先週は奥様のひとりが欠席になったため、変則で野鹿池山から黒滝山を歩いた。
愛媛県と高知県の県境に沿って東西約50km以上に広がる石鎚山系の
西端が堂ケ森だとすると、黒滝山は東端にあたる。
以前歩いた三ツ森山からこの黒滝山までは、地形図に載っている
山だけでも、まだ10座ある。そして更には吉野川を越えて剣山系へと続いていく。
と言う事で今週は正規のルートに戻って、その三ツ森山から大座礼山を繋ぐ事にした。
大座礼山は頂上の南西側のザレ場から山名がついたと伝えられている。住友の別子銅山が
開抗後はその燃料の山として歴史を担ってきた。この山に登ったのは以前に所属していた
山の会で14年前に登ったきり。山頂近くの四国随一の大ブナは有名で、まだ今ほど
ネットでの情報共有はなく、大ブナと言えば大座礼山と当時は言われていた山だ。
今日は中七番に車を一台デポして、大田尾越からスタートして大座礼山から
三ツ森山まで縦走して中七番へと下るルート。奥様たちにとっては山道の運転が不安のようだが
筏津から大田尾越まではさほどの距離でもないので、大丈夫だろう。
大田尾越から南に少し下った林道入り口の脇に車を停めてスタートする。
車を停めた場所からはガスがかかっているが、次に登る予定の東光森山の急峻な山容が見て取れる。
林道は入り口付近からしばらくはゴツゴツとした岩が転がっていて荒れていた。
道の脇から清楚な白い色をしたテッポウユリが、『がんばってね!』と声を掛けてくれた。
しばらく林道を歩くと登山口になる。以前は取りつきに、大ブナの足元に撒いて欲しいと書いて、
小分けした土を袋に入れて置いていたが、今は無くなっていた。ブナにとっては林床のよし悪しが
大きく影響するので、足元を踏み荒らされ環境が悪くなると樹勢が落ちるという。
取付きの階段を登ると直ぐに短く急登が始まり、登りきるとしばらく杉林の中の道になる。
そして杉林を抜けると最初の渡渉となり、対岸のテープを目印に渡って行く。
右岸から左岸へと渡るとまた急登が始まった。いつもは賑やかなお二人もさすがに寡黙に登っている。
逆に静けさの中で自分の息の切れる音だけが大きく聞こえてくる。
急登を登りきると等高線に沿って徐々に高度を上げていく。足元が悪い場所には丸太の橋が架けられていた。
所々で岩を乗り越え、モミやミズナラの樹林帯の中を進んで行くと二つ目の橋。
更に進んで行くと大北川源流と書かれた場所に着いた。大北川は途中の大北川渓谷を経て、
吉野川へと流れ込む吉野川の源流のひとつだ。
沢を渡ると少し足元はザレた道になり大岩を越えるとまたトラバースの道になる。
小ぶりなブナの木々を見ながら次第に道は緩やかになっていく。
するとまた杉林の人工林の中の道になる。この杉林を抜けると井野川越に着いた。
ルリちゃんがYAMAPを覗いてそろそろペースを気にし始めた。(汗)
井野川越からはスズタケの尾根道を歩くと20分ほどで大ブナに着いた。
四方に歪に枝を張り、ずんぐり型の大きい典型的な四国型のこの大ブナは、四国一の大木と言われていた。
14年前に訪れた時には未だ細い枝が有ったが、もう太い枝が残るだけの姿になっていた。
病害による枯死と云われているが見るも無残な姿に唖然とする。
何百年もの間風雪に耐え、その生命力の強さに感動さえ覚えた大ブナだったが、
病魔には抗うことができないのは、人間と同じなんだと思ってしまう。
数本の立ちながら最後を迎えたブナとは別に、まだ緑の葉を広げ逞しく生きるブナもいた。
またその亡骸に新たに芽生えている生命もあった。
少し感傷的になりながら、大ブナを後に広い尾根を進んで行く。
広尾根から足元に可愛らしい亀が書かれた石とケルン目印から
少し左に振りながら急登を登って行くと、大座礼山山頂に着いた。
ここでザックを降ろして小休止。奥様たちから少し離れて一服しようと
ザックからブツを取り出そうとしたら、もうすでにあっちゃんは、
おにぎりを頬張り、もぐもぐタイムに入っていた。
『もう~目を話したら直ぐに一服しようとする!』と、ルリちゃんに冷たくあしらわれながら
肩身を狭くして一息入れた後、次の三ツ森山へと歩いて行く。
山頂からはしばらくは下り坂。この辺りまでまだ小ぶりなブナが点在している。
中の良い二人の間に割り込むあっちゃん!
下りきると大田尾越への分岐。YAMAPのコース図には未だ載っていないが、
前回山の会で歩いた時には、この分岐から大田尾越へと下って行った道。
途中の1455mの標高点辺りからは少しだけ南側の景色が見えたが、
中間地点となる鉄塔広場から続く鉄塔が見えるだけだった。
これから歩く稜線もガスがかかって距離感が全くつかめない。
1455mからはロープが張られた急な下りが始まった。それにしてもルリちゃんのスピードが落ちない。
急な下り坂の悪路を苦にせずどんどん下って行く。登りはまったくヘタレなリーダーも、
下りや悪路だけは十八番だったのに、これでは全くつけ入る隙がなくなってしまった。( ゚Д゚)
悪路に強いルリちゃんをこれからは悪女と呼ぶことにする。
尾根道は自然林の中からスズタケの道になる。途中には距離を書いた道標が何ヵ所かあり
到着時間の目安になり助かる。ここまでで約1/3になる。
この稜線は小刻みにアップダウンを繰り返して行く。小さなピークを登るとまた展望ヶ所があった。
ガスで薄く中間地点の鉄塔が見え、さらに先に何となく見えるのが三ツ森山かな?
支尾根に続く鉄塔の奥に見えるのは小麦畝の辺りだろうか?
鉄塔広場は大座礼山から1時間ほどで着いた。ここでは水分補給をし靴紐を締め直す。
鉄塔広場からは次々と分岐の道標が現れる。大平への道は今はほぼ歩かれていない道の様子。
筏津からここまで登ってくるのは、少しヨイショがいるな~と思いながら歩いて行く。
ロープを使って下ったりそしてまた登り返しを繰り返して行く。
この辺りから南側は切れ落ち岩壁が続く道になる。
地形図では見逃してしまいそうな小さなピークは、歩いてみるとけっこう堪えてくる。
木々の間から三ツ森山らしき影が見えたが、まだまだ遠い。
道が痩せ尾根になるとシャクナゲが群生していた。それにしてもシャクナゲはどうしてこんな岩場の
厳しい場所に何も好き好んで群生するのだろう?
岩尾根の下りにはちゃんとロープ張られてる。三ツ森山まであと1km。もう少しだ!
と言いながらもまたどんどん下って行く。先ほどよりは近づいてきたように見える三ツ森山だが
山容からして最後は急登が待ち受けている感じがする。
何もこんなに下らなくてもと思いながら慎重に岩場を通過する。
最後の鞍部には真新しい道標。先ほどの道標からはまだ200mしか進んでいない。
標高差はそれほどでもない小ピークの上り下りだが、意外と下りが急でスピードが上がらない。
ガスが流れて少し遠望が利くようになった。一番奥が稲叢山だろう。
1381mの標高点を過ぎると、いよいよ三ツ森山が近づいて来た。
痩せたシャクナゲ尾根を過ぎて最後の登りに取り付く。
もうすでにシャリバテで足が前に出ない。前を歩くルリちゃんもシャリバテなのかペースが落ちてきた。
そんな二人を他所に、ペースを落とすことなく登って行くあっちゃん。
ここで遅れをとってしまったら、『平均ペースが下がった』などと、また何を言われるか分からない。
何としても踏ん張り最後の急登を登って行く。それにしても『お腹が空いた~!』
鉄塔広場から1時間20分。大座礼山からは2時間25分ほどで三ツ森山にとうちゃこ~!
いつになくお腹が空いてへとへとになりながら着いた山頂で、待ってましたのお昼ご飯。
今日は喉越しの良い『冷やしとろろそば』を持ってきた。
お行儀の良いリーダーに比べて、お行儀の悪いあっちゃん!(笑)
とろろの粘りと少し甘めの出汁に、ツルツルとあっという間に頂く。
ここからは三ツ森峠まで急坂を下った後は、住友の作業道を下って行くだけだ。
山頂は木々に囲まれていたが、少し歩くと景色が見えた。今まで歩いて来た平家平やちち山。
山頂からは今日一番の急坂。ロープや木の枝を掴みながらも二人ともトントンと降りて行く。
『一度歩いた道は前回よりも早く感じるわね!』とあっちゃん。
そりゃそうだ。コースタイム30分のところを、今日は18分で三ツ森峠まで降りてきた。
峠から中七番までは住友のくねくね曲がった作業道を降りて行く。
今はほどんど人が入ることの無くなった作業道は結構荒れていて、最初はとても歩きづらかった。
途中に一本だけ周りの木とは不釣り合いな杉の巨木。
道幅も広がり歩きやすくなってくると、案の定奥様二人のお喋りが始まった。
耳を傾けると『同級生には妹の事は相談できんわよね~』『そうよね~』と。
何やら深刻な話をしているのかと思いきや、また朝ドラの『おかえりモネ』の話だった。
『また、しょうもない話をしている!』と言うと。『主婦には気になる大事な話なの!』とあっちゃん。
アフガニスタンでは日本の関係者が500人近くも残された状態で、自衛隊が撤退するというニュースが
流れる中で、何とも平和な奥様たちだ!(笑)
作業道を歩き終え、中七番川に架かる橋を渡ると、橋の下には澄み切った水の流れがあった。
橋を渡り県道へと上がって今朝デポした場所まで戻って行く。
デポ車に乗り込み筏津から大田尾越まで戻ると、朝見えた東光森山がまた見える。
それにしてもかなりの標高差がありそうな山肌に、来週の喘ぎながら登って行く自分の姿が浮かんできた。
これからの四国中央部の山々は、恐らく今日の大座礼山から三ツ森山の稜線と同じように
アップダウンが続く道だろう。線を繋げようと言い出したのは私だったが、
言い出しっぺが一番気を重くしている今日この頃だった。