広瀬川の河原にネムノキの花が咲き始めた。
河原を散歩していて、5月になってもいつまでも眼をさまさない木を、ずいぶんのんきな木だなと思っていたら、そのうち「羽状複葉」の特徴的な芽がほころび始めたのでネムノキなのだろうと思っていたが、今日、あのやさしいピンク色のクジャクの羽根のような花が咲きだしていたので、やっぱり「ねんねむのき 合歓の花」だと安心した。
今日は、ほんの少ししか咲いていなかったが、芽がいっぱいついているので、あと1週間もすればこの木は、やさしいピンクに覆われるのだろう。
それにしても、早春から夏まで、花の咲く順番がだれかに決められていて、ミツバチ、ハナバチ、チョウなど蜜を集めたり栄養にしたりと宿命をもたされた生きものたちが、仕事にあぶれないように、腹を空かせないように、この世はうまくできているような気がする。
たとえば、おなじモクセイ科のオオバイボタという花が、甘いにおいの白い花が今日は満開で、カラスアゲハやハナバチを集めていたが、すぐ近くには、モクセイ科のトウネズミモチという花は、まだ青い蕾のままで、花の開花はこれからだ。
虫たちにしたら、子育てや子づくりのための体力強化に要するかぎられた期間内に、ごちそうがある時点だけてんこ盛りで与えられるよりは、とぎれなくまんべんなくありつけた方がいいに決まっており、順序良く花が咲いてくれた方がありがたいのだろう。
一方、花には花の事情というものがあって、お隣どおし一斉に花を咲かせたら、訪れる虫たちが少なくて、花粉を思うように運んでくれないだろう。
花に花は、虫に虫の、それぞれの事情というものがあって、そのような事情をだれかがわきまえて花の開花をプロディユースしているのだろう。そのだれかを「神様」という言葉で置き換えたらファンタジーなのだろうが、花や虫たちの ずうっと長い世代交代のあいだにが考えられた「智慧」なのだろう。その間には、数多くの滅びた種というものがあっただろうに。
温暖化が、さらなる犠牲を強いらなければいいのだが。
「フォト」で3D処理した合歓の木と広瀬川
マメ科 ネムノキの花 やっとひらいた
多数のピンクのおしべが花火のように広がっている
「はなせんせ」にモクセイ科トウネズミモチではないかと教えられた。まだツボミである。
トウネズミモチのツボミにハムシの仲間だろうか、遊んでいた。(と勝手に思っている。)
甘いにおいのモクセイ科オオバイボタの花にカラスアゲハやハナバチがたくさんやってきていた。
きょうも ティモフォーエワの残像を思い浮かべ、YOUTUBEを聴きながら、眠りにつく