KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

タイムリミットは午前中!ならばと前山へ行ってみた。

2024年02月15日 | 香川の里山

『今日は仕事午前中までやから!』と奥様。『ハイハイ言わんとする事は分っております』

先週のバイカオウレンで出血大サービスしたので、今週は大人しくなるかと思っていたが、

逆効果だったようだ。まぁでもまだ一日お山歩きできるほどには膝は回復していないので、

『まっ、いいか!』とポジティブに捉えて、お昼過ぎには帰って来られるお山をチェック。

そう言えば以前に鵜岬さんがYAMAPで『瀬戸内海の絶景が目の前に!』と活動日記を

アップしていたのを思い出した。その大屋敷の前山はほとんどが舗装路だったとも書いて

いたので、まだまだ不安の残る膝でもゆっくり歩けば問題ないだろうと思い出かけてきた。





坂出市の大屋敷町の厳島神社がスタート地点。最初の鳥居を潜って坂道を登って行くと結

構広い駐車場があった。時間は9時丁度。3時間ほどで周回して戻って来られれば、13

時前には自宅に戻れる計算だ。駐車場から境内へ入ると朱塗りの立派な社殿が正面にあっ

た。駐車場を利用させてもらうので形だけでもと参拝して、戻って石段を降りて行く。

境内からは大屋敷の街の向こうに番の州の工場の煙が上がっているのが見える。










石段を下りて東に神社の立派な石垣に沿ってコンクリートの道を登って行くと、ため池の

土手の改修工事が大規模に行われていて、道の脇にはミニ八十八カ所の石仏が並んでいる。










そして紅白の梅に水仙も咲いていて、まだ少し肌寒いが春間近な雰囲気を感じながら坂道

を登って行くと、その坂道の奥には垂直に切り立った岩肌が見えている。











『岩登りができそうな立派な岩壁だな~』と思いながら歩いて行く。そういえば30年以上

も前に、会社の同僚の女性に誘われて山登りを始めたのだが、その時にこの辺りの岩場にも

来た記憶がある。(もちろんその時は登ったのではなく、岩登りの見学だった)といっても

その岩場はここではなく、五色台トンネルの南側の青梅辺りから見える岩壁だとずっと思っ

ていた。(ミカン畑の中を登って行くと岩場があった記憶があったので)







農業用の揚水機場の横を通り更に登って行きながらふと足元を見ると、今日はそういえば

登山靴だ。おおよそ2カ月ぶりに登山靴で歩いている。ここ何年こんな長い期間登山靴を

履かなかったのは初めてかもしれないな~。久しぶり過ぎて、いつも膝の用心の為にと持

って歩いているストックを持って歩いていないのに、ここまで来て気づいた。ん~ん最後

の下り坂が心配になってきた。










標高も上がって来て次第に尾根に近づいて来た。九十九折れの道の折り返しの所で反対方

向に踏み跡が見えた。『ひょっとしてあの岩壁の足元に?』と思いながら興味本位で歩い

て行くと、案の定、山手側が岩壁になってきた。

更に少し下がって行くと目の前に小さな小屋が現れた。小屋の壁には『しわく山の会オレ

ンジヒュッテ』と書かれている。やはりこの岩壁はロッククライミング場になっているよ

うだ。すると30年前に来たのもこの岩場かもしれないと思い始めた。










小屋の横を通りさらに下って行くと、岩壁の下の土だまりが少し広くなった場所にベンチ

が置いてあり、その前の岩壁にはボルトが打ち込まれていた。その岩壁でなんちゃってク

ライマー(登っている振り)。しばらくの間ほぼ垂直に切り立った岩壁を下から眺めた後

小屋まで戻ると、岩に小さな名札がかかっていた。どうやら登るルートによって名前がつ

いているようだ。










岩場を後にコンクリート道まで戻りさらに登って行くと稜線に出た。ここから地形図には

鎌刀越と書かれた峠らしき名前が載っていたので寄り道してみる。しかしYAMAPに載

っているポイントまで歩いてみるが峠らしい雰囲気がなく、峠によくあるお地蔵さんとか

も見当たらない。仕方なく引き返してみるとコンクリート道に出る手前に何やら石仏が見

えた。近づいて見ると屋根の下に大きな石仏と小さな石仏が二体。その手前には、石の道

標が立っている。するとこの場所が鎌刀越なのかもしれない。大屋敷町と北側の王越町

行き来があった峠だろう。YAMAPのポイントとはズレていたが取りあえず確認ができ

たので、今日の目的地の前山へと歩いて行く。














少し歩くとコンクリート道の北側の木にピンクのテープが掛かっている。ここから道を外

れて尾根へと登って行く。斜面を登り尾根に出ると雑木の中に赤テープが続いている。

尾根の北側は先ほどと同じような岩壁になっている。恐らく北側の王越から見ると、大屋

敷の岩壁と同じような岩肌が見えるのだろう。











さらに登って行くと尾根に岩が転がり始める。陽の当たらない山の北側でなく、陽が当た

る尾根にあるせいか、苔も大きくは育たず小さな緑の苔が岩にはまとわりついている。

周りは海沿いの山の特徴的なウバメガシの林。足元のワックスが掛ったようなツルツルし

た小さな落ち葉が足を滑らせ、今の私には最大の天敵だ。














岩庭を過ぎると尾根はほぼ平らになる。あちこちの木に赤テープが巻かれているが広い尾

根はどこが山頂かが分かりずらい。木々の間を探しながらうろつくと白い山頂札が掛かっ

ているのが見えた。周りの木々と比べるとひときわ大きな木の向かいに二枚の山名札が掛

かっていたので、一応ここが前山山頂なのだろう。








山頂から次は絶景が待つパラグライダーのテイクオフ場へと北西に歩いて行く。広い尾根

は迷いやすいがテープがそこら中に巻かれている。ただテープを探して前を見ながら歩い

ていると、足元の枯れて落ちた枝に足を引っかけて転びそうになる。その度膝が差し込み

痛みが走る。前を見て下を見て忙しくしながら歩いて行くと急に右手の景色が変わった。

『ここがテイクオフ場?』と思ったが、どうも写真で見た景色とは違っている。

それでも王越町と王越山そして乃生湾の先に瀬戸内海が広がる絶景だった。どうやらこち

らは王越フライトエリアと呼ばれる場所らしかった。










一つ目のテイクオフ場から先には道の横に農業用のモノレールが続いていた。そしてその

先に大きな岩の緑の苔が髪の毛に見えるお母さん岩。










その岩を過ぎて電波塔を二つ、横目に見ながら緩やかな坂を下って行くと写真で見た景色が

広がっていた。瀬居島と番の州の工場。その瀬居島の右手には瀬戸大橋も見える。













視線を左に移すと林田の埋め立ての奥に、これぞ讃岐の里山!といった感じのおむすび山

が霞んだ平野に浮かんでいるように見える。予定ではこの景色を眺めながらコーヒーを淹

れて、買ってきたお菓子を頬張るつもりだったが、あまりゆっくりしていると奥様と約束

した時間に間に合いそうにない。仕方がないのでコーヒータイムは諦め、少しの間腰を下

ろして景色を愉しんだら下山開始!











道は同じように北西に向かって緩やかに下っている。途中で道の脇に石積みの中に石仏が

見えた。この場所も南北で行き来のあった場所かもしれない。







テイクオフ場から10分強でまたコンクリート道に出た。ここから左に折れてまた登って

きた時と同じように九十九折れの、今度は下り坂が始まる。道の下には至るところでゴミ

が捨てられている。こんな所まで車で来てわざわざと思うのだが・・・・。











それでも時々木々の間からは先ほど見たのと同じようなのどかな瀬戸内と、讃岐平野の里

山の景色を見る事が出来た。すると軽トラックに積んだ伐採した木を道の下に捨てている

お爺さんの姿があった。『こんにちは!』と挨拶をして横を通り過ぎる。

しばらく下っていると、そのお爺さんが軽トラックで下って来て、『この先に猪避けのゲ

ートがあるから、閉めて降りてくれるか!』と声をかけられた。『ハイ、分かりました』

と調子よく返事をして降りて行くが、そのゲートがいっこうに現れない。











そうこうしている内に麓の県道の手前まで降りてしまった。地形図に相模坊大権現と書か

れた場所の横の倉庫で作業している人の姿があったので、声をかけて事情を説明。降りて

来た途中のミカン畑の持ち主の人だったが、『そんなゲートあったかな?』と言っている。

『ゲートと言ってもワイヤーメッシュを立ててるだけやから、イメージと違うかもな』と

言われたが、猪避けと聞いていたので今まで散々見て来たゲート。『もう登ってよう戻ら

ないんで』と泣きをいれると、『もうミカンの収穫も終わってるからエエやろ~』と言っ

てもらった。取りあえず気にはなりながらも、下道を車を停めた厳島神社へと歩いて行く。










それにしても緩やかだった尾根の道とは違い、ミカン畑の中の急坂の下り坂は膝に堪えた。

ズキズキと痛みを感じながら、まだ着かないかまだ着かないかと思いながら歩いた。

やっとの思いで着いた厳島神社の最後の石段は足をあげるのが精いっぱいだった。何とか

石段を登って鳥居の前でお礼をして車へと戻る。







左の膝を無意識に庇っていたのか、登りでは右の臀部が直ぐにパンパンに張り、下りでは

やはり膝が痛む。まだ今日くらいの歩行時間だといいけれども、長い時間歩くと炎症をお

こしてまた水が溜まるような気がするので、まだまだ無理は出来ない。今まだこの季節だ

とそれ程暑くもないので里山歩きができるけれど、暑くなってくるとそれも厳しくなって

くる。周りは春が近づいているのに私の春はまだまだ遠い。


※よく膝に水が溜まるという水とは、関節液の事だそうだ。関節液は関節包の中にあって

通常は関節の潤滑油の役割をしている。その関節液の量を調整しているのが滑膜。滑膜は、

新しい関節液を作って分泌すると同時に、古い関節液を回収する働きを担っている。関節

の炎症などの理由でこの新陳代謝のバランスが崩れ、関節液の回収が追いつかなくなった

時、膝に関節液が溜まるようだ。溜まった関節液には痛みや炎症を起こさせる物質がたく

さん含まれているという。通常は1~3ml程度の量なのだが、前回抜いた水の量は25ml

もあり膝が曲がらなかった。差し込む痛みの原因は分からないので今度先生に聞いてみよ

うと思うのだが、出来るだけ炎症が起こらない様に歩くのが今後の課題になる。

足慣らしにホームマウンテン屋島に!

2024年02月03日 | 香川の里山

年明け二週目に整形外科でMRIを撮って、腫れていた膝の水を抜いてもらったら、それ

まで曲がりにくかった膝関節が随分と楽になった。それでも半月板損傷は再生されるわけ

でもなく、歩くと痛みが走った。

その翌週は白鳥神社の北側の松原にある御山に、登るというよりは歩いた。さらにその翌

週は、徳島の弁天山、日峰山、芝山と、とくしま植物園を散歩してトータルで3.5km歩い

た。少しづつ歩く距離は延ばしたがそれでも今までの山登りに比べると程遠い。

なので今週はもう少し距離を延ばしてみようと考えたが、今の一番の天敵は『落ち葉の積

もった坂道』だ。登りにしても下りにしてもとにかく落ち葉が積もっているこの時期に、

坂道でその落ち葉で足を滑らすのが一番怖い。乾いた花崗土の坂道も同様だ。

ならやはり平らな道で距離を延ばすのが一番なのだが、ただのウォーキングではつまらな

い。せっかくなら景色のいい場所で気分転換になる場所を歩きたい。となると一番に思い

つくのが子供のころからよく遊んでいた屋島山上だ。

両親の実家が麓にあり、親戚の土産物店が山上にあり子供のころからなじみの深い屋島。

山頂部を構成する硬質の讃岐岩質安山岩が急斜面を形成し、山腹の風化した花崗岩が緩

斜面となる寺勾配(お寺の屋根のような勾配)をしていることから屋島と呼ばれるよう

になったようで、ほとんど平らな山上は子供のころの遊び場だった。

いつもなら麓に車を停めて山上へと登って行くのだけれど、まだやはり坂道が怖いので、

車で山上へ走って、山上駐車場からスタートする事にした。


まずは南嶺を歩いて具合が良ければ北嶺まで距離を延ばしてみよう。それとこれまでほ

ぼ手ぶらだったので、今日はザックを背負って歩いてみる事にした。車の座席からザッ

クを降ろして担いで見るとやはり膝に重みを感じた。

駐車場から瑠璃宝池(血の池)の横を通り、今は廃墟となったホテル甚五郎へと向かう途

中に脇道があった。山上の道はほとんど歩いているはずだが初めて見る道。そのまま奥

へと進んで行くと、墓石が立ち並ぶ広場があった。

屋島寺に関係のある墓石だろうか何かの史跡だろうか??森の中にあって周りはきれいに

掃かれて手入れされていた。








その墓石から元の道に戻って歩いて行くとホテル甚五郎。周りのホテルは解体され更地に

なっているが、このホテルだけはいつまでも残っている。建物のガラスは割られ、落書き

だらけの様子は、せっかくの風光明媚な観光地にあって異彩を放っていた。




甚五郎の前を通って山上の南端になる冠ケ嶽へと向かう。途中に蝋梅の木が一本。透明感

のある薄黄色の花をつけていた。花びらに顔を近づけて匂っていると、後ろから来たご夫

婦のご婦人が『あらこんな所に蝋梅があったのね』と。『え~いい香りがしますよね』と

答えると、『ほんとにね』とにっこりと笑ってくれた。




屋島ケーブルの山上駅の手前の遊歩道には、今はほとんど見かけなくなった木の丸太にク

レオソート塗り込んだ電柱が並んでいた。20年近く前に廃止となったケーブルの山上駅。

昭和初期に建てられたとは思えないモダンな駅舎も、白かった外壁も黒ずみ見る影もない。










山上駅から冠ケ嶽へは地道になる。途端に鳥の鳴き声が騒がしくなった。




屋島神社からだと直登して冠ケ嶽の岩壁直下まで登って、岩壁を西に回り込むとこの場所に

出る。冠ケ嶽からは曇り空だが南から東の景色が見渡せた。










南の前山の頭腰に見える山並みは高仙山あたりだろうか?少し戻って道の西側を下って行

くと、冠ケ嶽の直下にロープが掛った場所があり直登出来る。さすがに今日は近くまで慎

重に降りて行き、岩壁を覗き込むだけにした。ほぼ垂直な数十メートルの安山岩の岩壁を

目の前にして股間がザワッとした。







冠ケ嶽からケーブル山上駅まで戻り遊歩道を歩いて行くと、発掘調査後石積みが復元され

屋嶋の城(やしまのき)。屋島は先ほどの冠ケ嶽のように、山頂付近は岩壁で周囲は囲

われていて、天然の要塞になっていたが、地形的に敵の侵入を受けやすいような場所には

この様な石積みの城壁と門を築いて防備を固めたそうだ。




その屋嶋の城から少し西に歩き遊歩道から林の中へ入って行くと、一等三角点 屋島山

県内に7つある一等三角点の内のひとつになる。





三角点から更に西に行くと麓からのへんろ道、そして屋島寺の山門の前に出る。その山門の

手前から背の低い石垣を越えて林の中へ入って行くと、西尾根展望台へのショートカットに
なる。







この西尾根は以前に一度だけ下ったことがあるが、それこそ落ち葉の急坂を転がる様にし

て下ったのを思い出す。展望台に着くと小さな粒の雨が降ってきた。眼下は低い雲に覆わ

れてあまり眺望はきかない。














西尾根展望台から林の小道を戻って獅子ノ霊巌へ。最初の冠ケ嶽や西尾根展望台には人っ

子一人いなかったが、ここまで来ると観光客の姿があった。新しくできた施設やしまーる

を二人で歩く男女。展望台から瓦投げを愉しむ外国人の家族連れ。








ここのところ左膝を庇って歩いていたせいか、右の臀部が張ってきた。でも膝の調子は悪

くないので、北嶺まで歩いてみる事にする。水族館の横を通り、駐車場を横目に見て歩い

て行くと談古嶺の手前で北嶺への分岐となる。その道はドライブウェイのトンネル上まで

下り坂になっている。長い下り坂もゆっくりゆっくりと歩いて行けば問題なかった。

いつもなら遊歩道から外れて尾根道を歩くのだが、今日は無難に遊歩道を歩いて行く。途

中には新しく展望台の工事が行われていた。











一旦下って登り返していくと遊歩道は二手に分かれている。その先には千間堂跡がある。

千間堂は屋島寺の前身となる寺院があった跡地。鑑真和上が都へ向かう途中で屋島を訪れ、

お堂を建てて普賢菩薩を安置したと伝えられている場所。その跡地の広場には以前は東屋

とトイレが在っただけだったが、今はきれいな休憩所とトイレが出来ている。

その広場から尾根を歩いて行くと山頂の北端の遊鶴亭になる。この辺りになると道の両側

はウバメガシの林。遊歩道の舗装はそのウバメガシの落ち葉で埋まっていた。











遊鶴亭からはいつもと変わらぬ瀬戸内の海の穏やかな景色が広がっていた。沖を行くフェ

リーも何だかのんびり動いているように見える。














しばらくそんな景色を眺めた後、千間堂の広場に戻ってお昼ご飯にする。今日は先日買っ

た無印良品のスパイシーチキンカレー。カレーをお湯で温めて、ナンはアルミホイルに包

んで温めて頂いた。無印のレトルトカレーは何と57種類もあって、たくさん並べられた

中から選ぶのに時間がかかった。その中で選んだスパイシーチキンカレーは名前の通り、

けっこう辛めのカレーでとても美味しかった。








お昼ご飯を食べ終えて担いだザックはスタート時より随分軽く感じた。千間堂広場からの

帰り道。やはりちょっと遊歩道から外れて尾根筋を歩いてみたくなった。安山岩の露岩を

登り、とにかくウバメカシに足を取られないようにゆっくりと歩き、そのまま駐車場へと

戻って行った。最後に屋島寺に立ち寄り『早く膝がよくなりますように』とお願いして家

路へ。先週に比べると距離が延びて、10km弱歩けたがそれでもまだまだ本調子にはほ

ど遠い。お腹周りの浮き輪がどんどん膨らんできているような気がする今日此の頃です。





















新春最初の登山は日本一低い山

2024年01月21日 | 香川の里山

例年だと年明け仕事始めの前に、ひと山ふた山登っているのだけれど、今年は年末の六甲

山で転倒して膝が腫れて曲がらず、平場を歩くのは問題なかったがとにかく階段の登り降

りで痛みが出た。

病院が開く4日に直ぐに整形外科でレントゲンを撮ってもらうと、『骨には異常がないよ

うですが、レントゲンでは判らない、細かい所はMRIでないと判らない』と言われ、1

週間後に検査をすると『半月板の損傷ですね』と写真を見せながら説明してくれた。『水

(間接液)が溜まっているようなので抜いて、ヒヤルロン酸を打っておきます』と言われ

て横になり治療が始まると、今まで経験したことのない、重たく大きな痛みが膝に走った。

25ccほど抜きましたと言って見せられた間接液は黄色く、小さな白いカスのようなもの

がたくさん浮いていた。『これが半月板かもしれませんね』と先生。『膝が楽になったで

しょう』と言われた通り、腫れはなくなり急に膝が軽くなったような気がした。

『山登りをしているんですけどまだ無理ですよね』と聞くと、『無理です!』と即答。

『痛みがなくなればいいですか?』と聞くと、『まぁ~』と、お好きな様にと云った感じ

で冷たくあしらわれた。

そんな感じで年末のケガも後厄の最後だったと慰め、仕事が休みだった奥さんと昼から温

泉に出かけた。その帰り道に以前からSNSで見かけて興味があった白鳥神社のかざくる

まを見に立ち寄ってみた。

境内に入る前に駐車場の横の大きなクスノ木が目についた。県の保存木に指定されている

クスノキは樹齢800年と云われ、県内では唯一のかおり風景100選にも選ばれている。




駐車場から一の門を潜ると、鶴門との間に願い事を書いた札をぶら下げた、白と淡いピン

クの色のカザグルマが藤棚の様にぶら下がっていた。奥様はさっそく家族の健康を願って

お札を書いていた。




2021年秋から「参拝者にとっていい風が吹くことで、物事が良い方向に回れば」との願い

を込めて始めたというカザグルマは、鶴の門を入って右手の表回廊にも色とりどりカザグ

ルマが並んでいた。回廊の格子の隙間から風が吹き込んでくると、カラカラと音をたてて

可愛く回るカザグルマ。なるほど若い女性たちが好んで写真をSNSにアップするはずだ。







拝殿を参拝した後、東隣にある青山稲荷神社にもお参りして境内に戻ると、禊所で祈祷す

るために社務所を空けた神主さんの代わりに、ネコが留守番をしていた。










この日は参拝をした後帰宅したのだが、数日経って奥さんが『白鳥神社の裏に日本一低い

山があるって友達が教えてくれたけど、知っとる?』と。前々から当然知ってはいたが、

果たして山と呼べるのだろうかとずっと疑問に思っていた。いつもなら見向きもしない山

だけれど、今の身体の状態からすると上り下りもなく山に登れる?ひょっとして今年初の

登山になる(笑)・・・・そう思って奥さんを誘って2週続けての白鳥神社詣でとなった。




空は申し分のない青空が広がっていた。膝さえ問題なければ今頃どこかの山を楽しく歩い

ていただろう、なんて思いながら一の門から南を見ると、鳥居の奥に真っすぐ参道が続き、

そのさらに奥に小さな三角のピークが見えた。

以前から何度も登った事のある白鳥アルプスのピークのひとつの石鎚山だ。山頂には石鎚

神社の石祠があり、山頂から北を見下ろすと、手前の御旅所の森から松の並木の参道が白

鳥神社へと真直ぐに延び、南にあるこの石鎚神社の祠に向かって延びているのが分る。










駐車場の西側には石造りの御手洗池があった。夏越祭の際には御手洗池神事が池の外で行

われるようだが、本来は参拝の前にこの池で身を清めてから境内に入る為の場所だったの

かもしれない。




先週と同じように拝殿で参拝を済ませた後、本殿横から北側の松原へと出ると直ぐ横の木

にブランコがぶら下がっていた。




白鳥の松原は昭和31年に瀬戸内海国立公園に指定され、更には62年に日本の白砂青松

100選
にも指定された景勝地だ。そんな事とは露知らず、高校生の時にこの松原でゴル

フクラブを振り回していた事がある。松原の中に9ホールを造って競い合ってよく遊んで

いた。もう40年以上も前だから時効としよう。

境内を出てしばらく歩くと十字路になった場所に石の案内板があった。山頂まで90m。

歩数を数えていけば数えられるくらいの距離。ウサインボルトなら10秒もかからない

距離だ。道の途中には所々にガンジキが置いてあり、松葉が綺麗に掃き集められていた。










ウサインボルトの様にはいかないが、それでも御山には直ぐに着いた。日本一低い山と標

高3.6mと彫られた立派な御影石の石柱が建っていた。その横には三角点を模しているのか

記念碑があったので、いつもの様に写真を撮る。これで今年初登山の終了。

国土地理院の地形図には表記されていないこの御山は、YAMAPにはグリーンの山頂ではな

く、グレーのルートなし山頂のマークになっている。










日本一低い山の登山証明書をもらいに社務所によると、用紙は社務所で、証明のスタンプ

は、神社を出て西にあるお菓子屋のみなとやさんでもらえるという事で、さっそくスタン

プを押してもらって完璧!




神社からの帰り道。県内で唯一?残っているドライブインの大川オアシスで少し早めのラ

ンチ。昭和の時代には我が町内や隣町にもあったドライブインは、ファミレスやコンビニ

にとって代わってしまった。そんな中で当初から改装をせずに営業をしていた大川オアシ

スは、最近は逆に昭和レトロな“映える”スポットとしてSNSで注目されている。

先週と今週もしっかりと奥様サービス。いざ山に復帰できたら、お小言を言われないよう

にしばらくはこうやって奥様のご機嫌をとっておこう‼










六甲全山縦走3/4 六甲山上駅から新神戸駅

2023年12月21日 | 香川の里山
六甲全山縦走も前回の鵯越駅~新神戸まででおおよそ半分を歩いた事になる。今回はその

続きで新神戸から市ケ原、天狗道を通って摩耶山そして六甲ケーブル山上駅までを最初に

考えたが、最後の宝塚までの距離を考えると、もう一つ先の六甲有馬ロープウェイの山頂

駅まで足を延ばしたい。そうなると今までよりは早く香川を出発したい、という問題がひ

とつ。そして次は駐車場の問題。新神戸駅の駐車場は最大料金が3,300円、今までの駐車場

の料金の3倍もする。周りにはタイムズの様な小さな駐車場が点在するだけ。という駐車

場の問題がもうひとつ。色々と調べている内に六甲ケーブル下駅には30台近く置けて最大

料金が1,000円の駐車場があった。このケーブル駅から新神戸への移動はバスを1回乗り継

ぐ事になる。ロープウェイ駅からケーブル駅へもバス移動となり、今回はバスでの移動が

多くなりロスする時間も増えるなと考えていた。


そして前回の再度山大竜寺で、山門からミニ霊場の石仏が並んでいたのを見たら山門を

入って直ぐが大窪寺になっていた。『これって逆うちですかね?』と奥様たちと話をしな

がら市ケ原への道を歩いていく途中で逆うちという言葉で閃いた。そして奥様たちに

『次の新神戸から六甲ケーブルですけど、ケーブル下駅に車を置いて、そのままケーブル

で上まであがって、新神戸まで降りる逆うちはどうですか?』と提案すると、奥様たちが

『え~~!』と呆れ顔。『逆うちって普通は最初から最後まで反対に回る事を言う

んと違うん』とルリちゃん。『途中で1区間だけ反対に回るんて逆うちとは言わんやろ』

と。『そしたら集合時間を1時間早くしますか?』と強気の発言をすると、あっちゃん

考え込んだ。『ハイハイいいですよ。どうせ阿讃縦走のスタートも余木崎からでなくて、

反対の曼陀峠から下ったし』と、ヤケクソな返事が返ってきた。(笑)




と言う事で今回も禁じ手の山頂から麓へと下りる計画となった。ケーブルとバスの乗り継

ぎ時間もあって集合時間を少しだけ早くして、高松自動車道を東に走る。阪神高速神戸線

はちょうど渋滞になる時間帯なので、北神戸線で裏六甲に回り込み『からと西』で高速を

降りて六甲有料道路で南にトンネルを抜けると、もうそこはケーブル下駅。渋滞もなく、

予想以上に早く着いて、ひとつ早い便のケーブルに乗り込んだ。

















予定の8時40分の便だとバスの乗り継ぎは5分間しかなかったが、8時20分の便に乗

れたので時間に余裕ができた。麓の駅ではそうでもなかったが、山上駅では三人で同じよ

うに『寒い・・・!』と声をあげた。時間があったので駅舎の上にある六甲天覧台に上が

ってみると、大阪平野から和歌山方面まで見渡せた。この場所は昭和56年に昭和天皇が

立ち寄られたことで天覧台と名付けられ、日本夜景遺産にも選定されている場所だそうだ。

眼下には六甲アイランド、そして東には大阪のビル群。ひと際高くそびえるのはあべのハ

ルカスだろうか?まだ低い高さの朝日を浴びて遠くに見える雲にきれいな陰影がついてい

る。東から西に続くその雲を高い位置から眺めると不思議な感じがした。













吹きさらしで冷たい風が舞う天覧台を降り、8時55分発の六甲山上バスに乗り込む。

割と早い時間だったが座席は若い子たちで埋まっていた。『こんな時間に??』と思って

いたら、ほぼ全員が六甲山スノーパークで降りて行った。結局ロープウェイ駅で降りたの

は、我々と女性がひとりだけだった。







駅舎の前を通りYAMAPでダウンロードした地図を見ながら歩いて行くと、道には雪が

残っていた。六甲ガーデンテラスも季節によったら華やかな雰囲気のする場所だろうけれ

ど、まだオープン前でしかもこの気温では、なお一層閑散とした雰囲気を助長している。










ガーデンテラスの駐車場の先のカーブから左に山道に入って行く。その地道もすぐに終わり

また舗装路へと飛び出すが、その手前でみよし観音と書かれた像が立っていた。昭和39年

の墜落事故で乗客を助けようとして亡くなった、客室乗務員の麻畠美代子さんの冥福を祈っ

て建立され、その像は飛行機の目的地だった徳島の方角を向いて、空の安全を願う意味を込

めて右手を挙げた像になっている。










舗装路からまた直ぐに六甲山上案内板が立つ場所から右に入って行く。しばらく歩くとネッ

トに囲まれた道になる。道の両側はどうやらゴルフ場のようだ。YAMAPを見て見ると、

神戸ゴルフ倶楽部となっている。神戸ゴルフ倶楽部は六甲山の開祖と呼ばれたイギリス人、

アーサー・ヘスケス・グルームが仲間たちとゴルフをするために造った4ホールの日本で初

めてのゴルフ場だそうだ。そんな由緒あるゴルフ場の中を通れるなんて珍しい。











その神戸ゴルフ倶楽部のクラブハウスを過ぎるとまた舗装路になる。しばらく歩くと道の脇

六甲山小学校と書かれた門柱。こんな山上に小学校と思ったけれど、児童数は現在62名

と、意外と多いのに驚く。

小学校の横を通り緩やかに下って行くと先ほど乗った山上バスの停留所のある記念碑台に出

た。道の脇の池は薄く氷が張っていた。














ここからしばらくは県道16号線を歩いて行く。道沿いには交番や郵便局の他にも様々な施

設、住宅がありひとつの街を形成している。県道では法面や歩道の工事があちらこちらで行

われていた。

ここで前から歩いて来た男性とすれ違いざまに少し話をすると、男性は群馬からやって来

て、大阪の叔母の家に来たついでに全山縦走を2分割で歩いてきたそうだ。今日は新神戸

を6時位にスタートして宝塚まで行くという。『すごいですね~』と感心しながら、『我

々は4分割でしかも今日は山頂駅から新神戸へ下って行きます』と言ったら、思い切り大

きな声で笑われた。











さらに歩いて行き『この先に藤原商店というお店があって、生ビールやおでんも売ってま

すよ』と奥様たちに言うと『生ビールはさすがにこの寒さでは。でもおでんはいいわね』な

んて話をしながら歩いて行くと、遠目に見えるそれらしいお店のシャッターが閉まってい

るのが見えた。近づいて行くと工事の警備員さんが何も言わないのに『今日はお休みです

よ』と教えてくれた。やはりこの辺りでは有名なお店のようだ。

営業していれば店先はこんな感じ




県道歩きから三国池まで来ると道の脇に東屋。ここから左に杣谷峠まで下って行く。時間

はまだ10時過ぎ。お弁当は掬星台ででもと考えていたが時間が早すぎる。見晴らしはよ

くてもこの寒さと冷たい風だと楽しくランチといった雰囲気でもない。

そこで思いついたのがせっかく神戸まで来てるのだから、いっそうの事このまま新神戸ま

で降りて温かい場所でランチ!それを奥様たちに提案すると『いい、いいわね!』と即決

定。『どうせなら南京町で中華なんてどうですか?』と尋ねると、『大賛成!』

なった。やはり女性陣は食い気には勝てないようだ。














これで逆うちは下りで楽をしようとしたのではなくて、最初から『せっかく神戸まで来た

ので、南京町で中華を食べる』という大義名分、いや言い訳ができた。

杣谷峠のトイレは閉鎖され、代りに仮設のトイレが置かれていた。











杣谷峠はこの辺りの鞍部。ここから県道は登り坂になる。すると正面にこんもりとしたピ

ークが見えた。どうやらあれが摩耶別山のようだ。

右にカーブになった場所のアゴニー坂・掬星台と書かれた道標から、左に山道へと入って

行く。








アゴニー坂は今日初めての急登だった。この六甲。アゴニー坂とかシェール道、カスケー

ドバレイとか、とにかくカタカナの表記が多い。その由来はわからないが、神戸だからハ

イカラ何だろうと単純に考える。距離はないが初めての急登にルリちゃんが上着を一枚脱

ぐ、私とあっちゃんはここで今日初めての水分補給。










アゴニー坂を登りきり分岐を右に歩いて行くとYAMAPでは摩耶別山になっている。

国土地理院の地図には表記されてはいないが、とにかく摩耶山系では最高地点となる。山

頂にはフェンスで囲まれた水道施設があるだけで、小さな山名札が木に掛けられているは

ずだったが辺りをうろつき探して見るが見当たらない。あまりにも山頂らしからないので

記念撮影をするのを忘れてしまった。この摩耶別山で須磨から14座となるはずだったの

に・・・・・。いくら探しても山名札が見つからないので、諦めて下って行くとこの山上

にあって、それはそれは立派な金堂の建つ摩耶天上寺があった。

全国で唯一の摩耶夫人(釈迦の生母)堂が建つ天上寺の歴史は、大化2年(西暦646年)、孝

徳天皇の勅願を受けたインドの高僧法道仙人が開創されたことに始まり、摩耶山の名前の

由来でもあるそうだ。











天上寺から少し歩いて今は営業していない『ホテル・ド・摩耶』の正面を通り10分ほど

で掬星台に着いた。








摩耶ロープウェイが年末年始を除いて3月末まで営業をしていないせいか、いつもは大勢

の人で賑わう広場は、我々が着いた時には全く人の姿はなく、後で登山客が3名ほど歩い

て来ただけだった。

掬星台は日本三大夜景のひとつ。手を伸ばせば星を掬(すく)えそうなほど美しい星空の

場所ということが、その名前の由来だそうだ。

さすが三大夜景、展望台から広がる神戸の街並みは見応えがある。六甲アイランドの奥は

さらに埋め立て工事が行われている。














案内板には甲子園も書かれているが、私の近眼ではよく分らない。望遠で写した写真を見

てもよく分らない。ここにも前々回におらが山で見た『神戸らしい眺望景観10選』の針

をイメージしたモニュメントがあった。











先ほどの展望台から西にある展望デッキからも抜群の眺めだったが、とにかく吹き上げて

くる風が冷たい。ここでのお昼ご飯はやっぱり無理があった。口の中はすでに『中華』。

南京町へと急いで降りて行こう。







掬星台から西に歩くと 三等三角点 摩耶山 698.63m

須磨からは13座目となる。三人で指を広げて13の数字を形どる。








三角点から電波塔が数棟並ぶ脇を抜けると後はほとんど下り坂。ここから市ケ原までの間

には、天狗道とか稲妻坂とか何だか怪しげな名前がついている。














摩耶山山上あたりはもともと修験道の場所で、三角点の横にある天狗岩は別名を行者岩と

もいい、山麓の農民がここで修行する山伏の姿を見て天狗と見間違い、これを天狗岩と呼

ぶようになり、市ケ原に至る登山道を天狗道と名付けたといわれている。その天狗道は花

崗岩の道。風化した花崗岩が乾いて滑りやすいので注意しながら下って行く。







途中には地表の土がなくなり、めいいっぱい辺りかまわず根を張り立つ木や、真っすぐ横

に根を張る木など、とにかく一生懸命に生きている健気な木。








下っている途中で『ひょっとしたらブログで新神戸から登ったと書くかもしれないので、

この天狗道を登ってる風にしてください』と奥様たちに言って、少し登っている画を撮っ

てみるが、考えて見ればここまで撮った写真の歩いている方向が逆なので、せっかくひと

芸してもらったが、無駄になる。

とにかく、いつまで下るのだろうど思うくらいに長い長い下り坂。下り始めて1時間10

分でやっと市ケ原に降り立った。右に行けばトゥエンティクロスを経て森林植物園へと続

く道。トゥエンティクロスとはこの布引谷沿いの渓谷を、右岸と左岸を渡り返すことが20

回に及ぶことからこの名がつけられた。現在は布引ダムが完成し、ハイキングコースも整

備されているため、渡り返すのは数回になっているそうだ。それにしても神戸の人は本当

英語やカタカナの名前をつけるのがお好きなようだ。











この三差路から南に下って行くと、前回、大竜寺から下ってきた市ケ原のトイレがある。

トイレを済ませて外に出ると大きなザックを背負った学生が二人。『ここでキャンプ?』

と尋ねると『もう少し上でキャンプします』と答えてくれた。60L以上はありそうな大

きなザックを背負っている若者の姿を見ると、何だか嬉しくなってくる。

トイレからは先週も歩いた道。布引貯水池の近くまで来ると、空に飛行機雲が交差してク

ロスの模様を造っていた。













以前から歩いているといつも足の裏の指の付け根に痛みを感じていた。それでもその痛み

の時間は短くて普段はさほど気にしていなかったが、今日は時々痛んで、先ほどからずっ

と痛みが取れなくてどんどん痛みが酷くなってきた。エントツ山さんは足底腱膜症といっ

て踵の裏が痛い症状らしく歩くのがつらいと言っていたが、この中足指節間関節の痛みも

ずっと続くと歩くのがつらくなってくる。『中華・中華、南京町』とつぶやき気を紛らせ

ながら歩いて行く。布引の滝は今日も流れ落ちる水の量は少なく、やはり迫力に欠ける滝

になっていた。











新神戸から南京町へは電車だと三宮で乗り換えて元町まで、バスだと路線が分らない。そ

れならタクシーでと、駅の広場に停まっていたバスの運転手さんに聞いて、少し南に下が

った交差点ならタクシーを拾いやすいと教えてもらって歩いて行く。

そこにはバスの停留所もあり、路線を調べて見ると南京町の近くの三宮神社まで繋がって

いるようだった。バスにしようかどうしようかと迷っている内にタクシーが停まってくれ

てそのまま南京町にレッゴー!




南京町は平日にもかかわらず大勢の人で賑わっていた。とにかくお腹が空いたので南京広

場の横にあるお店に飛び込み、あっちゃんは麻婆麺をルリちゃんはかた焼きそば、私は担

々麺定食を注文してあっという間に完食した。普段地元で食べる中華とは香辛料が違うの

か、いつもと少し違った味がしてとても美味しく頂けた。











南京町からは元町からJRに乗って六甲道で降り、バスに乗り換えケーブル下駅まで戻る。

YAMAPで全山縦走を分割して歩いている人で途中で逆走している人は見当たらない。

後ろ指を指されそうだが、こだわりもプライドもないへっぽこリーダー。次回は今日と同

じ様にケーブルで登って、有馬ロープウェイ山頂駅から宝塚を目指す。

今まで線を繋ぐシリーズは所々で間が開いて途切れがちだったが、今回の六甲全山縦走は

来週の年内で完歩できそうだ。

そのあと年が明けての行き先を、そろそろまた考えないとと思いながら帰路についた。




さぬき市里山チャレンジ30

2023年12月10日 | 香川の里山

発症してから5日間自宅療養でほぼ一日中ベットの上で過ごした。食事は部屋ドアの前に

置かれて隔離されていた。40.5度の高熱でフラフラだったが意外と食欲は落ちずに、少し

は痩せられるかなと思ったけれど、1kgほど減っただけで期待したほどではなかった。

喪が明けて出社後の変化と言えば腰の痛みが酷くなった事。車を降りるのも少し注意が必

要なくらいに張りがでた。いつものように週中の休みが取れなかったので、今日休みをと

ってリハビリで近場を歩くことにした。

以前に『さぬき市合併10周年記念事業』として、東讃里山ボランティアガイドの人たち

が、さぬき市内の里山の30座を選んで、期間中に10・20・30座を回ると記念品が

もらえるというイベントがあった。その時期にはそういったイベントがある事を知らなか

ったが、それぞれの山の山頂には山名標識が設置されているのは以前から見かけていた。

後になってその30座を調べて見ると知らないうちに24座まで廻っているのが分かった。

そのうち30座を登ってみたいと思っていたので、今回いい機会なので近場でぐるっと周

回すると3座が回れる長尾の山を歩くことにした。




先ずはスタート地点になる東部溶融クリーンセンターへと車を走らせる途中で、カメラと

スマホを玄関に忘れて来たのに気づき引き返す。この辺りは独り歩きの里山歩きの気楽な

ところで、多少の時間のロスは気にならない。

クリーンセンターの手前にトイレのある駐車場に車を停め支度をしていると、近所の人だ

ろうか、年配のご夫婦のご主人に声を掛けられた。『どこまで行くんな?』と聞かれたの

で、『ここから南に登ってぐるっと一周してきます』と言うと、『それはそれはすごいな』

『イノシシも猿もよおけおるけん気をつけてな!』と言われた。




駐車場から南に背の高いクリーンセンターのエントツに向かって舗装路を歩いて行くと、

右手に再資源化センターの入り口がある、その脇を左に進んで行くとクリーンセンターを

回り込むようにして、センターの南側に着いた。ここから左に見えるフェンスに沿って登

って行く。







山を切り崩して造られたクリーンセンター。その切り崩した斜面に沿ってフェンスで囲わ

れている。これがなかなかの急登。しかも積もった落ち葉で登山靴のグリップも効かず、

滑るは滑る。場所によっては横のフェンスに掴まりながらよじ登って行く。







フェンスが終わり急登が終わると尾根に出た。ただホッとしたのもつかの間すぐにまた急

登が始まる。気温は10度を下回っていたけれどザックの下の背中が汗で濡れ始めた。







しばらくして立ち止まって上着を一枚脱ぐ。止まっているとやはり少し肌寒いが、歩き始

めるとまたすぐに汗が出る。道に花崗岩がゴロゴロし始めると標高が上がってきた証拠だ。

この周回コースは途中で何ヵ所か尾根が分かれているヶ所があるが、赤テープが結構な間

隔で付けられているので、都度確認しながら歩いて行けば迷うことは無い。







すると東のほうからズド~ンと大きな発砲音が聞こえてきた。『おいおい勘弁してくれよ』

今しがた脱いだ上着は黄色と緑の派手な色だったが、脱いだ下のシャッは地味な色。間違

っても撃たれはしないか。そう言えば昔大滝山を灰色の上着を着て歩いていた時に猟師さ

んに『そんな地味な色では間違って撃たれるぞ』と脅かされたのを思い出した。発砲音が

した方向は今から歩く方向だ。何となくイヤな感じがしたが、取りあえずこんぴら山まで

は歩いて行くことにした。











尾根道から小さなピークの様な場所に出た。すると広場の様な場所の中央に石積みの上を

何か木で蓋をしたように見えたので『井戸?』と思ったが、直ぐ横に倒れた祠があった。

石積みはその祠の台座だった。何年か前まではこの台座の上に祠が載っている写真がネッ

トにはアップされていた。







祠の南側にはこちらも傾いた鳥居と片方の石灯篭の笠も落ちていて、まったく人の手が入

らなくなってしまったようだ。この神社に参拝していたのは西側の星越の集落の人達だろ

うか、それとも東側の小倉の集落の方達だろうか?一応こんぴら神社とはなっているが、

その記述がネットで調べてみても全くない。







こんぴら神社から少し歩くと 四等三角点 星越 322.08m 今回のルート上にある二つ

の三角点の内のひとつ。花崗岩が風化した尾根を過ぎ、自然林の中を歩いて行くと今度は

尾根を境に左手が自然林、右側が植林の桧の林になった。













しばらくは快適な尾根道が続いて行く。先ほどと同じように尾根が二股に分かれる場所が

あるが赤テープを目印進んで行く。










スタートしてから1時間15分ほどで今日二つ目のYAMAPのポイントで、チャレンジ

30の内のひとつの羽細山に着いた。以前は素地の木の札に山名が書かれていたが、今は

黒く塗られた木の札に白い文字で山名が書かれている。羽細山からは右に続く尾根を進ん

で行く。










477mのピークが近づいてくると道には羊歯が現れる。尾根上にある石柱には寒川と彫

られている。











そしてピークの手前にはほぼ消えかかってはいるがつちが山と書かれた木札が掛けられて

いた。今度は造田・下高岡と彫られている石柱。寒川は境界杭としても、造田・下高岡は場

所も離れているし、何か別の意味がある石柱なのかな?










477mのピークからもテープを目印に進んで行くと、次第に尾根の灌木の背が低くなり、

南側が乾いた花崗土の斜面になり視界が広がった。左手には東女体山へと続く鉄塔が見え

西には多和方面が見えた。










更に進んで行くと尾根の南側に少し幅のある道があり、その道から尾根に上がると今度は北

側の眺望が開けた。先ほどの477mのピークの肩越しには五剣山。その手前には雲附山

正面には霞んではいるが小豆島が随分近くに見える。











ここで小休止。水筒から熱いお湯を注いでインスタントのカフェオレを淹れ、菓子パンを頬

張る。県外の山では積雪の情報が入っているが、里山では今が紅葉のピークのようだ。

西を見ると前山ダムから続いている、県道3号線の大多和辺りの工事現場が見える。














行動食を口に入れカフェオレで喉を潤し次の592mのピークへと向かって行く。休憩場

所からは、小倉の集落から南側の長尾谷へと続く峠へと一旦下って行く。花崗岩が風化し

た斜面を下って行くと一本の白骨樹。落ち葉の積もった斜面よりはまだマシだが、それで

も足を滑らせないように注意深く下って行く。











すると峠の切通になった場所に出た。そこから北に少し下って、今度は東に谷筋へと取り

付いて行く。取付きから上流に砂防ダムがあったので、そのダムの作業道の様な道が続い

ていた。落石で荒れてはいたがその道を登って行くと砂防ダムの横に出た。

砂防ダムは既に土砂で埋まっていて、そのダムの上流へと歩いて行く。













この間も赤テープが木の幹に巻かれているので、それを目印に進んで行くと今度は谷筋か

ら、右手の斜面に取り付いて行く。ここからは兎に角急登。ストックだけではなかなか登

れず木の枝や幹を掴んで身体を持ち上げて行く。














この間が一番しんどく、鼻づまりもあってだが兎に角息が苦しく、10歩あるいて立ち止

まっては大きく深呼吸をしながら登って行く。峠からはわずか600mほどの距離だった

が40分以上かかってやっと592mのピークに着いた。今日のコースの最高地点だ。

ピークの手前で丁度12時のチャイムの音が聞こえてきた。このピークからはほぼ下り基

調。道は明瞭で登りで時間がかかった分を取り戻そうと少しスピードを上げる。











途中で一ヵ所間違えそうな尾根が二手に分かれている場所があった。丁度真ん中に黄色と

赤色のテープが木の幹に巻かれて注意喚起をしていた。間違わないように左の支尾根へと

進んで行く。ここからは大きな露岩が続いていく。














592mのピークから30分ほどで今日3座目の焼刈山に着いた。ここにも真新しい山名標

が掛けられていた。足元には 三等三角点 宇都見 444.75m








焼刈山から少し下って行くと最後の露岩。そして今度は幅の広い明瞭な尾根道の下り。

ここまでの周回ルート、眺望はほとんどなく一ヵ所だけだったが、里山らしい植生と

花崗土と花崗岩の道で変化があって楽しめる。











最後はもう参る人のいない取り残された墓を右手に見ながら下って行くと、小倉の集落か

ら、門入ダムへと続く林道に飛び出した。










門入ダムと大窪寺への赤い標識の少し上手のカーブミラーのある場所からが、国見山への

取りつきになる。車が通れそうな山道を歩いて行くと目の前を1m以上はある黒い物体が

道を横切った。『ブヒー!』『イノシシだ!』。ここからはストックをカンカンと打ち鳴

らしながら、恐る恐る歩いて行く。

さらに進んで行くと少し広場になった場所の左奥にピンクのテープが見えた。ここから山

の中へと入って行く。カーブミラーの取付きからは10分ほどで国見山。

今日最後のピークとなる。YAMAPのポイントは4座。さぬき市チャレンジ30では

3座をゲットしたことになる。











時間は13時過ぎ。途中で行動食を摂ったがそろそろお腹が空いてきた。今日は弁当も持

たず、下山後にどこかでお昼にする予定だったので、さっそく国見山をあとにする。

しばらく下って行くと尾根の少し先にまた何やら物体が・・・・。『またもしかして?』

と思ったが、よくよく見て見ると青いジャンバーを着た老人だった。

近づいて少し話をすると『ここは初めて来たけど道が分かりづらい』と仰る。『どこか

ら来たん』と聞かれたので、『クリーンセンターの南からぐるっと回ってきました』と

答えた。あまり様子が分っていないようだったが『山頂は近い?』と聞かれたので、『

もうすぐそこですよ』と言って別れた。ザックも背をっていない様子だし、こんなマイナ

ーな山に独りで登ろうなんて・・・・と思いながら下って行くと、テープは所々にあるも

のの、確かに道はわかりづらかった。あの老人、地図もGPS(恐らく)も持たずによく

登って来たなと感心をする。














最後に杉林を抜けると小倉の集落の最上部に近い道に飛び出した。











ここからは舗装路を道なりに下って行く。途中で大きな楠の下に祠があり、その前の広場に

なった場所に車が数台停まっていた。先ほどの老人はここに車を停めて登って行ったのかも

しれない。広場の川を挟んで向かいの民家には、今はあまり見かけなくなったタバコの乾燥

小屋のベーハ小屋が残っていた。振り返ると先ほど歩いた592mのピークだろうか。

道筋に点在する民家。道の横を流れる川の水の音だけが聞こえてくる。

最後にクリーンセンターへと西に向かってひと山越える途中で、トラクターに乗って農作業

をするおじいちゃん、そしてその傍らで野焼きをするおばあちゃんの姿があった。まわりの

木々の色付きはピークだったが、この山間部の里ではそろそろ冬支度。秋の終わりを感じな

がら駐車場へと戻って行った。
























寒霞渓、表12景・裏8景でもなく馬の背コースだよ~!

2023年11月17日 | 香川の里山


石鎚山から始まった山の彩りは、あっという間に比較的標高の低い山まで下がってきて、

県外の山はそろそろ冬支度。それならと県内の山に目を移すと、11月の中旬と言えば

まず寒霞渓の紅葉が頭に浮かんだ。いつもロープウェイの紅雲亭駅から表12景を登っ

て、星ヶ城まで足を延ばして裏8景を降りて行くコースだったが、ふと『そう言えば

ントツ山さん
が馬の背コースとの面白そうなコースを登っていたな』と思い出した。

紅雲亭駅の手前の猪谷池から、裏8景への道の途中から尾根に這い上がってそのままロ

ープウェイの山頂駅に向かって登って行くルートは、ほとんどが凝灰角礫岩、集塊岩か

らなる細尾根のコース。一般道ではないのであくまで自己責任でと書いてあった。ただ

アップしていた途中の写真をみて見ると、ロープウェイを見下ろし紅葉の大絶景が広が

っていた。

さっそく奥様たちをお誘いしたら、生憎ルリちゃんは旅行で欠席、あっちゃんと二人で

出かける事になった。自己責任とはエントツ山さんは書いていたが、まぁあっちゃんな

ら途中予想できないような場所があっても大丈夫だろう。ただし奇岩も多いようなので

目を離した隙に登らないか注意しなければならない。

今週はWOC登山部でも寒霞渓に出かける計画だったがやはりこのシーズンの小豆島、早

々に満席になっていた。登山部の行程だと我々とは星ケ城からの折り返しですれ違いで

きそうだ。そう思いながら今日を迎えた。


計画では今回は土庄ではなく池田行のフェリーに乗り、フェリー乗り場から紅雲亭行の

直通のバスで猪谷で下車する。そこから馬の背を登って、三笠山・星ケ城そして裏8景

を下って最後に石門(裏3景)の紅葉を鑑賞する行程だ。

いつもの自家用車と違ってバスとフェリーの時間があるので、馬の背をどれくらいの時

間で登れるかが肝心になってくる。しかもバスの間隔が開いていてフェリーとの連絡時

間も悪い。バスをひとつ見逃すと2時間以上帰りが遅くなってくる。そんな感じでいつ

になく行程を気にしていたが、一番気になったのはあっちゃんが6時50分のフェリー

に間に合うように来れるかだった。しかもサンポート地下駐車場は6時30分の開場。

あの広い駐車場で迷子にならないか、出口を間違わないか気が気ではなかった。


開場を待って地下駐車場に車を停め登山靴に履き替えていると、見覚えのある車が少し

奥まで行って駐車した。中から降りて来たあっちゃんは案の定全く違う出口へと向かっ

て行くので『お~い!』と声を掛けて呼び止めた。近づいて来たあっちゃんは迷子の子

供が母親を見つけた時のような不安な顔から安心した顔になった。



池田港行のフェリーには可愛らしいメリーゴーランドがある。






池田港ではフェリー乗り場のすぐ目の前がバス乗り場になっていた。10人以上が並ん

でいただろうか。しばらくバスを待っていたら土庄からのバスが着いた。そのバスから

降りてくる人を見てあっちゃんが『あら、セニョさん!』と声を出した。その声を聞い

てセニョさんがこちらに歩いて来ているが、しばらくの間何故か全く理解できず頭が回

らなかった。なぜならセニョさんはWOC登山部に申し込んでいたので、メンバーとレン

タカーで出かけるはずだったのだ。

話を聞いてみると、先週から体調が悪くて登山部をキャンセルしたが、昨日には回復し

たので、諦めきれずに独りでやってきたと言うのだ。『それなら馬の背を一緒に歩きま

せんか?』とお誘いするともちろん断る術もなく、二人の予定がいつもの様に三人にな

った。セニョさんなら途中の道も大丈夫だろうし、初めての道なので三人だと心強い。


猪谷で降りる人はやはり我々だけだった。三差路になった県道の丁度真ん中に、石門洞

と彫られた石柱が立ち裏8景への道が続いている。そのコンクリート道を200mほど歩

くと右に緩やかにカーブになった手前で、道の左手に何本かの木に赤色のテープがぶら

下がっていた。どうやらここが取付のようだ。テープの場所から尾根に向かって適当に

に登って行く。











ひと登りで尾根に出てしばらく歩くと、写真で見たとおりの凝灰角礫岩が現れた。後で

航空写真を見て見ると、猪谷から続く緑の中にゴツゴツとした岩肌の細尾根が北に続い

ている。まさに馬の背中の様な尾根だった。










その岩尾根の大きな岩塊を巻いて登ると展望がいっぺんに開けた。麓には今しがたバス

を降りた猪谷池とその奥には草壁の街並みと内海湾。天気予報では8時過ぎから晴れマ

ークになっていたがまだ薄曇りだ。




西側は四方指の岩壁、東側は裏八景の二見岩(ギザギザの岩)とその左下には螺貝岩が

見える。いつもは見上げる螺貝岩が丁度目線の高さになっている。







一つめの展望所から進んで行くとまた目の前に岩塊。左に巻いて行くとロープが掛かっ

ていた。もちろん二人とも問題なくクリアーする。











ロープ場を登りきり少し進むとエントツ山さんの活動日記で見た覚えのある『亀岩』。

あっちゃんに背中に乗ってもらって浦島太郎ならぬ浦島花子になってもらう。あっちゃ

んいい顔してるので、玉手箱は開けんようにね!










尾根は次第に痩せ尾根になってくる。岩尾根で遮るものがなく寒霞渓の奇岩、大岩壁を

眺めながら歩いて行く。空はまだ薄曇り、陽の光があるのと無いのとでは写真の写りが

全く違って見える。今風に言うと『映える!』だがまだ『映えない!』










痩せ尾根と言ってもそこそこ幅があるので問題はないが、足元は凝灰角礫岩のデコボコ

した岩。油断して転びでもして崖側に落ちれば数十メートルを落下、即〇となる。

寒霞渓は遥か昔の火山活動で出来た溶岩台地。その台地が長い年月をかけて浸食されて

できた渓谷だと言われているが、これほどの規模のものが浸食されて出来上がるとは、

とても信じがたい。











時々現れる岩塊を巻いたりそのまま登ったりしながら歩いて行く。ここの礫岩は握って

も足をかけてもめったに取れる事がなく(といいながらも動かないか確認しながら)、

まるでボルタリングの人口壁のホールドの様で登りやすい。







右に左にと岩塊を避けながら進んで行く。










少し陽が射し始めたがもっともっと光が欲しい。渓谷の紅葉は元々の色なのかそれとも

枯れているのか赤茶色の葉が目立つ。岩尾根ではこの辺りが一番馬の背らしい。

所々で樹林帯の中に入るが、布切れをちぎったような赤い布やビニールテープが巻いて

あるし、よーく見ると薄く踏み跡も見えるので迷う事もない。











『おっ、青空が少し見え始めた』。やはり陽が当たると山肌の色も違って見える。四方

指の大岩壁のひだもひとつひとつくっきりと見える。








正面にクロワッサンを立てて乗せたような岩壁が現れた。どうやらあの岩壁の上まで登

るようだ。近づくとクロワッサンは意外と大きな尖岩になっていた。ルートはその岩の

右下足元を巻いて行くようになっている。













二人が登って行く様子を見ながらそろそろかな・・・と思っていたら案の定、あっちゃん

がその岩に登り始めた。











この先もまだまだごろごろと岩が立っている。そんな岩の形も見る距離や角度によって

変わってくる。そして見る人によっても何に見えるかも変わってくる。














樹林帯の木々は県内の里山と変わらないが、凝灰角礫岩の露岩がこれだけ続く道はやは

りここだけだろう。正面の尾根越しに見覚えのある岩壁が頭を出している。あの尾根と

岩壁の間が恐らく寒霞渓ロープウエイが通っているはずだ。ここから左に回り込み尾根

に向かって行く。














尾根に出ると右手は樹林帯、左手は岩壁が切れ落ちていた。できるだけ左に寄らない様

にと歩いて行くが、この辺りが一番注意が必要だった。スタートして1時間が経とうと

している。回復したとはいえさすがに病み上がり、セニョさんはお疲れの様だ。







すると小さなピークで待ちに待った眺望が広がっていた。眼下に白い大きな鉄塔。少し

左の下にもう一つの鉄塔が見える。そしてその間に2本のワイヤーが掛かっていた。

『わ~ロープウェイが見えた!』とあっちゃん。『早くゴンドラが来ないかな』と言い

ながら、しばらくの間待っていると山頂駅から発車のベルの音がした。

『来た来た・・・!』ワクワクしながら眺めていると何と目の前の鉄塔で二つのゴンド

ラが交差した。そのゴンドラに向かって手を振るあっちゃんが『あっ手を振ってくれて

いる!』と言いながら喜んでいる。ゴンドラの中は登りも下りも満員の様子。

















ゴンドラ展望台から樹林帯の中を少し登って行くとまた展望所にでた。目の前には先ほ

ど頭だけ見えた寒霞渓の大岩壁。そしてその大岩壁を前に疲れて呆然と立ち尽くすセニ

ョさん。(笑)







ここから見るとロープウェイの山頂駅から直ぐに谷が深く切れ落ちているのがよく分る。

こんなすごい場所にどうやってワイヤーを掛けたんだろうか?

視線を西に移すと四方指・美ヶ原からの幾筋もの白い岩尾根と少しは色付いた山肌。こ

れがいつものように紅葉のピークならどれだけ素晴らしく凄いだろうか。イヤイヤ贅沢

を言ってはいけません。これだけの絶景が見られただけでもエントツ山さんに感謝。











ここまで北西に歩いていたルートはここから少し東に振って樹林帯の中を一旦下って行

く。その途中北側はやはり切れ落ちていて、更に大岩壁が迫っていた。するとまた発車

のベルが鳴り、ゴンドラが降りてきた。大岩壁を背になかなか様になるゴンドラ。











一旦鞍部まで下って登り返していくと、岩の捨て場のような場所からはまた内海湾と堀

越の半島が見えた。あの堀越の半島の向こう側に岬の分教場がある。そして東にみえる

のが星ケ城山だろう。










石の捨て場からは樹林帯の中を適当に登って行く。すると目の前に岩壁が現れた。この

岩壁の頂部が、山頂駅の第一展望所になる。










岩壁からは右に足元をトラバースして行く。この間は岩や木の幹に随分前につけたのか、

スプレーで書いた薄くなった矢印が誘導してくれる。












なぜか鉄板の看板が落ちていた



エントツ山さんの活動日記にはトラバースしたら裏8景の遊歩道に飛び出したとなって

いた。するとあっちゃんが岩の斜め上に向かって書いた矢印を見つけて『ここから登れ

るみたいよ』と。『いやエントツ山さんは裏8景にでたと書いてあったよ』と言っても、

『大丈夫登れるわよ』と言って利かずにどんどん登って行く。『ハイハイ』と言いなが

ら後について行くと。丁度1億円トイレの下に出た。

















山頂駅は観光客で賑わっていた。1億円トイレで用をたしたあと行動食を口に入れて、

星ケ城山へと向かって行く。いつもの事だが、三笠山への芝生の斜面の直登はなかなか

キツイ。ゆっくりゆっくりと出来るだけ息が切れないようにして登って行く。











芝生の斜面を登りきると広場になった場所に出る。広場の少し右手に四等三角点 寒霞渓

671.56m
がある。朽ちかけた白い杭と割れて半分ほどになったキティーちゃんのプレー

トには三笠山と書かれてある。そしてここ最近見かけるようになった小さな石を白と緑

に塗って山名を書いた石もあった。








三角点から広場の奥まで歩くと星ケ城山への遊歩道が続いている。背の高い木々に囲ま

れた遊歩道には日差しが届かず、落ち葉は少し湿気を帯びている。










それでも見上げると所々で色付いた木々が見える。










遊歩道を歩いて行くと左手に小さな鳥居と狛犬と祠がある。星ヶ城に山城を作った南北

朝時代の佐々木信胤をお祀りした星ケ城神社だ。







星ケ城神社から先で道は二手に分かれている。右側の道を進んで行くと山城の遺構の、

西峰の外空壕と土壇。更に進んで行くと西峰には石垣に囲まれた島の祖神として大野手

比売をまつる阿豆枳島神社があった。伊耶那岐命(いざなぎ)と伊耶那美命(いざなみ)

が大八島国(淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州)を生んだ後

に、吉備児島に次いで生んだ島が小豆島(あずきしま)。またの名を「大野手比売」とし、

その大野手比売を祀っているのが阿豆枳神社だ。













その阿豆枳神社の先には展望大岩がある。岩の上では一人の男性が休んでいた。傍らに

はロードバイクがある。あっちゃんが話を伺うとここまで自転車を担いできたそうだ。

この展望岩からは南から西にかけての大眺望が広がっている。堀越と三都半島の奥には

五剣山と屋島が近眼の私にも見て取れる。四方指の尾根の先には今は閉鎖になった小豆

島〇〇ラが頭を出している。











展望岩から先で一旦下って登り返すと星ケ城山の東峰に着いた。この山頂のシンボル石

積みのパゴダが建っている。このパゴダは昭和35年頃にどこかの宗教団体が周りに残

っていた山城の遺構の石積みを破壊して造ったそうだが、そんな事情を知らない人は山

城の遺跡にしては形が異形だとくらいにしか思わないだろう。

時間はお昼ご飯に丁度いい時間。南に大嶽から碁石山に続く尾根を眺めながら、今日は

“おこわ稲荷”を頂く。『じっとしていると寒い!』と言って寒がりのセニョさんはダウ

ンを着込んでの記念撮影。














東峰には一等三角点 星ケ城山 816.68m 瀬戸内海では一番高い場所になる。








お昼ご飯を食べながらWOC登山部がやって来ないかなと思っていたが、まだ到着しなか

った。ご飯を食べ終え遊歩道を山頂駅へと戻って行く途中で、予想通りWOC登山部のメ

ンバーが前からやってきた。挨拶をかわしすれ違いざまにIRIBITOさんと『今日

の紅葉はイマイチですね』と話をする。どうやら表12景の色付きも良くなかったらし

い。まだこの遊歩道の周りの方がマシの様だ。











三笠山の広場まで来ると青空が広がっていた。前を歩くダウン姿のセニョさん、暑くな

いのかな?











帰りのバスやフェリーの時間までまだ余裕があったので、山頂駅の周りの展望台をうろ

つく。先ずは第二展望台へ。











そのあと山頂駅の売店でソフトクリームを買って第一展望台へ。展望台の一段下ではロ

ープウェイと寒霞渓を撮影している人の姿があった。この展望台への道の両側には色付

いたモミジを見られたが、小さな葉のモミジは色付きながらもすでに葉先が枯れかかっ

ているのもあった。














ソフトクリームを食べて展望台からの景色を眺めた後は、さぁ裏8景へ降りて行こう!

裏8景の入り口は古い公衆トイレの北側にある。表12景と比べると歩く人も少ないの

か、あまり整備もされていなくて道はガタガタで荒れている。











8景の内の最初は松茸岩と鹿岩。松茸岩は案内板の正面に絶妙なバランスで立っていた。

そして鹿岩はと探して見ると、振り返ってかなり上の方に『たしかに鹿かな?』って感じ

の岩だった。帰りの道に裏8景を選んだのは何と言ってもこの先にある三景の石門と石門

。紅葉のピークの時の石門と石門洞は小豆島を代表する風景なのだ。

さてさて今年の紅葉はどうかなと思いながら下って行くと『あれあれ、あれれ?』

第一展望台で写真を撮っていた大きなカメラを抱えた人もカメラを構えたが・・・・・?







いつもなら石門の前も奥も赤や黄色のモミジで彩られ華やかなのに、今日の石門は色も

なく、寂しく貧相に見える。石門から坂を降りた石門洞も緑の中に佇んでいた。







前回見た石門





前回見た石門洞



石段を登り参拝をして下りて来ると、岩壁には寄せ石づくりでは日本一と云われる不動

明王大石仏が鎮座していた。不動明王の奥にある僧坊で住職が男性と話をしていた。

近づいて話を伺うと今年の紅葉はまだ1~2週間先のようだと仰った。さらには『なつ

の暑さが酷くて葉が痛んでいるので、色づいても風とか雨があったら直ぐに散るかもし

れません』とも。











境内の木々はほとんどがモミジで、この場所が紅葉谷と云われる所以だ。前回は所々に

緑の木が残り、その緑と紅葉のグラデーションが何とも言えず素晴らしかった。馬の背

同様に来年に期待しよう。

前回の紅葉谷



石門洞からも残りの4景を眺めながら下って行く。二見岩の周りも前回と比べると色付

きは見劣りしてしまうが、下の方まで降りてくると遊歩道の周りの色付きはまずまずだ

った。



前回の二見岩


螺貝岩









途中の8景で立ち止まりながらそして石門洞でゆっくりしながらも、山頂駅から1時間

ほどでバス乗り場のある猪谷に着いた。猪谷池の堤からは今朝歩いた馬の背の岩稜の尾

根が見えた。













バスを待つ間腰を降ろした途端にセニョさんは舟をこいでいた。そしてバスの中、フ

ェリーの中でも・・・・。病み上がりの身体で無理して付いてきてくれたのかもしれ

ない。お疲れの様子を見て申し訳なく思う。











この季節、小豆島から高松に着くといつも日が暮れている。シンボルタワーの灯と工

事中のアリーナを見ながら車を停めた地下駐車場へと帰る。

今回で4回連続でバリエーションルートを歩き、一般的な登山道を歩いたのではけっ

して見ることのできない絶景を眺めてきた。それにしても少しハードルを上げ過ぎた

感がある。来週の山行の行き先が全く思いつかない。弱った・・・・・!





今日は県境ドライブ

2023年09月21日 | 香川の里山


久しぶりに夜中に帰宅しせっかくの休みに朝なかなか起きられなかった。カーテンの

隙間から見える窓の外が明るくなっていくのを時々目を開け見ながらも、布団のなかで

いつまでもグズグズとしていた。

そろそろと思って起きて、今日はゆっくりと温泉にでも浸かって過ごそうと出かけて

みると、目当ての施設がお休み。仕方がないので次の施設へ。ところがそこもお休みで

更に次の施設もお休みだった。結局家から随分離れた山の帰りに立ち寄る温泉でゆっく

りとお湯に浸かる。ヌルッとしたお湯とサラッとしたお湯に交互に浸かり、鳥の声を聞

きながら露天風呂で山並みを眺めたりしながら、いつになくのんびりとした。

温泉を出た後あてもなく車を南に走らせた。県内では一番新しくできたトンネルを抜け、

ドライブがてらぐるっと廻って家に帰ろうと、今度は県道を東へ走っていると『竜王山』

と書かれた道路標識が目に入った。その標識に従って国道を北に高度を上げて行き、三

頭トンネルの手前で県境集落への道へと進んで行く。この辺りで雨がパラパラと。

香川と徳島の県境の徳島側に続く山道を車を走らせながら、時々目に入った草花の写真を

撮りながら竜王峠、鷹山公園の辺りで香川県内へと入り、相栗峠を経由して塩江町へ。

そこから国道193号線を経由して家路へと向かった。

温泉でのんびりのはずだったのに、結局160km以上走って、何をしているのやら。

車を降りるとまた腰の張りが出てしまった有意義な?一日だった。

久しぶりに目にした半鐘


シコクママコナ


貞光から南の山側は怪しげな天気


ヤマハギ


ヒメジョオン


キンミズヒキ


アザミ


ゲンノショウコ


キバナアキギリ


アキチョウジ


相栗峠の手前では結構降って来た


今日も天気は不安定。午後から雨の予想!

2023年06月29日 | 香川の里山


今週も梅雨らしい天気予報。お陰で早明浦ダムの貯水量は心配ないけれど、お山の

計画がなかなか難しい。降水確率が高いので雨降りになっても安全に歩ける山を

チョイス。雨降りの時はルートの選択もそうだが、先ずは登山口で濡れずに雨具を

着込める屋根がある事。山頂近くでお昼ご飯になった時も出来たら屋根の下でお弁当を

食べたい。そんな条件でいくつかの山をチョイスして選んだのが雲辺寺

今回は東屋のある粟井ダムから四国のみち、へんろ道を歩いて登ることにした。











雨降りを睨んで東屋のある粟井ダムを選んだのに、空は雨が降る雰囲気はしない。

ただSCWの予想では昼からの天気が怪しい。奥様たちにはそう伝えて、雨具の

確認をしてスタートする。

登山口はダムから少し下がった四国のみちの掲示板のある場所から、階段を登って行く。







いきなりの急登に汗が一気に噴き出す。勾配は次第に緩やかになっていくが

それでも額を流れ落ちる汗は一向に止まらない。

昨日は朝から夜まで一日中、エアコンの効いた部屋で会議だったせいもあるのか、

身体も重く、奥様たちにどんどん離されていく。
















この道はもともとはへんろ道。その後四国のみちににもなっていて、道の随所に

丁石と四国のみちの道標が点在している。







鰻渕の説明板のある場所からは北に観音寺市越しに七宝山が望める。間に木を挟んで

東に黒戸山から天霧山、そして善通寺五岳の火上山まで見えた。

説明板の横には四国のみちの一升水と書かれた道標が立っていたが、こちらは何の

謂れなのかは説明がなかったので分からない。
















鰻渕の説明板からさらに登って行くと次にへんろ道の説明板。相変わらず身体が重たい。

熱中症にでもなったらいけないと思い、水分補給を小まめに取るがそれでも息が荒い。











一丁ごとに立てられた丁石が道の脇でお遍路さんを見守っている。割と緩やかだった

道がまた急になって来た。途中奥様たちが座り込んで写真を撮っている。

何の植物だろうか?













急登が終わると道の左手が杉林になった。道の脇にはドクダミが目につくようになった。










阿讃縦走路との分岐まで来るとほぼ稜線。あとは緩やかな道を歩いて行く。

次にロープウェイ駅からの道との分岐を過ぎると、巨大な電波塔が現れる。

敷地の中にはホタルブクロと黄色い花は何の花?

















車道を雲辺寺へと歩いて行くと、道の脇にアジサイが目につくようになった。そして

一本の木に纏わりついて上に伸びるヤマアジサイの様な花。











五百羅漢の特徴のある顔を眺めながら境内へ。途中からずっとお腹が痛くて

慌ててトイレに飛び込んだ。トイレから出て服装を整えようとしたら、汗で

ズボンがお漏らししてように濡れているのに気がついた。










大師堂でお参りを済ませて山頂公園へと向かう。途中に今日のお目当てのひとつの

アジサイロード。色とりどりのアジサイもきれいだが、この道沿いの青一色の

アジサイもなかなか見ごたえがある。








今日のもうひとつのお目当てはスキー場のスロープに咲くユリの花。YAMAPの

活動日記には色とりどりのユリの写真がアップされていたが、実際に咲いていたのは

スキー場のスロープの下だった。斜面一面に咲いているユリを想像していいただけに

テンションが下がって、一番近くに咲いていた一輪だけの花を写して終了。

それでもルリちゃんがせっかく来たのだからと、わざわざ斜面を降りて写真を

撮ってきてくれた。

















山頂公園からは北の眺望と西の眺望が広がっていた。三豊市の奥には志々島や広島が

モヤのかかった海水面から浮かんでいるように見えた。














ベンチに腰掛けお昼ご飯にするが、汗冷えで寒くなってきた。お弁当を用意して

いなかったあっちゃんは、UNPENJI COFFEEでわらび餅を買って小腹を満たす。

すると雨がポツリポツリと降って来た。汗冷えも収まらないし、写真を撮ったら

直ぐに下山にかかる。














公園からまた雲辺寺の境内へ。四国霊場の内もっとも高い場所にある雲辺寺。

『四国高野』と呼ばれて僧侶たちの修行の地となった雰囲気が今でも感じられる。

涅槃釈迦仏や五百羅漢像を眺めながら来た道へと戻って行く。











お弁当を持って来なかったあっちゃんは、どうやら下山後にうどん屋でお昼ごはんと

考えていた様で。『さあどんどん歩くわよ!』と言いながらスピードを上げている。














途中でギンリョウソウや蛇のうろこの様な木肌の写真を撮っていると直ぐに

置いてけぼりになる。『待ってください奥様たち!』










へんろ道でよく見かける『同行二人』の札に書かれた言葉に励まされながら、

こちらも何とかスピードアップする。すると頭の上でゴロゴロと大きな音が

たち始めた。そして粟井ダムへの舗装路に出る頃にはパラパラとし始めた。










舗装路からは出来るだけ濡れないように木の枝が覆いかぶさる道の脇を歩いて戻る。

結局うどん屋ではなく近くのカフェでもという事になったが、お店が定休日。

仕方がないので今日はこれで解散。










大野原ICから高速道路で帰る途中で、萩の湯で汗を流す。今日はサウナに入っても

もうほとんど汗が出てこなかった。サウナから出て露天のスペースで寝椅子に横に

なっていると、突然どしゃ降りの雨。サウナを出た後の火照った身体には気持ちの

良い雨だったが、これが下山途中で降られていたら・・・・。午後からは天気が崩れるとは

思っていたが、想像以上の雨だった。

来週もまだ梅雨空の一週間となりそうだ。雨降りでもいい山。タキユリでも見に行こうかな?



ちょこっと里山歩き・・・あららもう雨が降って来た!

2023年06月22日 | 香川の里山




奥様たちと予定が合わず今日は自主トレ日。天気もイマイチだし、朝一番に接骨院で

腰のメンテナンス。その後ゆっくり朝食を摂って、天気予報では夕方から雨模様なので、

さっくと歩いて雨に降られないうちに帰って来ようと出かけてきた。

森林公園の研修棟の駐車場に車を停めてスタート。駐車場の南にあるねこバス

大きな目玉が取れて、見る度にくたびれてきた感じがする。







そのねこバスの奥には真新しい東屋が出来ていた。東屋の横から山の中へと入って行く。

今日はのんびりと草花を写しながら歩いて行こう。







道は最初から意外と急登。急な場所には木の丸太で階段状に整備されている。周りの

木々には樹種の札が掛けられている。鬼のこん棒のようなハリギリ。







238mの標高点から派生する尾根まで上がってくると、東側の綾歌町から飯野山に

かけての景色が所々で見える




238mの標高点の辺りで広場になった場所にトイレがあった。その横にはまだ

熟す前の爽やかな色をしたヤマモモの実。







そこからは直ぐにアスファルトの遊歩道に出た。道の脇にはオカノトラノオが風に

なびいて揺れていた。すると頭の上からポツリポツリと雨が。





城山への登城口と書かれた道標の前のベンチに腰掛け、ザックカバーを取り出しつける。







登城口から登って行くとさっそく堀切と井戸跡。更に登ると土塁と曲輪。いずれも

敵に攻め込まれたときに優位に戦うためのもの








山頂は西長尾城の本丸。本丸らしい平らな山頂は当時は360度の眺望が広がって

いたのだろう。いまでも北東から北西にかけては(南側が木々に遮られている)は

丸亀平野から大麻山までが今日の薄曇りの中でも見渡せる。












小さいころに一緒に登った子供たち




山頂からは途中から南東に別の道を下って行く。途中に南側の登尾山から大川山

かけての阿讃山脈と尾瀬山が見えた。







城山を降りると尾根に沿って地道の林道と登山道が平行して続いている。最初は

樹林帯の中の登山道を、途中からは林道を歩いて行くと第三東屋についた。

前回友人と来た時はここでヤマガラと遊んだ記憶があるが、今日は休憩している

人もヤマガラもその姿が見当たらない。



親父のザックを背負って歩く息子



猫山の途中で一ヵ所だけ道の両側から草が茂った場所があったが、後はきれいな

歩きやすい道が続いている。猫山と鷹丸山との分岐の辺りで、また一段と雨が

強くなってきた。おまけにお腹がグルグルとなってきた。先ほどの第三東屋に

あった仮設のトイレが頭に浮かび『どうしようかな~』と迷ったが、こんな中途半端な

ところで引き返してもと思い直して、山頂手前のロープのある急登を登って行く。









こんな場所は子供たちは張り切る




雨脚は相変わらずだったが、急登を登っている内にお腹の調子はマシになった。

木々に囲まれた山頂は薄暗く、その代わり周りの木々の枝が雨粒を遮ってくれている。

三角点の後ろには大きなカゴノキ。あちこちにケルンが積まれていた。







北側が少し伐採されて唯一の景色、麓のレオマが見えた。






猫がいないねと息子




スタート時点では今日は大高見峰まで歩く予定だった。天気予報では夕方以降から

雨が降り始めるとの事だったので、雨雲も傘も持ってきていない。雨脚はまだ

弱まりそうもないので、ここで引き返すことにする。濡れた岩場に足を滑らせないように

注意深く山頂直下を下ると、後は快適な道。第三東屋の手前の分岐で琴ケ滝の道標に

従って右手に下って行く。




この道もほとんど荒れたヶ所もなくよく整備されて歩きやすい。途中で琴ケ滝に

寄り道。まだ雨が降り始めたばかりで滝を流れる水の量も少ない。







一旦アスファルトの遊歩道に出て、語らいの広場を通り駐車場へとたどり着く。

しばらく晴れの日が続いた後の雨に、途中で見かけた小さな草花も生き生きとしていた。



















大高見山まで行かずに引き返したので予定していた時間が早まった。コンビニで買った

おにぎりはそのままにして、西へと車を走らせ三嶋製麺所へ。平日にもかかわらず

県外の車やバイクが停まっていた。来週もなんだか雨の様子。早く梅雨が開けないかな~!


刻々変わる天気予報。晴れ間を狙って早春の花巡り

2023年03月22日 | 香川の里山


先週の天気予報では今週の水曜日は雨。では火曜日に出かけますかと奥様たちに

連絡するも、次第に火曜日の天気も怪しくなってきた。仕方がないので今週は

自主トレにしましょうと連絡して、多少天気が悪くてもいいように近場の里山

(さぬき市里山チャレンジ30座)の残りを独り歩きで消化しようと

考えていたら、今週に入って水曜日の午前中は晴れマークがついた。

自主トレも天気が良ければ春のスプリング・エフェメラルのユキワリイチゲを

見に行きたいと考えていたので、さっそく奥様たちに連絡すると即OKがでた。

春の妖精の春植物のユキワリイチゲは陽が当たらないと花が開かないので、

天気予報の晴れマークを信じて出かけてきた。

家を出て車を走らせると周りは真っ白。ラジオの天気予報では濃霧注意報の

アナウンス。いやいや本当に晴れるのかな?と思いながら走って行くと、

まんのう町にはいると青空が見えてきた。よっしゃー!と独り言ちして

集合場所に着くと、開口一番ご主人に明日は雨やでと言われていたあっちゃん

『本当に晴れたね!』とニコニコ顔。今日は道の駅ことなみの第二駐車からスタート。




国道を三頭トンネルの手前まで歩き久保谷橋を渡ると大師堂がある。この国道438号線は

平成9年に三頭トンネルが開通するまでは行き止まりで、トンネルの開通で初めて徳島側への

車両での通行が可能になった点線(分断)国道だった。

橋の手前には昔は金毘羅堂があり、これから谷あいの足元の悪い峠道を行き来する

人達にとっては格好の休憩所で、接待された茶を飲みながら旅の話に花を咲かせ、

阿讃の情報交換場となっていたようだ。大師堂からの道は四国のみちにもなっている。

 


   


最初はコンクリートの車道から直ぐに山道になる。昨日降った雨がまだ地表を濡らし、

谷あいの朝の空気はまだ少し冷たい。

   


道は沢の右岸、左岸を渡渉しながら続いて行く。最初に目についたのは落ち葉の上に

散った真っ赤な椿の花だった。








        


芽吹き始めた周りの木々に目をやりながも、足元にお目当ての花が咲いていないかと

目を皿のようにして歩いて行く。






コチャルメラソウ?



おっ、み~つけた!ユキワリイチゲ。でもまだ日が当たらず俯いたままの花は

開いていない。気温が上がり日が当たる帰りに期待しよう。







道筋の所々で石を積んだケルンがあるが、これは絶妙なバランスで立っていた。

雨はつい先ほどまで降っていたのか、雫をいっぱいつけた葉がみずみずしい。








段差になった場所では小滝となって大きな音をたてて流れ落ちて行く沢の水。

幅はさほどではないが、グラつく石もあり落ちないように用心深く渡渉する。













地形図で谷筋が派生している場所に道標が二つ。この場所から征木(麓)と

立石峠(尾根)への道があるのだろうか?また機会があれば歩いてみたい。




すると前を歩くルリちゃんから『あったわよ!』の声が上がる。

さすが視力2.0のルリちゃん。ストックで指す場所に二つ目のお目当ての花があった。

落ち葉の中に咲く花と葉が、周りと同系色で目の悪い私では見つけられなかっただろう。

葉も花もうなだれているサラリーマン風から、今まさに飛び立とうと羽を広げたような

葉と花を開け始めた花もある。

アワコバイモ









この谷あいで一番大きな滝?を右手に見ながら更に登って行く。日が当たると

木々や花たちもなお一層いきいきとして見える。






ヨゴレネコノメ



まだ峠まで半分も来ていないが、奥様たちは度々立ち止まっては写真を撮って

なかなか前に進まない。まぁ今日は距離もないし、ユキワリイチゲの花が開く

午後までゆっくりと歩けばいい。
















小さい花があちらこちらに咲いているが、ほとんど名前が分からない。

小さな山野草はGoogle先生でも分からない。









アブラチャン





奥様たちが二人で『ここからいくつ見える?』とアワコバイモの数を数えている。

『KAZASHIさんは?』と聞いてくるが、近づかないと私には全く見えない。










峠の道は三頭神社まで、ミニ西国三十三観音霊場の石仏が丁石を兼ねて街道沿いに

置かれ、その当時から道行く人々を見守っている。













谷あいの道が少し左に振り、杉林の中の道になると峠まであと少し。『KAZASHIさん、

お腹空かん?』とあっちゃんが聞いてきた。と言う事は自身がお腹が空いてきたと言う事。














途中で度々の撮影会でゆっくりしたが1時間40分ほどで三頭峠に着いた。

額束の北側には三頭山大権現と南側は金毘羅大権現と異なる名前が書かれた

珍しい鳥居。そして猿田彦と天細女命の二体の石像。いつ見ても柔和なお顔の

細女命さんと対照的な、無骨なお顔の猿田彦さん。ここを訪れた人が細女命さんの

身体を触る(そのせいで白くなっている?)のを目の前で見せられて、猿田彦さんが

怒っているようにも見える。














そんな風に思いながら二人の間に立ってお顔を眺めた後、ザックを降ろしていると、

あっちゃんはもう既におにぎりを頬張っていた。








私もいちおう行動食を口にしたあと、三頭山へと南に峠道を歩いて行く。

杉林を抜けると車道に出た、ここからは舗装路を歩いて行く。











三頭山の手前まで来ると先週の天気予報がウソように青空が広がっていた。

車道の横で東に開けた場所からは竜王山の電波塔が見える。







東屋を過ぎ道の右手から三頭山のハンググライダー場へと登って行くと、更に眺望が

開けてきた。吉野川側からは雲がかけ登ってきている。














三角点の手前には新しく可愛らしい山名札が掛かっていた。








四等三角点なのに三等(三頭)とはこれ如何にの、四等三角点 三頭 734.03m

にはキティーちゃんの赤いプレート。







三頭山は「剣霊」「山王」「青龍」の三神を祀るため、その名がついたという

古い伝承が残っているが、山名札の後ろのこの石碑はまだ新しい。








それじゃ東屋まで戻ってお昼ご飯にしましょう。丁度峰と峰が重なった辺りが

三頭峠だろうか。まだまだ雲が登ってきている。もっと標高が高ければ雲海を

見下ろす形で見られたのにな~。








東屋で今日もカップラーメン。久しぶりに食べる出前一丁は、ゴマ油がよく効いていて

とても美味しく感じた。お腹を満たしたら気になるのはWBCの様子。スマホで見ると

丁度9回の表で1点差で勝ったとの結果。思わず三人で『やった~~!!』と声を上げる。











優勝の感激からしばらくすると奥様たちは、村上選手最後になって活躍出来て

良かったねとか、大谷選手はどんな人と結婚するのだろう?と話しを始めた。

気温も上がって来たし、空も申し分のない青空、今から下ってもあのユキワリイチゲは

花を開いてくれているだろうから、そろそろ腰を上げましょう。東屋を出て、

途中にあった展望所からは南の景色が開けていたが、雲海の上に稜線が見えるだけ。

雪を残す山は石堂山や矢筈山辺りだろうか?








展望所から車道に降り、舗装路から峠道へと歩いて行く。三頭峠で細女命さんの

おっぱいにタッチ。猿田彦さんに怒られそうだが随分とにやけた顔だ。











ではではお目当てのイチゲさんに会いに行きましょう。下って行く途中の谷あいにも

眩しい日差しが届いていて期待できそうだ。







峠の直下から沢筋になると期待通りあちらこちらで花を咲かせていた。

アカリプタさんによると、ユキワリイチゲはルリイチゲとも呼ばれるそうだ。

その名の通り瑠璃色の花が日差しに向かって開いている。

その瑠璃色も薄く白っぽいのもあれば濃い色もと様々。
















雪割一華と書いて一茎から一輪だけ花を咲かせるその細い茎からは、不釣り合いな

大きな花弁が風に揺れている姿は健気でとても可愛らしい。













途中までは一緒だった奥様たちは、私以上に度々立ち止まって写真を撮るので

次第に間隔が開いてきた。奥様たち、今日は団子よりお花の様だ。











独りで歩いていても谷あいの道は、水の流れる音や鳥のさえずりで割とにぎやかだ。

途中で何人かの人とすれ違う。やはりこの晴れ間を狙って大きなカメラを抱えている。

すると最後に出会った男性に声を掛けられた。以前に二度ほどご一緒したことのある

水沼さんだった。水沼さんはまんのう町の地域おこし協力隊で活動していた時に知り合った。

今は大川山の麓に住まわれ、登山ガイドとしても活動されている。

奥様たちが後ろから来る間に、二人で里山について色々と話し合った。概ね県内の里山の

現状についての意見は一致して、お互いに『そうでしょう~』『そうですよね~』と

言っていたら奥様たちが降りて来た。

その後もしばらくお話をして別れたのだが、四人の居るところの写真を撮り忘れた。













大師堂まで戻って三体の石仏にお参りする。一番大きな石仏は光背に何体もの化仏が

彫られていて珍しい石仏。その横には西国三十三番の一番札所の石仏、そして右端が

関東二十四輩の二十四番の石仏が並んでいる。








久保谷橋をわたり国道を駐車場まで戻って行く。早春の谷あいでは春を告げる花々が

目を楽しませてくれた。明日からはまた雨模様。つかの間の晴天を小さな草花を

愛でながら過ごす事が出来た。今日の晴天で山肌にも淡い色が付き始めたが、

またしばらくは天気と共に停滞しそうだ。ただこの雨が上がれば一気に春色が広がるだろう。

春の山の景色と共に我々の気持ちもまた春色に染まっていく。



『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 雨島峠~笠松山

2023年03月01日 | 香川の里山


今回の里山を線で繋ぐで懸案事項のひとつだった、尾瀬山から琴南間を無事繋ぐ

ことができ、今日の笠松山でいよいよ三豊市から高松市が繋がる事になる。




ただし前回、雨島の集落から雨島峠笠松山を往復しようと琴南側から雨島の

集落へと向かう途中で、ポーンと音がして一瞬でタイヤの空気が抜けていった。

路面に散らばっていた尖った石を踏んだのか、サイドカットで走行不能になった。

その日は修理に出していた代車で、トランクからスペアタイヤを取り出しタイヤ

交換をしようとするが、肝心のジャッキがトランクの中に見当たらない。

取説を見てみると座席の下に収納してあると書いていた。ジャッキアップして

スペアタイヤに交換して事なきを得たが、荒れた路面をこれ以上進むのが躊躇え、

しかもジャッキアップの時に持病の腰を痛めて歩けそうにないので、その日は

笠松山を諦め帰って来たと云う曰くつきの山なのだ。

故に今回は琴南側からのアプローチは止めて、塩江側からアプローチをする事にした。




塩江の道の駅に集合して、内場ダムから貝ノ股の集落へ県道154号線を走り、

途中から林道下切・貝ノ股線を北に向かって登って行く。道に点在する民家には

人気は無く、前回の雨島集落と同様にこの辺りも消滅集落となってしまっている。

また路面の状態は、尖った石が散乱していていい状態ではないので慎重に運転していくが

前回のバーストが頭をよぎる。ゆっくりゆっくりと運転していくと、

峠の手前には電波塔があり、そのフェンスの横に車を停めてスタートする。




車を停めた場所から北に少し歩いて行くとこの林道の峠に着く。峠には林道の

竣工を記念した石碑が建てられているが、そこには総延長距離と、事業費が

彫られていたが、その事業費は2億5千万となっている。この事業費が高いのか

安いのかはピンとこないが、貝ノ股側からは車が走っている痕跡は全くない。





その石碑の手前から左に作業道が続いている。作業道には轍が出来ているので、

北の下切側からは作業車がここまで来ているようだ。その作業道を進んでい行くと

尾根側に鉄塔があり、標示杭の番号が消えていたので、奥様たちが番号を確認しに

鉄塔まで行くと阿波幹線102番鉄塔だった。











鉄塔からさらに進んで行くと土場の様な広場に出た。広場の北隅から尾根への取付きになる。





広場からの取付きには、ほぼ土に埋もれかけた擬木の階段が続いていて、その階段に

沿って登って行くと右に展望所の様な感じで広くなった場所に出た。

木々がなければ北への眺望が広がっているはずだが、木々に遮られて眺望はない。

その広場の真ん中に沢山の文字を刻んだ石碑があった。表にはいろいろな神様の

名前が刻まれていて、何だかとってもご利益がありそうなので、手を合わせてお願いをする。










展望所跡らしき場所からは九十九折れの鉄塔保線路を登って行く。








九十九折れの道が終わると鉄塔広場に出た。前回学習したように手前側に(番号の

若い番号の鉄塔側)に銘板が掛かっている。







すっかり葉を落とした木々の間の尾根道には、明るい気持ちのいい朝の光が届いている。











途中にあった四等三角点 水ケ本 840.92m




竜王山を頂点として派生した支尾根になるこの尾根は登山道ではなく、踏み跡は薄い。

国土地理院の杭や時々ある赤テープに沿って歩いて行く。










何度か小さなピークを登って行くが、ピークでは踏み跡が薄いので道が判りづらく、

方角を間違えないようにちゃんと確認しながら歩いて行かないと、直ぐに間違えそうになる。








竜王山と雨島峠との三差路となる砥石山の手前では少し足元に笹が現れる。

尾根から少し広がった場所に出ると、ほとんど消えかかった山名札が掛かっていた。

地形図では標高点だけで山名など載っていないが、YAMAPでは砥石山となっている。

山名札も消えかかっているが砥石山と書いていあるような・・・・・?














それでも取りあえずはYAMAPの登頂した山の数にはなった。山名札の前から左に

道が続いている。『こちらが阿讃縦走路への道ですね』と三人で確認した後、何気に

別方向に下って行く。がしかし踏み跡はなくけっこうな傾斜の下り坂だ。

気になってGPS を見てみると、雨島峠への破線とは違う方向に下っている。

前を行く二人に声を掛け引き返す。




地形図をもう一度見てみると雨島峠へは砥石山から少し戻って破線が分れていた。

砥石山まで登り返しそのまま少し戻ると、林道からは尾根を歩いてきたがその下に

北に向かって道が続いていた。(右が尾根筋、左が雨島峠への道)




二又になって別れた支尾根は雨島峠へ、そして笠形山へと尾根が続いている。

道は最初はヒノキの林の中では明瞭だったが、自然林のなかになると途中で

少しだけ踏み跡が薄くなった場所もあった。

雨島峠の手前で105番鉄塔への保線路と合流する。










砥石山からは30分ほどで見覚えのある石仏が見守る雨島峠についた。西に笠形山。

東に行くと竜王山。北には戸石の集落、そして南に下ると雨島の集落への道になる。







雨島峠で三界萬霊の石仏に手を合わせ、来た道を戻って行く。尾根の北端に沿って

歩いて行くと、切れ落ちた尾根の下に阿波幹線の鉄塔と送電線が続いている。










道が少し不明瞭になると国土地理院の赤い杭を目印にして歩いて行く。










砥石山の手前では『こんな急坂下ったかな?』なんて言いながら急登を登って行く。







砥石山の手前で北への尾根に乗っかり、林道へと続く尾根道を下って行く。道の脇には

まだ少しだけ雪が残っていた。時折木々の間から大滝山への稜線が見える。














867mの標高点の辺りで11時を過ぎた。そろそろかなと思っていたら案の定、

あっちゃんが『お腹が空いた~~』と言い始めた。つられて私のお腹もグ~となった。

この辺でお昼にしませんか?と聞いてくるあっちゃんに、『いえ、車を停めた場所まで

戻ってお昼にします!』とここではリーダーらしく威厳を持って答える。

砥石山の手前に尾根に乗ってから35分ほどで作業道の土場に出た。ここでも

『日当たりが良いからここでお昼にしましょ』と言って直ぐに『いややっぱり

日当たりが強すぎるのも良くないので』とあっちゃん。『どっちやねん!』と突っ込む。








車を停めた場所まで戻ると、木々の間からそこそこ日差しがさしていた。

道の脇の側溝に足を落として腰掛けてお昼ご飯にする。ここ最近は山を下りて、

うどん屋さんでお昼ご飯にする事が多かったので、考えてみると久しぶりに

山の中でお湯を沸かす。食後はルリちゃんからはチョコレート、あっちゃからは

塩饅頭を頂いてコーヒーを飲みながらまったりと。








お昼ご飯の後、今度は先ほどと反対方向に笠松山へと向かう。林道の脇から東に

山の中へと分け入ると『笠松山・蛸山縦走口』と書かれた札が木の幹に掛けられていた。










その下には『尾根に上がる』と書いてある。保線路のはっきりとした道が右手に続いているが、

一応書いてある通りに尾根に向かって植栽地を登って行くと、これがなかなかの急登だった。










急登を登りきり木漏れ日の尾根をさらに登って行くと貝ノ股への分岐に着いた。

このピークから右手に進むと上貝ノ股の集落へと下りて行けるようだ。

















笠松山に続く稜線は南は緩やかで北側は急峻な尾根になっている。分岐から一旦下り

鞍部から笠松山に向かっては、地形図の等高線の見た目よりは急登が続いていた。














林道の取付きから笠松山は1.2kmほどの距離。40分ほどで山頂に着いた。

二等三角点 笠松山 834.3m ここ最近見かけなかった二等の標石が大きく見える。











記念撮影を済ませたら、さてさて林道まで戻りましょうか。今まで一方向での往復を

したことは何度もあったが、今日は初めてだろうか2方向への往復になった。













今日は満点の眺望はなく、ほとんどが木々の間から見えるだけで、はっきりとは

山座同定は出来ないが、途中で大麻山善通寺五岳らしき峰々が見えた。





山頂から一旦下り緩やかに登って行く途中で、最初の急登の手前の鞍部に着いた。

植林地の中のあの急登を今度は下って行くのに、膝痛の事が頭をよぎった。

すると左手にそのピークを巻くように続く保線路が見えた。

急登の手前の案内札には『尾根を登る』と書いていたが、何のことはないあんな

急登を登らずともこの保線路を辿れば無理せず笠松山への道と合流できる。










復路は30分ほどで車を停めた林道に着いた。ザックを降ろし靴を履き替えようと

したら、あっちゃんが『KAZASHIさん、これパンクしているんと違うん!』と。

指さすタイヤを見てみると確かにタイヤの下端がペッちゃんこだ。

『なんてこった!』

前回の雨島集落でのパンクを踏まえて、反対側の塩江側からアプローチしたのに

またパンクするなんて。ほとほとこの笠松山には嫌われいるのだろうか。とは言いながら

恐らくもう二度と来ることはないだろうから、前回の様に登山口に向かう途中でなく、

山から降りてきて気づいたのがまだマシだった。

前回は修理中の車の代車だったのでスペアタイヤの交換となったが、修理から戻って

きた自身の車にはスペアタイヤは積んでいなくて、パンク修理のキットが載っていた。

初めての体験に車から取説を取り出して三人でその取説を見ながら、あ~でもない、

こ~でもないと言いながら何とか空気を入れることができた。

まずはバブルコアを押してタイヤの空気を抜いた後、修理剤を入れる



車内のソケットから電源をとり、コンプレッサーで空気を入れる。


適正圧になるまで確認する。


10分ほど経っても圧が上がらない場合は、修理は無理との事(穴が大きい等)




修理を終えて奥様たちは、前回のジャッキアップしてのタイヤ交換も経験して、

『これでタイヤのアクシデントは大抵大丈夫ね!』と宣う。

帰りはパンクした道を戻るのが躊躇われ、峠を越えて北に林道を降りて行く。

林道下切・貝ノ股線から林道塩江琴南線を通って内場ダムへの降りて行く。

雨島集落でのパンク。そしてその次は柞野から琴南の途中で上着を落とし無くして

二回目のアクシデント。二度あることは三度あるがなければいいけどな~と思っていたら、

今回のパンクでここ最近の三度目のアクシデント。これでもう何も起こらない事を

祈って家路に着いた。





『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 尾瀬山~塩入

2023年02月23日 | 香川の里山


今週は先週スタート地点だった塩入と、尾瀬神社の駐車場の区間を繋ぐ計画。

ただこの区間は山頂もなくYAMAPのポイントもなく、三角点が一つあるだけ。

石鎚山から剣山を繋げた時に、黒滝山から土佐岩原駅の区間を消化試合と

プチファーマさんが仰っていたが、今回の里山歩きでは今日のこの区間が消化試合。

それでも今日歩くと西の博智山から東の笠形山までが一本の線で結ばれる。




百名山・三角点、季節ごとの花巡りと登山の楽しみ方は十人十色。

その内のひとつの線で繋ぐという歩き方を教えてくれたのはエントツ山さんだった。

そのエントツ山さんは石鎚山から剣山、阿讃縦走路のいずれも一気通貫。テントを

背負ってひとりで歩ききっているが、日帰り登山でも何とかその足跡を辿ることができた。

奥様たちと三人でふたつの線で結ぶを終えた後、線で繋いでいく楽しさを憶えた。

石鎚山から剣山、阿讃縦走路は稜線歩きだったが、県内の里山を線で繋ごうと思うと、

どうしても下道歩きが避けられない。今回もおそらく1/3ほどはそんな下道歩きになった。





先週のスタート地点だった塩入の県道4号線沿いの広い路肩に集合して、一台に

乗り込んで尾瀬神社の駐車場まで移動してスタートする。




駐車場から舗装路をこの駐車場への分岐まで一旦下り、そこから南に緩やかに

林道・辷り尾多治川線を歩いて行く。日陰の道はさすがに寒く、服装は耳まで

覆ったニット帽や厚手の手袋だったが、露出した頬だけは冷たく痛い。日陰から

陽の当たる道になると少しは落ち着いてくる。お日様はほんとありがたい!

木々の間からいまから歩く塩入への稜線が見えた。







しばらく歩くと道は二股になっていた。右に行くと尾瀬山の南側を多治川ダムへと

続いている。そして左は東多治川林道となっている。







その未舗装の東多治川林道を南に歩いて行く。朝一番は少し曇っていたが、これから

向かう尾根と阿讃の稜線には、雲一つない空が広がっていた。




さらに先には林道にチェーンが張られて車が侵入できなくなっていた。このチェーンの

左横から山道へと取り付いて行くと、地形図ではここから多治の三角点に向かって破線が

続いている。しばらくは林道に沿っていた道が次第に高度が上がってくると東に眺望が

広がってきた。




南北に波打つ稜線にちょこんと三角の頭を出しているのは、讃岐七富士の高鉢山

北を見ると城山飯野山の間に、坂出の番の州の工場の煙突から上がった煙が見える。








花崗岩の風化した痩せ尾根を渡ると急登が始まった。まだ凍ったままの地表は足を

踏み込む度にザクザクと音がする。










支尾根に沿って所々にある森林管理局の見出標が目につく。道は直登から次第にヒノキの

林の中の九十九折れの道になる。







九十九折れの道が終わり広尾根の道になると、東に続く尾根への取付きの辺りになる。

すると細い電柱の先にテープと赤い杭。登山の目印ではないけれど、ここから取りあえず

東に適当に尾根を進んでみる事にした。










所々で先ほどのテープと赤い杭が続いているが、これも森林管理局の境界か何かの

目印だろう。踏み跡もなく小枝を掻き分けながら進んで行く。とにかく尾根を

外さないように、尾根の北端を意識して歩いて行く。




















尾根に続く小さなピークも北に巻ながらピークを避けて歩いて行く。









すると突然、保線路の標示杭が現れた。ここから南に派生した尾根を進むと26番

鉄塔となっている。保線路を辿れば道はしっかりしているが、どうしても距離が

延びてしまうので、このまま尾根を東に進んで行く。









すると今度は25番鉄塔の標示杭。この辺りの保線路は尾根近くを東西に続き、

鉄塔へは南に往復する形で道があるのだろうか?





ここでも保線路は無視して進んで行くと四等三角点 七曲丸 714.9m に着いた。

もちろん木々に囲まれて眺望は望めない。ここで行動食を口にする。

時間はまだ10時30分。このペースだと今日もまた下山後にうどん屋さんかな?














七曲丸の三角点からも東に少しづつ高度を下げて行く。道は次第に不明瞭になってくる。

ここからも小枝を掻き分け右に左に木の幹を避けながら歩いて行くが、少し気になって

GPSを覗いて見ると454mの標高点に向かって下っていた。このまま下って行っても

標高点から少し下れば県道に出れないこともない。ただ恐らく広尾根のプチ藪のしかも下り。

意外と時間がかかりそうだし、最後の目標地点にしていた四国中央東幹線の22番鉄塔と

吉野川線の25番鉄塔がクロスする場所には行けなくなる。

前を行く奥様たちを呼び戻し、谷筋を回り込むようにしてプチ藪の中を引き返す。














灌木が生い茂る中を登って行くと南に明るい場所が見えた。その明るみに引き寄せ

られるようにして藪の中から飛び出すと少し下に鉄塔が見えた。

『あの鉄塔まで行けば何とかなる!』。そう思って更に密になる藪の中を掻き分け掻き分け

下って行くと保線路らしき道に出た。ここでも鉄塔は支尾根の先にあり南に往復する

道になっている。あとはこの保線路を22番鉄塔に向かっていくだけだ。










最初は緩やかに下って行くが、中央幹線の基幹線の保線路の割には木々が生い茂り

道は少し荒れていた。正面には23番鉄塔が見え始める。








下り坂から鞍部に差し掛かると青いPE平ロープが道を塞いでいた。

立入禁止の意味だろうが、確か鉄塔一筆書さんの活動日記に松茸の季節は立ち入り

禁止の道だと書いていたような気がする。それなら今はシーズンオフ。先頭のルリちゃんに

『大丈夫ですよ!』と言ってテープを潜って進んで行く。





鞍部から少し登り返すと23番鉄塔の広場に出た。さすがに中央幹線の鉄塔だけあって

首が痛くなるくらい見上げないと頂部が見えない立派な鉄塔だ。














23番鉄塔から南に少し下るといよいよ22番鉄塔への道になる。

日差しの届く明るい道だが、陽の当たらない道の脇には霜柱がまだ残っていた。














道が南から東に向かうと谷筋の道になる。ここでも倒木が多く足元もザレた場所がある。

大きなヌタ場もまだ薄氷が張っていた。

















谷筋を抜けると今度は二つの標示杭。四国中央東幹線吉野川線の標示杭。

その標示杭を右に進むと、北側の眺望が広がっていた。

満濃池の奥には青山連山。その青山連山の城山からの稜線の奥に見える

番の州の工場の煙は、海岸沿いの風は強いのか、ほぼ横に流れている。

そして青ノ山の頭の奥には水島工業地帯の煙が良く見える。




















今日一番の眺望に、454mへ下がらずにこちらに回って来て良かった。展望ヶ所の

先には今日最後の鉄塔、四国中央東幹線の22番鉄塔。送電線は東西に続いている。

その22番鉄塔の手前には少し小ぶりな吉野川線の25番鉄塔と南北に続く送電線。

二つの送電線がクロスするのを初めて見た。どちらの送電線もここから讃岐変電所へと

続いている。前回も鉄塔を見ながら歩いたので、少し興味が湧いて家に帰ってから

調べてみると、鉄塔の番号は変電所からスタートして連番になっているそうだ。

そして四面の鉄柱の足元にその鉄塔の送電線名や番号などが書いた銘板は、

若い番号の鉄塔の方向の鉄柱につけられているそうだ。







そんな話をしているとあっちゃんが引き返して吉野川線の鉄塔を調べに行った。

自慢げに語ったうんちくが間違っていたら身もふたもなかったが、幸い吉野川線の

鉄塔の銘板の取付位置は間違いなかったようだ。

戻って来たあっちゃんがスマホを覗き込んで調べている。どうやら吉野川線は

阿讃の山を越えて井川町へと続いていた。そう言えば、池田町から東に国道を

走ると、井川町の辺りで発電所があったのを思い出した。そうかこの送電線は

その発電所へと続いているんだ。何て考えていると、鉄塔や送電線そして

保線路は、山歩きの中でひとつポイントにもなっていて益々興味が湧いてきた。











ひとしきり鉄塔広場で話をした後、広場から少し東に。その後南に林の中の

道を下って行くと、県道4号線に飛び出した。取付きにはさっきと同じように

規制線の様にしてPE平テープが張られていた。













ここで途中からずっと登山靴の中でチクチクしていた靴下に刺さった棘を抜こうと、

腰を降ろして靴を脱ぎ靴下も脱いで棘を抜いた。

すると歩いている途中で何度も靴紐がほどけていたのを見かねたルリちゃんが、

絶対にほどけない結び方があるのよと教えてくれた。ただあっちゃんが横で

写真に撮ったその様子をみて見ると、お母さんが小さい子供の靴ひもを結んで

いるように見える。







なぜかあっちゃんも『私にも教えて!』と私の脚を使って練習台にしている。





靴紐を整えて、いや整えてもらった後は県道4号線を塩入へと下って行く。

奥様たちはいつものように楽しそうに世間話。私はといえばいつものように後ろから

トボトボと付いて歩いていると、先週登った尾根の21番鉄塔が目に入る。














デポした塩入に到着後、途中で話し合った山内うどんに直行したら、なんと玉切れで

営業終了。仕方がないので相談した後、長田うどんまで車を走らせる。

満腹になったお腹を抱えながら、朝車を置いた尾瀬神社の駐車場までルリちゃんと

ドライブ。そのルリちゃんと駐車場で別れた後の帰り道。何故だか鉄塔ばかりに

目がいっている自分に気が付いた。







それならと帰り道の途中にある讃岐変電所に寄り道してみた。

広大な敷地の中に複雑に建つ鉄骨群。直ぐ近くにあるゴルフ場とさほど変わらない

広さの讃岐変電所。そしてその変電所の周りには取り囲むようにして鉄塔が建っていた。

これは鉄塔ファン?がいたなら、たまらない場所になるだろうな~!

(1番鉄塔で取り囲まれている)イヤイヤ鉄塔ファンでなくてもこれを見ると

気持ちが何だか高ぶってしまう施設だ。今度時間があったなら、その1番鉄塔群と

変電所をゆっくり見てみよう。線で繋ぐ里山歩きも送電線もどちらも線で繋がっている。

そういう意味では親近感を覚え、興味が湧いてしまうのかもしれない。








『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 塩入~琴南

2023年02月16日 | 香川の里山

今回の線で繋ぐのテーマは、東の引田から西の荘内半島の二つの灯台を、里山を歩いて

繋いでみようと考えて始めたが、当然阿讃縦走路のようにほぼ稜線を歩く訳には

いかず、下道の舗装路を歩いたり林道を歩いたりするケースが出てくる。

それでも出来るだけ山の中を歩きたくてルートを色々と考えるのだが、前回歩いた

尾瀬山から琴南までと、東の三木町の高仙山から塩江の八丁山までの間のルートが

なかなか思いつかなかった。特に尾瀬山からは南に阿讃縦走路に向かって破線は

あるが、東に塩入に向かっては道らしき破線は載っていない。また塩入から東に

向かっては、林道琴南財田線がまんのう町中通まで続いているが(途中未工事

部分有)、距離もかなり長くなり、そもそも山道を歩かないのでは意味がない。

あとは地形図に載っている送電線の近くに保線路が在ればそれに頼るしかないかな~と、

そう思って色々と調べてみると、YAMAPの鉄塔一筆書さんや綾川の山さんが

尾瀬山・塩入・琴南周辺をけっこう歩かれていて、やはり保線路を使って歩かれて

いたので、参考にさせて頂いた。

尾瀬山の南の762.5mの多治の三角点から東に派生する尾根の南側には四国中央東幹線の

送電線が塩入の上空を通って柞野へと続いている。その柞野からはひと山越えれば、

平川沿いに歩くと国道438号線へと出ることができる。お二人が歩いたルートに

少しアレンジを加えれば尾瀬山から琴南の公民館までが繋がる。いままで頭の中で

モヤモヤと雲がかかっていたこの区間だったが、一気に雲が流れて晴れ間が出た。


そう思って迎えた今週だったが、水曜日は気温がかなり低い。山間部では最低気温は

マイナスになりそうだったので、車をデポする尾瀬神社の駐車場は標高も高いので、

途中の車道が凍結している可能性がある。それならまだ少しは標高の低い塩入に

車を置いて、琴南までを先に歩くことにした




先ずは琴南の公民館に集合して、そこから塩入まで移動。林道琴南財田線が東西に走る

交差点の更に奥の路肩が広がった場所に車を停めた。南にはこれから向かう鉄塔が

尾根に沿って続いている。




車を降りると思っていたよりは寒くはなかったが、それでも灰色の空からは

雪の華がチラチラと舞い降りていた。ハア~と思いっきり息を吐くと真っ白になる。

車を停めた場所から少し戻って、スレートの倉庫と立派な門構えの民家の南を、

県道から右に折れて少し下って行く。

そこから財田川の源流域の谷あいを歩き、集落の手前の石垣の前で二股になった

道を左に進んで行くと、砂防ダムへの道になった。













砂防ダムの脇に22番と21番の保線路の矢印杭があり、そこから保線路への取付きになる。

取付きからしばらくは九十九折れの道。風が吹いていないので体感温度はそれほどでもないが

息が切れて空気を大きく吸い込むと、喉元が冷えた空気で痛い。










今シーズン初めて見る道の脇のツララが、なお一層寒さを誘う。薄くスライスしたような

小さな雪がひらひらと舞っている。今日のような雪は何て言うのだろう。綿雪・泡雪?。

地面に舞い落ちた雪は直ぐに融けずに、地表を覆い始めた。











保線路から上にある21番鉄塔はパスしてそのまま進んで行くと、20番鉄塔広場に出た。








四国中央東幹線は伊方発電所からまんのう町の讃岐変電所まで、全長185kmにわたる

50万ボルトの基幹送電線。それだけに鉄塔も一回り大きな感じがする。広場からは

東に尾瀬山、西は大川山辺りだろうか、雪雲の中で霞んで見える。










塩入からは林道琴南財田線を歩くしかないかなと思っていたが、思いがけずこの保線路の

存在を知ることになったが、予想以上に快適な道だ。これも綾川の山さんのお陰だ。

19番、18番鉄塔と順調に進んで行く。













18番鉄塔のすぐ下には林道が地形図には載っている。ここから中寺の三角点までは

今までの緩やかな尾根道から打って変って急登が続いて行く。 











足元の地表は凍って足を踏み込むたびにガリガリと音がする。凍った地面に時々

足を滑らせる。こんな道を下るのは怖いな~と思いながら登って行く。













それでも18番鉄塔から15分ほどで三角点に着いた。三等三角点 中寺 753.57m

今日は山頂を踏むことのない区間だが、この三角点だけが唯一YAMAPでの

ポイントになっている。ただ奥様たちは柞野から既に歩いてゲットしているので

さして感動もなく・・・・・。














中寺は平安時代に栄えた山寺。その存在は地元の人々に伝承されれていたが、記された

書物が少なく、永らく幻の山寺となっていたが、調査の結果様々な遺物が出土し、平成

20年に国指定史跡となった場所。山中に点在する史跡は里から遠く離れた場所で、

不思議な空間を創り出している。

そんな中で三角点の先にある中寺展望台は、県内でも随一の展望所。天気が良ければ

讃岐平野のほぼ全域を見渡せる素晴らしい場所だ。

生憎今日の空模様では薄く霞がかかったようになっていて、遠くまでは見渡せない。

それでも影の形で見える里山を、三人で山座同定しながら景色を楽しむ。




正面に綾川の城山とサンライス・ヒルズのゴルフ場



右に城山と猫山



先週歩いた満濃池



大川山山頂付近には雪が積もっている。







前回ここに来た時は夏場だったので、景色を見ながら30分以上休憩をしたが、今日は

やはりじっとしていると寒い。行動食を口に入れ、ルリちゃんからのピスタチオの

チョコレートも頂きながら、あっちゃんからコーヒーをカップに入れてもらって温まる。

コーヒーを飲んだ後早々に展望台をあとにする。ここからは柞野までは下るだけ。











時間的にはまだ10時。柞野まで降り、更に東に尾根を越えて琴南の公民館まで

3時間強と考えると、少しお昼は過ぎるが今日も三嶋製麺所が視野に入って来た。

その話しをすると奥様たちの歩くスピードが急に上がって来た。











柞野の登山口には40分弱で着いた。先ほどまでの薄曇りの空から晴れ間が見え、

日が当たり始めると暑くなってきたので、ルリちゃんとあっちゃんは雨具を。

私はここで上着のソフトシェルを脱いだ。

道の脇にふきのとう。昨日天ぷらにして食べたばかりだというルリちゃんが、

採らずに写真だけ撮っていた。













柞野川が道の脇に沿って流れている辺りから、地形図では東の尾根に向かって

破線が載っている。その破線の位置から少しズレた手前で、保線路の番号矢印杭があった。







ここから先は事前に調べても歩いた人が見当たらなかったが、503mの標高点まで

破線が続き、そこから南の尾根にも破線が載っている。そしてその先には林道琴南財田線。

尾根に乗っかればなんとかなるだろうと予想して歩いて行く。










途中では作業道と保線路が交わり、間違えないようにと手書きの杭。







その杭に書かれた矢印方向に進むと12番鉄塔の広場に出た。ここまで続いていた

四国中央東幹線ともここでお別れ。







四等三角点 桜 から503mの標高点にかけての尾根の北側は、複雑に波うった

等高線になっている。そのひとつの支尾根に12番鉄塔から登って行く。

地形図では破線は続いているが、登山道と言った雰囲気の道ではなく、踏み跡もなく

時々痩せ尾根になった場所がある。







痩せ尾根で不安定な振りをしてみるが、ただの酔っ払いに見える




前を歩く奥様たちが立ち止まり、前方を見上げている、その目線の先に503mが見える。







ここから503mにかけてが今日一番の急登だった。











前を行く二人もさすがに一歩一歩踏み出して登って行っている。ストックを短くして

時々木の枝を掴みながらゆっくりと登って行く。相栗峠や阿讃縦走路の境目から

鵜ノ田尾峠への急登を思い出す。あっちゃんが『四国三大急登の石墨山より、この坂

の方が急登よね!』と言っている。少しだけ湿り気を帯びた地面はぬかるむことなく

比較的足元は滑らずに登って行けたので助かった。











なんとか登りきった場所に503mの標高点。ここから南に破線は続いている。

ただし道が明瞭だったのは最初のごくわずかな距離だった。







広尾根になった場所では道は不明瞭になり、灌木の間を縫うようにして右に左にと

身体を入れ替えながら歩いて行く。503mで尾根に乗れば、後は楽勝だろうと

思っていたのが間違いで、意外と時間がかかってしまった。











やっとのことで切通になると、きれいなアスファルト道にでた。林道琴南財田線だった。

右に行くと柞野の最上部へと林道は続いている。切通から左に下って行く。

下りになると少し肌寒くなってきたので上着を奥様たちが着込んでいる。

私もと思ってザックを降ろすと、フロントのポケットに挟んだ上着が見当たらない。

ガ~ン!さっきの503mからの途中で落としてしまったようだ。

時間は12時過ぎ。ここから公民館まではまだ4kmほどある。引き返して探すには時間がない。

仕方がないので取りあえず公民館まで下って、お昼を済ませて探すことに。

(結局お昼のあと、探しに戻るのは諦めた)








林道からは北に大麻山と琴平の街並み。大麻山の奥に天霧山の削られた山肌が見える。




林道をしばらく下って行くと道の左に別の道が見えた。奥様たちは気づかずに先を行っている。

予定していた平川への道は直進ではなくこの鋭角に折れた左の道のようなので、奥様たちを

呼び戻し、落ち葉の積もった道へと下りて行く。道はガードレールのある立派な道だが

使われていない林道のアスファルトは、土や石で埋まっている。













平川の支流から平川の左岸に渡り、川に沿って下って行くと大きな砂防ダムがあった。

山の中で見かける砂防ダムのほとんどは、上流からの土砂の流入でけっこう埋まっているが

この砂防ダムはそんな様子が全くなく健全だった。











国道までの道は途中、民家の跡の石垣が点在していた。







集落に差し掛かるが上流部の民家はすでに人の気配が全くない。








国道に出る手前に小さな小屋があった。MAPには山神社となっていて注連縄も新しく、

地元の人達はい今も参拝している様子だった。







国道に出ると奥様たちのスピードが益々上がって来た。『今日は3玉食べるわよ!』と

張り切るあっちゃん。それを聞いてあきれるルリちゃん。








下道のアスファルトを出来るだけ歩かずにと思って計画した今日のルート。四国中央東幹線の

保線路は思っていた以上に快適な道だった。またここ最近では一番の急登とプチ藪と、意外と

変化があり、アスファルト道も柞野の辺りと、林道琴南財田線、そして平川林道の最後の

方から公民館の間だけで済んで、アスファルト道では足が痛くなるルリちゃんにとっても

最低限で済んで良かった。次週は気温が上がれば尾瀬山から塩入を予定。この区間も

山頂を踏むことなくただただ線を繋げるための区間。

他の人から見ると何が楽しいかと思われるのだろうが、始めて見ると目標とテーマがあり、

それに沿って色々とルートを考えるのが先ずは楽しい。そして山中だけでなく里の中を

歩いていると、ちょっとした発見がありそれもまた楽しい。今回は周回した区間も殆どなく、

引田鼻灯台から讃岐三崎灯台までが、ほぼきれいな一本の線で繋ぐ事が出来そうだ。

これこそ線で繋ぐの醍醐味?予定ではあと6区間。春までに何とかその線を繋げたいと思う。


ここまでの西のトラック



ここから先の東のトラック



『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 尾瀬山~竜王山

2023年02月03日 | 香川の里山

『1月は行く、2月は逃げる、3月は去る』とはよく言ったもので、少し前に

お正月だと思っていたら早や2月。その正月明けに善通寺から大麻山を縦走して

いこいの郷公園まで歩いたのがつい先日の様だ。今週はそのいこいの郷公園から

南に繋いで行く。スタート地点は尾瀬山。最終地点は竜王山。尾瀬山は私は既登の山。

奥様たちは竜王山が既登の山となる。いつもより少しゆっくり目にいこいの郷公園に

集合して、1台に乗り合せて尾瀬神社まで移動して駐車場に車を置いてスタートする。

このところの里山歩きのパターンで、今日も山行中は行動食で済ませて、下山後に

ランチをとる予定。尾瀬山が1時間30分。そこから竜王山まで歩いていこいの郷

公園着が2時間30分と予定したのだが、これが後々誤算となった。




駐車場からまずは展望台へと向かう。立派な東屋の展望台からは中讃から西讃の里山が

一望できる。琴平山の麓の牛尾口の大倉工業の白い建物が見えるが、今日はほぼあの

辺りまで歩くことになる。






満濃池と青山連峰(大高見山・猫山・城山)


左奥に七宝連峰。中央の右端の三角の頭が竜王山


琴平山の麓の大倉工業の建屋


どこから見ても同定が容易な飯野山



展望台でしばらくの間里山の同定を楽しんだ後、尾瀬神社へと向かう。

尾瀬神社は昔、尾背寺として下寺41ケ寺を擁した一大寺院だったが、長曾我部の兵火に

かかり廃寺となり、その跡に建てられた水分神社が明治時代になって尾瀬神社となったそうだ。




立派な鳥居を潜ると直ぐ脇に神泉。尾背寺建立時に掘られた泉で、一度も枯れた

ことがなく、雨乞いの神事に使われていたそうだ。

本殿でお参りをして一旦鳥居の方へ戻って行く。











参道の脇から尾根筋へと登って行くとアスレチックの遊具が並んでいる。今は訪れる

人のほとんどいないこの山中にも、出来た当時は子供たちの遊ぶにぎやかな声が

聞こえていたのだろう。県外の山でもそうだが、山頂近くに造られたキャンプ場や

アスレチックといった施設は、今は全く使われていない。人々のレジャーも時代に

よって次々と偏移している。







そんなアスレチックの遊具を見ながら歩いて行くと、しばらくして尾瀬山に着いた。

三等三角点 日浦 576.99m  山名標の文字もほぼ消えかかっていた。







尾瀬山山頂からしばらく歩くと鉄塔広場に出た。ここの鉄塔は他の鉄塔には無い

昇降防止の為にワイヤーが張られていた。隙あらば登って見ようとするあっちゃんだが、

これではさすがのあっちゃんも登るのは不可能だ。







鉄塔広場からも西に尾根道がほぼフラットな状態で続いて行く。こうなるといつもの

パターン。奥様たち二人は賑やかに話をしながら前を歩いている。小さなピークを

登り、下り坂になると文字の消えた鉄板の道標が道の脇にあった。相変わらずふたりは

話に夢中で通り過ぎて行っている。立ち止まってその矢印の道標をよ~くみて見ると

大寺の文字が何となく見えた。慌てて二人を呼び止めて、その矢印の方向へと左に

折れて登って行くと大寺山山頂だった。











四等三角点 大寺 573.47m ここから登って来た方向と反対に道は続いていたが、

間違って折り返して下ってしまう。








下って行くとまた鉄塔広場に出たが、ここでは行止りになっていて道が見つからない。

どうやら大寺山山頂から反対に続いていた道が尾根道の様だ。奥様たちに話をして

また大寺山へと引き返す。以前にWOC登山部で歩いた時もこの鉄塔広場まで

下って行ったトラックが残っていた。また同じミスをしたことになる。





大寺山からはほぼ下り。小さなピークでは登らずにトラバースの道が直ぐ下にある。











鞍部になった場所は南北に道があり峠の様な場所になっていた。脇には石柱が建っている。





大寺山から438mの標高点のちょうど中間地点で、今日初めての登りらしい登り。

438mの標高点の手前の鞍部でまた、ピークへの道とトラバース道に分かれていた。

このままピークに登ると、森林センターの登山口に続いている。





前回WOC登山部で歩いた時は森林センターから登って来たのだが、今日は違う

道を237mの柿畑の三角点の方へ下って行ってみる。ピークには登らず南側を

トラバース。最初は少し道は荒れていたが、直ぐに幅の広い快適な道になった。

道は相変わらず電力の保線路になっている。








広い尾根道から少し道が不明瞭になるが、踏み跡を辿って行くと林道に出た。










柿畑の手前には電波塔が二つ建っている。ここの電波塔はあまりメンテナンスが

されていないのか、敷地の中は草ボウボウで荒れている。道は電波塔の辺りから

落ち葉に隠れてはいるがコンクリートの道になる。








そのコンクリート道から舗装路にでると道の脇に四国のみちの道標。ここから竜王山へは

この四国のみちを歩いて行くことになる。ここまで既に予定していた時間をかなり

オーバーしている。奥様たちはそろそろお昼ご飯を気にし始めた。いつもの事だが

ルリちゃんはそうでもないのに、とにかくあっちゃんがうるさい。今日は予定では

財田町のお寺の中のピザ屋さんでランチの予定なのだが、このまま竜王山まで行って

果たしてオーダーストップまで間に合うか?いこいの郷公園まではまだ3時間弱

かかりそうなので、取りあえず行動食を口にする。








道の脇には梅の木に小さな白い花が溢れていた。近寄ると爽やかな香りが漂って来た。





その梅の木から少し歩くと今度は斜面一面にミツマタの群生が広がっていた。

ここまでの群生を見るのは初めて。まだ蕾の状態だが、これが黄色く色づいたら

見応えがあるだろう。そのミツマタの斜面の中に、陶芸の窯があり、その先には

これも見た事のない、太い大きな自然木を柱にした建物があった。











近寄って中を覗かせてもらうと、どうやらここでミツマタを加工して和紙を作って

いるような雰囲気だった。それよりも建物の中央で棟を支えている自然木が凄すぎて、

只々感心するばかりだった。この施設からしてミツマタは群生地というよりは

人工の畑のようだ。














ミツマタ畑のさらに先は香川県森林センターの敷地内になっていた。道の両側には

整然と並んだヒノキや苗畑が続いていた。首が痛くなるくらい見上げないと最上部が

見えない松の木が、真直ぐに伸びて道路の脇に並んでいる。











森林センターの敷地を抜けると北に向かって田畑が広がっていた。木原の集落に

差し掛かると、自治会館の様な建物の横に停めた軽トラックの周りに数人の人が居た。

近づいて見ると移動販売の車だった。その販売車に近所の人が買い物に来ていた。

まだ先の長い私たちも少し行動食を補充する事にした。ルリちゃんは菓子パンを

ひとつ。私はおにぎりをひとつ。あっちゃんはなんと揚げパンを三つも買っていた。










この辺りの民家では塀瓦の端に飾り瓦で飾られている。その内のひとつの布袋さんを

指さして『ルリちゃんのご主人?』と言うと苦笑い。『うちも痩せた痩せたと自分で

言うけれど、全然痩せてもいない』とあっちゃん。




そんな話をしながら歩いて行くと県道202号線に出た。ここから左に折れて

JR黒川駅を見ながら、今度は国道32号線に出た。国道を北に向かって

少し歩いて、今度は西に黒川地区へと入って行く。














道はここからも四国のみちになっている。そして財田川の支流の谷底平野のような

地形の中に春を待つ田畑が続いていく。振り返るとネギ畑の奥に阿讃山脈が見える。











この四国のみちは竹ノ尾越を越えて金毘羅さんへと続いている。








谷底平野も最上流部になってくると、両側から山が迫ってくる。








最終民家の手前では道にネットが張られていた。上から女性が降りてきたので

『すみません、竜王山に行きたいので、通らせてください!』と言うと、その女性が

『私たちもネットを開けさせてもらったの。昨日竜王山に登ってこちらの登山口を

確認しに来たのよ』と話してくれた。

民家の横からは竹林の中の山道になる。空は青色が広がって来た。昨日は曖昧な

天気予報で少し雨が降ったが、それを見越して今日に変更して正解だった。











竹林の中を登って行くと真新しく塗り替えられた朱色の鳥居があった。








その龍神さんからさらに登って行くと竹ノ尾越に着いた。ここからは今日初めての急登。

この竜王山を南から見ると三角の頭の形をしている。したがって山頂が近づくにつれ

どんどん急になってくる。先週と同じだけの距離を既に歩いて、最後にこの急登は堪える。











奥様たちも足を滑らせながら登っている。それでも15分ほどで何とか山頂に着いた。

三等三角点 竜王 421.6m  急坂だった登りは、下りも急坂。少し道を間違え、

木々の間を滑り落ちないように幹や枝を掴みながら下って行く。








竹ノ尾越からは広々とした道。杉林から竹林の中の道になる。竹林も丁寧に人の手が

入っているのか、とても雰囲気が良くきれいな竹林だった。










山裾に出ると北に景色が広がっていた。大麻山の大きな背中の横に。可愛らしく

善通寺五岳が並んでいる。佐分の集落の中を通り国道377号線に近づくと、

さすがにあっちゃんが、もうそこのうどん屋さんでお昼を済ませようと言ってきた。

ピザがうどんになったが、登り下りがあまりなかったとはいえ、ここまで結構な

距離を歩いてきた。温かいうどんの出汁が喉の奥に流れ込む。

そういえば前回セニョさん麺法師さんと尾瀬山に登った時も行動食しか持って来ずに、

下山後下道をぐるっと森林センターまで戻って時間が遅くなり、うどん屋さんを

探して遅めの昼食になったのを思い出した。一度あることは二度ある。














お昼ご飯を終えて、国道をいこいの郷公園へと向かう。沿面距離15.7km。行動時間

5時間30分の里山歩き。といってもほとんどが四国のみち歩きの一日だった。

今日の続きの尾瀬山から琴南町公民館までは直接尾根では繋がっていない。

尾瀬神社の駐車から南に東多治見川林道を通って、そのまま阿讃山脈へと歩いて

東山峠、大川山まで歩いて琴南町の公民館へと下るのが登山道が続いていてまず

間違いはないが、それでは最初に意図した阿讃縦走路とは別のルートで引田から

荘内半島まで繋ぐという計画から外れてしまう。東多治見川林道から阿讃縦走路に

向かう途中にある多治の三角点から東に七曲丸の三角点へと尾根が続いている

のだが、これが果たして道があるのか不明。航空写真を見て見ると尾根の南側に

等高線の様なくねくねと曲がり曲がった作業道の様なのが見える。やはりこの間は

作業道を歩くか保線路を探して歩くかだが、どちらにしても稜線の登山道と比べると

周り廻っていて距離がかなり伸びてしまうので頭のいたいところだ。この区間は

しばらくどう歩くかを考えて、来週は別の区間をまずは歩く事になるだろう。

さてさてあと何回で引田から荘内半島が繋がるかな?







ここ最近のトラック

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 詫間四座

2023年01月27日 | 香川の里山


今週の線で繋ぐは、先週からの続きで詫間町の四座を歩いてきた。

七宝山の北に位置する四座を、地元の奥様たちは四座とも既に歩いているが、

私は二座が未登の山だ。先週車をデポした松崎のコミュニティーセンターから

スタートして詫間町を下道歩き。まずは松峯山に登って次に高尾木山、そして

妙見山・博智山を縦走するコース。時間的には今日も余裕がありそうなので、

山中では行動食で済まして下山後にランチとした。




最強寒波とテレビではオウムの様に繰り返してアナウンスしていたので、少しだけ

マシになる木曜日に一日ずらして集まった。先ずは博智山の登山口に集合して一台の

車でコミュニティーセンターまで移動。マシになるとはいえそれは日中の気温で、

朝一番はやはり寒い。防寒にも役立つマスクをつけたまま歩き始める。

詫間町は海岸沿いのせいかさほどではないが、高速で来る途中に見えたどの家の

屋根も真っ白だった。ただ吹きさらしの橋の上になるとさすがに道の脇は凍っていた。








松峯山に向かう途中にある先日オープンしたWOC登山部仲間のトッシーのお店は

まだ時間が早くて人気はなかった。『山から降りてまた来ましょう!』と話をして

先に進む。汐木山を左手に見て汐木原の集落の中を通って行く。







汐木原から東に今度は大原の集落から松峯山の登山口へと向かう。松峯山の登山口は

大原自治会館の横になる。取付きには例によって木製の大きな案内板。案内板には

色々と名前がついた岩が描かれている。








取付きの道標は何故か松棟山と書かれている。地形図にも山名は載っていないので、

地元でも呼び名が色々あるのかもしれない。








登り始めて直ぐに花崗岩の露岩が現れた。そして羊歯の脇に一応花立はあるが石を

積み上げただけのような山神さん。








わずか115mほどの標高だが樹林帯を抜けると見晴らしが良くなってきた。花崗岩が

風化した尾根は、里山ではお決まりの松の低木とネズミサシが生えている。尾根から少

し下には天空の腰掛岩。せっかくなので一応腰掛けてみたが、なかなかの座り心地!











天空の腰掛岩の上には寝モアイ岩。モアイ岩の横では先ほどより一段標高が上がって

正面にはトンギリ山、そして三豊市ののどかな田園風景が見渡せる。











モアイ岩から花崗土の吊り尾根の先が松峯山山頂になる。











山頂からはこれから向かう高尾木山。そして澄んだ空気のお陰で瀬戸大橋も近眼の

私にもくっきりと見える。










松峯山山頂から折り返して登山口へと降り、高尾木山の取付きとなる加齢峠へと向かう。








北消防署第三分署を横目に、峠の頂部の切通の法面から高尾木山へと入って行く。

錆びた鎖を跨いで直ぐに山側に黄色い小さい高尾木山と書かれたプレートがあり、

そのプレートの横には先日も度々見たまちづくり推進隊みのの説明書きもあった。

落ち葉に隠れたコンクリートの道は谷筋を上へと続いている。













そのコンクリート道が途切れると道が不明瞭になる。左手にピンクのテープが見えたので

テープに従い登って行く。踏み跡は薄く少し藪ぽくなって来たが、直ぐ上に尾根が見えた。










テープは見当たらなかったが、細い木の枝を掻き分けながらしばらく登ると尾根に出た。

奥様たちは暑くなってきたと上着を脱いだ。ここからは尾根筋の道。電波塔の電源施設を

横目に見て、テープを見ながら登って行く。











山頂からは北に詫間町の街並みが見降ろせ、南西には燧灘越しに法皇山系

雪を抱いているのが見える、その手前には今流行りの父母ケ浜に白波がたっている。











山頂は四等三角点 高尾下山 270.31m。山名標の前が不自然な大きな窪みに

なっていたので、ここも山城跡かなと思ったが、帰って調べてみると海軍の

機銃陣地の跡ではないかと言う事だった。




山頂からは北西に詫間越に向かって下って行くが、これがなかなかの急坂。

麓近くまで張られているトラロープを握りながら降りて行く。先週位から下り坂で

痛みだした膝が今日も少し痛む。我慢できないような痛みではないが、これが悪化すると

困るな~と思いながら、負担を掛けないようにゆっくりと降りて行く。














貯水槽の横を通りさらに下って行くと、地形図で詫間峠となっている場所に出た。

道の脇には峠らしくひっそりとお地蔵さんが佇んでいた。山頂と同じ木の道標。










道標に書かれた仁尾方面へとトラバース気味に歩いて行く。切通の間を抜けると鳴子峠

書かれた石碑が場所に出た。その手前にはお地蔵さんが数体祀られたお堂がある。













県道231号線の旧道を歩き県道にでた。奥様たちはここから直ぐに向かいの

ミカン畑から妙見山へと取り付いたとの事だった。その取付きでは搬送用の

モノレールの取替の工事をしていた。工事のトラックが古いレールの積み込みを

していた横を通って登って行くと、トラックの運転手から『その先で工事をして

いるので、何かあったらいけないので入らないでください』と注意された。







仕方がないので引き返して詫間側に下りながら、登って行けそうな場所を探す。

集落の手前から尾根に向かって登って行くと、山神さんの祠までは踏み跡が

あったが、そこから先は道は途切れてしまっていた。











奥様たちが前回あるいたルートが通れないとなれば、あとは詫間越えまで仁尾方面へ

下って、妙見宮から登るルートしかない。そうなればかなりの時間のロスになる。

こうなったら尾根を辿って登って行くしかない。最初はイノシシにそこら中掘り返された

竹林の中。次に急登となるが『まだ藪でないからマシね』と言いながら余裕があった。








ただその余裕は直ぐに羊歯の藪を目の前にしてなくなった。でもこうなったらこの

羊歯の藪に突入するしかない。まずは切り込み隊長の私から藪の中へとダイブ。







暖かい時期の羊歯の海では埃が立って閉口するのだが、今日の羊歯は下の方が枯れていて

その枯れた葉が絡んで絡んで足が前へと進まない。途中で今度はあっちゃんが先を行き、

最後はまた私と交代して、とにかく足を持ち上げ掻き分けながら登って行く。











結局、山神さんの祠から僅か100mほどを作戦苦闘して20分以上かかって最初の

ピークに出た。予想しなかった久しぶりの藪漕ぎにホッとする。





小ピークの先で前回奥様たちが歩いた道に合流した。ここからは尾根に沿っての道。

さっきまでの藪がウソのようだ。尾根には至るところにタヌキのタメ糞。この山域には

かなりの数のタヌキがいるようだ。











尾根道を時折急登を交えながら妙見山へと近づいて行く。途中で12時のサイレンが

聞こえて来た。今日は下山後に詫間町でランチの予定。そのお店が13時30分までで

オーダーストップになるので、奥様たちが騒ぎ始めた。











山頂手前では少し眺望があった。顔面岩の横を抜け山頂には取付きから1.4kmほどの

距離を1時間かかってやっと着いた。











羊歯の海で苦戦して登山靴の中が屑だらけでチクチクしていた。山頂でやっと

落ち着いて、腰を降ろして靴を脱ぎ中のごみを取り除く。ただ腰を降ろした

場所が悪くて、『あ~あいかんのに~!』とあっちゃん








時間は12時10分。ここから博智山を通って車をデポした登山口までは2kmほどの距離。








デポの場所からランチのお店までの移動時間を考えても、あとはほぼ下りなので

オーダーストップまでには充分に間に合う。

充分間に合うというのに奥様たちが『急ぐわよ!』と言いながら、博智山への

急坂をガンガンと下って行く。膝を庇いながらも必死でついて行くヘッポコリーダー。











博智山山頂では石鎚山の天狗岳や瓶ケ森にもある金属の山名のプレートが置いてあった。

その脇では絵馬を掛けた木枠が倒れて、絵馬が散乱していた。管理する人がまだ知らないのか、

それとも管理する人がいなくなったのか、でもこうなるともうゴミでしかない。







山頂標の横からは東の景色が広がっている。ここ最近で歩いてきた大麻山善通寺五座

そして天霧山から黒戸山。空気の澄んだ青い空に、流れる雲の白さが寒さを誘う。











八畳岩からは詫間の街並みを見下ろせる。詫間の港の横の塩生山にもその流れる

雲の影が映っている。







八畳岩の下の掲揚台でルリちゃんが『急だけど時間が短い地獄坂を下ります!』と。

何度か来ているこの山で初めて歩く道。どこの里山でもそうだが、次々と道が出来る。








急な場所にはロープが張られた地獄坂。名前ほどではないかな?と思いながらも

やっぱり膝の具合が気になるが、『ランチ・ランチ!』と言いながら下って行く

奥様たちに付いて降りる。











地獄坂を降りきると車を停めた登山口より少し東にでた。そこから下道を歩いて駐車場へ。














お目当てのランチの時間には充分間に合った。以前は居酒屋だったお店がコロナ下で

カレーの専門店に切り替えたお店だ。海鮮とビーフの二種盛のカレーは、今まで

味わったことのないスパイスが効いていて、奥様たちも大満足。








ランチのあとは朝まだ開いてなかったトッシーの所で食後のコーヒー。もともとお爺さんの

鉄工所だった建物をさらぴんと名付けてオープンしたお店。旧知のトッシーと綺麗な奥様が

迎えてくれた。コクのあるコーヒーを飲みながら、奥様たちは娘の様な若いトッシーの

奥様とアレコレ話をしている。それを見ながら『いつもこんなに賑やかなんですか?』と

トッシー。『そうなんよ、いつも二人はこんな感じで、私は静かに後ろから付いて行ってる』と、

奥様たちには聞こえないように答える。コーヒーとは別に姐さんの薬膳茶も試飲させて

もらいながら、今度はトッシーと話し込む奥様たち。

山を下りた後、美味しいランチと楽しいコーヒータイムで大満足のお二人だった。











少しづつだが繋がって来た。