家の壁に掛けたカレンダーも12月の1枚を残すだけとなった。この1枚も、あと3日で用済みとなりごみ箱に捨てられる。2019JALカレンダー12月は、与謝蕪村の「松林富岳図」。松林の向こうに真っ白な富士山が、デーンと構えている。松はアカマツなんだろう、三保の松原とか海岸沿いに生える鬱蒼とした松の針葉と幹を異常なほどシンボリックに太く描いており、その右手向こうに富士が、その白さと勾配からして五合目以上の山体を切り取ったのだろう。
図書館から、集英社版日本美術絵画全集(昭和55年)「与謝蕪村」という大型の美術本を借りてきて確認したらカレンダーの絵は、原図の右半分だけ。実際は、富士の向かって左にも霞むほどの松林は広がっている。
どう見ても、写実にかけ、位置的に見ても、写真家が海上に浮かべた船の上から超望遠レンズで撮影したような絵。地理的には、東から西にそびえる富士を望遠レンズで見ないと、このような構図は生まれない。そんなセットはこの時代許されないから、まさに、蕪村は、心で松林の向こうの富士を見ていることになる。
カレンダーに触発されて、美術全集で彼の描いた絵をみて、晩年を中心にいくつかの作品に心があったまり、ついでに、本棚に眠っていた岩波文庫の蕪村俳句集を取り出して、冬の部、春の部、夏の部、秋の部、と読み進めた。好きな俳句に赤丸をして各季節から10句づつを選んでみたが、まだまだたくさんのお気に入りがあり、手元に置いてじっくりと味わいたい。彼の句も、絵画と同じように、心があったまるのは、蕪村という天才が心でスキャンした日本の四季折々の風景がどうしようもなく懐かしいからなのだろう。
「そういえば、」と昔読んだ萩原朔太郎の蕪村論を読みたくて、青空文庫から引っ張り出してきて、冒頭部分を少し読んでみたが、蕪村のポエジイの実態は何かという問いに、魂の故郷に対する「郷愁」だと答えている。
「やっぱり、そうなんだ、」風景を心で通して表現する絵と句、その魂ともいってよい心の奥底にはノスタルジーがあったんだ。朔太郎に言わせれば、時間の遠い彼岸に実在している魂が。
「あれ、どっかで似たような気持ちが、何だっけ。」という問いに、ああ、つい最近見てきたゴッホか。ゴッホの晩年の風景ではないか。フランス印象派や浮世絵の影響を受けた明るい光彩を放つ、ゴッホの風景や花の絵に似たような気持ちを感じるな。
蕪村は、ゴッホや賢治の生きた100年以上前の1784年に没している。モーツァルトの生きていた時代だ。「時間の遠い彼岸」の感覚からすれば、100年という時間は、瞬きのようなものだ。ゴッホ、賢治、蕪村、2019年の暮も押し迫って、オイラの中では、三人が手をつないでいる。2020年、時空を旅しながら彼らに逢いに行こう。
蕪村 冬の句10選
① 炭(すみ)売(うり)に日の暮れかゝる師走(しはす)かな
② 斧入れて香におどろくや冬木立
③ 落葉して遠く成けり臼の音
④ こがらしや何に世わたる家五軒
⑤ 凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ
⑥ うづみ火や我かくれ家も雪の中
⑦ いざ雪見容(かたちづくり)す蓑と笠
⑧ 宿かさぬ火影(ほかげ)や雪の家つゞき
⑨ 霜百里舟(しう)中(ちゆう)に我月を領す
⑩ 水仙や寒き都のこゝかしこ
蕪村 春の句10選
① 二もとの梅に遅速を愛すかな
② 高麗舟のよらで過ゆく霞かな
③ 春雨や小磯の小貝ぬるゝほど
④ 春雨やものがたりゆく蓑と傘
⑤ 畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬ
⑥ 遅き日のつもりて遠きむかしかな
⑦ 春の海終日(ひねもす)のたり〱 かな
⑧ にほひある衣も畳まず春の暮
⑨ 菜の花や月は東に日は西に
⑩ 歩き〱 物おもふ春のゆくへかな
蕪村 夏の10句選
① 衣更野路の人はつか(わずかの古語)に白し
② 御手討の夫婦なりしを衣更
③ 牡丹散て打かさなりぬ二三片
④ 夏河を越すうれしさよ手に草履
⑤ 花いばら故郷の道に似たる哉
⑥ 愁いつゝ岡にのぼれば花いばら
⑦ さみだれや大河を前に家二軒
⑧ 行々てこゝに行々夏野かな
⑨ 涼しさや鐘をはなるゝかねの声
⑩ ところてん逆しまに銀河三千尺
蕪村 秋の10句選
① 四五人に月落ちかゝるおどり哉
② 白萩を春わかちとるちぎり哉
③ 朝がほや一輪深き渕のいろ
④ もの焚て花火に遠きかゝり舟
⑤ 初汐に追れてのぼる小魚哉
⑥ 月天心貧しき町を通りけり
⑦ 三度啼きて聞えずなりぬ鹿の声
⑧ 門を出れば我も行(ゆく)人(ひと)秋のくれ
⑨ 道のべや手よりこぼれて蕎麦(そばの)花(はな)
⑩ 小鳥来る音うれしさよ板びさし