に続いているので、

保線路は別にあるかもしれない。そして登山道としては申し分のない歩きやすい道が続いている。








次の三角点の手前で今日一番の急登になった。途中からはロープが張られている。

先週の石墨山の三大急登のロープ場で、ロープを握って登ったら手袋が濡れて

しまって手が冷たかったので、今日はロープを使わずに登りますと言いいながら

登っているあっちゃんは、落ち葉の下の濡れた斜面に苦戦をしている。




 






背に腹は代えられない。ロープを使って登りあっちゃんを追い抜くが、前を行く

ルリちゃんは靴のグリップが良いのか、足を滑らせる様子もなくグイグイと登って行く。




その急登を登りきると四等三角点 樫原 735.8m。ここにもキティーちゃんのプレートが

あったが、先ほどのプレートとは違って二つに割れたのを、誰かが赤テープで修理していた。











樫原の三角点辺りから落ち葉の上にはうっすらと雪化粧。道の脇の切株はまるで

ロールケーキに粉砂糖をふったように見える。今日、三回目の急登を登って行く。











113番鉄塔は白とオレンジ色に濡り分けられていた。今までとは大きさも

高さも違う鉄塔だった。航空法では60m以上の高さの建造物は白と赤に塗分けが

義務づけられているらしい。

この鉄塔から尾根を越えて讃岐変電所へと送電線は続いている。

時間は11時30分。いつもならあっちゃんがお腹が空いたと騒ぎ始める頃なのに、

今日は早めに下山するので、どうやら下山後にうどん屋に行くつもりらしい。

ただここからはまだコースタイムで2時間15分かかる。果たして空腹で行き倒れに

ならないか心配だ。














落ち葉の上の粉砂糖は、前の奥様たちが歩いただけで踏み跡になっていく。








『笠形山・尾根道・戸石へ』の文字だけは何とか判読できる錆びてしまった案内板。

地形図で笠形山と書かれた位置からこの間で尾根からけっこう離れて道は続いている。

戸石へと書かれた道が今歩いてきた道なのだろう。











案内板から少し登って行くと笠形山に着いた。三等三角点 笠形 762.2m

前回来たのは所属していた山の会の『山楽会』での忘年登山だった。この山頂で

お昼ご飯を食べて、下山後にビレッジ美合で温泉に浸かった後の忘年会だった。














時間は12時。ここからまだコースタイムでは1時間20分になっている。『さぁ~

急いで降りるわよ!』とルリちゃん。今まで散々朝ドラの話をしていたのに、急に

黙ってしゃべらずに歩き始めた。こうなったら手がつけられない。後でYAMAPで

確認して見ると、平均ペースの180%以上で下っている。








スピードアップで短い時間で高度が下がり、今までの粉砂糖の道から、たっぷり

ふんわり積もった落ち葉の道になった。














右下に広域基幹林道・塩江琴南線が見え始めると今日一番の展望所に出た。

西には白く雪を抱いた大川山の山肌。北には象頭山とその奥は我拝師山かな?







足元にはゴール地点の琴南の公民館。そして北東には峰山の東に高松市内が見える。











展望所からさらに下って行くと三差路になっている場所から、左に折り返すように

下って行くとショートカットの道になる。さっきまでの道と比べて少し荒れた感じに

なるが、それもすぐに終わって作業小屋の様な場所に出た。

ここを左に折れる










そこからさらに左に下って行くと民家の横に出たが、危惧していたように猪避けの

柵で囲われていた。どうやって出ようかとうろついて出られそうな場所を探すが、

どうも見当たらない。そうこうしている内にルリちゃんが括ってあった針金を

器用に解いて柵を開けてくれた。ここからは一目散に三嶋製麺所へ!!











私とあっちゃんは大とタマゴで300円。ルリちゃんは小とタマゴ200円。

隣のおじさんはそば大を平らげた後またそば大を注文した。とにかく冷え切った身体に

喉越しのいいうどんがツルツルと胃袋に落ちていき、身体を暖めてくれた。







食べた後お店を出ると南に今歩いてきた笠形山の稜線が見えた。

これからの『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』は計画では今日のような明瞭な

道ではなく、YAMAPで探しても歩いている人がほぼいない区間が多くある。

地形図の破線と、鉄塔保線路を頼りに頭を捻る日々は続いて行く。




今日のトラック


『里山に遊ぶ』雲附山と無名峰

2022年11月23日 | 香川の里山

今週は天気予報をみているとどうも水曜日の天気が怪しい。なら火曜日に変更!と

奥様たちに連絡。するとルリちゃんから一枚の写真が送られてきた。その写真は

今週予定していた黒森峠の手前で時間通行止めを知らせる看板。慌ててネットで

四国地方道路情報システムのHPを見てみると、黒森峠の北側で三か所、時間通行

止の表示があった。時間通行止めは朝の早い時間はまだ工事が始まっていないので

問題はないが、帰りにその工事の時間に当たってしまったら、下手をすると1時間

近く待つ羽目になるので、できるだけその道は走りたくない。

とは言え、黒森峠を松山市・久万高原町を通り南側から回り込むとなるとかなりの

時間がかかるので今回は繰り延べする事にした。(後日プチファーマさんから通行

止めは解除されていると教えてもらった)

その代替案として昨年から歩きたいと思っていた須磨から六甲山の縦走はどうかと

いう話になり盛り上がったのだが、これも都合が悪くなり結局自主トレとなった。

それなら独りでどこに出かけようかと前日の夜に思案。天気予報はそんなに良く

ないので、県内の里山にまずは的を絞った。六甲縦走をする前に距離を歩いてみる

のもいいかなとも思ったが、最近YAMAPで鉄塔一筆書さんが、大川ダム周辺の

岩山を色々なコース取りをして歩いているのを見て、久しぶりに歩いて見たくなった。

独りで里山歩きをしている頃、車で走っていて目についた里山によく登っていた。

特に岩肌が見える峰には興味津々。大川ダム周辺にはそういった山肌が至る所に

あったので、うろついていた時期があった。そんな昔の記憶と鉄塔さんの活動日記を

重ね合わせて、今日は里山原点回帰でその無名峰に登ることにした。


大川ダムまでは自宅から車で20分ほど。朝ゆっくりめに家を出たら直ぐに雲附山が目に

飛び込んできた。『そうだ時間もある事だし久しぶりに雲附山にも登ってみよう』と

思い立って、登山口となる高速道路の側道へと車を走らせる。この山に最後に登ったのは

5年前。その時と比べると駐車場も整備され、駐車スペースごとにロープが張られ区分

されていた。簡単に身支度を済ませてメインとなる登山道を歩き始めて、ふと『この

山なら、奥さんも登れるかな』と思い、電話をかけて見ると最初は難色を示していたのに

次第に『歩いてもいいかも』となり、登山口が判らないと言うので、一旦車まで戻って

わざわざお迎えに。これで加点1。


駐車場には3台程車が停まっていて、歩き始める頃にはもう2台程車がやってきた。さすが

地元では人気の山だ。駐車場には物置も置かれ、清掃用具なども置いてあった。

駐車場からしばらくは車も通れる幅の広い道を登って行く。







途中からは竹林上人と関連の深い、間川三十二勝と合流する。子供たちがまだ小さかった頃、

よくこの間川三十二勝の道を登って来たのを思い出す。その上部にある白蓮池の堤体は

コンクリートで固められ、以前とはまったく姿が変わっていた。








しばらくは同じように幅の広い道。谷筋から尾根への登りになると山道らしくなる。

道の中央は踏み固められているが、その両側はイノシシ?が掘り返している。

『えっ、イノシシ!怖いから音楽流そうか?』と奥さん。まあ昼間やから大丈夫やろと。











尾根から東に道標に従って歩いて行くと、山頂からの支尾根の先に石鎚神社があった。

ここも社殿が増築され真新しくなり、狛犬の奥にはベンチが置かれ、目の前に志度湾の

景色が広がっていた。











その景色を見て感嘆している奥さんの横で、木にぶら下げてあるペットボトルから

ヒマワリの種を取り出すと、直ぐにヤマガラが何羽も飛んできた。それを見て最初は

驚いていたが、少しづつ慣れて自分で手を差し出し喜ぶ奥さん。

今回誘った目的は、この眺望と手乗りのヤマガラ。これで加点2。














石鎚神社からは尾根に沿って山頂へ。以前からある鳥居は立ち入り禁止になり、貫の

部分が落下しそうで木で支えられていた。







石鎚神社からは2~3分で山頂に着いた。ここでも以前と比べると南側が開けて

讃岐七富士の内のひとつ、白山が正面に見える。ここでも奥さんがその景色に

見惚れていた。加点1。













山頂広場の中央には山名標と登山記録のノート、そして駐車場付近にもあった、木の枝と

ガッチャの色とりどりの丸いプラスチックのケース。これは何かのオブジェのつもりなのかな?










低山の里山ながら思わぬ景色とヤマガラと戯れて大変満足頂いた様子の奥さん。場所、

場所で加点を頂いて、これで次の無名峰へ気兼ねなく出かけられるとほくそ笑む私。








奥さんを自宅までお送りした後、さっそく大川ダムへと向かう。ダム湖の周りも

色とりどりの木々。予定していた路肩に車を停めて取付きとなる場所まで県道

2号線を歩いて行く。見上げると三筋ほどに分かれた岩尾根が見える。ワクワク!










以前の記憶を辿ってヘヤピンカーブの奥から取り付いて行く。お墓の横を通り何となく

踏み跡ぽい道を辿って行くが、途中からは里山らしい羊歯の下草の中へ。







その羊歯が下草から背丈ほどになってくると、足元も見えず少し方角も判りづらくなる。

今回は里山歩きをしていた昔に戻って、GPSを出来るだけ使わず、目に見える範囲で

判断して歩く事にしていたのだが、途端に不安になる。そこは我慢してスマホを見ずに

羊歯を掻き分け登って行くと、直ぐに花崗岩が風化した尾根に出た。







どうやら下から見えていた岩肌の尾根に出たようだ。振り返ると檀特山へ続く稜線が

見える。頭上にはこの岩肌のピークが見え、横を見るともう一筋向こうの岩尾根が見えた。










岩肌にはちょこちょこと松の木が生えているので、それを掴んで登ったり、岩に手を

掛け、ポロっと取れないかを注意深く確認して掴み、三点支持で登って行く。

ただ握った先が松の枝ならマシなのだが、里山の岩尾根の特徴の一つのネズミサシだと

悲惨な事になる。朝出かけに厚手の手袋にしようかと迷ったが、結局薄い手袋を履いて

きたのが間違い。目の前のネズミサシを手で握ったり避けようとするとチクチク手袋の

上から射してくる。じっくり今日のコースを考えれば予想できたのにと反省。














今日はGPSを出来るだけ使わずにという課題とは別に、いつもと違う登山靴を

試しに履いてみた。昨年の御来光の滝用に買ったモンベルのタイオガブーツ。

渡渉ヶ所の多い御来光の滝で、抜群のグリップ力が謳い文句のトレールグリッパーを

採用したモデルで、その謳い文句に釣られて買ったのだが、何度か履いた後、黒滝山

からの長い下りで小指の皮が剝けてしまって以来、履かずに車に載せたままの靴だった。

今日は距離が短いし、最近はいているシリオのグリップでは不安が残る。そこで試しに

掃いてみたが、さすが謳い文句通り、岩肌でのグリップはバツグンだった!











下から見上げ岩尾根の突端まで登りきると今まで南側だけだった景色が、いっぺんに

広がった。一番手前に虚空蔵山。その奥に雨滝山と火山。そのさらに奥に北山そして

津田湾の奥に小豆島が見える。

そして東には日山の奥に六ツ目山が重なり見えた。











平らな岩に腰を降ろして一息入れた後、花崗岩とその花崗岩が風化したザラついた

尾根を北西に向かって歩いて行く。その花崗岩の尾根は直ぐに灌木の尾根になる。

尾根筋は木々の密集度が高いので、それを避け尾根から少しトラバースしながら、

幹や枝を避けながら進んで行く。







灌木の尾根からまた一旦、花崗岩の尾根に出た。先ほど以上の眺望が開けていた。

少し平らになった場所でお昼ご飯にする事にした。県道2号線を走る車の音が

時折聞こえてくるが、あとは鳥の声が聞こえてくるだけ。吹き上げてくる風は

少しだけ肌寒いが、それも暖まった身体には心地いい。



五剣山と屋島の間に志度町の石鎚山


クレータ-五座を始めとしてほんとおむすび山が多い


雨滝山の山肌の紅葉はピークかな?







今日は稲荷寿司2個と豆腐の味噌汁と軽めのお昼。360度のこの景色を今日は独り占め。







さてお腹も満たした事だし、どこを下って行こうかと思案。ここで初めてスマホを見てみる。

この場所からは足元が全く見えないし、尾根ではなく谷筋になってしまう。

途中で見えた何筋かの岩肌を下る手もあるが、足元の見えない下りは危険度が増す。ここは

安全をとって、地形図に載っている221mの標高点をめがけ、その後県道に降りる事にした。



ダム湖の右手が221mのピーク




221mへは尾根、そして広尾根を辿って行く。途中ウバメカシの尾根になったかと思うと、

雑木の中の藪っぽくなった場所もあり、里山らしい道を下って行く。ただとにかく背中を

伸ばして歩けるような場所はなく、中腰の姿勢で歩いて行くのが、ここのところ調子の

良くなかった腰には堪えた。途中では人だろうか動物だろうか、いずれにしても通った

際に枝を折った跡が二ヵ所ほどあった。














221mの手前でそのピークには登らず、県道へと続く尾根の下をトラバース気味に

下って行く。最後は尾根から法面の補強工事をした場所から県道へと降りた。











奥さんのご機嫌もとれ、久しぶりの独りでの里山歩き。GPSもない頃にとにかく

周りの地形を確認しながら判断して歩いて、時には道を外し間違え、後悔しながらも

藪の中を歩いた。それがまた楽しかった昔を思い出した一日だった。

家に帰りお風呂に浸かると体のあちらこちらで擦り傷がお湯に沁みて来た。これも里山

歩きのあるあると、また一つ昔を思い出し湯船の中で独りでほほ笑んだ。